初期の「対照実験」は死刑囚に毒を飲ませる人体実験だった
「対照実験」とは、結果を検証するための比較対象がある実験のことです。効果を確かめたい新薬と効果のない偽薬を用いた臨床実験など、医学や科学の発展には欠かせない対照実験ですが、初期に行われた対照実験は被験者が命を落とす残酷な内容だったと歴史学者が指摘しています。
The grisly trials that gave poison to prisoners
https://www.nature.com/articles/d41586-021-00077-0
アメリカ・タフツ大学の歴史学准教授であるアリーシャ・ランキン氏の著書「The Poison Trials」によると、16世紀のヨーロッパでは死刑囚を対象とした毒物実験が多数行われていたとのこと。
一連の毒物実験の発端となったのは、1524年にイタリアの医師Gregorio Caravitaが、ローマ教皇クレメンス7世に解毒剤として薬用のオイルを献上したことでした。当時の不安定なイタリア情勢から毒を恐れていたクレメンス7世は、さっそくオイルの効果を試す実験を行うようCaravitaに指示しました。
実験の対象者には、窃盗と殺人で有罪判決を受けたコルシカ人2人が選ばれました。Caravitaは、2人にトリカブトから得られた致死性の毒を混ぜたパンを食べさせ、2人が苦しみ始めると片方だけに自分のオイルを与えました。
その結果、オイルを与えられた死刑囚は生き延びて、実験に参加した報酬として死刑から「終身奴隷」へと減刑されたとのこと。一方、治療を受けなかった片方の囚人は4時間苦しみ抜いた末に命を落としたそうです。
この実験を受けて、ローマ教会お抱えの医師や薬剤師らは、解毒剤の効果を確かめるべくCaravitaのオイルを生卵・砂糖・ヒ素と混ぜて他の死刑囚に飲ませる追試を行いました。この実験の対象となった男性も、実験を生き延びて死刑を免れ、ガレー船をこぐ奴隷として余生を送ったとのことです。
一連の実験後、ローマ教会の医師らは「毒の効果」と「死刑囚が助かるよう祈った人々の信心深さ」を記した報告書を発表しています。また、この後にも少なくとも10件以上の人体実験が行われたことを示す文献が残っているほか、記録に残されていない人体実験も多数行われました。
16世紀のヨーロッパでこうした実験が繰り返されたのは、当時の人々にとって毒が非常にありふれた存在だったことが背景にあります。毒性のあるハーブやキノコを摂取したり、毒ヘビにかまれたりして死ぬことは珍しくなかったほか、致死性の毒は誰でも簡単に入手することが可能で、家庭でのネズミ駆除から政治的指導者の暗殺までありとあらゆる場所で毒が使われていました。
また、中世ヨーロッパで繰り返し猛威を振るったペストは、ある種の毒が人から人に感染するものだと考えられていました。そのため、解毒剤の発見はクレメンス7世にとって、「自分の身を守ること」と「疫病から人々を救う指導者として威厳を示すこと」という2つの重要な意味合いがあったと歴史学者は考えています。
人類が対照実験を行ったのは、これが最初のことではありません。古くは、2世紀ごろに活躍した古代ローマの医学者ガレノスが毒を与えた鶏を2つのグループに分けて、片方にのみ解毒剤を与える対照実験を行ったことが記録に残っています。しかし、ヨーロッパではいつしか科学的な手法を用いた医療が廃れてしまい、宗教色が強い医療行為やおまじないに近い民間医療に取って代わられるようになってしまいました。
こうした流れを変えて、統一された実験形式と堅実な検証が医療に持ち込まれるきっかけとなったのが、クレメンス7世の実験だったとランキン氏は指摘しています。当時の医師たちは、派手なうたい文句を掲げて偽の解毒薬を市場で売りさばくペテン師と自分たちを差別化させるため、説得力のある実験を行うことに情熱を傾けました。また実験の内容も、社会的な利益への言及や死刑囚から事前に同意を得るといった人道への配慮が盛り込まれたものに少しずつ変化していきました。
ランキン氏の著書「The Poison Trials」の書評を学術誌Natureに寄稿したアリソン・アボット氏は、「この本の魅力は、私たちが科学的だと評する現代医学が最初期に行ったことを暴露している点にあります。また同時に、そのような手法がいつ、どのようにして今日では医療倫理と呼ばれているものの原始的な試みに折り込まれていったかも明らかにしています」と述べました。
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