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「自由で開かれた香港」はいかにして警察国家になってしまったのか

by Studio Incendo

1997年7月にイギリスから中国に返還され、それ以来一国二制度によって高度な自治権を有してきた香港が政府や警察によって国民が監視される警察国家となりつつある経緯について、イギリスの経済誌・The Economistがインタビューを元に論じています。

How a free and open Hong Kong became a police state | The Economist
https://www.economist.com/interactive/essay/2022/07/01/how-hong-kong-became-a-police-state

当時まだ5歳だった1950年代に、家族とともに香港に移住したという元ジャーナリストのChing Cheong氏は、返還前の香港から見た中国への印象について「私は中国本土に戻ることを夢見ながら、団地にある教会の炊き出しを食べて成長しました。しかし、1966年に毛沢東が起こした文化大革命の犠牲者が、手足を縛られた死体となって漂着してきたのを見た時、その夢は消えました。香港にはイギリスの海兵隊が文化大革命の犠牲者の死体を回収していたのを覚えている人も多いはずです。あれ以来、誰も中国に戻ろうとは思わなくなりました」と話しました。

中国から離れても、自分たちが中国人だということを忘れなかった香港の人々は、イギリスによる統治の元で香港人としてのアイデンティティを育んでいきました。しかし、すぐに文化大革命の混乱が国境を越えて押し寄せてきたとのこと。その中で最も鮮烈な出来事が、毛沢東支持者らが街に爆弾を仕掛けて街頭で遊んでいた子どもたちを殺害した事件です。一連のテロで1967年9月までに51人が犠牲になり、そのうちの10人は警察官でした。多くの抗議者はこうした事態に断固として反対し、警察に親近感を寄せるようになりました。


また、文化大革命の騒乱に対する抗議は社会問題に対する意識を高め、その後数十年にわたる抗議運動の基礎になりました。抗議活動の多くは、中国本土のような混乱ではなく、教育や社会サービスの改善を求めるものだったとのこと。こうした騒動を経て、香港政府は1960年代後半から70年代にかけて労働時間の短縮、義務教育の無償化、新しい公共住宅の建設、基本的な医療福祉サービスの提供を開始しました。

その一方で、公の場での集会には警察の許可が必要だという制度も制定されましたが、警察が集会を認めないことはめったにありませんでした。香港を拠点とするイギリスの経済学者であるLeo Goodstadtは、1975~1995年までの間に平均して年間180件以上の抗議活動が行われたと推測。自著の中で「1970年代の抗議活動や政治活動は、集会や言論の自由と法の支配との関連性を認識させた」と論じました。

こうして、決して民主主義国家とは言えない香港に、中国から独立した法制度や強固な報道の自由、市民的自由や経済的自由が確立されていきました。

香港大学を出て香港の日刊新聞である文匯報(ぶんわいほう)の記者になったチン氏は、中国寄りの新聞社である同社に入社した理由について「高校時代の恩師から中国文化を愛するようにすすめられ、中国共産党から残忍に扱われたりイギリスに支配されたりしない国を作りたいと考えるようになりました。共産党の思想には興味がありませんでしたが、中国のいろいろな地域を見る機会に胸を躍らせていたのです」と話しました。

その後チン氏は、1981年に香港のジャーナリストとして初めて北京に赴任し、1989年には民主化を求めて北京の天安門広場につめかけた学生らの取材を行いました。天安門広場を占拠した学生たちと数週間過ごし、民主改革と腐敗撲滅を求める学生の要求に共感してそれを報道したチン氏ですが、弾圧が始まった6月3日には香港への帰国を命じられます。そして、その翌日六四天安門事件が起きました。

by WyldKyss

北京で発生した大虐殺は、香港の社会に動揺を与えました。一方、1984年に中国と一国二制度に関する協定を結んでいたイギリスは、1997年の香港返還に向けて準備を進めていました。「私は北京寄りの新聞社である文匯報の記者として中国共産党に接近した時期があったので、その願望や行動様式、下心をよく知っていました」と話すチン氏は、天安門事件を契機に文匯報を辞め、中国時報で「中国政府は一国二制度の約束を守らないだろう」と警告する記事を書いたとのこと。

そして、最後の香港総督であるクリストファー・パッテン氏は、返還を間近に控えた1997年6月30日のスピーチで「香港人が香港を運営する。それが約束であり、揺るぎない宿命です」と話しました。しかし、いざ返還されてみると香港人が香港の政治に参画する方法はほとんどありませんでした。なぜなら、香港のトップを決める行政長官選挙はあるものの、政治にかかわる主要な人事は中国政府に承認されなければならず、新しい行政長官のほとんどは中国共産党が任命し中国にビジネス上の利権を持っている人だったからです。

このような体制に対し香港の人々は猛反発し、スパイ容疑で捕まったチン氏が2年間中国の刑務所で過ごしてから出所した2008年には「抗議文化」として根付いていました。また、中国政府が香港への普通選挙導入を拒否したことに端を発する2014年の大規模な抗議は、後に雨傘革命と呼ばれるようになりました。警察が使用する催涙スプレーへの防御に使われた雨傘を象徴とする抵抗運動は、2019年の逃亡犯条例への抗議でも大々的に展開されています。

by Tauno Tõhk

「香港人が中国政府の思うがままに犯罪者として中国に連行される」と反発し、抗議運動の先頭に立った香港の若者たちに対し、警察は強硬な態度で応じました。それでも粘り強く続けられた抗議活動により逃亡犯条例は棚上げになりましたが、中国共産党寄りの行政長官で抗議活動にも融和的な姿勢を示さなかったという林鄭月娥(りんていげつが)行政長官は留任されたままでした。

また、この一件を教訓に「香港のアイデンティティから来る独立志向と抗議活動の伝統は脅威である」と認識した中国政府は、2020年5月に独立運動・破壊行為・テロ・外国勢力との共謀などを禁じる香港国家安全維持法を打ち出しました。この法律は、6月30日23時に施行される直前まで正式な条文が発表されず、その内容の詳細は林鄭氏さえ知らなかったとのことです。

香港国家安全維持法により香港の警察の権限は一気に強化され、司法による監督なしで個人や組織を取り締まることができるようになりました。これにより、香港の民主活動家のほとんどは海外に亡命するか、そうでない人は刑務所に入れられてしまいました。自由主義を掲げる香港の日刊紙であるリンゴ日報の創設者で、天安門事件で抗議者を支援したことでも知られている黎智英(れいちえい)氏も、警察によって逮捕され収監された香港の活動家の1人です。黎氏が逮捕され会社の銀行口座が凍結されたリンゴ日報は、中国時報と並んで「香港の四大紙」と呼ばれることがあるほど支持されていたにもかかわらず、廃刊を余儀なくされました。

by Etan Liam

香港国家安全維持法の下での恐怖と密告の文化は、官公庁や学校、大学、裁判所などにも浸透しており、法律に反対した教師の中には免許を剥奪された人もいます。また、香港にある世界的な大学の学者たちは、台湾や中国の宗教、香港の世論など、中国共産党がセンシティブなテーマだとする分野の研究をやめてしまいました。香港のある学者は、「生き残るためには、政府の太鼓持ちになるしかない」と話しています。また、公然と政府を批判しない一般市民でも匿名で通報されてしまうので、香港の人々は生活のあらゆる場所で神経をとがらせ、非難されないようにしなければならなくなりました。

また、イギリスによる統治下では親近感を持たれていた警察は、強権的な政府の手先とみなされるようになり、司法も信用されなくなりました。以下は、香港民意研究所が集計した法的枠組みに対する意識調査の結果のグラフで、赤い線が「法の支配」、灰色の線が「裁判所の公平性」、ピンク色の線が「司法制度の公正性」に対する評価の遷移を表しています。イギリスからの返還以来、香港の司法や法執行機関には10段階中6~7と比較的高い信頼が寄せられていましたが、逃亡犯条例に対する抗議への厳しい取り締まりが行われた2019年から低下し始め、香港国家安全維持法が施行された2020年には大きく下落しています。


中国政府が一国二制度の約束を破ると予見していたチン氏は、The Economistに対して「私は何が起きるか分かっていましたが、誰も耳を貸しませんでした」と話しました。また、The Economistは「中国が影響力を行使しようとしているありとあらゆる地域で、中国政府が約束を守らないとの警告に耳を傾けることが急務になっています」と指摘しました。

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in メモ, Posted by log1l_ks

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