女性科学者ロザリンド・フランクリンはDNA二重らせん構造解明の栄誉を奪われた被害者ではないという指摘
1962年、ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所のジェームズ・ワトソンとフランシス・クリック、そしてキングス・カレッジ・ロンドンのモーリス・ウィルキンスがノーベル生理学・医学賞を受賞しました。受賞は「核酸の分子構造と生体内の情報伝達におけるその重要性に関する発見」が評価されたもので、そのきっかけになったX線回折写真「photo51」はロザリンド・フランクリンが撮影しました。フランクリンに関しては、栄誉をワトソンらに奪われたという主張も見られますが、実際にはそういうわけではなかったらしいことが明らかになっています。
Unravelling DNA's structure: a landmark achievement whose authors were not fairly credited
https://theconversation.com/unravelling-dnas-structure-a-landmark-achievement-whose-authors-were-not-fairly-credited-200404
What Rosalind Franklin truly contributed to the discovery of DNA’s structure
https://doi.org/10.1038/d41586-023-01313-5
ロザリンド・フランクリンは幼いころから高水準の教育を受け、女性の入学が認められて日が浅かったケンブリッジ大学で研究に没頭し、1945年に物理化学の博士号を取得しました。1950年からはキングス・カレッジ・ロンドンでX線結晶学に取り組み、1953年、のちにDNAの二重らせん構造の解明につながるX線回折写真「photo51」を撮影しました。
フランクリンとともにDNAの構造研究を行っていたモーリス・ウィルキンスが、ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所に所属するジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックにこの写真を見せたことで、DNA二重らせん構造の解明は進展することになります。
ワトソン、クリック、ウィルキンスが1962年にノーベル賞を受賞する一方、フランクリンは1958年に卵巣がん・巣状肺炎のため37歳で亡くました。フランクリンが存命であれば、ノーベル賞を受賞していたかもしれません。
The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1962 - NobelPrize.org
https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/1962/summary/
この件について、ワトソンとクリックがフランクリンから栄誉を奪い取ったと主張するのが、フランクリンの友人で作家のアン・セイヤーです。セイヤーは1975年に、「ノーベル賞はフランクリンがもらうはずだった」「ワトソンとクリックが奪った」と主張するフランクリンの伝記本を出版しました。
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