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「アラスカで最も人里離れた場所」といわれる島に残る人間の痕跡とは?


アフリカ大陸で誕生したといわれる人類は長い歴史の中でヨーロッパやアジアに進出し、さらに遠く離れたアメリカ大陸や海を越えたオーストラリア大陸にも生息域を広げました。ところが、中には環境が過酷なあまり人類が定住できなかった場所も存在するとのことで、「アラスカで最も人里離れた場所」ともいわれるセントマシュー島について、実際に島へ足を踏み入れたライターのサラ・ギルマン氏が体験談をまとめています。

The Island That Humans Can’t Conquer | Hakai Magazine
https://www.hakaimagazine.com/features/the-island-humans-cant-conquer/


◆セントマシュー島の歴史
アラスカ州に属するセントマシュー島は、ロシアとアメリカに挟まれたベーリング海に浮かぶ離島です。島の周囲にある最も近い有人島は264km離れたヌニバク島であり、最寄りの居住地から船で24時間かかるとのこと。定住者もおらず交通の便も非常に悪いことから、セントマシュー島は「アラスカで最も人里離れた場所」といわれているそうです。

セントマシュー島にはこれまで全く人の手が入らなかったわけではなく、過去には何度か人々が訪れています。セントマシュー島で最も古い人の痕跡は、島の北西端にあるおよそ400年前の竪穴式住居の跡です。考古学者のデニス・グリフィン氏によると、この住居はイヌイットの祖先であるトゥーレ人によって作られたそうですが、トゥーレ人はこの家に定住したのではなく1シーズン以上は使われなかったとのこと。

ベーリング海の先住民族であるアレウト族ユピク族の人々には、「船が風に流されて奇妙な島にたどり着き、そこで越冬して自分たちの島へ帰った」という昔話が伝わっているそうで、グリフィン氏はセントマシュー島の家を作った人々にも同様の事態が起きた可能性があると考えています。しかし、果たしてその人々が無事に帰ることができたのか、それとも島に住んでいたホッキョクグマに食べられてしまったのかは不明です。


その後も何度かセントマシュー島を訪れた人々がいたそうですが、誰も定住している人がいなかったため、島を訪れた人々は「自分がこの島を発見した」と考えるケースが多かったとのこと。たとえば1766年にセントマシュー島を訪れたロシア海軍のIvan Synd中尉は竪穴式住居に気づかず、自分がこの島を発見したと考えて「セントマシュー島」と名付けました。また、1778年にはイギリスの探検家であるジェームズ・クックはこの島を「ゴア」と名付け、さらに後にこの島を見つけた捕鯨者らは近くの島を合わせて「ベア諸島」と呼びました。

かつてセントマシュー島には夏になると数百頭のホッキョクグマが訪れていたそうですが、2020年時点ではセントマシュー島にホッキョクグマは生息していません。1809年~1810年にセントマシュー島を訪れたロシア人とアレウト族の一団が毛皮狙いでホッキョクグマを狩り、島のホッキョクグマを追いやってしまったとのこと。その後、壊血病やホッキョクグマの被害によって一団はほぼ壊滅したと伝えられています。


しかし、ホッキョクグマがいなくなった後もセントマシュー島は霧や悪天候、地理的な孤立といった問題から人間にとって厳しい環境でした。20世紀に入っても、しばらくは時折難破した船の乗員らが救助まで滞在するだけで、定住を進める動きもなかったそうですが、第二次世界大戦をきっかけにセントマシュー島にはアメリカの沿岸警備隊が入植を始めたそうです。

沿岸警備隊の目的は、太平洋を航行する艦隊を支援するlong-range navigation(LORAN)システムの基地局を建設・運用することでした。セントマシュー島の冬は厳しく、島の南西海岸に設けられたLORAN基地局には深さ8メートルの積雪があり、「ハリケーンほど強い吹雪」が10日続き、海氷は1年のうち7カ月間も島を取り囲みました。わずか数km離れた場所に航空機から投下された郵便物を回収するにも、3人のメンバーがサバイバル用品を持って回収に向かう必要があったそうです。冬が過ぎ去っても風雨が強い日が多く、5人の軍人が乗ったボートが転覆する事故も起きたとのこと。

1944年、補給が途絶えた時の食糧不足の懸念から、沿岸警備隊は29頭のトナカイを持ち込みました。戦争が終了すると沿岸警備隊は1940年代のうちに島を立ち去りましたが、天敵がいないトナカイは爆発的に数が増え、1963年までに6000頭に増えたそうです。しかし、1963年~1964年の冬が厳しかったことで食糧不足が発生してトナカイのは個体数は激減し、1980年代に最後の1頭が死亡しました。

by Paula Funnell

◆セントマシュー島の自然
ギルマン氏がセントマシュー島に上陸したのは2019年7月下旬のことであり、冬場ほど厳しい気候ではなかったそうです。ギルマン氏が島を訪れたのと同じタイミングで撮影されたセントマシュー島の様子は、以下のムービーを見ると確認できます。

First Visit to St. Matthew Island | Arctic | Lindblad Expeditions-National Geographic - YouTube


左手に見えるのがセントマシュー島。


霧に包まれた島はいかにも不気味に見えます。


夏場はツンドラの大地に草が生え……


花も咲きます。


また、セントマシュー島には多数の鳥や……


島固有のハタネズミの一種・Insular voleが生息しています。


Insular voleは「Singing vole(歌うハタネズミ)」と呼ばれる種類の仲間であり、キィキィという高い鳴き声を発します。夏場のセントマシュー島には、ほぼずっとInsular voleの鳴き声が響いているそうです。


島の岬から見えるのは一面のベーリング海。


島を歩いたギルマン氏はアカギツネの姿も見かけています。セントマシュー島に住むアカギツネには天敵がおらず、人間も数年に一度の頻度で研究者らが訪れるだけであるため、人間を恐れることがないそうです。実際にギルマン氏と出会ったアカギツネは、ギルマン氏から数メートルほど離れた場所で数分間ほど気ままに過ごしていたとのこと。


◆セントマシュー島に残る人の痕跡
セントマシュー島で最も目立つ人の痕跡は、第二次世界大戦中に建設されたLORAN基地局の跡です。ギルマン氏が跡地を訪れた際には1本のポールが断崖に金属ケーブルで固定されており、その周囲は大量のがれきに加えて朽ちたポールが数本倒れていたとのこと。一緒にLORAN基地局の跡地を見に行った生物学者のアーロン・クリスト氏は、「私たちは素晴らしい物を作るのが得意です……それを分解してきれいにするのはひどく苦手です」とのコメントを残しました。

これ以外にも、大恐慌以前のものと思われるキツネ猟師が建設したらしき小屋や、漂着した船員が救助される際に島へ残していった残骸、1950年代に島を訪れた科学者が浜辺に建てた小屋など、セントマシュー島にはさまざまな人の痕跡があります。しかし、ツンドラの大地は次第にこれらの遺構を飲み込んでおり、周囲にはトリカブトドワーフウィローが厚く生え、コケや地衣類ががれきを覆いつつあるとのこと。

また、鳥は古いバッテリー置き場に巣を作り、アカギツネはLORAN基地局の建設現場の下に巣穴を作っているそうです。ギルマン氏は「セントマシュー島の自然は必ず元どおりにならず、そのままの状態で確かに存在し続けるのです」と述べました。

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in メモ,   動画, Posted by log1h_ik

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