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ポールとジョンがビートルズ楽曲の版権を失うことになった知られざる経緯とは

By Ian Burt

1962年にデビューし、一気に世界で最も有名なバンドとしての地位を獲得したザ・ビートルズは、2000年代に入ってもその影響力を保っています。アーティストには著作権に基づくさまざまな収入があるため、ビートルズの楽曲を残したジョン・レノンとポール・マッカートニーのコンビ「レノン・マッカートニー」にはさぞかし多くの収入があるんだろうな……と思う人も多いはずですが、実はビートルズ楽曲のほとんどは彼らの手には入らなかったことは、ビートルズファンの間でもあまり知られていません。

How Paul McCartney and John Lennon Lost Ownership Of The Beatles Catalogue | Celebrity Net Worth
http://www.celebritynetworth.com/articles/entertainment-articles/how-michael-jackson-bought-the-beatles-catalogue-then-turned-it-into-a-billion-music-empire/

◆若くして結んでしまった「最悪の契約」
1963年2月、ちょうどビートルズがアメリカのテレビ番組「エド・サリバンショー」に出演する1年前、当時バンドのマネージャーをつとめていたブライアン・エプスタインは、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの両者に対して版権を管理する会社を立ち上げることを提案しました。これは、当時はまだ現在ほど知名度のなかったビートルズの楽曲をイギリスのラジオで流してもらうためには、大手の出版社と手を組んでラジオ局のマネージャーに売り込むことが不可欠だと判断したエプスタインの提案でした。

やがて、エプスタインとジョン、ポールは1963年1月に発表されたシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」を、元ミュージシャンで音楽出版社「Dick James Music(DJM)」を運営するベテランパブリッシャーのディック・ジェイムスのもとに持ち込み、楽曲を登録。ラジオ局とのパイプを築いたことで「プリーズ・プリーズ・ミー」は全英で2位という成功を収めます。

By drinks machine

同年2月、ジェイムスはエプスタインを含む3人に対し、版権管理会社「ノーザン・ソングス」を設立することを進言。このときジョンは23歳、ポールはまだ21歳という若者で、まだまだミュージックビジネスについては知識も経験もない段階だったわけですが、ここで彼らは後に大きなミスといえる契約を結んでしまうこととなります。

設立された「ノーザン・ソングス」の株式のうち、なんと50%はジェイムスと彼のパートナーであるチャールズ・シルバーによって押さえられており、残りの50%をエプスタインが10%、ジョンとポールがそれぞれ20%で保有する形で契約が行われ、このパワーバランスが長年にわたってジョンとポールに重くのしかかることとなるのです。後にポールはこの契約について、若くて無垢だったためにとんでもない契約を結んでしまった、と回顧しています。事実、ジョンとポールは契約書の内容に目すら通しておらず、どちらもジェイムスのパートナーであるシルバーに会ったことすらないと明かしています。

こうしてノーザン・ソングスと契約を結んだ「レノン・マッカートニー」のコンビは、同社に対して1973年まで年間6曲の楽曲を作曲する義務を負うこととなります。また、同社はすでに作曲されたビートルズの楽曲53曲を保有することになりました。矢継ぎ早に事は進み、同年3月にはビートルズのファーストアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」がイギリスでリリースされます。その2か月後、同アルバムはUKチャートでナンバー1を獲得し、その後30週にわたってトップを独占することとなりました。なお、同アルバムを蹴落としてチャートナンバー1を獲得したのは、ビートルズ2枚目のアルバムである「ウィズ・ザ・ビートルズ」でした。ビートルズの人気は世界を席巻し、大成功を収める時代が到来します。ビートルズの4人には大金が転がり込むようになり、同じようにエプスタイン、さらにはディック・ジェイムスと彼のパートナーのもとにも巨額の大金が流れ込むようになるのでした。

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1965年、株式を公開することで税金を減額できることを知ったジェイムスとシルバーは、ノーザン・ソングスの株式500万株をロンドン証券取引所に公開。これにより、ジョンとポールの持ち株比率は15%(32万ドル相当、現在の価値で230万ドル・約2億7500万円)へと低下。ジェイムスらの比率も37.5%(80万ドル相当、現在の価値で230万ドル・約7億1300万円)へと変化しています。

◆売却へ
1967年8月、ビートルズを献身的に支えたマネージャーのエプスタインが、アスピリンの過剰摂取によりこの世を去ります。ジョンとポールはエプスタインの死後、ジェイムスらから楽曲の管理権を獲得しようとしましたが、失敗に終わります。ジェイムスとシルバーは保有していたノーザン・ソングスの株式全てを250万ドル(現在の価値で1700万ドル・約20億円)で放送メディアのATV(Associated Television)に売却するという策に出ます。この売却についてジョンとポールには事前に知らされておらず、両名はそれぞれのハネムーン旅行の最中に、新聞のトップを飾った記事でその事実を知ったというエピソードが残っています。こうしてATVはビートルズの楽曲88曲の権利を保有することとなります。

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このとき、ジョンとポールにはATVが版権料として1ドルを得るたびに25セントが支払われるという、にわかには信じがたい状況となっていました。打開策として、ATVは二人が所有している残りの株式を1475万ドル(現在の価値で1億ドル・約120億円)で買い取るオファーを打診しますが、ビートルズ側はこれを拒否。その後もビートルズ側は対抗策を講じるも、いずれも失敗に終わります。こんな状況でも、契約の上ではビートルズはATVに対して年間6曲を提供する義務が存在します。業を煮やしたビートルズ側は1969年、ついに残されていた楽曲提供の義務条項は全て解消する条件をつけてATVに残りの株式を売却。このときの額はATVがジェイムスらに支払った2倍の金額となる573万8000ドル(現在の価値で3600万ドル・約43億円)で決着をつけましたが、これでビートルズの楽曲の版権(正確には「版権を管理するノーザン・ソングス」)は、完全にビートルズのもとを離れることとなりました。

◆買い戻しのチャンス、そしてマイケル・ジャクソンの存在
その後、1981年まで版権をめぐる状況に大きな変化は生じませんでした。状況が変わったのはジョン・レノンが凶弾に倒れた1年後の1981年、ATVがオーストラリアの大富豪、ロバート・ホームズ・ア・コート氏に買収された時で、その際にポールのもとにはATVが管理していたビートルズの版権を4000万ドル(当時のレートで約88億円)で買い戻すというチャンスが到来します。ポールはジョン亡き後のオノ・ヨーコに接触し、費用の折半を提案しますが、ヨーコは買い戻し額は全部で2000万ドルが相当であると主張したことから、話し合いは不調に終わります。ポールによると、全ての資金を一人で負担することは可能でしたが、仮にジョン亡き後に単独で版権を買い戻すことで生じる「強欲」や「ジョンへの敬意が感じられない」という悪評を懸念したことから、このときは版権の買い戻しを断念したとのこと。

手元にATVが持っているビートルズの版権が残ったホームズ氏でしたが、そもそもミュージックビジネスに関わることに関心はなかったとみられ、ATVの従業員をほぼ全員解雇し、1984年には同社のミュージック部門そのものを売りに出しました。この際にもポールのもとに話しは舞い込んだわけですが、「高すぎる」ことを理由にこれを拒否。ここで名乗りを上げたのが、当時は版権ビジネスを手広く行っていたマイケル・ジャクソンその人でした。マイケルのマネージャーを長年にわたって務めていたジョン・ブランカ氏のもとにATV売却の話しが舞い込んだ時、マイケルはブランカ氏に「いくらかかってもいいからビートルズの版権を手に入れること」と指示。こうしてビートルズの版権はマイケルのもとに移ることとなりました。

By ROBERT HUFFSTUTTER

なお、この話の背景には皮肉なエピソードが隠されています。ポールとマイケルはそれまでに「ガール・イズ・マイン」と「セイ・セイ・セイ」という2曲をデュエットで発表していたこともあり、良好な関係を築いていました。1982年のある日、ロンドン郊外にあるポールの自宅を訪れ、ポールの妻リンダ(故人)とディナーを共にしていたマイケルは、ポールから「大金を手にできるのは版権を所有することだけだ」という手ほどきを受けたと言います。巡り巡ってその2年後、そのマイケルがビートルズの版権を所有することになるとは、当の本人すら予想できなかったことなのかもしれません。この一件をきっかけに、ポールとマイケルの関係は険悪なものになったといわれています。

その後、マイケルは2009年にこの世を去り、さまざまな権利関係の動きや、「1978年以前に製作されたコンテンツの著作権は56年後に作曲家の元に戻る」というアメリカの著作権法の定めにしたがい、ポールはビートルズの楽曲の版権を取り戻している段階にあるとのこと。このまま順調に事が進めば、2026年には全てのレノン・マッカートニー楽曲の権利は再びポールの手に戻ることになると見られています。

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in メモ, Posted by darkhorse_log

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