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ゲームオタクがネットでも見つけられなかった「アクションRPGの始祖」とは?


アーケード基板や筐体・レトロPC・各種ゲームグッズなどの売買を行うBEEP秋葉原を訪れたゲーム好きのエンジニア、サミュエル・メスナー氏が、思わぬ形で「アクションRPGの始祖」とも言えるゲームの存在を知った経緯を電子出版プラットフォームのMediumで公開しています。

The Secret Origin of the Action RPG | by Samuel Messner | Medium
https://medium.com/@obskyr/the-secret-origin-of-the-action-rpg-254a180079dd

「イース、聖剣伝説、ゼルダの伝説など、ビデオゲームの歴史と密接に絡み合う由緒あるアクションRPGは多くの人々に人気のあるゲームです。しかし、人気のアクションRPGにおける『真の始祖』とも言えるゲームの存在を、東京・秋葉原の地下で知ることになるとは思いもしませんでした」とメスナー氏は語っています。


メスナー氏がBEEP秋葉原を訪れた理由は、「言語の壁のせいで欧米では知られていない日本のゲームについて、英語の情報源が教えてくれることの限界に達していたから」とのこと。PCゲームに関する歴史をまとめた本を置いていないか店員に尋ねたところ、店員は「私は詳しくないが、30分ほどで『PC-8800シリーズのプロ』が休憩から戻ってくるから彼に聞いてほしい」と答えたそうです。メスナー氏は店員のアドバイス通り、「PC-8800シリーズのプロ」こと店員のテリーさんが戻ってくるのをしばらく待ちました。

「テリーさんが戻ってくると、彼はただのプロではなく歩く百科事典のような存在で、本当に豊富な知識の持ち主であることがわかりました。私はテリーさんに『おすすめの本を教えてほしい』と頼んだだけだったのですが、彼は親切にも日本のPCゲームの系譜と進化について熱く議論してくれたのです。約1時間に及ぶ議論の間に、私は日本のビデオゲームの歴史について多くのことを学びました」とメスナー氏は当時を振り返っています。

テリーさんが語ったゲームの歴史において最もメスナー氏が興味を抱いたのは、日本におけるアクションRPGの始まりは、PC-8801で1984年に登場した日本ファルコムの「ドラゴンスレイヤー」、T&E SOFTの「ハイドライド」、コスモス・コンピューターの「カレイジアスペルセウス」の3本無しには語れないという話でした。


また、テリーさんによると公開されているソースはないものの、「ドラゴンスレイヤー」は1982年に登場したアーケードゲーム「ペンゴ」から大きな影響を受けているとのこと。さらにテリーさんは「ドラゴンスレイヤーはApple IIのゲーム『The Caverns of Freitag(フライタークの洞窟)』がベースになっているんだ」とメスナー氏に語ったそうです。ドラゴンスレイヤーがどんなゲームかは以下の動画を見るとよく分かります。

[PC-88] Dragon Slayer (1984) (Nihon Falcom) - YouTube


「テリーさんは私にThe Caverns of Freitagの動画を見せようと、彼の携帯電話でひたすらググり始めました。彼が調べている間、私も日本語と英語の両方でドラゴンスレイヤーとThe Caverns of Freitagとの関連を示す情報が無いか調べてみたのですが、驚いたことに2つのゲームをつなぐ情報は何も見つかりませんでした。心臓がバクバクしました。2つのゲームの関連性は、英語のインターネット上のどの記事にも書かれていないし、日本語ではほとんど言及されていないのです。本当に人々に知られていない歴史の一部だったのです」とメスナー氏はかなり興奮していた模様。

期待が高まるメスナー氏に、テリーさんはThe Caverns of Freitagがドラゴンスレイヤーに影響を与えたことを示す確かな情報を教えました。「ザナドゥ」「ソーサリアン」「英雄伝説」などの生みの親である木屋善夫氏がTwitterで述べた内容が1つの証拠だったのです。

カーバンス・オブ・フレイタグ(AppleII)ドラスレ1の元ネタです^^; #フォロワーが知らないだろってゲームを呟いてrtされたら負け

— 猫のアイル (@nekoaisle)


The Caverns of Freitagは、ウルティマシリーズ開発の中心人物であるデビッド・シャピロ氏によって、1982年にアメリカでApple II向けに開発されたタイトルで、グリッドベースの迷路を舞台にモンスターを倒し、アイテムを集め、経験値やレベルアップの要素もあるゲームです。


The Caverns of Freitagは欧米でも知名度が低く、メスナー氏もテリーさんに紹介されるまで知らなかったとのこと。テリーさんがメスナー氏に見せたのは以下の動画で、動画を実際に見たメスナー氏はその感動を「春のさわやかな朝のように澄み切っていて、見た目も技術もドラゴンスレイヤーを彷彿とさせる動画に私は目を疑いました」と表現しています。

Caverns of Freitag for the Apple II - YouTube


「アクションRPGの礎を築いたドラゴンスレイヤーですが、欧米でもほとんど忘れ去られてしまっている無名のタイトルがルーツになっていたとは......。ですが、納得できませんでした。心の奥に『そんな無名の作品がどうして日本に来たのか?』という疑問が残っていたのです。こんなマイナーなゲームが海を渡るとは思えないし、ましてや英語のゲームです」と述べるメスナー氏は、Twitterで木屋氏に直接質問を投げかけました。

@nekoaisle カーバンス・オブ・フレイタグと言うゲームは、どのように初めて知ったのですか?あのゲームのどこを参考にしたくなるほど魅力的に思いましたか?
30年前以上のことなので覚えていないこともあると思いますが、もし少しでも記憶に残る限りのご返信いただけたら幸いです。

— Samuel ????✨ Messner (@obskyr)


木屋氏は以下のように回答。1980年代に日本ファルコムがApple公認代理店としての事業を行っていたことが、木屋氏とThe Caverns of Freitagとの出会いのきっかけだったようです。

当時ファルコムはアップルの公式代理店でしたのでAppleII用のソフトは皆入荷してました。私自身AppleIIユーザーでしたので大抵のソフトは見てました。

— 猫のアイル (@nekoaisle)


「日本ファルコムは1980年代のゲーム開発において大きな影響力をもった会社の1つであり、欧米の技術からインスピレーションを最も得やすい立場にあった」とメスナー氏は分析。「日本のアクションRPGは木屋氏の作品をベースにして、新しい文化や感覚を取り入れながら今日まで続くゲームを生み出したのです」とメスナー氏は語っています。また、Apple IIのゲームはドラゴンスレイヤーだけでなく、他の日本のゲームにも影響を多く与えています。例えばドラゴンクエストは、Apple IIのウルティマや「ウィザードリィ」からインスピレーションを得て制作されました。

結局、メスナー氏はBEEP秋葉原で何冊か本を買って帰宅。しかし、本以上の収穫を得たと述べるメスナー氏は、「昔ながらの方法でしか学べないこと、つまり口コミでしか学べないことを学んで家に帰りました。見知らぬ人が私と秘密の取引をしてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。そして、ゲームの歴史において見落とされていたThe Caverns of Freitagの功績が認められることを願っています」と語っています。

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in 動画,   ゲーム, Posted by darkhorse_log

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