社会主義との戦いの中でインディ・ジョーンズなどのハリウッド映画を題材としたテキストアドベンチャーゲームが生まれた
旧ソ連の衛星国であった1980年代のチェコスロバキアでは、共産主義者と戦うために、民主主義者たちがインディ・ジョーンズを題材としたテキストベースのアドベンチャーゲーム「THE ADVENTURES OF INDIANA JONES IN WENCESLAS SQUARE(インディ・ジョーンズ/ヴァーツラフ広場)」を開発していました。このゲームはチェコの首都・プラハにあるヴァーツラフ広場を舞台に、考古学者のインディアナ・ジョーンズが共産主義者と戦いながら、チェコからの脱出を図るというものです。
How Indiana Jones, Rambo, and others ended up in 1980s Czechoslovak text-adventures | Ars Technica
https://arstechnica.com/gaming/2020/10/how-indiana-jones-fought-the-communists-and-led-an-era-of-activist-video-games/
1989年、当時のチェコスロバキアで活動していた反体制派は、共産主義に抗議するためにプラハの中心部に集結しましたが、機動隊により殴打され逮捕されることとなりました。この事件はチェコスロバキアで起きたビロード革命の発端となっています。この抗議活動に参加し逮捕された人々は、実生活の中で体制に抗議することができなくなってしまったため、コンピューターゲームを作成して抗議を続けています。その結果生み出されたのが、民主主義の象徴であるアメリカで作成された映画「インディ・ジョーンズ」を題材としたオリジナルのアドベンチャーゲーム「インディ・ジョーンズ/ヴァーツラフ広場」です。開発者などの情報はすべて伏せられたままリリースされ、オーディオカセットにコピーされたデータが、市民の間でコピーを繰り返しながら普及していったとのこと。
プラハ・カレル大学の助教授でありビデオゲームの歴史について学ぶJaroslav Švelch氏によると、「インディ・ジョーンズ/ヴァーツラフ広場」は1980年代後半に、当時のチェコスロバキアで生活していた若者たちによって開発されたものだそうです。Švelch氏はベテランプログラマーのマーティン・コウバ氏と協力して、「インディ・ジョーンズ/ヴァーツラフ広場」をウェブブラウザ向けのゲームとしてよみがえらせることに成功しています。そのブラウザ版「インディ・ジョーンズ/ヴァーツラフ広場」は以下からプレイすることができます。なお、元々の「インディ・ジョーンズ/ヴァーツラフ広場」はイラストがないテキストベースのアドベンチャーゲームであったため、Švelch氏は起動画面用にグラフィックを追加していますが、その他のパートはオリジナルのものを忠実に移植しているとのことです。
THE ADVENTURES OF INDIANA JONES IN WENCESLAS SQUARE IN PRAGUE ON JANUARY 16, 1989
なぜ1980年代のチェコスロバキアでインディ・ジョーンズのゲームが自作されたのかというと、当時のチェコスロバキアではインディ・ジョーンズが若者の間でカルト的な人気を誇っていたためです。チェコスロバキアの若者が最初にインディ・ジョーンズを知ったのは、1985年7月のことでした。1981年にアメリカで公開されたインディ・ジョーンズシリーズの第1作目である「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」が、チェコスロバキアで初めて上映されたのがこのタイミングだったわけです。
当時16歳の少年だったFrantisek Fukaさんは、ハリウッド映画が大好きだったそうですが、当時の社会主義国家ではソ連やチェコスロバキアで作成された映画以外は、年に数回程度しか上映されることはなかったそうです。上映当時、Fukaさんはインディ・ジョーンズについて何も知らなかったそうですが、ムチを持ったインディアナ・ジョーンズという考古学者の印象はFukaさんの心に強く残ったとのこと。Fukaさんは当時観たソ連の映画作品の中には、スティーブン・スピルバーグ作品のように心を揺さぶる作品はなかったと語っています。
Fukaさんは「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」を観た当時、すでに4年間のコーディング実績を持っていました。また、Fukaさんは陸軍協力連合(Svazarm)で友人と共にBASICを学んだそうです。Svazarmは軍隊での若者の役割を学習させるための準軍事組織でしたが、実際にはモータースポーツやアマチュア無線、電子機器、コンピューターに興味のある子どもたちを集めるボーイスカウトのような役割を担っていたとのこと。
インディ・ジョーンズ/レイダース 失われたアーク《聖櫃》 (吹替版) - YouTube
Svazarmでの活動を通して、Fukaさんはビデオゲームを作ることの楽しさを学んでいたため、「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」を観たあとに、すぐにナチスとインディアナ・ジョーンズの戦いを描くことを思いついたそうです。
Fukaさんはチェコスロバキアの多くの若者が「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」を観たと考え、当時チェコスロバキアでは上映されていなかったシリーズ2作目の「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」をゲームにすることを目指します。Fukaさんは映画を観ることができなかったため、雑誌などでその情報を追いながら、オリジナルのビデオゲームとして独自のインディ・ジョーンズ作品を作成しています。起動画面には「Indiana Jones」という文字と共に、蛇やクモのイラストと、「Fuxoft」(FukaとSoftを組み合わせた名前)のロゴが入っています。なお、このゲームは起動画面とロード画面以外はすべてテキストで構成されているとのこと。
Fukaさんはペンと紙を使ってキャラクターが通過するすべての場所の地図を描くところから、ゲームのデザインを始めたそうです。Fukaさんはイギリス製のコンピューターであるZX Spectrumを使ってBASICでのコーディングを行ったとのこと。Fukaさんは作成したゲームのデータをオーディオカセットに書き込んで友人と共有したそうです。なお、当時のチェコスロバキアでプレイできたゲームのほとんどが英語のものであったものの、英語の読み書きができる若者はほとんどいなかったため、現地の言語でプレイ可能なFukaさんのゲームは瞬く間にヒットしました。
その後、Fukaさん率いるFuxoftはチェコスロバキアの中で主要なゲーム開発者としての評判を確立します。Fukaさんはその後、インディ・ジョーンズをベースとしたテキストアドベンチャーを2つ、他にもいくつかのテキストアドベンチャーを開発したそうで、これらが当時のチェコスロバキアの若者たちに絶大な影響を与えることとなります。そのため、1980年代後半にチェコスロバキアでは多くのテキストアドベンチャーが誕生しており、インディ・ジョーンズを題材としたテキストアドベンチャーが7本も作成されたそうです。
そんな当時のチェコスロバキアで絶大な人気を誇ったFukaさんも、Švelch氏がブラウザ版として移植した「インディ・ジョーンズ/ヴァーツラフ広場」の開発者については手掛かりがないと語っています。
しかし、「インディ・ジョーンズ/ヴァーツラフ広場」などの登場により、「チェコスロバキアの若者たちはビデオゲームを通して政治的発言を行うことができることを世界で最初に理解しました」と、海外メディアのArs Technicaは記しています。当時のチェコスロバキアの若者にとって、コンピューターやソフトウェアを入手することは困難でしたが、彼らは抑圧的な政権から自分たちの未来を取り戻す必要性を感じたため、ゲーム開発を通して政治的発言を繰り返していったわけです。
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