インタビュー

映画『TENET テネット』字幕科学監修・山崎詩郎さんインタビュー、作品を楽しむためのポイントとは?


2020年9月18日(金)に公開されたクリストファー・ノーラン監督の最新作『TENET テネット』は、『メメント』『インセプション』『インターステラー』などの作品を手がけてきたノーラン監督が長年構想を練ってきたコンセプトを形にしたという作品。監督自身が「何か新しい風を吹き込めない限りは手を出さない」と考えていた、大好きなスパイアクション映画をとうとう制作したということで、その気合の入りっぷりは尋常ではありません。それゆえに、ぱっと見ただけでは難解な部分も多々あるので、今回は作品の日本語字幕で科学監修を担当した東京工業大学理学院物理学系助教の山崎詩郎さんに、鑑賞時の手助けになりそうな情報をいろいろと聞いてきました。

映画『TENET テネット』オフィシャルサイト|大ヒット上映中
https://wwws.warnerbros.co.jp/tenetmovie/

GIGAZINE(以下、G):
『TENET テネット』を見に行くにあたって、事前にネタバレなしで予習しておくとすれば、何を知っておくと『TENET テネット』の面白さの神髄に1回目の鑑賞で近づけるのでしょうか。

山崎詩郎さん(以下、山崎):
そうですね……質問への答えにはならないかもしれませんが、いろいろ解説したり分析したりする立場ですが、極論を言うと「そんなの忘れちゃっていいよ」と。

G:
(笑)

山崎:
『TENET テネット』は科学の論理を学ぶ映画ではないし、そこは演出だと思ってもらえれば。「考えるな、感じろ」って映画で言った人もいましたけれど、それが答えの1つです。ただ、もうちょっと手助けが欲しいという人がいたら、「時間の逆行」というのが、東京から横浜まで歩いて行って、同じように横浜から東京まで歩いて戻るのと同じことを時間にしたものだと考える、ということです。過去から1年先の未来まで行くのに1年かかるように、未来から過去へも、瞬時にジャンプするのではなく、歩いて戻るように時間がかかります。ワープするのではなく、まさに「時間を旅行する」ようなことになっている、ということを把握しておくと混乱しなくて済むかなと思います。

G:
なるほど、すべて地続きでつながっているということですね。

【これより下には予告編に含まれているもの以上の情報が含まれるため、映画未見の人は注意してください】

映画『TENET テネット』スペシャル予告 2020年9月18日(金)公開 - YouTube


G:
山崎さんは『インターステラー』を約50回鑑賞して科学的に解説する講演会も行っています。『TENET テネット』については、1回目に見た時の理解度はどれぐらいのものでしたか?


山崎:
今にしてみれば20%ぐらいだったかなと思います。字幕監修という立場だったので、劇場公開前に見る機会があったわけですが、責任ある立場なので「みんなの質問には答えられるようにしなきゃ」と思って見たにもかかわらず20%ぐらいしかわからず「これは大変な仕事を引き受けてしまった」というのが最初の感想でした。

鑑賞後に周りの方々と議論したのですが、すでにみなさん、何度も見ておられるので早速会話について行けないという状態になり、「あれはああいうことだったんだ」と納得している様子を悔しく見ていました(笑)

G:
(笑)

山崎:
まず、単語がぱっとわからないんです。「プロタゴニスト」、これは主人公という意味ですが、初見時はまったく頭に入っていなかったので「プロタゴニストが……」という話をしていても、それがなんなのかさっぱりわからないままに会議が進んでいってしまって。一方で、科学的な部分に関しては「陽電子が出てきた」「反粒子、エントロピー、時間の逆行も」と、今までに勉強してきた教科書の内容が出てきたので、ちょっと早めにわかったかなという感じです。

G:
今回、「字幕の監修」という立場で携わっておられますが、どういう内容のお仕事なのですか?

山崎:
『TENET テネット』は科学を説明する映画ではなく、基本的にはスパイアクション映画です。ただ、科学的な単語の出てくるシーンが複数あります。字幕をつける翻訳家の方は、作業時には映像を見ることなくスクリプトだけで翻訳しているので、あとでみんなで映像を見て、言葉が映像と合っているか「答え合わせ」の確認を進めることになります。たとえば、本作では「turnstile」という語が登場します。翻訳家の方はこれを「回転扉」を訳していたので、実際に映像を見て「なるほど、『回転扉』で間違っていなかった」と確認する、という感じですね。

その中で「エントロピーが増える、減る、逆転する」といった単語の使い方については、科学的な知識がないとわからない部分があるので、そこを一文一文チェックしていきました。「時間の逆行」の場合、日本語だと「逆行」以外に「時間の反転」「時間の逆転」、あるいは「反作用」など、いろいろな言い方の選択肢があります。その中で科学的に正しく、かつ映画の字幕としてもわかりやすいものを探していくという作業です。それを、30ぐらいのセンテンスについてやっていきました。

G:
どれぐらい時間がかかる作業なのですか?

山崎:
科学に関する監修そのものは、実は2時間ぐらいしかかかっていません。ただ、仕事としてはその後の方が大きくて……翻訳家の方も映画の内容が難しいと困っておられて「もう1回見に来てください」とお誘いを受け、結局、5回見ました。

G:
5回!

山崎:
社内の方を除くと一番多いんじゃないかと思っています。ただ映画を見るだけではなく、1回見るごとにだいたい12時間以上かけてプレゼンテーションにまとめる、ということを繰り返しました。「『TENET テネット』の科学」というパワーポイント資料なんですが、もう100ページ以上になっています。それを見てもらって、なおわかりにくい部分、たとえば「逆行している間は歳を取るのか」「なぜあのシーンではマスクをしていなかったのか」などについて質問を受けて、改めて説明したり、ですね。こうしたトータルケアの部分が30~40%ぐらいです。一番大変だったのは、映画のパンフレットを作る作業でしたね、これは60%ぐらいの時間を費やしました。作業量がとても多くて大変でした。なので、翻訳の科学監修そのものは、時間でいえば全体の5%ぐらいだったんです。

G:
山崎さんとしては、どういった点が一般の人が見たときに引っかかりそうなポイントだなと思いましたか?

山崎:
一番大きいのは「タイムトラベルとはちょっと違う」という点だと思います。タイムトラベルは、過去から未来、未来から過去へと一瞬でジャンプしますが、『TENET テネット』では過去から未来にゆっくり歩いて行くのと同じように、未来から過去へもゆっくり歩いて戻ります。映画の中では「逆行」と呼んでいますが、自分もそれに慣れるのには時間がかかって、受け入れたころにはエンドロールになっているという(笑)

G:
(笑)

山崎:
あとは、順行と逆行の入り交じる部分。カーチェイスや尋問シーンですね。順行だけ、逆行だけの片方ならわかりやすいのですが、組み合わせてきますから。


G:
実際のところ、この前代未聞の「時間の逆行」理論は、どのあたりまでは実現可能なことなのでしょうか。

山崎:
「可能か不可能か」という言い方だと「ほぼ全部不可能であろう」ということになってしまいます。時間が逆行するというのは、宇宙ができて138億年、たった1度も起きていないことですから。「もし時間を逆行できるなら」を前提したロジックを組んで考えていくと……この場合、「時間が逆行しても重力はそのままである」のように、いわば「時間逆行の教科書」を作り上げていくことになるのですが、映画の中では、正直にぶっちゃけると、細かい部分で矛盾しているところはあります。そこは、あえて演出上そうしたところもあるのだろうと思います。

G:
ノーラン監督も「実際の科学にゆるく基づいて作られた物語」と語っていますから(笑)

山崎:
よく質問を受けるのは、車が爆発するシーンです。「爆発して凍ってしまう」というところですが、そこについては「あまり深く考えない方がいいですよ」と答えています(笑)


G:
なんと(笑)

山崎:
もちろん、その部分のロジックはどうなのだろうかと考えましたけれど、これはもう、演出だと思ったほうが気が楽になります(笑) 少なからずそういう部分もありますが、残りの部分が理解できれば十分なのではないかと思います。

G:
あの爆発と凍結は「理屈をつけようと思えばつけられるけれど……」という感じなのですか?

山崎:
何をモチーフにしてああいったシーンを作ったのかというのはわかっているんです。『インターステラー』もそうでしたが、「科学的に正しい部分をそのまま映像化した部分」「科学的なモチーフはあるけれど『夢』を加えて映像化した部分」「科学的な意味づけはないが映像化した部分」という3段階があって、あの例は2段階目といえます。

G:
なるほど、段階があるんですね。

山崎:
モチーフになっているのは、おそらく熱力学の「エントロピー増大の法則」なのだと思います。普通、熱というのは熱いところから冷たいところに伝わっていき、最後は同じ温度になるものです。ただ、今回は曲解するとすれば、時間が逆行しているので、熱が「同じ温度になる」のではなく「偏っていく」というニュアンスなのかなと。爆発で熱い分、その周辺が冷たくなるようなイメージですね。

G:
おお、なるほど。

山崎:
ただ、これには「室温より温度が下がるわけはない」という矛盾がありまして……そこがおかしい部分ではあるのですが、モチーフはあるので、「こういうノーラン監督の演出なのだ」と思ってもらうのがいいんじゃないかと。

G:
ふむふむ。

山崎:
一方で、「これは正しいな」「面白い」と思った部分もいろいろとあるんです。一番いいなと思ったのは、主人公の名もなき男が最初に逆行の世界に入ったときに、水たまりを踏むシーンです。すごく正しく、かつイイ描写だと思いました。普通の世界なら、鏡のように落ち着いた水たまりに足を踏み込むことで、水が飛び散ります。秩序ある水面が、無秩序になって終わる。これはエントロピーが増大しているということです。一方で、「飛び散っている水が勝手に集まってきてきれいな水面に戻る」というのは、エントロピーが減少しているということで、普通の世界では絶対に起きないことです。アクションシーンでは爆発と、爆発が収縮して戻っていく様子がともに出てきましたが、「爆弾という秩序あるものが飛び散る」のではなく「バラバラな爆弾の材料が集まって爆弾に戻る」のも、エントロピーの減少です。

G:
なるほど……。

山崎:
日常生活で「エントロピーの減少が起きたらいいな」ということも2点ほど考えていて、1つは、部屋や机の上が勝手に片付くということです。

G:
(笑)

山崎:
みなさん、机の上ってどんどん汚くなっていきますよね。物理学者のジョークに「机、汚いぞ」と指摘されると「これは散らかっているのではなく、エントロピー増大の法則だ」と返すというものがありますが(笑)、エントロピーが減少するとこれが勝手に片付いていくことになります。

G:
おぉ、いい……。

山崎:
もう1つは食べ物ですね。たとえば丼の具材にシイタケが入っていると「シイタケが嫌いだから全部食べられない」って人がいますよね。私もちょっと好き嫌いがありまして……青椒肉絲ってありますよね、牛肉とピーマンとタケノコの炒め物。でも、ピーマンとタケノコがちょっと嫌いなので「なんで混ぜるかな……誰得で混ぜているんだ」と思っているんです。でもエントロピーを減らしていくと、皿の上で牛肉とピーマンとタケノコにきれいに分かれるので、そのあとで牛肉だけ食べればいいわけです。エントロピーが操作できるなら、そういう食べ方もできると。

G:
なるほど。

山崎:
単純なところだと、コーヒーに砂糖を入れすぎてしまったとき、普通は二度と元には戻りませんが、エントロピーを減少させられたら、コーヒーに溶けてしまった砂糖を元に戻すこともできてしまうんです。そういう、必殺技みたいな使い方ができたら面白いかもしれません。『TENET テネット』も、それぐらいだったらわかりやすかったかもしれませんけれど。

G:
確かにそれぐらい簡単だったら(笑)

山崎:
「手をかざしたらエントロピーが減る」みたいな感じだったら。

G:
いわれてみればそうですね、混ざったものでも元に戻せる。唐揚げにレモンをかけてしまっても戻せるし、香水のように混ざり合っているものでも、どういうものを混ぜ合わせていたのかというところまで戻せたりするんですね。

山崎:
そういうことです。エントロピーを戻せたら、相当夢がありますよ。私だったら誰にも言わず、ノーベル物理学賞を取るまで地道に使い続けますね(笑)

G:
実際のところ、一度も起きていないという「時間の逆行」や「エントロピーの減少」を発見したらやはり、確実にノーベル賞なのでしょうか。

山崎:
もし『TENET テネット』みたいな現象を発見できたら、ノーベル賞というよりは、もう発見者の名前が冠についた新たな賞が創設されると考えた方がいいですね。

G:
もうそこまでいってしまう。

山崎:
絶対できないですけれど、そういうことになっちゃいます。

G:
『TENET テネット』はキャラクターたちがどう動いているのかがぱっとわかりにくいということで、時間軸とキャラクターの順行・逆行を示した図がTwitterで人気を集めていました。


山崎:
何カ所かもうちょっとこうかなという部分はありますが、大ざっぱな流れとしては正しいですね。私も主人公、ニール、セイター、キャットらのタイムラインというのは独自に作成しています。パンフレットにも掲載されていますが、カーチェイスのところは本当に複雑で、敵味方、順行・逆行で4台の車があり、その中を主人公、ニール、セイター、キャットが移動していて、さらにプルトニウム241の入ったケースと本体が別の動きをするので、6個のモノが次々と乗り換える、とてつもなく複雑なダイヤグラムになっています。そこまではさすがに誰もやっていないのではないかと思います。

G:
カーチェイスの部分も、ハチャメチャというわけではなく、かなり正しい描写になっていると。

山崎:
『TENET テネット』という作品の枠組みの中で、おおむね矛盾なく収まっています。特に車の動きと人の動き、モノの動きはダイヤグラムにすることができるように、きちっと動いています。


G:
おおー。

山崎:
ただちょっと変なのは、人間の動機ですね。「あいつから逃げる」「あいつを追いかける」という動機があると思いますが、なぜか、「あいつから逃げよう」としているのによくよく考えると「あいつを追いかける」になっているという部分が出てきます。

G:
そうだったんですか。

山崎:
カーチェイスのシーンで、主人公たちの車をバックで追いかけてくる車が出てきます。あれは我々から見ていると「不気味な逆行の車に追いかけられている」なんですが、逆行の彼らから見ると「主人公に追いかけられている」ことになってしまうんです。つまり、追いかけているのではなく逃げている。お互いに逃げあっていることになるんです。

G:
あっ、なるほど。

山崎:
本来は、車の方向は2台とも同じで追いかけあうか逃げるか、しかなくて、車がフロント同士、リア同士を向けて追いかける・逃げるというのは、動きとしてはできても、動機で考えると変なんです。「カーチェイスの演示をしているような状態」と考えると通るんですけれど、「セイターはなぜそんなことをしていたんだろう?」まで考えてしまうとおかしなことになってしまって、「セイターは主人公をトレーニングしていたのかな」なんて思っています(笑) でも、そういう部分を除くと正しいです。


G:
(笑)

山崎:
『TENET テネット』は他のタイムトラベルものより、よほど我々の感覚に近いはずなんです。タイムトラベルものって、横浜から東京まで瞬時にワープするようなことの時間バージョンを行っているのですが、実際には歩いていくなり渋滞につかまるなりして苦労していくわけですよね。それと同じように、過去への移動もリアルタイムで生活しながら戻っていく。映画の中でも、コンテナの中で逆行しながら主人公たちが生活しているシーンがありましたが、あの地味な逆行シーンも私はすごく好きでした。リアリティにあふれていて。どこかの映画のように、すごいCGエフェクトとかが起きるわけではなく、ただコンテナの中で逆行の空気を吸いながら生活している。すごくリアルな映画だなと思いました。


G:
『TENET テネット』を見る前にこのことを知っていたら、いろいろわかりやすかったかもしれない……(笑)

山崎:
でも、1回目はあえて完全に混乱に陥るというのもありです。その体験ができるのは1回目だけですから。私は5回見てもまだわからないことだらけで、あと50回ぐらいは見ようかなと思っています(笑)

G:
本日はありがとうございました。

クリストファー・ノーラン監督による『TENET テネット』は全国ロードショー中です。パンフレットにもかなり詳しい情報が掲載されているので、謎が気になる人はぜひ読んでみてください。公開週の週末には売り切れも発生していましたが、その状況はほぼ解消されています。

◆『TENET テネット』作品情報
監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス
製作総指揮:トーマス・ヘイスリップ
出演:ジョン・デイビッド・ワシントン、ロバート・パティンソン、エリザベス・デビッキ、ディンプル・カパディア、アーロン・テイラー=ジョンソン、クレマンス・ポエジー、マイケル・ケイン、ケネス・ブラナー
配給:ワーナー・ブラザース映画
© 2020 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved

◆山崎詩郎さんプロフィール
山崎詩郎(東京工業大学理学院物理学系助教 博士(理学))
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。博士(理学)。量子物性の研究で日本物理学会第10回若手奨励賞を受賞。『インターステラー』(2014)を相対性理論で解説する会を全国で100回近く実施、雑誌への寄稿やweb連載を続けている。東京学芸大学の量子力学と相対性理論の講師にも抜擢される。コマ大戦で優勝したコマ博士の異名を持ち、NHKなどTV出演多数。著書に『独楽の科学』(講談社ブルーバックス)。

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