取材

電気も値札もないウガンダでアフリカがいつまで経っても貧しい理由を理解


こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。

居心地のよかったケニアからウガンダに入った初日の夜、いきなり4時間停電しました。注文のできない料理店、歩くことさえできない交通渋滞、値段の分からない商店……といつものアフリカに戻りました。こうして目に映ったケニアとウガンダの違いに、アフリカの貧しさの理由を考えてみました。貧困は自然とそこにあるわけではありません。なんか上手くいかないウガンダにモヤモヤしながらもルワンダの首都Kigali(キガリ)まで走ります。

ウガンダの首都Kampala(カンパラ)はこちら。

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ウガンダの通貨はウガンダシリング。最高額5万シリング札の裏にはゴリラが描かれています。ウガンダには野生のゴリラが生息しており、海外からの観光客を対象としたゴリラツアーは貴重な外貨の獲得手段です。


ウガンダの最初の町はTororo(トロロ)。


ライフルを持った人が偶然写っていました。アフリカでは銀行、携帯ショップ、スーパーマーケットの入口には彼のような警備員が銃を構えています。治安が悪いからでしょう。最近は慣れてしまいましたが、日本からみると嫌な光景ですね。

Tororoでウガンダ最初の宿に入りました。1万6000ウガンダシリング(約500円)というわりに素敵な部屋でした。ですが、夜に4時間近く停電します。


ケニアではほとんど停電はなかったというのに、ウガンダの電気事情はあまりよくありません。首都のKampalaですら長時間停電します。自家発電に切り替えて営業を続けるスーパーマーケットの店内は暗く、開いているのに閉店間際のようでした。

アフリカの停電はセネガルから始まりました。ほんの3分で終わる証明写真のプリント作業を、電気がないために翌日に持ち越した写真店が不憫でなりません。ギニアビサウ、ギニア、シエラレオネは首都や大きな都市以外電気はありませんでした。たとえ電気があっても停電するので、銀行やいいホテルでは自家発電が備え付けられています。ですが、電気が安定して供給できない国の非効率さは否めません。あと、ナイジェリアやコンゴも酷い状況でした。

熊本印のダンプカー。ウガンダでは日本の中古車がたくさん走っています。


ウガンダに入ってからは小刻みなアップダウンが続いて大変でした。


ウガンダの首都Kampalaに入ります。


Kampala市内で中古自転車屋さんをみつけました。チューブや自転車パーツを手に入れました。


彼がいろいろと世話をしてくれました。


中古の鞄を売っている露店でウエストポーチを新調しました。値札がないので、勿論交渉です。


値札がない」というのがアフリカの特徴で「取れる人から取る」というルールが成り立っています。たまに「自分の納得した価格で買えばいい」という人もいますが、人によって価格が違うのは気持ちのいいものではありません。こういう露店はまだしも、商店にすら値札がありません。かといって値段を誤魔化すつもりでもなさそうです。でも、ウガンダでどっちに非があるのか分かりませんが値札のない商品でもめました。値札を表示すればこんなことは起きません。だけど、面倒だからやらないのです。できないのではなくやらないのです。

また「お釣りがない」のもアフリカです。「後で持ってくるから」と言われる度に「We are not friend(友達やないんやから)」と言って急かしていました。最初から用意するという考えがないのでしょう。ですからアフリカでは、お金の使い方にも細心の注意が必要です。お釣りがない場合、店の人は小銭を作る為に近所を駆け回ります。それまで待たないといけません。まったくもって無駄ばかりです。

ごちゃごちゃしていた首都Kampalaの商業地区。


市中心部は渋滞していました。


ワゴン車の乗り合いバスも身動きがとれずモソモソしていました。「王蟲が怒っている」と、風の谷のナウシカ状態です。


公共交通機関が麻痺しているのもアフリカの特徴です。一回で大量に輸送する手段が無いため、このウガンダのように渋滞します。カメルーンの首都ヤウンデの移動手段は乗り合いタクシーです。それが好きなときに好きな場所に止まるので交通の妨げとなっていました。ギニアも同じ状況で一台の乗り合いタクシーが止まると十数人が飛び掛るという凄まじい様相でした。地下鉄、トラム(路面電車)、大型バス、ミニバスとどこに行くにも困らない旧ソ連の都市と比べると、アフリカの市内交通は成り立っていません。

Kammpala市内の景色。


南アフリカ資本のスーパーマーケット。でも輸入品ばかりですのでなかなか手を出せません。


ウガンダはケニアと比べると工業化が進んでいません。自国で作れない物はケニアから輸入されるので、必然と高くなります。自分が旅したアフリカのモロッコ、セネガル、ガーナ、ナイジェリア、カメルーン以外はウガンダと似た状況でした。工業化が進まないと貧しい国なのに、物の値段が高いという状況が生まれます。その中で貧富の差が拡大していきます。アフリカの貧困を減らすには工業化という発展が必要でしょう。

Kampalaで泊まっていた安宿は2万ウガンダシリング(約600円)でした。


Kampalaを後にしてルワンダ方面へ進みます。


再び赤道を越えて南半球に入りました。ここから南アフリカのケープタウンまではずっと南半球。のはずです。


爽やかな緑の中を走っていました。kampalaを出てからアップダウンが少なくてよかったです。


7000ウガンダシリング(約200円)と小さな街でも安宿があるのは助かります。


Kampalaを出て3日でMbarara(ムバララ)と呼ばれる街に着きました。


人家とバナナ畑。


奥の奥まで埋め尽くされているバナナ畑。ウガンダではこのように一面に広がるバナナ畑がたくさんありました。


ウガンダではバナナチャリダーマンがバナナを運んでいます。ちょっと親近感。


このバナナは甘くありません。「Matoke(マトケ)」としてライスやポテトにならぶ主食となっています。食感もポテトのようです。カメルーンでもバナナは主食でした。


こちらはライスとピーナッツソース。


このウガンダの食堂はたいていメニューがありませんでした。まず「何が食べられるの」という会話からスタートします。それか誰か食べているお皿を指差さないといけません。「注文ができない料理店」……これもアフリカです。メニューと値段を表示させればいいのですが。これも値札と同様にできないのではなくやらないのです。

走っていると道わきに黒い物体がみえました。「犬?」


いや、「ヒヒ」でした。ぼんやりと物憂げな表情で座っていました。


道路を横断する「ヒヒ」。


家族連れを発見。遊んでいる子どもがかわいいです。


全部で十数頭の「ヒヒ」をみかけました。


またウガンダでは奇妙な鳥も見かけました。ハゲコウです。


コウノトリが赤ん坊を運んでくるなら、こいつは子どもを連れ去りそうです。それほど巨大で不気味な姿をしてました。この巨体が空を飛びます。


たくさんのビニールハウス群をみかけました。いろいろ文句をならべましたが、ウガンダは「西アフリカに比べるとやる」と感じていました。


牧場でしょうか?きちんと区切られた草地。


ウガンダの土地はしっかりと開発されています。特によくみかけた「バナナ畑」はよくできていました。ギニアやシエラレオネでは畑を見ませんでしたから。


少し標高を上げていきます。


谷間を見下ろして。


雲が近くなってきました。


ルワンダとの国境に近いKabale(カバレ)はウガンダ最後の街でした。やはり電気がなく、夜は真っ暗でした。


パイナップルチャリダーマンにパイナップルを切ってもらいました。


乳牛の放牧。


ウガンダはTororo→Jinja→Kampala→Masaka→Mbarara→Kbaleと走ってルワンダに抜けました。ルワンダに入ります。

入国してすぐに激しい雨が降り出しました。道わきの屋根のある建物で雨宿りです。


そこで出会ったルワンダ人たち。「ありがとう」の「Murakoze(ムラコゼ)」というルワンダ語を教えてもらいました。掴みは悪くありません。


丘の谷間には茶畑が広がっていました。


丘の斜面でさえ開拓され、畑となっています。


ルワンダの山中で総走行距離が8万kmを超えました。地球2周分の距離となりました。自転車世界一周の目標10万kmも近づいてきました。


谷の向こうには開拓された丘。


たくさんの丘が連なっています。


丘の向こうにルワンダの首都Kigaliの街が見えてきました。


丘のてっぺんを中心に街が広がっています。こんなヘンテコな街は見たことがありません。


丘のてっぺんがセントラル。このように「千の丘の国」と呼ばれるルワンダ。1994年にジェノサイドが起きたこの国で「アフリカの奇跡」とも呼ばれる程の驚異的な復興が進んでいました。


ケニア、ウガンダ、ルワンダと東アフリカを旅していく中で、ウガンダでは今までアフリカで感じていた荒さが目立ちました。その荒さを「アフリカが貧しい理由」として治安、停電、値札、渋滞、工業化として記事中に触れてみました。

加えて人口。急激な人口増に発展が追いついていません。どこの国でも「コンドームを使おう」という看板やポスターをみかけます。この人口に立ち向かった中国は一人っ子政策に踏み切りました。


そして独裁者。このウガンダの大統領も25年もの長期にわたって政権を維持しています。今年の「アラブの春」に呼応してウガンダでもデモが起きましたが制圧されました。また騒乱の続いているシリアと同様に、ガボンでも二世の大統領が政治を行っています。

日本だと「アフリカは貧しいから援助が必要」と単純な図式から、「どうしてアフリカは貧しいのか」と考えることも少ないのではないでしょうか?だからこそ、いろいろな事例をあげて説明させていただきました。貧困は自然とそこにあるわけではありません。援助はあってもいいかもしれませんが、だとしたら「何を改善するのか」と問うことが必要でしょう。成果を求めない援助は「Give me money」「Donnez-moi l'argent」、要するに「金くれ」とアフリカの人たちが簡単に口にするこの言葉に表れている気がします。

そんなアフリカの貧しさから、立ち上がろうとしていたのがルワンダでした。

(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com
)

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in 取材, Posted by logc_nt

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