インタビュー

特撮を後世に残すのは、我々のノブレス・オブリージュでもある、鷺巣詩郎さんに特撮についてインタビュー


樋口真嗣監督が、日本の特撮界で後世に語り継ぐべき作品を、その作品に関連する人と共に見ていく企画「特撮国宝」が最終回である第6回の放送を迎えています。本日の夜・9月26日23時からもリピート放送が行われる第6回のゲストは「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」や映画「ベルセルク」、一部の競馬場で流れるファンファーレなどを作曲したことで知られる音楽家の鷺巣詩郎さん。鷺巣さんのお父さんは、漫画家であり、映像制作会社ピー・プロダクションの社長でもあった鷺巣富雄(うしおそうじ)氏ということで、その人物像についていろいろと伺ってきました。

特撮国宝|7月4日(木)よる11時スタート 3カ月限定企画、企画監修・出演:樋口真嗣|日本映画専門チャンネル
http://www.nihon-eiga.com/osusume/tokuho/


鷲巣詩郎(以下、鷺巣):
よろしくお願いします、なんでも聞いて下さい。


GIGAZINE(以下、G):
ありがとうございます、本日はよろしくお願いします。ピー・プロダクションの設立者であり、鷺巣さんのお父さんでもあった鷺巣富雄さんについてお伺いしたいのですが、会社の設立者であり、マンガ家・うしおそうじでもあり、家庭では父としての顔も持っていたわけなのですが、鷺巣さんの目から見て、どういった方でしたか?

鷺巣:
3つの顔は全部一緒くた……というか区別がなかったです。会社の中に自宅があり、家族の中に会社があったので、3つの顔を持っていたわけではなく1つだったんです。性格は「優しい」という一言に尽きる、本当に優しい人でした。普通の家庭であれば、夜中に音楽をドンチャンドンチャンやっていたら「うるさい!」と怒るところだと思うんですが、そういうことも言わず、父親とは亡くなるまでの50年ぐらい一緒でしたけれど、そういうことでは怒られたことがないんですよ。

G:
鷺巣さんが音楽をやっているとき、お父さんも同じ家で仕事をなさっていたりするわけですよね。

鷺巣:
あらゆることで「邪魔」だとか「うるさい」だとかは一度も言われたことがないですよ。この話だけでも、こんなに優しいってなかなかあり得ないですよね。子どものころまで思い返すと、ぼちぼちと叱られたこともありますけれどそれも珍しいことで、「怒られる」ということ自体がそんなになかったですね。口ゲンカは普通にしましたけど(笑)、いわゆる反抗期だとか、親子の断絶というのは一切ありませんでした。


G:
会社と家庭がくっついていて、反抗期はどんな感じだったのかはお伺いしようと思っていたところでした。

鷺巣:
そういったものは本当になかったですね……友達と比べても、ちょっと異なる部分でした。

G:
鷺巣さんが以前受けたインタビューによると、お父さんは鷺巣さんを「将来的に会社で使ってやろうか」と思っていたのに音楽の道に行ってしまった、という話があり、幼いころか特撮のセットを触っていた鷺巣さんは特撮に飽きてしまったので音楽の道に行ったのだということを読みましたが、音楽に行くことを引き留められたりはしませんでしたか?

鷺巣:
うーん、それもないですね、むしろ、僕が出演するライブにもかならず来てて、心から僕の音楽を楽しんでくれていました。

G:
すごくいい関係だったんですね。

鷺巣:
親子の関係というのもありましたが、兄弟のような関係だったのかもしれないですね。小さいころから旅行だとか、父親が80歳で僕が44歳になっても一緒に海外も国内も、とにかくいろいろなとこに行ってました。映画もかならず一緒に見てたし……小さいころも大人になっても、親子でやっていることが同じなんですよ。結局、僕は途中から仕事が音楽になりましたが、そういう関係が揺るいだことはないから、兄弟的であると思うんです。


G:
なるほど。

鷺巣:
親と子は世代とともに関係ややることが変わってくるじゃないですか。普通の家庭なら、父親は定年になって仕事を辞めたり、仕事が変わったり、息子・娘に孫ができて、3世代の関係になったりとか……。うちはたまたま孫がいなかったこともあって、関係が常に一緒だったんです。だから、僕が子どものころにした会話と、父親が80何歳で死ぬ直前にした会話の内容とがあんまり変わらないんですよね。逆に言えば、僕が子どものころからすごく大人じみた会話をしていたし、大人になってからも子どもじみた会話をかかさなかった(笑)。「この話はしちゃダメ」というのも基本的にはなかったです。


G:
どんな話でもする、素敵な関係ですね。

鷺巣:
ただ、お客様が来た時、調子に乗ってピープロの自慢をしたり、出しゃばったりするのはとがめられましたけどね。下ネタとかは子どものころから全然OKでしたよ。

G:
下ネタは嫌がる家庭も多いと思うんですが、「やめなさい」と言われることはありませんでしたか?

鷺巣:
そういうのは全く無かったですね、父親自身、家中を裸で歩いたりしてたくらいなんで(笑)。下品にならない程度に家の中の基準での節制はあったと思いますが、だからといってそういうことを人前で言っちゃいけないと言うことは一切無かったです。

G:
なるほど。

鷺巣:
だから子どもの時も、僕が50歳ちかくで親が80何歳の時も会話が変わらなかったんですよ。

G:
男の子は中学生・高校生ぐらいになってくると父親との会話が減って、話をしない間に父親がすごく老けてしまっていた……という話をよく聞くので、その仲の良さがうらやましいです。

鷺巣:
そうですね。でも、僕にとってはこれが普通だったので、「これはうらやましいことなのか」というのすら意識したことがなかったです。父親から一番教わったことは「他人からどう見られようと関係ないじゃん」ということです。父親が好きなことしか仕事にしなかったのは、人からどう思われてもいいという生き様ですよね。確かにうらやましがられることもあったかもしれないけど、うちはジェットコースターみたいな家庭だったんですよ。父の出した作品が当たると家庭が潤うし、外れるとじっと耐えるという、本当にジェットコースター状態でした。


G:
ヒット作品があるときとないときで、生活に大きな差が出るんですね……。

鷺巣:
ええ。でも父はどっちになっても全然変わらなかったというのがすごいんですよ。

G:
それはすごいですね。

鷺巣:
幼少のころ、父親と床屋に行くとき、さきにプラモデル屋によく行ったんですよ、これは父親もプラモデルを見たいからで、「どのプラモデルが欲しい?」って聞かれたから僕が「これとこれ」と答えると買ってくれるんですけど、そのせいで床屋に行くと払うお金がなかったりとか(笑)抜けてるとこがあって、どっちが親だか分からないようなとこがありました。うちの父親はそういう人なんですよ。ちょっと普通からすると想像を絶するでしょうね。

G:
“元祖・公私混同”ということで気になるのはどういった食卓を囲んでいたのか、というところなのですが。

鷺巣:
うちは仕事がこういうものだったから、かなり小さいころから自炊をしていましたね。家族5人揃って食べることもありましたけど、バラバラに食べることも多かったです。母親は父親の会社の経理をやっていて、その上に食事を作ったり子どもを育てたりまた仕事をしたりと、一番大変だったと思います。だけど、子どもが自分で食事を作れるようになると、3人兄弟でそれぞれ好き嫌いがあったので、子どもたちそれぞれが自分でごはんを作って食べてることもありました。結果として、本当に自由度が高い家庭でした。食事も家庭状況が反映されていて、すごく良いときにはすごく良いメニューが並んで……会社が家を通してガラス張りだったので、子どもでも家庭の状況なんかはわかったんですよ。

G:
ということは、マグマ大使が当たった時にはいいものを食べたり……。

鷺巣:
そうです。良いところに旅行に行ったりして、非常に家庭の状況がわかりやすかったです。父親自身も裏表がないというか、わかりやすい人でした。

G:
鷺巣さんが好きなピープロ作品は「快傑ライオン丸」だそうですが……

鷺巣:
はい、好きですね。

G:
子どものころからピープロの作品にかかわらず、文字通り浴びるように特撮作品をご覧になる機会があったと思いますが、その中でお気に入りの作品はどういったものがありますか?

鷺巣:
僕の場合、好きというか家業だったので、割といろいろなものを手に取るように見ていましたが、自分で言うのもなんですが子どもの視点では見ていなかったですね、ませてて、作る側で見てたというのがあると思います。その中で言うと「サンダ対ガイラ」ですかね。コアで、演出と特殊効果が良いです。好きというより、自分がお客として見ることができたものですね。あと大魔神の一作目とか。怖い=好きというか、作品性として……ほんとに生意気な言い方をすると、「当時の自分の中に無いもの」を見せられた気がして、「こういうのがあるんだ」って思いました。

G:
出てくるのはどのヒーローの名前だろうかと思っていたのですが、「フランケンシュタインの怪獣」が来ましたか!

鷺巣:
この二つの作品は今でも割と好きです。

G:
なるほど。今年5月に「日本特撮に関する調査報告書」というのが行われて、庵野監督が「どうか特撮という技術を助けて下さい、特撮の技術が終わってしまいそうです」とメッセージを発しました。2012年に公開された「巨神兵東京に現わる」が公開されたときには、日本の特撮技術でこんなにすごいものが作れるんだというところを見せつけましたが、実際に特撮を作っておられる会社の社長でもあって、作ってるところも小さい頃からご覧になっていた鷺巣さんとしては特撮へはどういった思いがありますか?

鷺巣:
そうですね、うちはライオン丸の時には自宅の横に羽の生えた白馬がつながれていたり、ザボーガーの改造バイクが並べてあったり、そういう中で生活をしてきました。

G:
ファンから見るとお宝に囲まれての生活ですね。

鷺巣:
ところが、やっぱり商業作品ですから、人材にしろ物材にしろ、時間とともに枯渇してしまうのはとても残念でもありますが、ある程度は仕方無いことでもあります。大先輩でありよく仕事もご一緒した作曲家の筒美京平さんが「音楽は芸術だけれども商業、アートとコマーシャルをどう両立させていくか」とおっしゃいましたが、まさにその通りだと思います。要するに、商業作品というのはニーズがなければできないものであり、現在、特撮がSFXやCGに取って代わられて下火になっているけど、商業として考えると仕方がない。そこはそこで割り切れるんです。

G:
なるほど。

鷺巣:
ただ、カルチャーやアートとして考えた時、大橋史典さん、高山良策さん、渡辺善夫さんたちが残されたものには、凄まじいものが沢山あるんですよ。例えば、高山良策さんの作品を並べると、それは芸術作品としてとらえることもできる。つまり芸術と商業という両翼であるということで、これがカルチャーの一番素晴らしいところなんです。政治は民主主義なので多数決で決められます。スポーツはいわば「100mを一番早く走ったものが勝つ」んです。でもカルチャーとかアートはそうではない。「人の心を打つ」と簡単に言うけれど、100人好きな人がいれば100人嫌いな人がいるわけですから、その嫌いな人だけを100人集めても多数決にはならないし、100m走でビリでも写真というアートにしたら人の心を打つ走者は居るんですよ。なんでも民主主義だから多数決っていう風にやっていたら、世の中から絵画とか彫刻なんかなくなっちゃうんですよ。もしもすべて皆で決めたら「ダビデ像」みたいにチンコ出してるようなものはダメってなる(笑)。そういうことでしょ?

G:
そうですね(笑)

鷺巣:
「そんなものは表に出せない」と商業的にNGであっても、カルチャーやアートとして考えたら、それはアリになるんですよ。

G:
なるほど……。

鷺巣:
今回の庵野監督と樋口監督のレポートで僕が思ったことは、音楽も含めて、アートやカルチャーは多数決や100m走ではないということ。それをみんなが今一度考えなくてはいけないということです。多数決ではないので「賛同する人が何人、しない人が何人」と、そういう数字の話じゃないんです。商業として需要がなくなったジャンルもありますが、じゃあ「我々は何を残せるか」ということを考えると、絵であれば額縁に入れておいた方が後に残りますよね。「そのものよりも額縁のほうが大事で必要なときもある」ということを理解すべきだと思いませんか。だから、残すための額縁のようなものをみんなで作りましょうと、そういうことですよね。


鷺巣:
多数決をもとに多数派の意見で語ってしまうと、好きな人と同じぐらいに嫌いな人もいるんです。そこを、政治やスポーツと同じ尺度で「勝ち・負け」「大多数・少数」と言うのは、我々には当てはまらないことですし、少数だったり、かけっこが遅くても、後世に残すべき、伝えるべきものがあるんです。たとえそれ自体はなくなっても、残骸の一つであっても、さっき言った「額縁」やきれいな箱に入れて保存する役割が我々アーティストにはある。一般の人たちが皆それをやらなければいけないということではなく、我々にあるということです。それは、ある種「ノブレス・オブリージュ」ですよ。われわれは創作物で報酬を得たので、それを今度は未来に向けて還元していかなければならない。それが我々のオブリージュなんですよ。

G:
これが最後の質問です。樋口真嗣監督から「ピープロのオールスターが出演する『ピープロアベンジャーズ』を作ろう」という話が出たときに、作れるのであれば作ってみたいとのことでした。2006年に怪傑ライオン丸の新作であるライオン丸Gが作られ、2012年には電人ザボーガーが35年ぶりに復活しましたが、実際にピープロ作品を復活させたり、あるいは新たに作ったりする予定というのはいかがでしょうか。

鷺巣:
これはよく聞かれるのですが、一番やりたいのは当然、父が一番やりたかったことで、やり残したことです。父は晩年まで常にリメイクの話もいろいろなところでしていたんですが、タイミングなどもあってうまくいきませんでした。しかし、父がやりたいと言っていてできなかったのに、息子の僕がやりたいと口走ったところで易々とできるほどに世の中は甘くなくて、そのことは僕もよく分かっています。これはさっきの話とつながっていて、あまり我々が「アーティスト」であることを振りかざしていると、商業性が逃げていくんですよ。我々は常に商売のことも考えなければならず、それと芸術とを両立させなければならない。だから、やすやすとアーティスト同士で盛り上がって「やろうやろう」というだけでできるほどには甘くない。父親の晩年、やりたいことが叶わなかったところを見ているからこそ「だからやるんだ!」という思いもありますけれど、やるからには、成功させたいということではなく、アートとコマーシャルを両立させたものを作るために頑張りたいですよね。それに尽きます。


G:
本日は時間をたくさん割いてお話いただき、ありがとうございました。

鷺巣:
とんでもないです。

このインタビューは、「特撮国宝」が収録された原鉄道模型博物館で行われました。

特撮国宝第6回で扱われているのは、ハレー彗星が接近することで空気がなくなるという噂から起きるパニックを描いた「空気の無くなる日」、ピープロが動画合成部分を手がけた大映映画「釈迦」、幻の特撮ヒーロー番組「シルバージャガーの誕生」(シルバージャガーのパイロットフィルム)。放送は9月26日23時からと、9月29日25時30分から。10月にも3度のリピート放送が予定されていますが、樋口真嗣監督と鷺巣詩郎さんによる対談が放送されるのは9月の分だけなので、見逃さないようにしてください。

空気の無くなる日|日本映画・邦画を見るなら日本映画専門チャンネル
http://www.nihon-eiga.com/program/detail/nh10005423_0001.html



釈迦|日本映画・邦画を見るなら日本映画専門チャンネル
http://www.nihon-eiga.com/program/detail/nh10003840_0001.html



シルバージャガーの誕生|日本映画・邦画を見るなら日本映画専門チャンネル
http://www.nihon-eiga.com/program/detail/nh10005424_0001.html


この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
特撮にかける思いや「東宝式」「大映式」の違いについて川北紘一が語る - GIGAZINE

映画でいかに徹底した大嘘をつくかこだわる「爆発王」中野昭慶さんインタビュー - GIGAZINE

人形アニメーション作家・真賀里文子さんに日本の立体アニメの祖・持永只仁氏のことや制作技法についてインタビュー - GIGAZINE

造型師・材料屋・アニメーターといくつもの顔を持つ男「鯨井実」インタビュー - GIGAZINE

樋口真嗣監督が特撮業界に入ったキッカケ・特撮に携わる者としての思いについてインタビュー - GIGAZINE

in インタビュー,   映画,   アニメ, Posted by logc_nt

You can read the machine translated English article here.