取材

主要道すら泥まみれになる英語圏カメルーン道路網の貧弱さと南カメルーン連邦共和国の独立運動


こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。ナイジェリアの次はカメルーンに入ります。国境から高原都市のBamedaまでビックリするほどの泥道でした。トラックの車輪が泥に埋まって動けない……こんなの道ではありません。なぜ舗装されていないのかを疑問に感じました。そこにカメルーンにおける英語圏とフランス語圏の格差を実感しました。だからこそ、英語圏カメルーンでは独立運動が行われています。それらを中心にカメルーンの首都Yaoundeまでの旅をまとめました。泥まみれになりながら走りました。

英語圏カメルーンの高原都市バメンダはこの辺り

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カメルーンとの国境の街、ナイジェリアのIkomから、英語圏カメルーンの高原都市Bamendaまでを4日かけて走りました。カメルーンは英語とフランス語の両方が公用語となっています。未舗装路となっていたので、泥だらけになりました。

ナイジェリアのIkomでは雨が降り続いていました。ホテルからのぞく、びしょ濡れの洗濯物たち。


街を歩くと茶色い水が勢いよく排水されていきます。これがこの先を予感していたのかもしれません。


カメルーンに入りました。何かトラブルがあるかもしれないと構えていたのですがナイジェリア出国も、カメルーン入国もスムーズに行きました。国境には河が流れていて大きな橋を渡ります。

◆1日目

そして未舗装路が始まります。


路面状態は悪くなく、「これなら走れるね」と二人は楽観していました。だけど、そう上手くもいきません。


すぐに泥道が現われます。


粘度の高い泥の中は走れません。押しました。


押せません。持ち上げて運びました。


ぐちゃぐちゃの道が行く手を遮ります。


泥さえなければ走れるんですけどね。


地面がしっかりしていると走りやすいです。でもでも……


これはもしかしてトラックがスタックしている予感。


動かないトラックの前方をドライバーがスコップで掘っていました。迂回中。


ここは道のはずなのに。泥が靴を飲み込んで足が上がりません。


こうした超重量のトラックが地面をえぐって、道が波のようになっています。


にゅるにゅるの泥水を進みます。このにゅるにゅるはまだ降りずに走れるからいいんですけど。


こんなにまで靴は汚れてしまいます。


1日目はEyumoiokまで走りました。かなり辺境の小さな街ですが、しっかりした宿が一軒あって助かりました。ちゃんと水も出るので汚れた服も自転車もきれいにします。それにしても疲れました。


◆2日目

2日目の道は昨日に比べるとましでした。


森の中を駆け抜けて行きます。


いくつもの小さな集落を通り過ぎました。


荷物満載で奇妙な自転車を子どもたちが興味深そうにみつめています。


自転車旅行って、まさに地球を体感できますよ。


燃料を補給しないと走れません。昼食中。


昨日よりましとはいえ、この日も結局は泥にまみれてしまいました。


2日目はMamfeの街まで走りました。この日も安宿で自転車を洗いました。


日曜日だから空いていなかったMamfeのマーケット。


◆3日目

Mamfeから登り坂が始まります。止まっていると子どもたちに囲まれちゃいました。


Mamfeからしばらく舗装路だったのですが、一部区間工事中でした。岩を砕いて新しい道を作っていました。


舗装される前の道を進みます。


ここより先は工事が終了して、新しい道路が出来上がっていました。よっしゃー。


舗装されていたら、どんな坂だって登りますってば。


この日も泥まみれとなてしまったので、道中に岩から流れてくる水で軽く自転車を洗います。


快適な舗装路も長くは続きません。再び未舗装路が始まります。ぐいぐいと登坂していく責自さん。


くたくたになりながらも未舗装路を走っていきます。


3日目は、体力の限界に近付いていたところに、ちょうど街と安宿があったので、予定より早く走行を切り上げました。安宿の共同のシャワーはバケツ、トイレは穴!


◆4日目

この日も朝から冴えない天気。それでも進むしかありませんでした。どうせ雨季ですから、こんなもんだろうと割り切っていました。


4日目は雨の中を走っていたので、残念なことに写真がありません。必死でした。宿を出てから20kmの未舗装路で標高を700m上げます。この区間が一番大変でした。

タイヤに泥がついた状態でペダルを回すと車輪が空回転しててうまく走れません。水をしっかりと含んだ泥は、回答がマルかバツか選んで勢いよく走って飛び込んでいくクイズ番組で不正解の方に用意されているような泥。このねばねばした泥は、美味しいじゃがいもでも作れそうな畑の土。転倒しないように、注意深く走っていました。泥がブレーキシューを削り、ブレーキの効きが甘くなります。そうなっていくと下り坂だというのにブレーキレバーを握り締め、ゆっくりと進むしかありませんでした。絞りきった雑巾のように力を出し切って、へろへろになりながらようやくBamendaに到着しました。Bamendaの標高は約1200mで、久し振りに高地にやってきました。未舗装区間はここまで、ここからは舗装路が続きます。

Bamendaのホテルでは汚れてしまったものを全部洗いました。


Bamendaのホテルの屋上からタンクに雨水が蓄えられます。このダイナミックな高低差には驚きました。ここで自転車を洗いました。未舗装路の4日間は自転車を洗ってばかりでした。


ナイジェリア国境からBamendaへの道は酷いものでした。雨季に走ったので、道が泥だらけでたいへん苦労しました。乾季だったら、少しは走りやすかったかもしれません。ですが、それだけでは終われません。この悪路は英語圏カメルーンに対する、カメルーン政府の政策的な無関心を疑いました。

第一次世界大戦が終るまでカメルーンはドイツの植民地でした。ドイツが戦争に負けると海外植民地はすべて放棄させられ、英領カメルーンと仏領カメルーンとに分断されて、それぞれ統治されます。これが独立となると、英領カメルーンの北部は同じく英領だったナイジェリアに合流、そして英領カメルーンの南部はフランス領カメルーンとともにカメルーン連邦共和国を作りました。ここで英語とフランス語の両方がカメルーンの公用語となります。英語圏のカメルーンはフランス語圏の5分の1しかなく少数派でした。ただ、連邦の名のもとに自治も認められ、それなりに配慮はされていました。ですが、カメルーンに独裁体制がしかれると形骸化されてしまいます。今では民主化されたカメルーンですが、それでもフランス語圏が力を握る構造に代わりはなく、英語圏では反発する動きもみられます。カメルーンの英語圏では南カメルーン連邦共和国(アンバゾニア共和国)として独立運動も行われています。


未舗装路が多いため、ナイジェリアの国境付近の村には物がありませんでした。ナイジェリア製品が少し置いてあるくらいです。ですが、フランス語圏に入ると自国の商品であふれていました。それは舗装路が続くガボンとの国境の街Ambamでも同じです。だからこそ、ナイジェリア国境付近の寂しさが際立っていました。あんな悪路では物流もままならないのでしょう。同じ英語圏であるナイジェリアの影響力を避ける意図を感じました。また、英語圏カメルーンはナイジェリアと国境を接する北西州と南西州のによって構成されています。この2つの州の最大都市Bamenda(北西州)とLimbe(南西州)の間を通して舗装路は通っていません。BamendaならBaffousam、LimbeならDualaと一度はフランス語圏に出ないと舗装路を通して走れません。この英語圏カメルーンの道路網の貧弱さは、外国人の自分ですら疑問を感じました。外国人がそう感じるのだから、実際に住んでいる人にとっては耐えられないものでしょう。

ただ、ナイジェリア国境からBamendaに向けては新しい道路を作られていて、数年内に全線舗装されるようでした。この舗装化には中国政府の関与があるらしく、中国人の責任者が指揮を執っていました。この舗装化も近年、英語圏カメルーンの独立運動に対する懐柔策として、政府がようやく重い腰を上げた気がしませんが。1999年の年末には英語圏カメルーンの主要都市Bueaで、独立を主張する一部の勢力によってラジオ局が占拠され、独立宣言の入ったテープが流されるという事件が起きています。いずれにしても中部アフリカの工業国カメルーンと地域大国のナイジェリアの幹線が拓けるということで、この地域の経済主権を握る両国の物流が、どう変化をしていくのか目が離せません。

Bamendaを出ると、標高をあげていきます。雲よりも高く、遠くが一望できるくらいに高く。


一番高いところの標高は1830m、空気がひんやりとして気持ちよかったです。


途中には高原も広がっていました。


Bamendaを出てBaffoussamに着きました。Baffousamからフランス語圏になります。


広くて快適だったBaffousamの宿の部屋。


部屋からはBaffousamの街並みが一望できました。


敷き詰められたかのように、みっしりと建物が並んでいます。


Baffousamの賑わっていた国道沿い。


食堂で仲良くなったカメルーン人と共に。


Baffousamからカメルーンの首都Yaoundeまで走りました。気持ちのよい緑。


バイクタクシーに並んで駐輪している愛車。戻ってみると、あまりに周囲と一体化しているので、気付かずに素通りしてしまいました。笑われちゃいました。


バナナの葉に鳥の巣がいっぱいぶらさがっています。


葉っぱを編んで作ったようです。


どこからか拾ってきた葉っぱをくわえてきて……


このようにして巣を作って行きます。たくさんの鳥が巣を作っていたので、辺りはとても賑やかでした。


そして、カメルーンの首都Yaoundeに到着しました。ひとまずの目標は達成です。


今年の1月にモロッコからアフリカに入って西海岸を南下してきました。この西アフリカの旅の目的地はカメルーンの首都ヤウンデまででした。このカメルーンより南のガボン、コンゴ共和国(ブラザビル)コンゴ民主共和国(キンシャサ)、アンゴラは旅の情報が少なく、ガボンをのぞく国々はようやく内戦が終わり、最近になって情勢も落ち着いてきたばかりです。だから、もし走ることが難いのであれば、カメルーンから飛行機で飛ぶ予定でした。ですが、情報を集めると走れなくもなさそうです。このままアフリカ西海岸を南下します。

どんよりとした雲が多かったヤウンデの空。


このヤウンデで中部アフリカへ向けての準備を整えていました。

(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com
)

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in 取材, Posted by logc_nt

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