巨大樹とオカダがある西アフリカのシエラレオネ、内戦からの復興中のこの国で明るい未来への可能性をみました
こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。ギニアの首都コナクリから内戦のイメージ残るシエラレオネを自転車で走っていました。国内はいたって平和でした。
首都フリータウンは坂と海のある街で、中心部には巨大なコットンツリーがあります。観光できます。シエラレオネは今までの西アフリカと違って、発展の可能性を感じました。訪れる人も少ないシエラレオネの魅力をまとめました。そして、「オカダ」。みなさんオカダって知っていますか?オカダ。
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シエラレオネはこの辺り
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ギニアの首都コナクリからシエラレオネの首都フリータウンを目指します。
ギニアとシエラレオネの国境付近は新しい舗装路でした。車がほとんど通ってないので、チャリダーとしては嬉しいかぎりです。
そんな幸せは長く続きません。未舗装路となりました。
集落を通り過ぎると追いかけてくる子どもたち。
休憩した商店の子ども。
同じ商店の子どもたち。
そして、フリータウンへと船で渡ります。
船の待つ間は人に囲まれ大変でした。一通り話していると、新しい人が質問に加わります。そうすると聞いてた人が、「こいつは日本から2年かけて走ってきた」「60カ国も旅しているらしいぞ」と説明してくれます。なんだかな。ありえないほどの賑わいでした。降りる間際に「タクヤー」と名前を呼ぶ声。誰だ誰。何だかとても有名になったみたいです。くすぐったい程に恥ずかしい。今まで人の反応が違います。
フリータウンは坂の街です。
街中でもアップダウンをみかけます。
たくさんの家。
椰子の木と民家。
市内の教会。
道の向こうには海が広がっています。
大量のコウモリがぶら下がっていました。
そして、これがフリータウンが誇る樹齢500年を超えるコットンツリーです。
インターネットの画像をみて大した事はないとたかをくくっていたのですが、実際はすごい迫力で圧倒されました。これ程までに大きいとは思ってもいませんでした。
青い空を覆う大きな緑。
別角度から撮ったコットンツリー。やはり圧倒されます。木の近くまで行くと、その巨大な生命力に神秘を感じます。とても素敵な観光スポットなんです。
ある日、歩いて市街を一望できる場所を探しました。
市街の向こうには海が広がります。
山の斜面に作られた家々。
丘をいっぱいに家が建てられています。
気持ちのよい程に視界が広がります。展望台なんか設ければ、素敵な観光スポットにならないでしょうか。
巨大なコットンツリー、坂から一望できる市街と海、とフリータウンに観光の可能性をみます。今は内戦あけでインフラもままならない状況ですが、近い将来たくさんの人が訪れる場所になるかもしれません。
宿の近くには市場があり賑わっています。
パラソルの下では、それぞれが何かしらを売っていました。市場へ向かえば渦みたいな人の流れに翻弄されます。
そしてここでは車が進まず渋滞しています。ワゴン車タクシーがバリバリと音を立てながら対向車とすれ違いました。そしたら横にスライドするはずのドアが落ちています。慌てて拾いにきました。にやにやしながら自分の反応をうかがう街の人。そりゃ、面白いですよ。
フリータウンで滞在した安宿はプレスゲストハウス。
この一番安い部屋に滞在していました。
バケツシャワー。水道はまだありません。でも停電はしますが電気はありました。自前の発電機ではなく国から供給されています。古い旅行記ではシエラレオネでは自前の発電機しかないと聞いていたから、電気のインフラが整備されていたことは嬉しいことでした。水道ももう少ししたら使える様になるかもしれません。
人懐こかった、でもしっかりとしていた10歳の少年。
店番していた小さな子どもたち。
首都フリータウンを出たら、北へ自転車を走らせます。
マケニの街で雨が降りました。夕方になると怪しい雲とともに強い突風が露店のパラソルを吹き飛ばします。いつしか空は雲に覆われて強い雨が降り出しました。一つ一つが大きいどか降りの雨。モロッコのマラケシュ手前からずっと雨が降っていませんでした。3ヶ月ぶりの雨でした。
1時間もすれば雨は上がります。翌日も同じ様なスコールがやって来ました。そろそろ雨季が来るみたいです。
山がちな風景となってきました。少しずつ標高を上げて行きます。
熱帯的な風景。
藁葺きの伝統的な家。
強い緑に覆われて。
いつも自転車に人が集まるシエラレオネ。この時も露店レストランで飯を食べていました。
映画が見れそうです。ニンジャアカデミー、ジャッキー・チェンとカンフー映画が大人気みたいです。入場料500レオンは約10円になります。
オカダさん。
ここシエラレオネではバイクタクシーのことをオカダと呼びます。タクシーをオカダに換えて無銭オカダ、オカダ強盗、個人オカダ、オカダドライバー、と無茶なことをを考えながら屋台飯を食べていると、隣の彼が「オカダ」とバイクを呼びました。嘘みたいです。通り過ぎそうで諦めそうな「オカダァー」、強い口調で呼ぶ「オカダッ」、繰り返しの「オカダ、オカダ」とたくさんの「オカダ」を耳にしました。この国を日本のオカダさんが旅したら楽しそうです。
自分も一度だけオカダに乗りました。首都フリータウンでビザを取得するのにギニア大使館へ向かいました。翌日からイースターの長期休暇が始まるらしく、今日失敗する訳にはいきません。時間をオカネ、いやオカダに変えられません。オカダバイクの後部座席に乗りました。渋滞している片側1車線の道路の真ん中をオカダは縫う様にして走ります。「やーめてーくれ」と冷や冷やしていました。
またしても未舗装路。
「ホワイトマン」呼んでみただけだよ。貧しい地域になる程、小さな子どもたちに声をかけられます。ラオスやキルギス、そしてセネガルからのブラックアフリカ。シエラレオネも同様です。ここは旧英語だからホワイトマンと呼ばれます。
でもたまに、小さな子どものそばを通ると、てくてくと逃げ出したりします。「はいはい怪しいけれど、悪い人じゃないよ」と微笑ましい気持ちになります。あたふたする姿が可愛いんです。周りの村人も笑っています。
集落を守る様に大きな木があります。
こちらも同様です。日差しの強い場所ですから、大きな木陰の下で活動しているのでしょう。
ダートを走っていますよ。
荒れたダートは疲れます。
ピーナッツをペーストしています。いい香りが漂っていました。
道を尋ねたらどこからか、子どもが集まってきます。それが楽しくなって写真を撮らせてもらいました。
ギニアへと向かっているのですが、道が細くて細くて心配です。
道路上にみえる黒い奇妙な線。
幅の広い蟻の行列でした。こんなの見たことありません。
一面に真っ赤な花をつけた木をよく見かけました。
シエラレオネの食べ物を紹介します。今までの西アフリカと少し趣向が違い、おしゃれで美味しかったです。
鶏肉セット。しばらく盛り付けのあるの食事をしていなかったのでびっくりしました。
冷やし中華みたいな皿。一番下にクスクス、スパゲッティに野菜に卵、そして鶏肉(又は魚)を盛ってくれます。暖かくない食べ物は珍しいです。
シエラレオネでもぶっかけ飯。
豆がたくさんなのはアリコー。
シエラレオネ絶大的なシェアを持つスタービール。
シエラレオネは奴隷制から解放された黒人達の移住地として1808年にイギリスの植民地となり、1961年に独立をしました。1990年代から隣国リベリアとともに内戦で国土が疲弊します。通り過ぎた街でも廃墟の様な建物をたくさんみました。この内戦を知るには映画「ブラッド・ダイヤモンド」をお勧めします。少年兵、紛争ダイヤモンドと世界は狂っていました。ずっと訪れることはないだろうと思っていたのですが、平和になっていたので訪問できました。
これがシエラレオネの国旗です。
シエラレオネは1961年に独立、そして2011年の今年に建国50周年になるみたいです。訪れた時は、ちょうど独立記念日に近いみたいで各地で賑わっていました。
自分もシエラレオネ国旗を掲げて走っていました。「50周年を祝ってくれてありがとう」と好評でした。
腕輪もしていました。
シエラレオネはこれまでの西アフリカとは何か違います。そこにこれからの可能性を感じるのです。「西アフリカの中でシエラレオネはやるかもしれない」と自分はみています。
食料品には税金がかかっていませんと周知する看板。
エイズ検査を薦める看板、THE TEST IS FREE AND CONFIDENTIAL、テストは無料で検査は内密にされます。
15%のホテル税を徴収されています。
シエラレオネビジョン2025の看板。シエラレオネは2025年までの国家長期計画を策定しています。これは、東南アジア有数の工業国マレーシアのサワワサン(マレー語でvisionの意) 2020と近くて、このシエラレオネの意気込みにしびれました。
シエラレオネ国内で作られる炭酸ジュース。コカコーラよりも安い値段です。水さえあればジュースはできます。そこに自国資本は必要でしょう。ギニアやギニアビサウではみかけませんでした。このシエラレオネのジュースは国境近くのギニアの街でも流通しています。
カバーを被せる屋台の衛生観念に感心しました。当たり前ですが、あまりみかける事はありません。瓶コーラや袋ジュースに1枚のティッシュをつけてくれるのもここだけでした。
フリータウンの路上商人は商品を水がめに入れて運びます。丈夫で防水にも適しています。
それだけではありません。この水かめを持って運びません。底面を上手く転がしながら運ぶと言ってました。シエラレオネ人はやるんです。
いかがでしょうか。
壊れるところまで壊れてしまえば、後は復興しかありません。たくさんの子どもたちが元気に暮らしていました。内戦を知らない彼らの活躍を願ってやみません。10年後、20年後のシエラレオネを楽しみにしています。
シエラレオネからは再びギニアに入り、マリのバマコを目指します。マリは内陸国なので暑そうです。
(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中、http://shuutak.com)
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