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吸血鬼「ドラキュラ」はどのようにして「古い言い伝え」から世界的に有名な「古典作品」になったのか?


吸血鬼の代名詞である「ドラキュラ」は1897年に発表された小説の中のキャラクターです。しかし、ドラキュラが発表されるはるか以前から「血を吸うモンスター」の伝承は存在し、しかも小説「ドラキュラ」が発表された時も、すぐに作品が有名になったわけではありませんでした。ドラキュラの歴史はどこから始まり、なぜ「古典作品」と呼ばれるまでの地位を確立することができたのか?ということが、ムービーでわかりやすくまとめられています。

How did Dracula become the world's most famous vampire? - Stanley Stepanic - YouTube


「ドラキュラ」が作品として初めて現れたのは1897年。ブラム・ストーカーという作家によって「Dracula(ドラキュラ)」というタイトルの本が出版されました。


しかし、「血を吸うモンスター」の伝承は、紀元後800年ごろから存在しました。スラブ圏では「ヴァンパイア」、あるいは古いロシア語で「UPIR」というモンスターが伝承されています。


これらの言葉が初めて文書に記されたのは11世紀ごろ。ヴァンパイアの伝承はキリスト教が地域に入って来る前に広まりました。


そして、キリスト教が異教の信仰を排除しようとしたにも関わらず、根強く残ったとのこと。


そもそも、ヴァンパイアは狂犬病やペラグラといった病気や、人体の腐敗現象が誤解されたもの。


人の死後、人体はガスで膨れ、口からは血液が流れ出ます。


その様子が、死体がよみがえって何かを食べてきたように見えたわけです。


ドラキュラは大きな牙や爪と共に描かれることが多かったため……


死者がよみがえらないよう、多くの儀式が行われるようになりました。ひつぎにニンニクを入れたり、ポピーの種を振りかけたり。


串刺しにしたり……


火あぶりや体の切断なども行われました。


18世紀ごろまで、ヴァンパイアはセルビアの地方の伝承でした。しかし、18世紀になりセルビアがハプスブルク家や……


オスマン帝国に侵攻されることによって状況が変化します。


オーストリアの兵士たちや政府が地元の奇妙な風習を見て、文書に残すようになったのです。


これによってヴァンパイアについて書かれた記事が多く出版されるようになり、1755年には収拾がつかないほどの「ヴァンパイア・ヒステリー」が起こります。


事態を重く見たオーストリアの皇后は医師を現地に派遣し、うわさが本当なのか調査を行わせました。


そして、うわさに対する科学的な反論が発表され……


パニックは収まったのですが、「ヴァンパイア」という発想は西欧の人々のイマジネーションを刺激することになります。


1819年にジョン・ウィリアム・ポリドリの「The Vampyre」が発表され……


1872年には女吸血鬼・カーミラが登場する怪奇小説「Carmilla」が出版されました。


これらの小説は、アイルランド人の舞台批評家であるブラム・ストーカーに大きな影響を与えます。


ストーカーはアイルランドの首都・ダブリンの生まれ。病のため、7歳までベッドで寝たきりの生活を送っていました。


母親は寝たきりの息子に民話やコレラの流行など、自分が見聞きしたことを語ってあげていたそうです。


この時、母親は病に冒された人が生きたまま巨大な墓の中に埋められたことも語ったそうです。


その影響もあってか、のちに小説家として恋愛物や冒険の物語を書くようになったストーカーは、1897年に「ドラキュラ」を発表します。


ドラキュラという名前は、「ドラキュラ公」と呼ばれるワラキア公ヴラド3世に由来しています。ただし、人格上の共通点はほぼなく、二者の共通点はほぼ名前のみ。


その他のキャラクターの要素は直接的・間接的といった違いはあるものの、ヴィクトリア時代の作品にインスピレーションを得ていたそうです。


小説が出版された当時は、それなりに売れたものの、社会現象にまでは至らず、ストーカーの死亡記事の中でも軽く触れられただけでした。


しかし、その後、ドラキュラを巡った著作権争いが勃発したことで、ドラキュラの運命が変わります。


1922年、ドイツの映画スタジオがサイレント映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」を制作しました。


この映画は小説「ドラキュラ」をもとにして作られていましたが、使用許諾を得られなかったため、キャラクターの名前や細かな部分を変更した上で、使用料を支払わずに使用しました。


映画スタジオは訴えられ、最終的には破産しましたが、この一件を受けて未亡人であるストーカーの妻は再び同じようなことにならないよう、友人であり脚本家・監督であるハミルトン・ディーンに正式に作品使用を許諾して舞台用「ドラキュラ」を作ってもらいました。


そして、ディーンが脚色した舞台「ドラキュラ」がブロードウェイで上映され……


俳優のベラ・ルゴシの名演技もあって、舞台は大成功。


その後、舞台は映画化され、この中でもルゴシはドラキュラを演じ、圧倒的な演技力によって怪奇スターとして知られることになります。そして、映画が大成功することによって「ドラキュラ」が多くの人の知るところになり、それ以後の多くの作品に影響を与える「古典」となったわけです。

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