メモ

世界中に愛好家がいるモノポリーのルーツを巡る泥沼劇とは?

By Lewis Minor

プレイしたことはなくても誰もが名前を聞いたことがある「モノポリー」は、1935年にパーカー・ブラザースが発売したボードゲームです。ルールも複雑過ぎることなく老若男女が気軽にプレイできるモノポリーですが、そのボードゲームの誕生から発売に至る経緯には、複雑過ぎる事情が隠れていました。

History of the board game Monopoly - Wikipedia, the free encyclopedia
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_board_game_Monopoly

Monopoly’s Inventor: The Progressive Who Didn’t Pass ‘Go’ - The New York Times
http://www.nytimes.com/2015/02/15/business/behind-monopoly-an-inventor-who-didnt-pass-go.html

Monopoly Monopoly - チャールズ・ダロー
http://inventors.about.com/library/weekly/aa121997.htm

"THE HISTORY OF THE Landlord's Game & MONOPOLY"
http://landlordsgame.info/

モノポリーがゲームとして一般に発売されたのは1935年で、販売を手がけたのはパーカー・ブラザースという企業。モノポリーのもとになったのは「The Landlord's Game(地主ゲーム)」というゲームで、これはエリザベス・マギー(リジー・マギー)という人物が1904年に作って販売していたもの。The Landlord's Gameはマギー氏の地元で人気を博し、マギー氏はゲームの特許まで取得していました。


マギー氏がThe Landlord's Gameを作ったのには、資本を独占する当時の社会情勢に反対の姿勢を示したかったという理由があります。そのため、The Landlord's Gameには資本を独占した人が勝者となる現在のモノポリーと同様のルールのものと、誰かが資本を得ると参加者全員に分配する現在のモノポリーとは正反対のルールのものという、2セットが含まれていたそうです。

The Landlord's Gameは人から人へ評判が伝えられていくうちに、名前が「Auction Mnopoly」になり、最終的に現在と同じ「Monopoly(モノポリー)」と呼ばれるようになったとのこと。また、マギー氏が特許を取得していたにも関わらず、同名の別ゲームや、ルールや名前を変更したものまで発売されていたこともありました。

似たようなゲームが販売されていたものの、モノポリーのもととなったThe Landlord's Gameを発案したのはまぎれもなくマギー氏です。しかしながら、パーカー・ブラザースが1935年に初めて一般向けに販売したモノポリーの説明書には「チャールズ・ダローという人物が1929年から発生した世界恐慌の間に作り裕福になった」と書かれていました。当時の雑誌でモノポリーが取り上げられたときにはダロー氏がモノポリーの発案者であると書かれ、世界恐慌にも負けず裕福になった美談として世間一般にも知られることになります。

By Secret Pilgrim

このダロー氏というのは、パーカー・ブラザースに「モノポリー」を売却した人物なのですが、マギー氏ではなくダロー氏が売却を行ったのにもまた、複雑な経緯がありました。

The Landlord's Gameを遊んでいたウィリアムズ大学のDan Laymanという学生が、The Landlord's Gameのルールを変えて「FINANCE」という名前でゲームを発売しました。そのFINANCEを知り合いから教えてもらったダロー氏は一目見た瞬間から興味を示し、知り合いにルールをまとめたコピーをくれるように依頼しました。

その後、ダロー氏はThe Landlord's Gameからルールが変更されたFINANCEのルールに、さらに改変を加えた私製のモノポリーを作成し自主制作で発売。ダロー氏が発売したモノポリーは瞬く間に人気を得ることになりますが、大量の注文をさばくことが難しくなり自らパーカー・ブラザースに売却の話を持ちかけます。


パーカー・ブラザースはダロー氏が持ち込んだモノポリーに興味を持ったものの、プレイ時間の長さや複雑なルールなどに難を示し交渉は決裂。しかしながら、あまりにも人気が高騰したモノポリーの売れ行きを聞いたパーカー・ブラザースがダロー氏に逆オファーを持ちかけ、時間短縮版のルールを追加することで話がまとまったそうです。

つまり、世界で初めて一般販売されたモノポリーは、元をたどっていくとマギー氏のThe Landlord's Gameということになりますが、改変に次ぐ改変を重ねたバージョンということ。この話が明るみに出ることはなく、世間一般的には説明書に記述されているとおり「ダロー氏がモノポリーの発案者」という話が広く信じられることになります。

パーカー・ブラザースが販売したモノポリーはアメリカ国内で話題を呼び、発売当初で毎週2万個生産するほど。アメリカ国内でモノポリーの人気はとどまるところを知らず、パーカー・ブラザースは、イギリスでもモノポリーを販売するために同ゲームの版権を1936年に取得し晴れて国外での販売をスタートさせます。こうしてモノポリーの元となるゲームを作成したマギー氏の存在はほとんど知られることなく、マギー氏は1948年に他界しました。

アメリカ国外でも販売されたことで、モノポリーは世界的に人気を得ていくわけですが、1つの問題が発生します。1973年にRalph Anspachという経済学者が「アンチ・モノポリー」というボードゲームを発売。当然のことながら、モノポリーの版権元であるパーカー・ブラザースは、アンチ・モノポリーが商標権を侵害しているとして、販売差し止めを求めてAnspach氏を相手取り裁判を起こしました。

By Jared Goralnick

訴えられたAnspach氏はモノポリーに関するあらゆる資料を収集し調査。その結果、モノポリーの原点となるボードゲームを発明したのがパーカー・ブラザースに販売したダロー氏ではなく、マギー氏であることにたどりつきます。Anspach氏はThe Landlord's Gameを遊んだことがある人の話や、それをまとめた資料を裁判で提出。しかしながら、パーカー・ブラザースはマギー氏が取得していたThe Landlord's Gameの特許を買収しており、さらにThe Landlord's Gameから派生していたFINANCEや他の類似ボードゲームを買い取っていました。

パーカー・ブラザースからマギー氏に支払われた額は約500ドルで、The Landlord's Gameの名前やルールを改変しないことが条件に含まれていたとのこと。マギー氏は売却に関してはとても前向きで、その理由は大きい出版会社から発売されることで大勢の人に遊んでもらえるからだったそうです。

ただし、アメリカの特許は「出願日から20年」または「特許付与日から17年」のうちいずれか遅く終了する期間までが存続期間となるため、訴えられたAnspach氏は「モノポリーはパブリックドメインである」と主張し、裁判の争点はモノポリーがパブリックドメインであるか否かに移っていきます。

By Tori Rector

Anspach氏とパーカー・ブラザースの裁判はなんと10年間も続き、世間一般で信じられているのとは違うモノポリーのルーツが世間に広まってしまうことを恐れたパーカー・ブラザースがAnspach氏にかなり有利な条件を提示したものの、同氏はこれを拒否。最終的に、パーカー・ブラザースがモノポリーの商標を維持し、同社のライセンス下でアンチ・モノポリーの販売が許可されることになりました。

裁判のことを書きつづった書籍が発売されたり雑誌に記事などが掲載されたことで、マギー氏がモノポリーのオリジナルの発案者であることが公になりますが、モノポリーのルーツに迫った書籍の執筆者によると、多くの人には認知されていないのが現実だそうです。

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in メモ,   ゲーム, Posted by darkhorse_log

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