取材

福島県浪江町の避難指示解除から復興へ向かう今をチャリダーマンが見てきた


大震災から止まったままの時間と、復興に向けて動き出した時間。福島県浪江町では2つの時間が流れていました。浪江町は東日本大震災による福島第一原発事故によって、町内全域が帰還困難区域となりました。その影響により全町民が避難、町は封鎖されてしまいます。しかし、2017年3月末に空間放射線量が低い区域の避難指示が解除。JRの運転も再開されているということなので、お盆休みを利用して福島県浪江町の今を見てきました。

こんにちは、自転車で世界一周をした周藤卓也@チャリダーマンです。東日本大震災のときはアフリカのセネガルにいました。次が近いと騒がれていた東海、南海、関東ではない東北の地震に、改めて難儀な国で生きていると実感しました。それでもここに生まれてきたからには、少しでもこの国の役に立ちたいとは思っています。この記事もそうであって欲しいところです。

◆JR浪江駅
待ちに待ったお盆休み。JR全線の普通・快速列車が乗り放題となる「青春18きっぷ」を使ってどこか行きたいと考えていたところ、福島という目的地が浮かびました。あれだけの事故が起きながらも、原発を継続すべきか廃止すべき、未だに論争が繰り広げられています。いずれにしても福島で起きた事実はこの目で確認しておきたかったので、今回は東北まで足を伸ばしてみました。

東京西部の家から一度、都心に出て常磐線で土浦→水戸→いわきと移動。朝5時からの活動でかなり順調に進んでいたのですが、久しぶりにつけた腕時計の時間が遅れていて電車を一本乗り遅れ。この痛恨のミスによって目的地での時間が少なくなりそうなことから、いわき→郡山→福島→仙台まで先に北上。2日目に南下して浪江町へと向かいました。浪江町がある福島県の浜通りを結ぶ常磐線は電車の本数も代行バスも本数が少ないので、18きっぷを使うのであれば計画を立てた方がいいでしょう。免許をお持ちの方ならお車の方が楽かもしれません。常磐線と並行している国道6号線は帰還困難区域内では規制もありますが全線開通されています。

南相馬市の原ノ町駅で乗り換え。


浪江駅に降りてまず驚く景色。線路の上に橋が架かっていました。


浪江駅から南にも線路は続いていますが、運転は見合わせとなっています。


浪江駅の駅舎。


改札口。


駅舎内にあった路線図は途中が途切れています。


運転見合わせとなっている浪江駅と富岡駅の間は代行バスで移動できました。


◆帰還困難区域だったということ
東日本大震災当時、浪江町は人口約2万1500人を抱えていました。歩き回ってみるとその人口も納得。大きなスーパーマーケットも2つありました。マクドナルドまであったみたいです。人口2万人を下回る市だってありますから、人口2万人を超える町は相当大きく感じました。その街から一斉に人が消えてしまいました。そして約7年もの間、避難指示は解除されませんでした。

人がいなくなった街は自然に飲み込まれつつありました。強い日差しに加えて湿度も高い日本の気候はあらゆるものを劣化させてしまいます。街は色あせていました。標識でも看板でも金属であればサビが進行。アスファルトを突き破って繁殖する雑草に、剪定されない木々の枝々は建物に攻撃を加えるかのように自由に伸びていっていました。


いろいろと写真を撮ってきたのでご覧ください。

地元企業が運営していたサンプラザというショッピングセンター。ここにマクドナルドがあったようです。


本丸のスーパーマーケットを囲うように専門店の建物が幾つか並んでいました。


レンタルビデオショップのゲオ


100円ショップもありました。


国道6号線沿いにはヨークベニマルという福島県のスーパー。


震災前は100円ショップ、ドラッグストア、ホームセンターがあった場所。駐車場に車がたくさん止まっていたのですが、お店が空いているわけでもなく工事関係者のベース基地でした。


コンビニ跡


営業していないガソリンスタンド


駅前の飲み屋街


ずいぶんと傷んでしまったお店


心なしか建物が歪んでいる用に見えました。


乱雑にものが散らばっていた個人商店


ウィンドウの向こうは時が止まったまま。


薬局屋さんのショーウィンドウ


屋外に放置されたままの栄養ドリンク


鉄工所


小学校


大きな病院


消防署


神社


雑草が伸び放題となっていたお家


こちらも鬱蒼とした緑に覆われてしまっていました。信じられない光景でしたが目を凝らすと奥に建物がありました。


地震で変形したままのお家。震災当日、浪江町も大きく揺れたそうです。


倒れたブロック塀


壊してしまう建物には「解体家屋」というステッカーが貼られていました。


ガムテープで投函口が塞がれていたポスト


自動販売機も色あせています。


コイン精米機


マンホールも錆びていました。普通に暮らしていると気が付きませんが、人の手を加えないと傷んでしまうものでした。


人の気配がしない街の通り。強い日差しが照りつける夏の日、虫が鳴く声ばかりが聞こえていました。


あと耳に入ってくるのは吹き抜ける風が木々の葉っぱを揺らす音。本当に静かな世界でした。


大気中の放射線量を測定するモニタリングポストも見かけました。


もう一つモニタリングポスト。


だいぶ歩いたのですが、これは浪江町のほんの一部にしか過ぎません。海岸沿いの請戸地区には津波が押し寄せたといいます。線路を越えた内陸にも住宅街が続いています。そしてまだ、多くの帰還困難区域も残っています。ほんの一部しか見てないのにもかかわらず、日常を失った人たちの痕跡には胸が痛みました。数字でも文字でもないリアルがそこにありました。

◆復興へ向けて
しかし、浪江駅周辺の区域は2017年3月31日に避難指示が解除されています。公的機関や飲食店を中心に活動を再開して、震災から止まっていた時間が再び動き出しつつありました。新しい色が色あせた街を塗り替えつつありました。

新しい浪江町役場


役場のすぐ隣りにある「まち・なみ・まるしぇ」という仮設商店街


コンビニのローソンも営業中


店休日なので食べれませんでしたが「なみえ焼きそば」というご当地グルメは気になります。


アイスクリームだけ食べてきました。松永牛乳は浪江町のお隣、南相馬市の企業です。生乳51%という真っ白で滑らかなアイスクリームでした。


国道6号沿いにもコンビニのローソンが営業しています。イートインスペースの応援メッセージは胸が熱くなりました。


もう1店舗もそうですが、年中無休、24時間営業ではないコンビニとなっています。


ローソンの隣に地銀の東邦銀行の支店。


国道117号線沿いで営業していた飲食店。風にたなびくのぼりは誰かが活動しているという印。


稼働中の自動販売機


新しくなった消防署


警察署


郵便局


営業しているガソリンスタンド


新聞販売店


駅前にもカフェがオープンするようでした


ほんの少しですが生活感があった駐輪場


真新しいゴミステーション


お地蔵さんに備えられていたお花は誰かがここで暮らしているという証。


「みんなでともに乗り越えよう、私たちの暮らしの再生に向けて ~未来につなぐ復興への想い~」という駅前のメッセージボード。


被害は大きく時間もずいぶん経ってしまいました。震災前の水準に戻るのは難しいでしょう。それでも、住み続ける人がいるならば町は続いていきます。浪江町の復興を願ってやみません。

浪江町での目的は果たしました。そのまま富岡町へと続きます。

・つづく
福島県富岡町の避難指示解除から復興へ向かう今をチャリダーマンが見てきた - GIGAZINE


(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com
Twitter @shuutak
Facebookページ https://www.facebook.com/chariderman/
DMM講演依頼 https://kouenirai.dmm.com/speaker/takuya-shuto/)

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in 取材, Posted by logc_nt

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