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戦争よりも多く人を殺した「スペイン風邪」はなぜ未曽有の猛威をふるったのか?

by Mathew Schwartz

1918年から1919年にかけて大流行したスペイン風邪は感染者5億人、死者は5000万~1億人だといわれています。第一次世界大戦の死者は1600万人、第二次世界大戦の死者は5000~8000万人であることから、戦争と同程度かそれ以上の大きな被害です。これほどまでに多くの死者が出たのは感染力の高さ、そして5~10%という非常に高い死亡率が理由だと考えられています。なぜスペイン風邪は未曽有の規模でまん延したのか、そして、このような大規模な病気の流行を防ぐには、何が必要なのかがThe Economistに記されています。

The centenary of the 20th century’s worst catastrophe - Influenza
https://www.economist.com/science-and-technology/2018/09/29/the-centenary-of-the-20th-centurys-worst-catastrophe


スペイン風邪の症例が正式に記録されたのは、1918年3月4日、アメリカ・カンザス州の軍事基地でのことです。しかし、初期のインフルエンザの症状は人には現れないことがあるので、最初に感染が報告されたAlbert Gitchellが患者第一号ではない可能性は大いにあるとのこと。

「最初にスペイン風邪が現れた場所」には、2018年時点で3つの仮説が存在します。1つはイギリスのウイルス学者であるジョン・オックスフォード氏が提唱した説で、フランス北部の海岸・エタプレスにあるイギリス軍基地が始まりだというもの。ここでは1916年に患者の顔色が青くなる膿性気管支炎の流行が報告されていました。また、2004年にはジャーナリストのジョン・バリー氏が、1918年1月にアメリカ・カンザス州ハスケル郡でインフルエンザのような病気が小規模ながらも発生していたことを伝えており、これが軍事基地での流行に繋がったとしています。さらに、歴史学者のマーク・ハンフリー氏は中国の山西省で1917年に深刻な呼吸器疾患が流行したことを挙げ、中国の労働隊がカナダを経由してヨーロッパに送られたことでスペイン風邪として広まったと主張しています。

by Free-Photos

起源については説が分かれているものの、スペイン風邪は3つの波で世界中に広がっていきました。このうち、1918年に北半球で起こった第2波がもっとも深刻だったため、2018年の秋は「スペイン風邪100周年」にあたります。

ルイスビル大学の進化生物学者であるPaul Ewald氏は、第2波の世界的広がりと毒性の強さは、西部戦線での塹壕戦に起因しているとみています。基本的にウイルスは、宿主が長生きすればするほど、他の人に感染する確率を上げられるため、感染が起こるにつれその毒性は弱くなっていきます。しかし、若い男性が1つの塹壕に何日も何週間も押し込められた西部戦線では「感染が容易」「インフルエンザ以外で人が死ぬ可能性がある」という理由によって、通常時のような自然選択が起こりませんでした。

「いつホストの体が利用できなくなるかわからない」というリスクによってウイルスは「宿主の体の中で急速に増加し周囲に多くを巻き散らさせる」ように変化したとのこと。そして、戦争に生き残った兵士たちは、毒性・感染力が高いウイルスと共に母国に帰りました。1918年の休戦によってアメリカ・オーストラリア・カナダ・ニュージーランドの兵士たちが復員となったことでウイルスは一気に世界中に広まったといいます。

スペイン風邪の死者数を正確に推定するのが難しい理由は、当時、「ウイルス」という概念がまだ新しかったということにあります。スペイン風邪の患者は喉の痛み・発熱・頭痛といった症状を経験し、悪化すると呼吸困難に陥りました。しかし、多くの場合、実際の死因は免疫が落ちて日和見感染症によって肺炎が引き起こされたことにあり、世界中の多くの医師が患者の死因を「細菌による感染症」と見ていたのです。

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分子レベルでスペイン風邪の病原性について説明することは、現在でもできていません。しかし、Terrence Tumpey氏の率いる研究グループが遺伝子配列を用いてスペイン風邪のウイルスを再建して研究を行うことで、その毒性について明らかにしようとしています。ただし、このような研究は軍事へ適用される可能性が指摘されており、議論の的となっているのも事実。一方で、Tumpey氏は研究によってより効果のあるインフルエンザワクチンが作成できる可能性を強調しています。

スペイン風邪の流行における驚きの1つが、20代や30代の人々が大きな被害にあったのに対し、通常はインフルエンザにかかりやすい高齢者が生き残る割合が高かったということです。これは1889年にA型インフルエンザH3N8亜型が大流行したことで、子どもの頃にH3N8亜型への免疫が作られ、スペイン風邪のH1N1型に耐性を持たない世代が発生していたためだとみられています。それとは対照的に高齢者たちは若い頃にH1N1型への「免疫刷り込み」が生じていたため、ウイルスに対して耐性があったわけです。

免疫刷り込みを理解することで、将来的にパンデミックを引き起こす可能性があるものが何かを予測すること、そして、より効き目のあるワクチンを作りだすことも可能です。当時は船と鉄道が主な交通手段でしたが、現代は旅客機が存在し、また世界人口は1918年の4倍となり、そのうち半数は人口密度の高い都会で暮らしています。パンデミックが発生するのに必要な条件はそろっていることからも、常に警戒していく必要があるとのことです。

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in メモ, Posted by darkhorse_log

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