サイエンス

マチルダ効果で歴史から消された女性科学者たち


科学の成果は論文・授賞・報道といった形で「誰の業績か」が記録されますが、その過程で貢献者が見えなくなったり、別の人物の手柄として定着したりすることがあります。教育・カルチャー関連の情報を扱うOpen Cultureが、女性研究者の功績が過小評価されやすい現象である「マチルダ効果」を取り上げ、具体例を挙げて「科学史から書き落とされた女性たち」の姿をまとめました。

"The Matilda Effect": How Pioneering Women Scientists Have Been Written Out of Science History | Open Culture
https://www.openculture.com/2025/12/matilda-effect.html


「マチルダ効果」は科学史家のマーガレット・W・ロシター氏が1993年に提起した概念で、男性研究者に評価が集まりやすい「マタイ効果」と対になる形で語られます。ロシター氏が「マチルダ」という名を借りたのには、19世紀の女性参政権運動家であるマチルダ・ジョスリン・ゲージ氏が女性の発明や知的貢献が過少に扱われる構図を批判的に論じていたという背景があります。

Open CultureはTimelineの連載『The Matilda Effect』が挙げた例として、次の人物を取り上げています。

リーゼ・マイトナー


核分裂の解釈に関わった物理学者のリーゼ・マイトナー氏は、オットー・ハーン氏らの実験結果を手がかりに核分裂の理論的説明を行い、1939年には甥のオットー・ロベルト・フリッシュ氏と共に核分裂の概念を整理しました。

しかし、ノーベル化学賞は「重い原子核の核分裂の発見」を理由にハーン氏のみに授与され、マイトナー氏の名前は受賞者に含まれませんでした。Open Cultureはマイトナー氏が核分裂研究で重要な実験を指揮しエネルギー放出の計算も担ったのに、評価が十分に残らなかった点をマチルダ効果の例として挙げています。

アリス・オーガスタ・ボール


化学者のアリス・オーガスタ・ボール氏が確立した、ハンセン病治療に使われていた大風子油(たいふうしゆ)を注射などで扱いやすい形にする手法は、ハンセン病の抗菌薬が登場する1940年代までの主要な治療法につながりました。

ところが、ハワイ大学で研究していたボール氏は24歳という若さで亡くなり、当時大学の学長だったアーサー・ディーン氏がボール氏への言及を欠いたまま自分の名前で発表したために長期間ディーン氏の功績だとされていました。後年になって大学で顕彰が進められた経緯が伝えられています

エスター・レーダーバーグ
Open Cultureは研究を前に進めるための手法や実験の仕組みを作った人物が評価から抜け落ちやすい例として、微生物遺伝学者のエスター・レーダーバーグ氏を紹介しています。スタンフォード大学医学部の追悼記事によると、レーダーバーグ氏は大腸菌に感染するバクテリオファージである「ラムダファージ」を発見し、1951年に最初の報告を行いました。さらに、菌のコロニー配置を保ったまま培地を移し替える「レプリカプレーティング」手法を確立し、突然変異が自然に生じることを示す実験などで広く使われる基盤技術になったとされています。

一方、当時の夫で研究パートナーでもあったジョシュア・レーダーバーグ氏は1958年にノーベル生理学・医学賞を受賞しており、Open Cultureはこの種の「評価の非対称」を取り上げています。

ジョスリン・ベル・バーネル


天文学者のジョスリン・ベル・バーネル氏は、博士課程の学生としてパルサーの信号を見いだしたにもかかわらず、ノーベル賞の受賞者に含まれなかった例として語られがちです。Live Scienceによると、ベル・バーネル氏は1967年に電波望遠鏡のデータから規則的な信号を発見し、その後、研究チームがパルサーの存在を確認しました。

しかし、1974年のノーベル物理学賞は「電波天体物理学の先駆的研究」および「パルサー発見における決定的役割」を理由にマーティン・ライル氏とアントニー・ヒューイッシュ氏へ授与され、ベル・バーネル氏の名前は含まれませんでした。

なお、ベル・バーネル氏は2018年に基礎物理学ブレイクスルー賞を授与され300万ドル(約3億3000万円)を受け取ることになりましたが、全額を奨学金に寄付しています。

ロザリンド・フランクリン


ロザリンド・フランクリン氏は、DNAの二重らせん構造が確立される過程で決定的だった「X線回折像」を撮影した研究者です。フランクリン氏は1951年にロンドン大学キングス・カレッジに加わり、DNA繊維のX線回折像を撮影してDNAが湿度などの条件で異なる状態をとることを整理しました。特に有名なのが「Photo 51」で、DNAのB型の回折像として知られています。この画像は1952年5月にフランクリン氏と大学院生のレイモンド・ゴズリング氏が撮影したもので、DNA二重らせん構造を強く示す手がかりになりました。


1953年4月の学術誌「Nature」では、ジェームズ・ワトソン氏とフランシス・クリック氏が二重らせんモデルを示した論文を掲載した同じ号に、フランクリン氏の同僚であるモーリス・ウィルキンス氏らの論文に加えて、フランクリン氏とゴズリング氏がDNA繊維のX線回折にもとづく解析を報告する論文も掲載されました。

その結果、1962年のノーベル生理学・医学賞はワトソン氏・クリック氏・ウィルキンス氏に授与されましたが、フランクリン氏は1958年に亡くなっており、ノーベル賞が原則として死後に授与しないため授与対象になりませんでした。この件に関してはフランクリン氏の友人で作家のアン・セイヤー氏が「ノーベル賞はフランクリンがもらうはずだった」「ワトソンとクリックが奪った」と主張する伝記本を出版していますが「フランクリン氏はDNA二重らせん構造解明の栄誉を奪われた被害者ではない」とする指摘も出ています。

Open Cultureは上記のような例を通じて「発見や発明が誰の名前で語られるかが固定化されると重要な貢献が見えにくくなる」と指摘し、マチルダ効果は功績がどのように分配され、記録され、語り継がれるのかを点検するための概念だとまとめています。

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in サイエンス, Posted by log1b_ok

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