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第一次世界大戦時に徴兵を拒否した「良心的兵役拒否者」はどのような体験をしたのか?


イギリスでは第一次世界対戦時に徴兵制が導入されましたが、全ての人々が兵役についたわけではなく、中には自身の信念に従って兵役を拒否する「良心的兵役拒否」を申請した人々もいました。結果として当局に逮捕されて刑務所に入れられる人も少なかった良心的兵役拒否について、その実態や経験者の証言などを帝国戦争博物館(IMW)がまとめています。

Conscientious Objectors In Their Own Words | Imperial War Museums
https://www.iwm.org.uk/history/conscientious-objectors-in-their-own-words

◆良心的兵役拒否を行った人数は?
第一次世界大戦以前のイギリスには強制的な兵役がありませんでしたが、第一次世界対戦が勃発した後の1914年と1915年に十分な兵役志願者が集められなかったことを受け、1916年から徴兵制が実施されました。当初の徴兵制では18歳~41歳の全ての独身男性に兵役が義務づけられましたが、「戦争に必要な仕事をしている人」「家族を養う唯一の人」「医学的に不適当な人」などは兵役を免除されました。そして、「兵役を良心によって拒否する人」も、兵役を免除する対象となっていたとのこと。

やがて兵役の制限が緩和され、既婚男性も徴兵の対象になったり年齢の上限が50歳に引き上げられたりしましたが、良心的兵役拒否者の数は増え続け、第一次世界大戦中に良心によって兵役を拒否したイギリス人は1万6000人に達したそうです。合計で600万人が徴兵されたことを考えると、この割合は少なく見えるかもしれませんが、実際に戦争に反対する考えを持っていた人はより多いとみられています。

by Anders

◆良心的兵役拒否を行った人はどういう信念を持っていたのか?
第一次大戦中に男性が兵役拒否を表明する人々は、大まかに言うと4つに分けられるとのこと。最も一般的な人々は「平和主義の宗教を信じる人」であり、クエーカー教徒やキリスト教原理主義の男性は聖書の中にある「汝、殺すなかれ」という一説を理由として入隊を拒否するケースがありました。2つ目の人々は「左派の政治活動家」で、左派の中には「第一次世界大戦は帝国主義戦争であり、支配階級のために労働者階級が戦争をさせられている」と考え、戦争参加を拒否する人もいたそうです。

3つ目の人々は「ヒューマニスト(人道主義者)」であり、宗教などの理由ではなく自分の信念として「人を殺すべきではない」と主張する人もいたとのこと。IMWがインタビューしたヒューマニストの兵役拒否者は元肉屋だったそうで、「私はブタを殺すことがどういうことか知っています。だから人を殺せません」と述べました。また、4つ目の人々は「政府が自身の生活に介入すること」それ自体に反対した人々でした。

◆良心的兵役拒否者の裁判とは?
良心的兵役拒否を表明してもすぐに兵役が免除されるわけではなく、通常は地方裁判所に兵役免除の申請をする必要がありました。しかし、法廷は地元の著名人で構成されたケースが多く、実際に良心的兵役拒否を申請した人の主張に耳を傾け、誠実にその態度を評価されるとは限らなかったとのこと。ある良心的兵役拒否者は、法廷で年齢を尋ねられて「18歳です」と答えたところ、議長が「なるほど、君は十分な良心を持つには若すぎる。申請は却下だ」と言い渡されたそうです。

地方裁判所で申請が却下された場合は上訴できましたが、ロンドンの中央裁判所でも却下された場合は徴兵されたと見なされ、「徴兵されたが命令に背いている」として刑務所に送られました。また、良心的兵役拒否を認められた人に対しても、法廷の裁量で「戦闘員の仕事からは除外するが、国家のために重要な仕事をしなければならない」という条件が課せられる場合もありました。


◆良心的兵役拒否者の中でも分かれる「セーフなライン」とは?
良心的兵役拒否を表明した人は一律に戦争への参加を拒否したわけではなく、中には「王立陸軍医療軍団のメンバーとしての参加など、非戦闘部隊の非戦闘員として働くなら問題ない」という人や、「戦争に必要な民間部門で働くならOK」という人もいました。

また、刑務所に収監された良心的兵役拒否者には農業や林業、単純な手作業などの「国家にとって重要な仕事」が割り当てられましたが、中には「いかなる戦争関連の仕事も拒否する」という立場の人もいたそうです。戦争終結後にIMWのインタビューを受けたフィリップ・ラドリー氏は、非戦闘員の部隊に所属する人物から、「非戦闘員として戦争に参加すればいい。それならあなたは誰も殺さずに済む」と説得を受けたそうですが、それを固辞したと答えています。

◆逮捕された良心的兵役拒否者が受けた罰とは?
裁判で兵役免除の許可が得られなかった人の中には「休暇ではないのに仕事をしなかった」として逮捕された人のほか、入隊後に命令に背いたとして逮捕された人もいました。記録に残された1万6000人の良心的兵役拒否者のうち3分の1以上が、少なくとも1回以上逮捕されて刑務所に収監されたとのこと。当初、逮捕された良心的兵役拒否者は「兵士」と見なされて軍刑務所に送られていたそうですが、1916年半ばの陸軍命令によって良心的兵役拒否者は一般の刑務所に送られることとなりました。

良心的兵役拒否者が受けた標準的な刑罰は「112日間にわたる第3区分の重労働」というもので、この刑罰はまずパンと水のみで1カ月にわたって独房に入れられ、その後は石を砕いたり郵便袋を縫ったりといった骨が折れる手作業に従事させられるというものでした。多くの良心的兵役拒否者は3カ月の労働後に釈放されましたが、その後すぐに脱走兵として逮捕され、再び軍法会議にかけられて刑務所へと戻されたそうです。

この「逮捕→収監→釈放→逮捕」を繰り返すシステムは、女性への参政権付与を主張するサフラジェットの構成員に対して行われたものと同じでした。戦争が進むにつれて良心的兵役拒否者へ科せられる刑罰は重くなり、一部の人々は強制的に軍隊と共にフランスへ連行され、「軍事命令に従うことを拒否した」としてその場で射殺されてしまったとのこと。一方で、軍法会議で「死刑」を宣告されたものの、実際に死刑が執行されずに、懲役刑になった人もいました。


◆良心的兵役拒否者の刑務所での暮らしとは?
良心的兵役拒否者は外界との交流が厳しく制限され、新聞も与えられず、面会も鉄格子を通してしか認められませんでした。IMWのインタビューに答えたハロルド・ビング氏は、自分が収監されたウィンチェスター刑務所の独房は6フィート(約1.8メートル)×13フィート(約4メートル)の広さしかなく、ドアにはのぞき穴が付いていて常に見張られている気がしたと述べています。

一方で、良心的兵役拒否者たちが刑務所に影響を与えたケースもありました。良心的兵役拒否者は宗教上の理由でベジタリアンが多かったため、ウィンチェスター刑務所はベジタリアン向けの食事を提供するようになったそうです。また、良心的兵役拒否が認められた当初は刑務所図書館から借りられる本は数冊しかありませんでしたが、やがて「読んだ後に刑務所図書館へ寄贈する」という条件で外から取り寄せた本が読めるようになりました。そのため、左派活動家の良心的兵役拒否者が多く収監された刑務所では、ウィリアム・モリスシドニー・ウェッブなどの左派作家の著作が充実する結果となりました。

また、ビング氏が収監されたウィンチェスター刑務所では、囚人たちがトイレットペーパーの切れ端に詩やエッセイ、冗談、マンガなど書いた「ウィンチェスターのささやき」と呼ばれるものが、看守の目を盗んで手渡しで回し読みされていたとのこと。

IMWのインタビューを受けた良心的兵役拒否者のうち数名は、看守からの過酷な扱いを経験または目撃しており、実際に73人の良心的兵役拒否者が看守からの虐待によって死亡しています。また、最も良心的兵役拒否者を苦しめたのが「孤独」だったそうで、囚人らは「膝の上で想像上のピアノを弾き、時には作曲する」「記憶から詩を思い出す」「想像の中で散歩する」「壁のクモやドアのボルトに話しかける」といった方法で孤独に対処したそうです。また、IMWのインタビューに答えたフェーナー・ブロックウェイ氏は、部屋を通る配管を叩いてモールス信号で他の部屋にいる囚人とやり取りしたり、隣室の囚人とチェスをしたりしたと述べています。

by Shelby L. Bell

◆良心的兵役拒否者に向けられた周囲の目線はどうだったのか?
たとえ刑務所に収監されていなくても、良心的兵役拒否者やその家族に対する社会からのプレッシャーは厳しいものだったとのこと。当時のイギリスでは国民の多くが戦争に賛成しており、戦おうとしない男性やその家族には疑念や嫌悪が向けられました。1916年に良心的兵役拒否を表明することは、「イギリス社会全体が支持するものへの否定」を意味しており、かなり難しい決断だったとIMWは述べています。

逮捕された良心的兵役拒否者は、「復員した兵士らが仕事を見つける際の邪魔にならないように」との考えから、終戦後も6カ月間にわたって収監され続けたそうです。また、1926年までは投票権がはく奪されるなど、終戦後も厳しい状況が続いたとのことです。

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in メモ, Posted by log1h_ik

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