メモ

クレオパトラの自殺方法はヘビではなく服毒自殺だった


絶世の美女として知られるクレオパトラ7世アクティウムの海戦アントニウス(アントニー)派およびプトレマイオス朝の連合軍がオクタウィアヌス(アウグストゥス)率いるローマ軍に敗れた後、クレオパトラ死去の誤報を聞いたアントニウスが自殺を図り、死にかけたところで誤報だったと知るがクレオパトラの目の前で息を引き取り、クレオパトラ自身もオクタウィアヌスに屈することを拒み自殺したという、「ロミオとジュリエット」並にこじれた死の状況も有名です。

シェイクスピアの戯曲「アントニーとクレオパトラ」では、アントニーの自殺の原因となる「クレオパトラが自殺した」という誤報はクレオパトラ自身が流したという、さらにややこしく皮肉な状況になっているのですが、最終的にクレオパトラが自殺した際のその手段は、「アントニーとクレオパトラ」を含め多くのフィクションや歴史書でもそろって「毒蛇に身をかませた」とされています。その通説が覆されることになるかもしれません。


詳細は以下から。Cleopatra died of drug cocktail not snake bite - Telegraph

アントニウスの後を追うようにクレオパトラが自殺したのは紀元前30年8月12日のこと(享年39歳)。アスプコブラに腕または胸をかませて自殺したというのが古来からの通説です。

トリーア大学の歴史学者Christoph Schaefer教授らは、アレクサンドリアで古代の医学に関する文献にあたり、ヘビ専門家の協力も得て、クレオパトラはヘビにかまれたのではなく毒をあおって自殺したと考えるに足る証拠を得たそうです。

「美ぼうで知られていたクレオパトラが、時間がかかり外見を損なう死に方を選ぶとは考えにくいです。彼女は美しいまま亡くなって、死後も伝説的美人としての評判を保ちたいと考えたでしょう」とSchaefer教授はドイツのテレビ局ZDFの番組で語っています。

「おそらくクレオパトラはアヘンドクニンジントリカブトの混合薬を飲んだと思われます。これは当時、わずか数時間で痛みもなく死ぬことができる調合として知られていました。ヘビにかませたのでは、死ぬまでに数日間に渡って苦しむことになります」

たしかに服毒自殺の方が現実的な気がしますが、芸術作品の題材としては劇的なヘビによる自殺の方が魅力的かもしれません。こちらはReginald Arthurによる「The Death of Cleopatra」(1892)。


紀元前51年から紀元前30年までエジプトを治めたクレオパトラ7世はエジプト最後のファラオで、その死後エジプトはアウグストゥス帝のもとローマ帝国の州となりました。クレオパトラにはカエサルとの間に1人(カエサリオン)、アントニウスとの間に3人(クレオパトラ・セレネ、アレクサンドロス・ヘリオス、プトレマイオス・フィラデルフォス)の子どもが居たとされているのですが、クレオパトラが自殺した時に17歳だったカエサリオンはアウグストゥスにより処刑されたのに対し、当時9歳だった双子の兄妹クレオパトラ・セレネとアレクサンドロス・ヘリオスおよび当時2歳だったプトレマイオス・フィラデルフォスはアウグストゥスの姉でありアントニウスの前妻である小オクタウィアに育てられ、皇帝の親せきとしてローマで厚遇されたそうです。

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in メモ, Posted by darkhorse_log

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