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アフガニスタンの国旗は激動の100年で20回以上も変わっている


2021年8月にイスラム主義組織のタリバンがアフガニスタンの首都カブールに無血入城し、およそ20年ぶりに政権を奪還しました。これによってアフガニスタンは正式名が「アフガニスタン・イスラム共和国」から「アフガニスタン・イスラム首長国」に変わり、黒・赤・緑の三色旗だった国旗が白黒のデザインに変更されました。そんなアフガニスタンの国旗は100年間で20回以上も変更されており、中東テレビ局のアルジャジーラがその経緯について解説しています。

Infographic: Afghanistan’s flags over the years | Infographic News | Al Jazeera
https://www.aljazeera.com/news/2021/8/19/infographic-what-afghanistans-new-flag-looks-like-interactive


一番最初のアフガニスタンの国旗は18世紀のドゥッラーニー朝の時に制定された、緑・白・緑の横二色旗でした。この二色旗は80年近く使われました。ただし、この時は「アフガニスタン」ではなく「ドゥッラーニー帝国」という国名。


1834年にドゥッラーニー王家が分裂し、分家であるバーラクザイ族が君主となるバーラクザイ朝が成立。この時に国名が「アフガニスタン首長国」と改められ、1880年に黒一色の国旗になりました。


1901年にアフガニスタン首長国の国王だったハビーブッラー・ハーンが即位した時に、以下の旗に変更されました。中央のシンボルはモスクと2本の交差した剣を月桂冠で囲んだデザインです。


しかし、ハビーブッラーは1919年に耳から毒を流し込まれて暗殺されました。続いて王位についた弟のナスルッラー・ハーンも逮捕されて獄中死。さらにその跡を継いだハビーブッラーの息子であるアマーヌッラー・ハーンが王位に就いたときに国旗が変更されました。ハビーブッラーが制定した国旗を継承したデザインですが、中央のシンボルの月桂冠が八芒(ぼう)星状の放射線に変更され、交差した2本の剣も小さくなりました。また、1921年には中央のシンボルの横幅だけを縮小し、縦に細長くする修正が行われました。


1919年に第3次アフガン戦争で勝利してイギリスからの独立を宣言したアマーヌッラーは、1926年に国名を「アフガニスタン王国」に改めました。そして1928年に再び変更された国旗のデザインがこれ。交差する2本の剣がなくなり、月桂冠が花輪に変更されました。


その後、ヨーロッパ視察に向かったアマーヌッラーは三度目の国旗変更を行います。黒一色だった旗地は黒・赤・緑の三色旗となり、中央のシンボルは新しい王国の始まりを意味する日の出と明けの明星を穀物の束で囲んだデザインに変更されました。


その後、1929年にイギリスが後ろ盾についたハビブッラー・カラカーニが反旗を翻しました。アマーヌッラーは弟のイナーヤトゥッラー・ハーンに国を引き渡して逃亡。イナーヤトゥッラーはカラカーニから退位を迫られたため、そのまま王の座を退きました。カラカーニが新しく掲げた赤・黒・白の3色で構成された国旗がコレ。


しかし、カラカーニは政情を安定させることができず、実兄のシャー・ワリに王位を譲ります。その後すぐに、シャー・ワリは元国防大臣のムハンマド・ナーディルに王位を譲りました。ムハンマド・ナーディルが制定した国旗がこれで、黒・赤・緑の三色にアマーヌッラー時代の国旗に描かれた紋章があしらわれました。


ムハンマド・ナーディルはモンゴル系民族であるハザーラ人を虐げる政策を行ったことで、1933年にハザーラ人に暗殺されました。王位を継承したのは息子のムハンマド・ザーヒルで、国旗も改められました。色はそのままに紋章が大きくなり、モスクを取り囲む文様が穀物になり、さらにモスクの下にはイスラム暦でムハンマド・ナーディルが王位に就いた年が刻まれました。


ザーヒル政権は1933年から1973年までの40年間続きました。1973年に軍事クーデターが発生し、ムハンマド・ザーヒルは退位。軍事クーデターを起こした元首相のムハンマド・ダーウードは王政を廃止して共和政へ移行し、「アフガニスタン共和国」の初代大統領となりました。共和国になる過程では、国旗はほとんど変わりませんでしたが、唯一モスクの下に刻まれた年が削除されています。


アフガニスタンが共和国になった翌年の1974年に、国旗が以下のものに変わりました。黒・赤・緑の3色が横に組まれたデザインで、左上には小麦の束に囲まれたワシがあしらわれています。ワシの前にはミフラーブが描かれています。


1978年にアフガニスタンで再び軍事クーデターが勃発。ダーウード大統領は暗殺され、共産主義政党だった人民民主党が政権を握り、「アフガニスタン民主共和国」が誕生しました。国旗は紋章を削除したシンプルな三色旗となりましたが……


すぐに赤の一色旗に黄色い紋章という、旧ソビエト連邦に似たデザインの国旗となりました。紋章に描かれているペルシア文字は「カルク(民衆)」という意味で、リボンに描かれている言葉は共産政権による軍事クーデターを称賛する内容だとのこと。


翌1979年には、当時のアフガニスタン首相だったヌール・ムハンマド・タラキーが副首相のハフィーズッラー・アミーンの策略によって逮捕され、「病気のために退任」となりました。アミーンが首相に就任すると、国旗の左上にある紋章が農業と産業を示す「小麦と歯車」に変更されました。


しかし、アミーン政権はイスラム聖職者を弾圧したため、イスラム原理主義者が政府に対する反乱を宣言。事態を重く見たソ連がアフガニスタンに侵攻し、アミーンはKGBによって暗殺されました。その結果、ソ連がバックについた共産政権が再び樹立。バブラク・カールマルが大統領となり、国旗も以下の黒・赤・緑の横三色旗に変更となりました。紋章には緑の野原の上に開かれた共産党宣言とミフラーブ、さらに太陽の周りには共産主義を示す赤い星、小麦と歯車が描かれています。


そして、1987年にムハンマド・ナジーブッラーが新大統領に就任すると、国旗はさらに変更されて以下のものに。本と星がなくなり、歯車の位置が移動しました。


しかし、1980年代後半にソ連がペレストロイカによって外交政策を大きく変えたため、1989年にソ連軍がアフガニスタンから撤退。その後、ソ連が解体されたことで、1992年に国旗が緑・白・黒の横三色旗に、「アッラー・アクバル(アッラーは偉大)」とシャハーダを書いたものに変わりました。


ソ連の崩壊と共にそれまで政権を握っていた人民民主党が散り散りとなり、1992年3月にアフマド・シャー・マスードが率いるイスラム民兵組織のムジャーヒディーンが首都カブールを占拠。同年6月にブルハーヌッディーン・ラバニが「アフガニスタン・イスラム国」を名乗ります。この時に制定された国旗が以下で、色は緑・白・黒のまま。紋章はモスクと小麦で、その周りを2本の剣がぐるりを囲み、さらに一番上にはシャハーダが書かれています。


しかし、ラバニ政権に対する反発はすぐに大きくなり、1994年1月にクーデターが勃発。1996年10月頃からアフガニスタン南部で勢力を拡大していたイスラム原理主義民兵組織のタリバンが1996年9月にカブールを占拠し、「アフガニスタン・イスラム首長国」を宣言しました。タリバンは国旗を全く何も描かれていない真っ白なものに変え……


1997年に、シャハーダを書き加えた以下の国旗に変更しました。この時、イスラム主義を掲げる国際テロ組織のアルカイダを率いていたウサマ・ビン・ラディンがタリバンの創設者だったムハンマド・オマルと接触したそうです。


2001年9月、アルカイダによってアメリカ同時多発テロ事件、通称9・11テロが勃発。これによってアメリカがアルカイダを強く非難し、イギリスと共にアフガニスタンへの攻撃を始めました。これによってタリバンの勢力は少しずつ後退を迫られ、2001年に反タリバンである北部同盟がカブールを占拠し、同年にアメリカが後援についた暫定政府が発足。国名は再び「アフガニスタン・イスラム国」となり、国旗はタリバン政権以前に使われていた旗にシャハーダを青色で書き込んだ以下のものに変わりました。


2002年にアフガニスタン暫定政府は国名を「アフガニスタン・イスラム暫定政府」に変更。国旗は再び黒・赤・緑の3色旗に戻り、モスク・小麦・シャハーダ・イスラム暦の年が書かれた紋章が中央にあしらわれました。また、同年6月での集会で掲げられた国旗は、紋章が白ではなく金色になっていたとのこと。


アフガニスタン・イスラム暫定政府が「アフガニスタン・イスラム共和国」となっても国旗はそのままでしたが、2013年にデザインが改訂され、中央にある紋章が大きくなりました。


2014年9月、アシュラフ・ガニーがアフガニスタン・イスラム共和国の第2代大統領に就任。選挙で激しく争ったアブドラ・アブドラは行政長官に就任し、「国家統一政府」が発足しました。2019年9月に再びガニーとアブドラという2人の候補で大統領選挙が行われ、結果ガニーの再選が決定。しかしアブドラがこれを認めなかったため、アブドラとガニーの2人による新政権が樹立し、アブドラは当時まだ各地で反政府運動を起こしていたタリバンとの交渉役を担いましたが、タリバンの勢力は再びじわじわと拡大していました。

2020年2月にドナルド・トランプ元アメリカ大統領がアフガニスタンに駐留させていたアメリカ軍を撤退させることでタリバンと合意。2021年4月にジョー・バイデン大統領も2021年9月11日までにアメリカ軍を完全に撤退させると発表しました。実際に2021年7月からアメリカ軍とNATO軍がアフガニスタンからの撤退を始めたため、タリバンは一気に勢力を拡大。2021年8月にアフガニスタン・イスラム共和国のガニー大統領が逃亡してしまったため、タリバンがカブールを占拠し、2021年8月16日に国家統一政府への勝利を宣言しました。

タリバンは再び「アフガニスタン・イスラム首長国」という国名に変更し、国旗も1997年のタリバン政権時のものに戻したあと、さらに国名を黒で書き足した以下のデザインに変更しました。記事作成時点では以下が最新のものとされています。

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in デザイン, Posted by log1i_yk

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