7万人の手下を率いた史上最強の海賊は女性だった

マンガや映画の題材にもなる海賊は古くから存在しており、ウィリアム・キッドや黒ひげ海賊団のエドワード・ティーチが特に有名です。YouTubeチャンネルのNightshiftは、史上最強の海賊として中国の女海賊「鄭一嫂」を挙げています。
The Most Powerful Pirate In History - YouTube

鄭一嫂が活躍したのは19世紀初頭。当時、中国は世界人口の3分の1を占めていたといわれています。

陸続きでさまざまな国や王朝が殺し合いを続けてきたヨーロッパ諸国と異なり、中国は12世紀から13世紀にかけて中国北部を支配した金が北京を王都に定めてからは、王朝こそ変わっているものの、北京からの絶対的な中央集権国家として、基本的な社会制度はそのままに続いてきました。しかし、北京から遠く離れた地方になると、王朝からの支配効力は弱まります。

鄭一嫂は北京から約2000km離れた広東省広州出身といわれています。

広州は珠江デルタと呼ばれるエリアの一角で、古来より貿易が盛んな場所。珠江河口部には中国だけではなく国外からの貿易船も多数行き来していました。

広州には古くから「水上人」と呼ばれる船上生活者がいました。水上人の一部は漁師として生活していましたが、19世紀当時は政治の腐敗によって景気が悪化し、職を失うことも多かったとのこと。当時の水上人は社会的地位が低く、被差別的な扱いを受けていました。鄭一嫂はこの水上人の生まれといわれており、その後、水上で運営されていた売春宿に売られたとみられています。

転機となったのは、当時大きな海賊を率いていた鄭一に見初められ、1801年に結婚したこと。なお、鄭一嫂とは「鄭一の妻」という意味で本名ではありません。

16世紀から19世紀にかけて中国全土を支配した清の時代、広州は外国と合法的に貿易を行える唯一の都市であり、国にとって大きな収入源となっていました。

18世紀後半からイギリスとのアヘン貿易が始まりますが、このころ清の政治腐敗が進み、広州はほとんど野放し状態になっていました。政府の影響力は弱まり、貿易船を狙う海賊が横行していました。

1805年頃には、海賊は商船を襲って奪うよりも、お互いに戦うケースが増えていました。そこで、6つの主要な海賊団は調停した上で1つにまとまり、大組織化しました。

役に立たなくなっていた清の海軍に代わって、広州の水上流通は海賊が取り仕切るようになりました。商船は海賊の発行する通行許可がなければ港や珠江を通ることができませんでした。許可を得ずに通行しようとした船は、圧倒的な武力を抱える海賊船に攻撃されました。

そんな中、鄭一嫂は鄭一を補佐し、早期から海賊団の運営に関わっていました。

鄭一嫂は海賊を艦隊と見立て、組織的に編成しました。階級の上下関係を明確にし、命令への絶対服従を強制。略奪品は20%を取り分とし、80%は海賊組織へ上納させたほか、捕虜への暴力や子女の人身売買を禁止するなど、厳しい掟を制定しました。

まるで海軍のように厳しい規律を徹底したことで、鄭一の海賊は7万人の構成員、1800隻の船を抱える大組織「紅旗幇」となりました。構成船舶4隻・構成員300人の黒ひげ海賊団とは比べようもないほど巨大な規模です。

1807年、鄭一は台風の際に船から落ちて亡くなりました。一説には病気とも言われています。夫を失った鄭一嫂は張保という部下の若い船長と再婚し紅旗幇のトップとして君臨し続けました。

鄭一が亡くなっても成長し続ける紅旗幇に驚いた清政府はようやく紅旗幇を壊滅させようとします。しかし、清海軍には紅旗幇を滅ぼすだけの力がなかったため、当時マカオに在留していたポルトガル海軍に協力を仰ぎます。さすがにポルトガル海軍を相手にして紅旗幇も大きな打撃を受けましたが、壊滅には至りませんでした。

その後、政府は海賊に対して「降伏すれば完全な恩赦が得られるほか、政府の仕事や報酬も与える」と交渉を持ちかけました。

1810年、傘下で2番手の海賊だった郭婆帯が紅旗幇を裏切って、政府の役職に就きました。このことは「海賊であっても政府に取り入ることができる」という確証を鄭一嫂に与えることにもなりました。

その後、鄭一嫂は清王朝と交渉を行い、所属する部下たちを公職に就かせ、さらにすべての罪を許された上、報酬を受け取って陸に揚がることに成功します。

鄭一嫂はその後、マカオに高級賭場を開き、裕福で平和な人生を過ごし、1844年に亡くなりました。鄭一嫂が海賊のトップとして活躍したのは鄭一が亡くなった1807年から政府に下るまでのわずか3、4年ほどですが、ポルトガル海軍にも負けない史上最強の海賊団を維持し見事にその富を失うことなく天寿を全うしているのは驚きに値します。なお、マカオは19世紀半ばにアヘン戦争の混乱の中でポルトガルによって完全に植民地化され、1999年に返還されるまでポルトガルの海外領土となっていました。

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in 動画, Posted by log1i_yk
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