サイエンス

「インターネットの父」など、「~の父」と呼ばれる各界を先導した10人の男たち


先日の2011年6月19日(日)は父の日でしたが、血のつながった肉親以外でも芸術や化学などそれぞれの分野において革新的な結果を残し、その後に続くムーブメントを先導する役割を果たした「~の父」と呼ばれる男たちがいます。「インターネットの父」、「写真の父」、「現代電気文明の父」、「パンク・ロックの父」などさまざまなジャンルの“父親”たちは、やっていることは違えどそれぞれに魅力的な人物ばかりです。

Flavorwire ≫ From Iggy Pop to Godard: Our Favorite Culture “Daddies”

◆インターネットの父「ロバート・カーンヴィントン・サーフ

ロバート・カーンとヴィントン・サーフの二人は、1973年にインターネットにおけるデータ転送技術の基盤となっているTCP/IPプロトコルを開発しました。なお、サーフは1992年に「全世界のあらゆる人々の利益のため、インターネットのオープンな開発/進歩/利用を保証する」ことを目的にインターネット協会を設立しています。


◆現代電気文明の父「ニコラ・テスラ

19世紀中期から20世紀中期に活躍した電気技師で発明家の「ニコラ・テスラ」は、交流電流、ラジオにラジコンなどの無線トランスミッター、蛍光灯、空中放電実験を行えるテスラコイルなどの発明がよく知られています。以前、GIGAZINEでもバチバチと電光を発しながらテクノの名曲「Popcorn」を奏でるテスラコイルの様子を取材しました


ヌーヴェルヴァーグの父「ジャン=リュック・ゴダール

フランスで1950年代末期に起こった映画運動「ヌーヴェルヴァーグ」を代表する映画監督であるジャン=リュック・ゴダールは、1959年製作の映画「勝手にしやがれ」において即興演出や同時録音、ロケ中心というヌーヴェルヴァーグならではの手法を用いながら大々的にジャンプカットを取り入れ、その革新性によってヌーヴェルヴァーグ自体の評価を確固たるものとしました。

by Gary Stevens

◆写真の父「ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール

パリで舞台背景画家、パノラマ画家、ジオラマ作家として活躍していたルイ・ジャック・マンデ・ダゲールは後に、写真を研究していたニセフォール・ニエプスと共にカメラの研究を行い、ニエプスの死後の1839年に銀板写真を発表しました。


ポップアートの父「アンディ・ウォーホル

ウォーホルは版画のシルクスクリーンを使い、「キャンベル・スープ缶」や「ドル紙幣」といった身近なものをモチーフにして大量生産・大量消費社会をテーマとしたポップアート作品を生み出しました。また、「マリリン・モンロー」や「ミッキーマウス」といった有名な存在をモチーフにした作品を作ったり、ロックバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」のデビューアルバムのプロデュースを行ったりしています。


LSDの父「アルバート・ホフマン

2008年に満102歳で亡くなったスイスの化学者アルバート・ホフマンは、1938年に幻覚剤LSDを化学合成します。後にLSDは精神医療分野で使用されたり、自白剤や反自白剤として軍事分野での研究が進められるなどしますが、1960年代の後半に入ると勃興していたヒッピーカルチャーと結びついていきました。


◆アメリカ文学の父「マーク・トウェイン

トム・ソーヤーの冒険」や「ハックルベリー・フィンの冒険」などの作品が知られている米国の作家「マーク・トウェイン」。「老人と海」が日本でも愛読されているアーネスト・ヘミングウェイは彼をたたえて「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する」とまで言っています。


ビートニクの父「ウィリアム・S・バロウズ

バロウズは、ジャック・ケルアックアレン・ギンズバーグらと共に、1955年~1964年頃にかけて米国の文学界を席巻したビートニク(ビート・ジェネレーション)を代表する作家です。彼がムーブメントの中でも年長だったこともあってか、「ビートニクの父」と呼ばれているとのこと。

by Chuck Patch

パンク・ロックの父「イギー・ポップ

1967年に結成したザ・ストゥージズから本格的にキャリアをスタートさせたイギーは、その荒削りなサウンドや攻撃的なボーカルはもちろん、「ナイフで己の体を切り刻む」「ステージ上での嘔吐」「裸でガラスの破片の上を転げ回って救急車で搬送される」といった過激なパフォーマンスを繰り返したことでも有名で、パンクのゴッドファーザーとして名をはせています。


なお、以下の5分45秒くらいからイギーが「人の上に立っている」様子などが見られます。

YouTube - iggy pop


ラップの父「ギル・スコット・ヘロン」

2011年5月27日に62歳で亡くなったギル・スコット・ヘロンは「黒いボブ・ディラン」とも呼ばれ、代表曲「The Revolution Will Not Be Televised(革命はテレビでは放送されない)」では「革命に再放送などはない。革命は生なのだ」と強いメッセージを放っています。彼の社会的なメッセージや民衆へ訴えかけるパワー、そして話しかけるようなスポークン・ワードはヒップホップに多大な影響を及ぼしました。


以下から「The Revolution Will Not Be Televised(革命はテレビでは放送されない)」を聴くことができます。

YouTube - Gil Scott-Heron - The Revolution Will Not Be Televised

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in サイエンス,   動画,   アート, Posted by darkhorse_log

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