メモ

ジャーナリストは「ニュース」と「意見」を区別しているが読者はその違いを理解できていないとの指摘


アメリカ各地で発生した黒人差別に対する抗議デモに関連して、トム・コットン上院議員の「抗議デモを米軍を使って鎮圧すべきだ」との寄稿文が、2020年6月3日のニューヨーク・タイムズオピニオン欄(意見欄)に掲載されました。寄稿文の掲載を許可したニューヨーク・タイムズには大きな批判が寄せられ、結果としてオピニオン欄を統括するジェームズ・ベネット氏が辞任する事態に発展しましたが、この問題をめぐってマリスト大学ケビン・ラーナー准教授は、「多くの読者は新聞社が設けた『ニュース』と『意見』の区別が理解できていない」と指摘しています。

Journalists believe news and opinion are separate, but readers can't tell the difference
https://theconversation.com/journalists-believe-news-and-opinion-are-separate-but-readers-cant-tell-the-difference-140901


コットン上院議員の寄稿文は、ドナルド・トランプ大統領の「when the looting starts, the shooting starts(略奪が始まれば銃撃も始まる)」というSNS上での発言を支持するものであり、「暴徒」の集団に対処するには「圧倒的な力の誇示」が必要だと主張する内容でした。

この内容そのものに加え、寄稿文の掲載を許可したニューヨーク・タイムズの姿勢には社内外から批判が殺到しました。当初は「オピニオン欄は多様な見解を反映することが求められる」というスタンスだったニューヨーク・タイムズ側も、6月5日になって「寄稿文は基準を満たしておらず、掲載するべきではなかった」とする断り書きを掲載。その後、オピニオン欄の編集長を務めていたベネット氏が辞任したと発表されました。

NYタイムズ紙、オピニオン編集長が辞任 軍出動求める寄稿掲載で社内からも批判 - BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/52960489


ニューヨーク・タイムズの従業員800人以上が「寄稿には情報の誤りがある」として当該記事の掲載を強く非難する抗議文に署名しましたが、それ以上の反応を見せたのは一般の読者でした。問題となった寄稿文が掲載されたのはあくまでもニューヨーク・タイムズの「オピニオン欄」でしたが、コットン上院議員だけでなくニューヨーク・タイムズそのものにも大きな批判が寄せられました。この点についてラーナー准教授は、「『ニュース』と『意見』の区別は一般的に見落とされがちです」と述べ、新聞社が意図している区別が読者に理解されていないと指摘しています。

アメリカのジャーナリズムにおいて、「ニュース」部門で働いているジャーナリストが「意見」部門から独立していることは自明ですが、多くの読者にとって「ニュース」と「意見」の区別は明確ではありません。新聞の読者は「報道機関は客観的なものであるべきだ」という意識が根強く、紙面に個人的な意見が混ざると「記者には政治的な思想がある」と見なし、報道機関への信頼性を損なってしまうとのこと。


しかし、新聞が報道機関としての役割を果たすようになる以前は、「所有者の個人的な表現の手段」として新聞が用いられていたそうです。たとえば政治家・科学者として知られるベンジャミン・フランクリンは1729年に「ペンシルベニア・ガゼット」紙を買収し、1748年まで自身の政治的・科学的アイデアを発表する場として使用しました。19世紀初頭まで、多くの新聞は政党からの資金提供を受けて発行されていたため、新聞が特定の政党に肩入れするのは一般的なことでした。

新聞社が政党から離れたのは、多くの読者を得て成長していった新聞社が政党からの離脱を強調し始めた19世紀ごろのこと。20世紀にかけて新聞はさらに大きな力を持つようになり、ジャーナリズムの学校なども設立された20世紀には「事実」や「真実」が報道機関の基本として主張されるようになりました。


ところが、新聞の所有者は世論への影響力を完全に放棄したわけではなく、事実を伝えるニュース部門以外にも「論説」や「コラム」部門も設立されました。一般的に論説やコラムは専門記者らによる編集委員会によって制御されており、編集委員会は伝えたい主張の方向性や記事の内容についてチェックします。専門記者らの個別の専門分野の知見に基づいた分析や意見の中でも、編集委員会のチェックを通ったものだけが、新聞社の公式見解として発表されています。

「ニュース」と「意見」という2つの異なる要素を新聞が合わせ持っている点は、一般の人々にとっては理解しにくいものであり、辞任したベネット氏も2020年1月の記事で「編集委員会の役割は、ニューヨーク・タイムズをよく知らない読者にとってややこしいものです」と認めています。しかし、20世紀を通じて新聞社は「『ニュース』と『意見』に壁を作って区別し、『ニュース』の部分について新聞社は公正で独立している」と主張してきました。こうした「ニュース」と「意見」の区別は、特にアメリカの新聞社で根強い傾向だそうです。

そして、ニューヨーク・タイムズをはじめとするアメリカの新聞社は、さらに幅広い「意見」を新聞に取り入れるため、1970年代から「Op-ed」ページの採用を始めました。これは編集委員会の支配下にない外部の人物が、新聞記事や新聞社の主張に反対意見や見解を述べるための欄であり、一般的な新聞社の論説やコラムとも違うものです。「Op-ed」ページの採用で同じ新聞に多様な意見が掲載され、時に紙面上で論争が行われることで言論の活性化につながり、多様性と少数意見を重視するジャーナリズム的な観点からもメリットがあるとされました。

社内外から大きな批判を集め、ベネット氏の辞任にまで発展したコットン上院議員の寄稿文も、編集委員会による検閲などを行わない「Op-ed」ページの一種である「オピニオン欄」に掲載されたものでした。


ニューヨーク・タイムズのオピニオン欄に掲載される記事の数は、オンラインの発達に伴って大幅に増加しており、ベネット氏の辞任時には1週間に120個もの記事を掲載していました。これはニューヨーク・タイムズの「Op-ed」ページの充実を意味すると共に、「個人的な意見が掲載されるオピニオン欄と、通常のニュース記事の区別が付きにくい」という問題も引き起こしたとラーナー准教授は指摘。もちろんオピニオン欄の記事には「Opinion」といった表示があるものの、多くの読者はそもそも「ニュース」と「意見」の区別を付けていないため、手がかりに気づくことができません。

オンラインで新聞記事を読む多くの読者は、紙媒体として紙面の記事を追う読者と違い、SNSなどのリンクをたどってオンラインの新聞記事にたどり着きます。この場合、事実のみを掲載した「ニュース」と個人的な考えや思想が混ざる「意見」の区別を示す境界線が示されず、単なる寄稿文であっても「この新聞社はとんでもない思想を持っている」と考えがちだとのこと。さらに新聞記事はSNS上で共有され、「Op-ed」ページに寄せられた寄稿文についても「新聞社の記事」として扱って読者は議論します。

配達されたり店舗で購入したりした紙の新聞を読んでいた1970年代の読者は、「ニュース」と「意見」の区別を紙面のレイアウトなどで容易に区別できました。しかし、オンラインで新聞社の記事を読んでいる21世紀の読者は「ニュース」と「意見」の区別が付かないため、新聞社は両者の区別について周知し、説明する必要があるとラーナー准教授は述べています。

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
若者がTVや新聞のニュースを信頼しないのは「若者の意見や経験がニュースでほとんど扱われないから」という指摘 - GIGAZINE

ネットでニュース記事を読む人は要約を読んだだけで内容を完璧に理解したと思い込みやすい - GIGAZINE

ニュース記事の信頼度を「誰が作ったものか」より「誰がシェアしたか」で判断する人がSNSには多いことが判明 - GIGAZINE

認知能力が低い人ほど自分の考えに近いフェイクニュースを信じやすい、「偽の記憶」まで作り出してしまうことも - GIGAZINE

エアコンはもともと人間のために生み出されたわけではなかった - GIGAZINE

「警察は以前から黒人活動家を監視していた」と黒人ジャーナリストが証言 - GIGAZINE

ジャーナリスト派遣団体が「Wikipediaの編集作業に人員と資金を投下した」理由とは? - GIGAZINE

MicrosoftはジャーナリストをAIに置き換えようとしている - GIGAZINE

in メモ, Posted by log1h_ik

You can read the machine translated English article here.