取材

ケボからボケまで、ギニアビサウとギニアの未舗装の小さな国境ルートはびっくりするほどアフリカでした


こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。セネガル南部のカザマンスからギニアビサウとギニアを旅しました。その国境が想像以上でした。森の中の小さな道、次々と現れる藁葺きの集落、集まってくる子どもたち、自転車を担いで渡るコゴン河。未舗装路の道をぐいぐいと進んでいく一人アドベンチャー。その道はアフリカらしさでいっぱいでとても楽しかったです。

マイナーな西アフリカでも更にマイナーな国境超えをまとめました。ギニアビサウからギニアの首都コナクリまでの旅を紹介します。

詳細はこちらから。
ギニアビサウとギニアはこの辺り

大きな地図で見る

セネガルの南部のカザマンスからギニアビサウに入りました。暑くなってきて、こんな景色が続きます。


椰子の木をたくさん見かけました。


小さな集落を駆け抜けていくのですが、男の人たちは上半身裸。そして子どもたちはブリーフ一丁になりました。走っていると「ブランコ、ブランコ」と子どもたちがはしゃぎます。外国人野球選手になった気分で「ブランコ、チームタメニイッパイホームランウチタイデス」とくだらない事を考えながらも手を振ります。子どもには優しくがチャリダーマンのモットーです。「ブランコ」はポルトガル語で白人の意味らしいく、彼らにとって黒人以外は白人みたいです。

田舎の村の小道。


この村のベンチで袋水を飲んでいたら、2歳位の女の子がぽつりと座りました。曇り無い眼できょとーんとみつめてくる可愛さがたまりません。彼女の兄弟らしい男の子も一緒に座ります。2人でベンチに跨り、列車にでも見立てているのかガタゴトさせ、うーんうーんといいながら遊んでいました。アフリカの楽しみは子どもだったりします。4歳の女の子が布を使って塩ビの赤ん坊の人形をおんぶして、お姉ちゃんを演じる姿とか可愛くて仕方がありません。

ギニアビサウは子だくさんのアフリカの中でも更に子だくさんでした。日本でいうギャルが子どもを背負っています。1歳児を背負っているのに、既に次の子どもを妊娠中というのも見かけました。

田舎のござでできた様な家。


村では豚さんが歩いています。モロッコからアフリカに入ってどこもイスラム教だったので豚をみかけることはありませんでした。イスラム教は薄いみたいです。


道中の屋台で食べた魚飯。


ポルトガルでも見た様な教会をここでも見かけます。ギニアビサウは旧ポルトガル植民地です。


そして首都ビサウにたどり着きました。

ビサウの港から海を見て。


何かのモニュメント。


そして中心部のストリート。日曜日もあるのか閑散としています。たくさんの国を回りましたが、これほどがっかりした首都ははじめてでした。ギニアビサウは貧しい国です。瓶のコカコーラですら流通している気配はありません。


ビサウの宿にもがっかりしたので、1日だけで首都を後にしました。


ギニアビサウの魅力は田舎なんですから。

ビサウを出た日はマンソアという街に着きました。


SIDA(エイズ)啓発の看板。


屋台のおかあちゃんの子ども。


街の陽気な子どもたち。


冷えたビールが最高にうまい。ビールとワインは豊富にみかけました。


宿の前の広場でサッカーをしています。土ぼこり舞うほどの激しいプレーの連続でした。そんな彼らの靴がゴムシューズだったのが印象に残ります。


何とか探し当てた街の宿。街に到着して村の人に「この街でホテルとかない?」と聞くとリーさんを紹介してくれました。こんなところにも中国人が住んでいるんですね、と感心して……感心している場合ではありません。自分は中国人ではありません。右往左往します。結局、この宿はリーさんの家の隣です。


途中の街のマーケットの賑わい。


道路の分岐となる場所は人で賑わっていて上手く走れません。


コルバル河で沐浴しました。河を渡った集落にテントを張らせてもらい、洗面器を片手に河へ向かいます。そうすると地元の人も体を洗っていました。大きな河なので水もきれいです。


草木の勢いが激しくて仕方ありません。


ケボの街へたどり着きました。ひとまず、市場で空腹を満たします。屋台でゆっくりしていると、地元の人に話しかけられました。「どこから来たのか?」「どこへ行くのか?」と他愛のない会話をします。その中で、ふと(もしかして、ここに入国事務所があるかもしれない)という予感が走りました。地図だと国境まで距離はあるのですが、他に大きな街はみつかりません。そして国境は未舗装路だと聞いています。だから、もしかしてと「ここにイミグレーション、パスポート、スタンプ」と聞いてみると、なんとここにありました。きちんと出国のスタンプをもらいます。

それからギニアへの道を聞くのですが、「あの、本当にここを通っていくんですか?」


地元の人に聞いた情報によると

ケボ
ブニョン(ギニアビサウ)
センチュル(ギニア)
コゴン
キソマヤ
ダビス
ボケ

と小さな集落を繋いでいくみたいです。

でも、こんな細い道を通って別の国に行くなんて考えられません。車が通ることはなく、バイクや自転車がたまに通るくらいです。首をかしげながら自転車を走らせていました。


走っていると集落が現われます。ここはブニョン。


子どもたちが遊んでいます。


椰子の木が茂る小道を進んで……


巨大な蟻塚を発見しました。


「こらこら、自転車の近くは危ないよ」とマンゴー坊や。


このセンチュルという集落がギニアみたいでした。いつの間に国境を越えたのでしょう。それにして入国事務所が見当たりません。

集落の子どもたちの写真を撮らせてもらいました。


「女性陣も撮らないのか」と薦められて、彼女たちを写します。


そうしているうちに、どこからか子どもたちが増える、増える、増える。


たくさんの子どもたちが集まってしまいました。


その中に混ざるチャリダーマンは浮いています。でも、とても楽しかったです。


この先は道がなさそう……。


コゴン河を渡渉しました。この時期の河の水量は深い所でもひざ下までしかなく、自転車と荷物を3回に分けて運びます。一人アドベンチャーに興奮。


そんな河で一緒だったギニア人たち。


一緒に写真を撮りました。


集落を駆け抜けて。キソマヤという集落で入国のスタンプをもらいました。他の旅行者はもちろん、現地人すら国境を越えていません。本当に往来が少ない国境でした。


下り坂でもルートを選ばないと転倒します。水が流れた溝、飛び出した岩と気が抜けません。


でこぼこしている道です。雨が降った後に重いトラックなんか走れば、タイヤが道をえぐって溝ができます。乾季なのでよかったのですが、雨季に走ればとんでもない事になりそうです。


そしてダビスにたどり着きました。「地図にも記載されているし、きっと大きな街だろう」と期待していたのですが村でした。銀行なんてありません。未だにギニアの現地通貨ギニアフランを手にしてないのですが。この日は村の民家の近くてテントを張らせてもらいました。ダビスは電気は通ってない村なのですが、夜になると自家発電機が動きます。学校では大音量の音楽とともに、村人が楽しそうに踊っているのをみかけました。一方で屋外に置かれた一つのテレビを囲んで100人以上の村人が静かに見入っています。とても平和な夜でした

ダビス~ボケの未舗装路は走りやすかったです。


村の井戸で水を汲む少年、足汲みポンプは便利です。


ボケの近くを流れる河。


その河にかかる鉄橋。


歩行者が渡る場所は怖いんですが……


そしてボケにたどり着きました。未舗装路と小さな集落を駆け抜けてきたから、アスファルトと大きな街にとても文明を感じました。


ギニアの通貨はギニアフラン。1ユーロが最高額紙幣なのでかさばります、これは50ユーロ分です。銀行で両替できず両替所もなく、両替してくれる商店の主を見つけて、ようやくギニアフランを手に入れました。ヨーロッパならATM、旧ソ連なら両替所、アフリカでも大きな国境を通れば両替人がいるのですが、この国境での両替は大変苦労しました。


土ぼこりが覆うボケの街並み。


ボケからボファに移動します。ボファの中央市場。


たまに曇り空を見る様になりました。でも、未だ雨は降りません。


熱帯らしい景色が広がります。


ギニアに入ってから起伏が出てきて、山を見かける様になりました。


走行途中に水浴びをした河。


そしてギニアの首都のコナクリに着きました。

1960年はアフリカの年、そして2010年にギニアも建国50周年を迎えた様です。


コナクリの交差点の像。


コナクリのギニア人は煩わしいです。

5人の若者の隣を通り過ぎたら「シノワ」「ジャポネ」「ボンジュール、サバ」「コンニチハ」「ビエン、ビエン、イスィ」と5人がそれぞれ勝手な言葉を言って来ます。一人の男に呼ばれてふと立ち寄ると、グーの拳を前に突き出して「お前の拳も合わせろ」と変な挨拶を迫ります。太陽も暑いのですが、それ以上にギニア人も暑苦しいです。


これだけでは害はないのですが、怪しい連中も居るので気を付けてください。

街で少し身なりのいい黒人に英語で声をかけられました。「同じホテルに泊まっているじゃないか」という言葉にそんな記憶はないんですが同調します。「今日の飛行機で帰るんだが、ウエストバッグをひったくられてしまった。俺は糖尿病でインシュリンがなくて大変なんだ」みたいなことを話して「俺、この街に知り合い居ないし」と呟きました。勿論、自分がここで使う言葉は決まっています。「自分も知り合い居ないから」とすぐに逃げました。実に出来た作り話でしょう。そしてそれを英語で伝える彼は役者です。仮に本当の話だとしても、彼の母国トーゴのフランス語でギニア人に話をすればいいでしょう。うさんくさい人でした。

ギニアで食べていた物を紹介します。

袋水の袋買い。1袋500ギニアフラン(約6円)のものが25袋で6000ギニアフラン(約72円)と、まとめ買いがお得なんです。


ぶっかけ飯、3000ギニアフラン(約36円)


干し魚一山、2000ギニアフラン(約24円)


パイナップルを丸かじり、4000ギニアフラン(約48円)


甘粥。1000ギニアフラン(約12円)


酸っぱくて甘い袋ヨーグルトアイスなかなかいけます。1000ギニアフラン(約12円)


甘い甘いソフトクリームはたまりません。2500ギニアフラン(約30円)


一日の走行が終ったらギニアビアーを飲みましょう。6000ギニアフラン(約72円)


最後にギニアの宿を紹介します。

ボケの宿、5万ギニアフラン(約600円)


ボファの宿、6万ギニアフラン(約720円)


コナクリの宿、7万5000ギニアフラン(約900円)


ギニアに入ってから宿が安くなりました。通貨がセネガルやギニアビサウと違ってユーロと固定されているセーファーフランからギニア独自のギニアフランに変わったからでしょう。そのギニアフランがインフレで通貨の価値が下がっているので、外貨を持っている旅行者には旅しやすい環境でした。どの宿も広い室内に机と椅子があるのは嬉しいことです。電気は夜にしか使えませんが、水道は使えます。

ギニアの首都コナクリでは隣国シエラレオネのビザを手に入れることができました。コナクリからシエラレオネの首都フリータウンを目指します。つい最近まで内戦が行われていたシエラレオネを自転車で走ることはできるのでしょうか?そしてオカダについて語りたいと思います。

(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com
)

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
目標100カ国100,000kmの自転車世界一周、これまでの52カ国65,000kmで撮影した美麗な光景の写真集 - GIGAZINE

ピレネー山脈の小国アンドラ公国で深い雪に覆われた標高2408mの峠を自転車で越えたら、ホームステイとテレビインタビューが待ってました - GIGAZINE

日本から自転車でユーラシア大陸最西端のポルトガルのロカ岬へ辿り着いて想う事 - GIGAZINE

スペインで新年最初に開くお店はなんでしょう?スペイン流の大晦日と新年の祝い方 - GIGAZINE

美味しいモロッコ料理とたくさんの旅行客が訪れるマラケシュの賑わい、そしてサハラ砂漠を目指す旅人達について - GIGAZINE

モロッコ南部、西サハラのどこまでも広がる果てないサハラ砂漠の美しさと道路を横切る野生のらくだ達 - GIGAZINE

誰も寄せ付けないサハラ砂漠が広がる西サハラで営まれている大自然の美しさとそこで働く男達 - GIGAZINE

砂がすべてを支配するモーリタニアの首都ヌアクショットの日常と、日本を感じるご飯料理 - GIGAZINE

黒人国家のセネガルから始まるアフリカらしいアフリカ、フランス風の街なみが残る世界遺産サン=ルイ島を訪れました - GIGAZINE

セネガルの首都ダカールで黒人奴隷の歴史が残る負の世界遺産ゴレ島に行って来ました - GIGAZINE

旧イギリス領と旧フランス領の違い、セネガルに囲まれた小国ガンビアが紳士の国だった不思議について - GIGAZINE

in 取材, Posted by logc_nt

You can read the machine translated English article here.