アート

「音楽はなぜ人に喜びを与えるのか」という長年続く議論は決着するのか?


「音楽がなぜ人に喜びを与えるのか?」ということは、はるか昔、それこそ古代ギリシャの哲学者・プラトンが既に考えていた疑問でした。音楽と喜びの関係は長い歴史の中で思想家たちが思いをめぐらせ、さまざまな考えが提示されてきた分野。中世から現代にかけて、どのように「音楽と喜びの関係」の考え方が変化してきたのか、哲学・歴史・政治を専門とするエディターのSam Dresser氏が記しています。

It’s hard to know why music gives pleasure: is that the point? | Aeon Essays
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音楽と喜びの関係性について、中世ヨーロッパの音楽理論家たちは、アリストテレスの「旋律の音色が文章と一緒に働くことで、自然界を模倣する」という理論を支持していました。このような理論は詩の世界でも支持されており、「この世にある自然な感情」が作品の中で再現されることで、人は心地よさを感じるという考え方でした。


18世紀になると、このような考えは主流となっていき、「画家が自然の色合いや形を模倣するように、音楽家は音色、アクセント、吐息といった声の変化を模倣する。実際に、これらのサウンドは情緒や激情を発散する」と考える思想家もいたとのこと。

18世紀、理論家たちの多くは音楽の持つ「美の力」にますます興味を注いでいき、「音楽の形は感情の形を模倣しているのではないか?」「情熱を捉えることができる音色の変化があるのではないか?」という疑問が持たれるようになりました。外交官であり音楽理論家のヨハン・マッテゾンもその1人で「喜びは私たちの生命力から生まれるものなのだから、喜びを表現する音楽は開放的な旋律の跳躍を使うべきだ」と考えたとのこと。「絶望は下がり気味のメロディーラインで」「早いテンポは欲望」「ゆっくりしたテンポは悲嘆」といったことも、マッテゾンは提唱していきました。「音楽の特徴と人間の感情を関係させていく」というマッテゾンの考えは、現代でもみられ、「運動をするときはアップテンポの曲」「泣きたい時はしっとりした曲」といった選択が行われることも少なくありません。

by Alice Moore

しかし、18世紀の思想家にとって音楽表現の性質や真意を正確に突き止めることは簡単ではありませんでした。この難しさについて哲学者のドゥニ・ディドロは「絵画は対象物そのものを示してみせ、詩は対象物について説明します。しかし、音楽は対象物についての考えをかき立てるだけです。自然界を模倣する3つの芸術のうち、音楽は最も恣意的で、厳密さが欠けた力強い語りを魂に行います。対象物についてあまり示さず、イマジネーションだけを置いていくのです」と記しています。特に、テキストの含まれない音楽において、この特徴は顕著になるとのこと。

このように考えたのはディドロだけではありませんでした。18世紀終わりになると「詩と音楽が合わさることで自然界を模倣する」というアリストテレスの思想とは異なる考えが現れるようになります。学者のトーマス・トワイニングも同様に「音楽は正確性を欠いているからこそ喜びを生み出す」という考えの持ち主でした。これらの思想家たちは音楽の持つ「移ろいやすさ」「解釈に基づく演出」を強調したとのこと。音楽は人それぞれが自由に演奏でき、聞き手はその演奏を通して思いを巡らせ、新しい性質を発見し、意味を見いだし、喜びを感じるわけです。

by Jan Střecha

18世紀に活躍した音楽家の1人にヨハン・ゼバスティアン・バッハが存在しますが、バッハの複雑な音楽は、1つ1つの要素を聞いて解釈するのが難しいものでした。このため、思想家の中には「バッハの音楽を楽しむのは難しい」と考えたり、「聞き手が感情を抱くことができないのでは」と懸念する人もいました。弁護士・作曲家・音楽コメンテーターであったクリスチャン・ゴットフリード・クラウス氏はこの種の音楽を作り出す作曲家について「愛情を全て忘れてしまったのではないか」と記すほどでした。

しかし、別の文章でクラウスはバッハのような複雑な音楽について「全ての声がうまく働いた時、作曲かが言うような『壮大さ』『称賛』『熱意』『喜び』が表現されていることに気づいた。そして心は昇華されたより強い感情で満たされた」とも記しています。クラウスは最終的に、この種の複雑な音楽に「無限の体験」の可能性を見いだしました。

クラウスのような考えが広まる中で、19世紀に活躍した音楽評論家のエドゥアルト・ハンスリックは、マッテゾンが提唱した「音楽の特徴と人間の感情のつながり」という理論を批判するように。マッテゾンの音楽のとらえ方は、聞き手が1つの音楽を同じように聞くことを推奨する、というのがハンスリックの見方です。ハンスリックは、「音楽の喜びとは、作曲家が作品をどのようにデザインしたのかを理解しようとする試みによって得られる知的な満足である」と考えました。ハンスリックの考えは「音楽は喜びを与える」というこれまでの思想の真逆に位置するもの。ハンスリックにとって「ある種の複雑な音楽」は称賛に値するものでした。

by Radek Grzybowski

20世紀、ハンスリックの考えに否定的な理論家もいました。哲学者のスザンヌ・ランガーはアートの解釈における「象徴性」を説いた人物。それまでの思想家と同じく、ランガーは音楽の「欠如」という部分に意味を見いだしました。ランガーにとって音楽は、ハンスリックが考えたような「決まった意味がある」ものではなく、「未完成の象徴を暗示的に示している」ものでした。象徴としての音楽を聴くことによって、人は自分自身にとっての感情的な物語を作ることができます。自分自身の感情に照らし合わせて意味を決定していく作業は知的なものであるとランガーは考えました。

2007年に亡くなった作曲家のレナード・B・メイヤーも全体論や構造を重視するゲシュタルト心理学の観点からランガーと同じ立場に立つ人物です。メイヤーは、音楽は抽象的で非指示的な要素から成り立ち、音楽を聴いた人は自分の「予想」から逸脱した部分に喜びを感じると考えました。

ランガーやメイヤーの思想は現代にも引き継がれています。特に現代の音楽教育でこのような理論が用いられることが多く、特定の聴き方が重視され、「音楽の喜びは、音楽を作り出した社会的現実性から何かを見つけ出すことにある」と考えられがちです。しかし、このような思想では、音楽を作った「個人」は軽視されるリスクもあります。

by Xektop10

しかし、そもそも「音楽」において「何が喜びを生み出すか」という点ばかりが重視されているのではないか、という指摘もあります。音楽と喜びはいずれも主観的な認識に基づきます。両者とも具体的で明確な現象ですが、その性質上、詳しく説明することが難しいもの。長い歴史の中で音楽と喜びの関係について議論されてきた理由がこの性質にあるとするならば、両者の関係について決着を付けるのは非常に難しいことだといえそうです。

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in アート, Posted by darkhorse_log

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