機能停止した宇宙ステーション「サリュート7号」を救った「ソユーズT-13」
1982年に打ち上げられたソビエト連邦の宇宙ステーション「サリュート7号」は、1985年2月、電気系統の不具合をきっかけとして機能が停止しました。これを救うために行われたのがミッション「ソユーズT-13」です。
The little-known Soviet mission to rescue a dead space station | Ars Technica
https://arstechnica.com/science/2014/09/the-little-known-soviet-mission-to-rescue-a-dead-space-station/
サリュート7号は、ソビエト連邦の宇宙ステーション開発計画「サリュート計画」の8番目の機体です。サリュート6号が1977年9月に打ち上げられたのち、次の宇宙ステーション「ミール」の開発計画に遅れが出たため、サリュート計画のバックアップとして用意されていた機材が「サリュート7号」として打ち上げられたという経緯があります。
1982年4月19日に打ち上げられたサリュート7号には、5月13日、「ソユーズT-5」でアナトリー・ベレゾボイ飛行士とバレンティン・レベデフ飛行士が到着。以後、12月まで211日間滞在してミッションを行いました。
1983年6月からはウラジーミル・リャホフ飛行士とアレクサンドル・アレクサンドロフ飛行士が滞在しましたが、この滞在期間中の9月9日、ラジオ波送信実験のためにステーションの向きを変えていたリャホフ飛行士が、燃料タンクの圧力がゼロであることに気づきました。アレクサンドロフ飛行士は燃料漏れを確認。しかし、燃料パイプの修理は船外活動の中でも特に複雑なもので、クルーの2人はこの修理に関する訓練も機材も不足していたことから、このミッションの間には修理は行われませんでした。リャホフ飛行士とアレクサンドロフ飛行士は1983年11月にサリュート7号を後にしました。
次にやってきたのはレオニード・キジム飛行士、ウラジーミル・ソロヴィヨフ飛行士、オーレグ・アトコフ飛行士の3人。このうち、キジム飛行士とソロヴィヨフ飛行士が燃料パイプ修理のミッションを行いました。船外活動は4回に及んだとのこと。3人の滞在期間は1984年2月に到着してから10月まで、237日という長期間でした。
そして3人が去ったあと、1985年2月11日に問題が発生しました。この件に関してさまざまな資料を集めた作家のニコライ・ベラコフスキー氏によると、サージ電流が発生し、過電流保護回路が動作してプライマリ無線送信機のシャットダウンにつながったことがステーションのテレメトリで確認できるとのこと。無線送信機は予備もあり、ただちに問題となるものではなかったため、シフト終わりが近かったミッション管制官は設計局の専門家に連絡するようメモを残したのですが、次のシフトのミッション管制官は従来の手順を無視して無線送信機の再起動コマンドを送信。これによりショートが発生し、送信機だけではなく受信機まで破壊されてしまい、サリュート7号とは連絡が取れない状態になりました。この後、サリュート7号は機能停止に陥ります。
ベラコフスキー氏によれば、このとき考え得る選択肢は「有人の宇宙開発計画はミールの打ち上げまで待つ」か「修理要員を送り込む」の2つだったものの、アメリカがスペースシャトル計画に成功する間に1年にわたって宇宙計画を中断する前者は、サリュート計画までに多数の失敗を重ねたソ連にとって選べる選択肢ではなく、たとえサリュート7号とのドッキングを手動で行うしかないとしても、後者を選ぶしかなかったとのこと。
当時、ソ連の宇宙飛行士たちは宇宙ステーションと手動でドッキングを行う訓練を受けていたものの、実際には基本的に自動ドッキングを行っており、軌道上で手動ドッキングの経験がある宇宙飛行士はわずか3名でした。このうちレオニード・キジム飛行士は前年にサリュート7号から戻ってきたばかりだったため候補から除外され、ユーリ・マリシェフ飛行士は船外活動の訓練を受けていなかったため、ウラジーミル・ジャニベコフ飛行士が選ばれました。航空機関士には唯一の候補者だったヴィクトル・サヴィニク飛行士が選ばれました。
ジャニベコフ飛行士とサヴィニク飛行士を乗せたミッション「ソユーズT-13」は1985年6月6日に打ち上げられました。ジャニベコフ飛行士はサリュート7号に2つあるドッキングベイのうち前方のベイへ、サリュート7号の回転に合わせてドッキングすることに成功しました。このとき、ジャニベコフ飛行士はサリュート7号のソーラーアレイが平行になっていない(太陽に向いていない)ことを確認しています。
サリュート7号の船内は停電していてとても寒く、壁や装置は霜に覆われた状態だったそうです。また、バッテリーは8個のうち2個が使用不可能となっていました。飲料水貯蔵装置も凍っていて、作業には猶予がありませんでしたが、ジャニベコフ飛行士とサヴィニク飛行士は、ソユーズの制御システムを用いて、サリュート7号のソーラーアレイが太陽を向くように修正。充電が完了したのち、バッテリーをステーションの電力網に接続して、ステーションの機能復旧に成功しました。
停電の原因となったのは、充電状態を監視するセンサーの不具合であるとみられています。このセンサーは、バッテリーが満充電になると充電システムをカットして過充電を防ぐように設計されていました。しかし、無線機が壊れたあとのどこかのタイミングでバッテリー番号4のセンサーが故障し、1日1回ある充電コマンド受信時、常にバッテリーは満充電であると判断して充電をキャンセルするようになり、やがてバッテリーすべてを使い切ることになったと考えられるとのこと。
この事故があった翌年の1986年、ミールが打ち上げられ、サリュート7号に搭載されていた実験用機器などはソユーズT-15のクルーによりミールへと移設されました。これがサリュート7号で行われた最後の有人ミッションとなりました。
その後もサリュート7号は無人で運用されましたが、ソ連およびロシアの経済崩壊の影響で将来のミッションへの資金提供がなくなり、1990年には再び通信ができなくなって、1991年2月7日、無制御状態で大気圏に再突入しました。機体の一部は燃え尽きることなく、アルゼンチンなどに落下しました。
by Carloszelayeta
なお、このソユーズT-13のミッションは1986年・2011年・2017年と3度ドキュメンタリーが作られているほか、2017年に長編映画化されています。
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