取材

黒人国家のセネガルから始まるアフリカらしいアフリカ、フランス風の街なみが残る世界遺産サン=ルイ島を訪れました


こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。

モーリタニアの首都ヌアクショットを出るとセネガルに入ります。長かったサハラ砂漠も終わり、水と緑が増えるとほっとします。そして周りは黒人ばかりとなりました。すぐに世界遺産にも登録されたフランス風の街なみが残るサン=ルイ島に入ります。フランスにおけるセネガルの最初の拠点がここでした。そして首都ダカールを目指します。


混沌と格闘しなければいけない国境、平和すぎるセネガルの田舎の街、死肉を漁るハゲワシの群れ、足蹴り自転車旅行者とも遭遇した、セネガル前半の旅をまとめてみました。

詳細はこちらから。
セネガルのサン=ルイはこの辺りです。

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モーリタニアの首都ヌアクショットを出て、次の国セネガルの国境を目指します。

ヌアクショット南の町。


田舎の集落。こんな集落をたくさんみかけました。


砂漠の中に木が生えています。


国境のロッソはモーリタニア最後の街です。


ヌアクショット出発の間際に「ロッソの国境では賄賂を要求されたよ」という初老のイタリア人男性に会いました。「いやいやそれは困る。払いました?」と聞くと「払う必要はないよ」と。でも、彼の話からすると嫌な思いをするのは確実です。モーリタニアとセネガルの国境ロッソはいい噂を聞きません。

そのロッソに着いたのですが、街に入ると怪しい男性が英語で話しかけてきます。もちろん無視です。だけど、彼が宿を案内してくれて、何とか寝床は確保できました。それでも自分は格好のターゲットらしく「明日出国スタンプに500ウギア、船に5000ウギアかかるから」と吹っかけられます。そんなのをほっといて街を散策しているとガンビア人が声をかけて来ました。セネガルに挟まれたガンビアはイギリスの旧植民地なので彼は綺麗な英語を話します。「ここで働いているんだ」という彼に、「何しているん?」と尋ねると「ここに来る外国人を案内したり……」と説明する彼。「それ働くは働くでも、悪さを働いているんじゃ」と言いたくて仕方ありませんでした。うさん臭い奴が声をかけてくるのです。

ヤギやロバがうろつく街。


翌朝の8時過ぎに国境へ向かいます。まともな国の国境には一般人は居ませんが、ここは一般人でごったがえしています。やはりうさん臭い奴らが声をかけて来ますが、とりあえず全部無視しました。出国スタンプが必要なのでイミグレーションオフィスにパスポートを預けます。「1000ウギア」と中年のにやにやした係員がそういいました。残念です。無言でしばらく待つと、別の係員が「英語は話せるか」といいます。首を振りました。「ともかくスタンプを押せ」とジェスチャーで迫ります。別の係員は続けて「君の国籍は」といいますが、パスポートを指差しました。「だったら、パスポートみないから」と手続きが進みそうにありません。「お前は幼稚園児か、だったら賄賂の要求する奴をどうにかしろ」と心で悪態をつきながらも「ジャパン」と答えると、後は何もなくスタンプを押してもらえました。途端に心が晴れやかになり、「モーリタニア良かったよ、ありがとう」ときれいに終らすためにいっておきました。これが終るまでは本当に問題はなかったのですが。

モーリタニア国内の幹線道路で軍や警察の検問で10回以上パスポートのチェックを受けました。昔の情報では「君の自転車には保険が必要だ」「私へのお土産はどうしたんだい」と問題のある人達だったらしいです。ですが今回は何も心配はありませんでした。それ以上に「ちょっと電話番号を書くから、何かあったらここに電話をするんだ」と正義感にあふれる人もいました。だからこそ最後の最後に賄賂の要求があり残念でした。ですが、これがアフリカかもしれません。

ともかく第一関門は突破しました。次は舟を探さないといけません。このモーリタニアとセネガルには河が流れていて、それが国境となっています。早速「5000ウギアだよ」と声をかけられました。5分でわたれる距離なのに15ユーロも取る気です。「さて、どうするか」としばらく考えた結果、自分の金額で交渉します。舟はたくさんあるのです。ガイドブックに人が500セーファーフラン(セネガルの通貨)と書いていたので自転車も入れて「1000セーファーフラン(約1.5ユーロ)で乗れないか」と声をかけます。国境で両替したのでセーファーフランは手元にあります。そしてその金額で乗れました。まったく疲れる国境です。ちなみに全く訳が分かりませんが、公営のフェリーもあるみたいです。

舟に乗って河を渡ります。


セネガルは西アフリカでは珍しくビザが要らない国です。入国はいたってスムーズで、簡単にスタンプを押してくれました。

モーリタニアより、さらに荒れて見えたセネガルの最初の景色。


「ようこそセネガルへ」と歓迎してくれたセネガル人


セネガルに入ると水と緑があります。相変わらずに日差しは強いですが、木影と海からの気持ちのよい風があるから走りやすいです。その気候のせいかセネガル人はモーリタニア人より明るいです。街を歩くと軽い歌声が耳に入ります。そしてよく話しかけられます。

田舎の集落を通り抜けていきます。


水があるのが嬉しいことです。水があれば畑ができ、畑があれば加工ができます。走っている途中には工場に向かうトマトが満載されたトラックの行列がみえました。


この橋を渡るとサン=ルイ島に入ります。


サン=ルイ島には観光案内所があります。ヨーロッパからたくさんの観光客がセネガルに訪れるみたいです。


このサン=ルイ島はセネガル河の中洲にぽつりと浮かぶ小さな島です。本土と5つのアーチが連なった大きな橋で、反対側の砂洲と小さな橋で、それぞれ結ばれています。1659年に最初の植民都市が作られて以来、フランスにおける西アフリカの拠点として繁栄してきました。

サン=ルイ島のストリート。


ここにもモスクです。セネガルでもイスラム教が広く信仰されています。


ござに座った3~5歳のちんちくりんの子供たちをみかけました。本を片手に一生懸命何かを詠唱しています。すぐそばの人に「あれはコーラン?」と尋ねるとうなずきした。ちらっとのぞいたコーランはアラビア語。しっかりと勉強している姿に心を打たれました。

古い二つの給水塔。


フランス風の街並み。


二重窓の外窓の木枠は、フランスでも確かにこうなっていました。


小道を彩る花の色。


緑と花の壁。


緑と花とヤギ。


河にはたくさんの舟があります。


ここは観光地なのであまり空気が良くありません。「あなたの名前はなんというの?」と中学生あたりの女子集団に話しかけられた二言めには「100CFAちょうだい」と。さすがにこれは引きました。外国人=金持ちという図式からか、ごくごく一部の人から「金くれ」「何かくれ」と普通に声をかけられます。

この橋を渡ると細長い砂洲の半島へ出ます。


サン=ルイ島を隔てるセネガル河。


河の水を集める女性たち。


河岸にある大きな大きな船。


河岸もヤギばかり。


こちらが砂洲側。


お馬さんが食事中。


市場の辺りの賑わい。


いい雰囲気を出していた大きな木と街なみ。


日常生活の中にヤギがいます。


風になびくたくさんの洗濯物。


そして海に出てみました。大西洋。アフリカに入ってから海を見ても、海に触ってはいませんでした。ここで海に触れたのはいいんですが、波が足元を濡らします。


波打ちぎわにも家が続いて、たくさんの人が住んでいます。


ここでもたくさんの子どもたちが遊んでいます。空き缶で作ったボートを水に浮かべていたり、手作りのカイト(凧)を空に浮かべていたり。通り過ぎると小さな子どもは嬉しそうに手を振ります。それを笑顔で返すと心が晴れやかになるのです。

木で作られた船体にエンジンを取り付けた漁師の舟が帰ってきました。浜に上げるのに舟と直角に2本の板を敷きました。そして片方ずつの先端を引っ張って、舟を浜へずらして引き上げています。先端を引っ張って、板を引っ張っての繰り返しで舟はどんどんと浜へ近付いていくのです。

猫も魚を漁っていました。


これがサン=ルイ島と本土を繋ぐ大きな橋です。ちょうど入れ替え工事をしていました。


あと一つ入れ替えたら完成の様です。一つだけ古いアーチがあります。


古いアーチを近くで見るとこんな感じです。


橋の奥に新しい橋がスタンバイしています。


古い橋は運ばれてきて……


解体されるというのです。


河口に浮かんでいるサン=ルイ島


こちらが本土側です。サン=ルイから首都ダカールまで255km。


木と緑と落ち着いた街なみ。


新しく道路を作っていました。


古いサン=ルイの駅庁舎。


サン=ルイを出発してセネガルの首都ダカールを目指します。

ふと立ち止まった商店の横で農作業をしていたセネガル人一家。


一日の走行を終えて寝床を確保した後にルーガという地方の街を歩きました。


路地裏。


肉を焼いてました。


古い建物とイスラムモスク。


静かな街を夕焼け染め上げます。


道路は数台の車と馬車がゆっくりと行き交うだけ。何かに追われている人の姿はどこにもなく、ここにはゆっくりとした時間が流れています。一つの小さいテレビに大きなアフリカ人が身を寄せ合ってサッカーを観戦しています。このルーガの街はとても穏やかで、そして平和でした。

ホテルにテントを張りました。


このホテルの前に別の2軒を尋ねたのですが、高くてどうしようもありません。最後の1軒となったここも同じでした。ふと「テントも持っているんだけど、キャンプはできない?」とつぶやくと「いいよ、問題ないよ」とまさかの展開。「で、いくらかかります」と聞いても「お金は要らない」と。「いやいや払います、いや払わせてください」と懇願しても「お金を出してホテルに泊まるか、ただでここにテントを張るか、どちらかにしなさいよ」と恰幅のいいおばちゃんはいうのです。立派なホテルですが裏は粗末な造りで、余裕のある生活にはみえません。でも心には余裕はあるみたいで、この対応が強く印象に残りました。最後は何とか受け取ってもらいました。

サン=ルイからダカールへの道路は綺麗な舗装路でした。


チェブジェン。ご飯と魚。どこに行っても食べられるセネガルの代表料理です。


この大きな鳥は!?


ハゲワシが死肉を漁っていました。


なんだかアフリカを感じます。


セネガルのダカールからフランスまで6000kmを100日で走る計画のフランス人と遭遇しました。


走るといってもペダルがありません。地面を蹴って進むらしいんですよ。これにはびっくりです。


このトランクケースを引っ張って走っていました。


ダカール郊外の市場で売買される羊たち。


そしてダカールにたどりつきました。郊外のホステルに落ち着きます。これでモロッコ南部から始まったサハラ砂漠縦断は完了です。


海に囲まれた半島にある西アフリカ随一の大都市ダカールは気持ちのよい海風がふいています。ダカールでは観光と雑用と休息で随分と長居をしていました。

(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中
http://shuutak.com)

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in 取材, Posted by logc_nt

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