目に「藻類由来のタンパク質の遺伝子」を注入して盲目の人の視力を部分的に回復させる実験が成功
近年は光でタンパク質を制御する光遺伝学という手法が大きく進展しており、神経回路機能の研究や難しい病気の治療などに役立てられています。新たに医学誌のNature Medicineに掲載された論文では、「光遺伝学を用いた臨床試験で40年にわたり盲目だった男性の視力を部分的に回復させることができた」と報告されました。
Partial recovery of visual function in a blind patient after optogenetic therapy | Nature Medicine
https://www.nature.com/articles/s41591-021-01351-4
Optogenetics used for the first time to help a blind patient see again - STAT
https://www.statnews.com/2021/05/24/scientists-use-optogenetics-for-first-time-to-help-blind-patient-see/
Genes from algae helped a blind man recover some of his vision | Live Science
https://www.livescience.com/man-partially-recovers-sight-after-gene-therapy.html
Gene Therapy Partially Restores Vision in Blind Patient in First Case of Its Kind
https://www.sciencealert.com/gene-therapy-partially-restores-vision-in-blind-patient-in-first-case-of-its-kind
今回の実験で被験者となったのは、40年前に網膜色素変性症と診断されて盲目となった58歳の男性です。網膜色素変性症は網膜の光感受性細胞を破壊する遺伝子変異によって引き起こされる疾患であり、およそ4000人に1人の割合で発症し、全世界では200万人ほどが患っているとみられています。
網膜色素変性症の進行は個人差が大きく、発症から数十年が経過しても視力が0.2以上を保つ人も多いものの、今回の男性はすでに失明してしまったとのこと。男性は光の有無を知覚することが可能であり、自分のいる場所が暗闇か明るい場所かを判別できるものの、それ以上の情報を得ることはできませんでした。
記事作成時点で網膜色素変性症で視力を失った人が視力を回復する方法としては、2013年にアメリカ食品医薬品局(FDA)が認可した人工網膜デバイス「Argus II」が存在します。Argus IIはサングラス型デバイスに取りつけたカメラで記録した映像情報を電気信号に変換し、患者の網膜に移植した電子インプラントへ電気信号パターンを送信することで、脳に接続した視神経を刺激するという仕組みです。ところが、Argus IIで再現できるのは60ピクセルほどのパターンのみだそうで、あくまでドアの輪郭や歩道といった領域を視覚的に検出可能にするという段階にとどまっています。
失明や視力が極端に落ちた人の視覚をサポートする人工網膜デバイス「アーガスII(Argus II)」をアメリカ食品医薬品局が認可 - GIGAZINE
ピッツバーグ大学のJosé-Alain Sahel氏が率いる研究チームは、網膜色素変性症で失明した患者の視力を回復させるために光遺伝学を用いるアプローチを採用し、長年にわたり研究を続けてきました。そして2018年に第I相試験の患者を募集したところ、今回の男性が応募してきたとのこと。
研究チームが開発した手法は、アデノ随伴ウイルスを利用したウイルスベクターを目に注入することで、「ChrimsonR」という光感受性タンパク質を作り出す遺伝子を網膜細胞に送達するというもの。「ChrimsonR」は単細胞の藻類に由来するタンパク質で、遺伝子操作で琥珀(こはく)色の光が当たると脳に接続している視神経に刺激を送るようになっています。物体の形と位置を元に琥珀色の光を網膜へ照射する特殊なゴーグルを装着することで、周囲の物体を把握することができる仕組みだそうです。
今回の実験ではウイルスベクターの投与量が少なかったこともあり、患者に注射を行ってから十分な量の「ChrimsonR」が網膜細胞で作られるまで4~6カ月かかったとのこと。その後も数カ月にわたってゴーグルを使った訓練を継続した結果、患者はゴーグルを着用した状態で物体の形を知覚することができたと研究チームは報告しています。患者は机の上に置かれたノート、カップ、液体が入った小瓶などを識別できたほか、横断歩道のしまを数えることができたとのことで、大きくて周囲とのコントラストが強いものほどよく見つけられたそうです。
男性が知覚できるのは単色で解像度が低い画像に限られていますが、研究チームは「今回の研究は、光刺激ゴーグルと組み合わせた遺伝子治療ウイルスベクターの注射が、光を知覚する能力のみを持っていた網膜色素変性症患者の視覚機能を部分的に回復できるという最初の証拠を提示するものです」「知覚につながる視覚プロセスは、患者が物体の方を向き、物体に手を伸ばす知覚運動タスクを実行するのに十分効果的でした」と述べています。
また、脳皮質全体の神経活動を読み取るように設計された脳波測定キャップを装着し、ゴーグルを着用して周囲を見た時の脳活動を測定する実験も行われました。その結果、網膜への光刺激による神経細胞の活性化が一次視覚野まで広がることもわかっています。
研究チームは、「光遺伝学的なウイルスベクターと光刺激ゴーグルの組み合わせによる治療は、患者の視覚レベルの回復につながり、日常生活に有意義な利点をもたらす可能性があります」と述べました。なお、今回の男性以外にも数名の被験者がウイルスベクターの注入を受けているほか、別の被験者に今回より多くのウイルスベクターを投与する予定もあるとのことです。
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