ローマ時代のブリタニアに暮らした黒人女性「象牙の腕輪の貴婦人」

ローマ帝国といえば古代ローマ文明を築いたラテン人やカエサルのガリア戦記に記録が残るガリア人・ゲルマン人など、白人を中心とした社会というイメージを抱きがちですが、地中海沿岸全域を版図とした広大な帝国は、アエギュプトゥス（現在のエジプト）からマウレタニア（現在のモロッコ）までアフリカ北岸地域も含み、当然アフリカ系の人口も多く、アフリカを離れ現在のヨーロッパ・中東へと帝国内で移住する人々も多数いたようです。

現在のイギリス南部にあたるブリタニアはローマ帝国の北端、辺境とも言える場所ですが、属州化以降は多民族・多人種・多文化が共存するローマ化された社会となった時代がありました。

ヨークにあるローマ時代の遺跡で発掘された、通称「Ivory Bangle Lady（象牙の腕輪の貴婦人）」と呼ばれる女性の存在により、当時ブリテン島にアフリカ系の人々が住んでいて、その中には非常に裕福で社会的地位が高い人々もいたということが証明されたそうです。

詳細は以下から。Analysis of Roman grave reveals that York was a multicultural society - Times Online

「象牙の腕輪の貴婦人」の石棺はもともとはヨーク市中心部のBootham地区で1901年に発掘されたのですが、最新の科学的検査によりこの女性は4世紀にヨークの上流社会に属していた若い黒人女性であることが特定されました。

ヨークは当時はEboracumと呼ばれ、紀元後71年にローマ人が設立した要塞都市でした。棺が石製であるということ自体もローマ時代のブリタニアにおいては富の象徴なのですが、副葬品も象牙の腕輪を始めとし香水瓶や鏡、宝石など、女性が間違いなく裕福で、当時の上流階級に属していたことを示すとのことです。

「象牙の腕輪の貴婦人」の頭がい骨。歯に含まれる同位体の分析により、女性が子ども時代に飲んだ水に北アフリカでよく見られるミネラルが含まれることが明らかになったほか、頭がい骨の形状の測定からは女性が黒人または黒人と他人種の混血であったことがわかっています。

女性は身長150cm、死亡時の年齢は18～23歳で、事故死や暴力的な死であったという痕跡はないとのことです。また、筋肉の跡からは肉体労働などで体を動かす生活は送っておらず、裕福だったことが示唆されています。

発掘された骨格をもとにコンピュータで復元された女性の肖像。なかなか気の強そうな顔です。

副葬品の中には「Sor ave vivas in Deo（姉妹よ、神とともにあれ）」と刻まれた骨も含まれていて、女性がキリスト教であった可能性も高いようです。

ジェット（黒玉）の腕輪はおそらくノース・ヨークシャー・Whitby産のもので、女性が地元の通商にもコネクションを持っていたことを示しています。象牙の腕輪はローマ時代のブリタニアではほとんど見られない珍しいものなので、故郷アフリカを思い出す品として持ってきたのかもしれません。

調査を率いたUniversity of Readingの考古学者Hella Eckardt博士は、「多文化主義のイギリスは、今に始まったことではないのです。『象牙の腕輪の貴婦人』や彼女に似た人々の存在は、ローマ時代のブリテン島の人口構成についての仮説や、アフリカからの移民は身分が低い男性ばかりで奴隷が多かったという思い込みを覆します」と語っています。「アフリカ人と奴隷制度の結びつきは、近代に生まれたものです。ローマ時代の奴隷はあらゆる民族・人種がいました」

ローマ時代の碑文などにより、当時のアフリカ人の多くはローマ帝国軍の兵士だったことがわかっています。しかし最近行われた複数の骨格の調査により、多くのアフリカ人男性がローマ軍とともにブリタニアに移住し、妻や子どもも連れてきたということが明らかになっています。

Eckardt博士は「当時の人口構成は、これまで考えられてきたよりはるかに現代のイギリスに近いものだったのです。ヨークに限って言えば、ローマ時代の人口のほうが現在より多様性があったかもしれません」と語っています。