サイエンス

肉眼で画像の再利用・加工を行う不正な論文を見抜くスペシャリストとは?


科学出版はもはや数十億ドル(数千億円)規模の業界ですが、近年では論文のデータを偽造するなどの研究不正が問題視されており、科学の正当性を担保する上での課題となっています。そんな中、アメリカの微生物学者であるエリザベス・ビク氏は持ち前の鋭い観察眼を駆使し、「画像の再利用や加工を行う不正な論文」を見つけ出すスペシャリストとして注目を集めています。

How a Sharp-Eyed Scientist Became Biology’s Image Detective | The New Yorker
https://www.newyorker.com/science/elements/how-a-sharp-eyed-scientist-became-biologys-image-detective


2013年6月、当時スタンフォード大学の研究者だったビク氏は、科学論文の不正に関する記事を読んで「自分の論文も誰かに盗用されているのではないか」と考えました。そこで自分の科学論文から文章をコピーしてGoogle Scholarで検索したところ、いくつかの文章が自分の許可なしで複数のオンライン書籍に盗用されていることを発見したとのこと。そして、今度は自分の論文を盗用した本の中から文章を抜き出してGoogle Scholarで検索してみると、盗用元と思われる複数の論文がヒットしたそうです。

この件をきっかけに、オフの時間にGoogle Scholarで論文の盗用を探すことがビク氏の趣味となり、すぐに30もの不正な生物医学論文を発見しました。その中には評判の高い学術誌に掲載された論文もあったそうで、ビク氏が出版社の編集者に電子メールを送信したところ、数カ月以内にいくつかの論文が撤回されたとのこと。


そして2014年1月、ある論文で抗体を用いてタンパク質を検出するウエスタンブロットという手法の画像を目にしたビク氏は、その画像を反転させた画像が「別の実験の結果」として論文内で再利用されていることを発見しました。必ずしも画像の欠陥が研究結果全体を無効にするわけではないものの、科学論文における画像は著者の発見を裏付ける証拠であり、画像の複製や加工は大きな問題です。

そこでビク氏は、オープンアクセスの査読付き学術誌であるPLOS ONEで公開された新たな研究について、「テキストを読まずに使われている画像に注目する」という手法で調査を行いました。数時間で100もの研究を調査したビク氏は、いくつかの画像が重複して使われていることを発見したとのことで、その後も論文の不正な画像使用を探すことが日課となったそうです。

ビク氏がPLOS ONEで発見した論文の中には、パターンの重複や細胞・組織の画像をコピーしたものなどが存在しており、いずれも査読を通過していました。その中には、単に膨大な画像が保存されているファイルから貼り付ける画像を誤ったものもあったと思われますが、中には画像を拡大・回転・反転するなど、明らかに偽造目的で加工したものもあったとのこと。

当初、ビク氏は他の科学者を不正で糾弾したいとは思っておらず、個別の学術誌に電子メールを送って問題点を指摘していました。ところが、調査を約束すると返答してから音沙汰がない学術誌もあったため、研究者同士が論文について質疑応答するウェブサイト・PubPeerで懸念を表明することにしたとのこと。ビク氏は問題がある画像のスクリーンショットをアップロードし、重要な領域を青色または赤色のボックスで示し、誰もが画像の類似点を検証できるようにして投稿しました。


ビク氏はコンサルティングや講演、クラウドファンディングによって収入を得ながら、過去数年間で大量の論文不正を発見してきました。2016年には同じく論文不正について研究していたFerric Fang氏とArturo Casadevall氏と共同で、不適切な画像の使用に関する研究結果を公開したほか、2019年にはスタンフォード大学を退職して「Science Integrity Digest」というウェブサイトを立ちあげています。

論文に使われる画像の問題を発見する際、一般的な研究者は画像を拡大・反転・オーバーレイできるPhotoshopに頼っていますが、ビク氏は「自分の目と記憶」だけで同様の作業が可能だとのこと。ビク氏は1つの論文に含まれる画像を調査するのに数分しかかからないそうで、2016年の研究では2万621件の論文をスクリーニングして、782件の論文で「不適切な画像の重複」を指摘しました。782件のうち3分の1は単なる画像の貼り間違えの可能性があるものの、半分は明らかに加工が施されたものだったとのこと。Fang氏は「脳がこの作業を行えることは、魔法のように見えることもあります」と、ビク氏の能力について語りました。

なお、研究チームは問題があった782件の論文について学術誌の編集者に報告したそうですが、2021年6月時点で修正されたのは225件、「懸念の表明」タグが付けられたものが12件、撤回されたのは89件だったそうで、半分以上は依然として公開され続けているとのこと。また、この研究とは別にビク氏がこれまでに報告してきた4132件の論文についても、記事作成時点で対処されたのは15%に過ぎないそうです。一方、著者が「ビク氏の指摘は誤りである」という証拠を示してきたのは、わずか10件に満たないとビク氏は述べています。

PLOS ONEでは出版倫理の問題を扱う編集者3人からなるチームを組織しており、ビク氏などから寄せられた問題に対応しています。チームの一員であるRenee Hoch氏によると、論文に疑念が呈された著者に画像の生データを要求し、場合によっては外部の査読者に意見を求めるプロセスは、1件当たり4~6カ月ほどかかるとのこと。なお、ビク氏が画像の重複を指摘した論文のうちチームが解決したものは190件ほどであり、その46%が修正を行い、43%が撤回され、9%が「懸念の表明」タグを付けられたそうです。ビク氏の指摘が誤りだったものはわずか2件だったそうで、「ビク氏が問題を提起して私たちが調査する時、ほとんどの場合は私たちも彼女に同意します」と、Hoch氏は述べています。

論文の問題を指摘してから対処されるまでの時間が長すぎることに不満を持っているビク氏は、PubPeerや自身のTwitterアカウントで問題を共有することもあります。なお、Twitterでは論文で使われた複数の画像を表示し、重複する画像はどれかを当てるクイズも頻繁に出題しています。


また、ビク氏は2020年に医療情報分析会社であるSurgisphereが発表した論文の問題を指摘しました。その結果、Surgisphereのデータを用いた新型コロナウイルス感染症(COVID-19)患者に対するクロロキンやヒドロキシクロロキン投与に関する論文が撤回されています。

科学界におけるビク氏の影響力が大きくなると同時に、ソーシャルメディアでビク氏を攻撃したり、Wikipediaで編集合戦が発生したりすることも増えたとのこと。2021年5月には、フランスの感染症学者であるディディエ・ラウール氏がマルセイユの裁判所に訴状を提出し、ハラスメントや恐喝未遂でビク氏を訴えました。これに対し、科学者や市民からなる非営利団体・Citizen4Scienceなどがビク氏を擁護し、ビク氏を支持する数千件もの署名が集まったほか、フランス国立科学研究センターもビク氏を擁護する声明を発表しました。

また、近年では一部のコンピューター科学者が人工知能の画像認識能力を使い、論文から抽出した画像を大規模なデータベースと照合し、問題がないかどうかをチェックするソフトウェアの開発を行っています。ビク氏はコンピュータープログラムが、人力よりも多くの論文をチェックできるだろうとの考えから、効率的な画像スキャンプログラムの登場を歓迎しています。

なお、ビク氏は子どもの頃に鳥類学者を志し、双眼鏡で何時間も鳥を観察しては鳥の種類を記録していたとのことですが、人の顔を覚えることは苦手だと述べています。ウェルズリー大学の心理学者であるジェレミー・ウィルマー氏がオンラインでビク氏の能力をテストしたところ、「顔認識」の能力は確かに平均を下回っていた一方、抽象的な画像を記憶して照合する能力は非常に優れていたそうで、これが画像の重複を発見する能力を生み出している可能性があるとのことです。

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in サイエンス, Posted by log1h_ik

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