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「バミューダトライアングル」が伝説化したのは「フライト19事件」の影響が大


フロリダ半島・プエルトリコ・バミューダ諸島を結んだ三角形の海域であるバミューダトライアングルは、古くから船や飛行機などがこつぜんと消える事故が多発し、「魔の三角海域」と呼ばれることもあります。しかし、伝説と化したのは1945年に発生した「フライト19事件」の影響が大きいとスミソニアン・マガジンが指摘しています。

Flight 19 Vanished in 1945, Fueling the Myth of the Bermuda Triangle
https://www.smithsonianmag.com/history/how-the-disappearance-of-flight-19-a-navy-squadron-lost-in-1945-fueled-the-legend-of-the-bermuda-triangle-180987759/


1945年12月5日、ゼネラルモーターズ製の雷撃機・TBM アベンジャー5機で構成された飛行小隊の「フライト19」が、定期訓練のためフロリダ沖へ飛び立ちました。しかし離陸から数時間後、隊長機から居場所を見失ったという連絡が入り、その後、通信も途絶えて、5機は大西洋上のどこかへ消えてしまいました。さらに、捜索に向かった飛行艇も連絡がつかなくなり、最終的に6機・27人が帰ってこなかった……というのが「フライト19事件」のあらましです。


以下は、フライト19を巡る軌跡とタイムスケジュールです。計画では、フライト19は午後2時10分にフォートローダーデール海軍航空基地(図中「1」)を出発し、東に約80km飛行してバハマ西端・ビミニ諸島の近く(図中「2」)で爆撃訓練を実施。さらに東進したあと(図中「3」)、グランド・バハマ島上空を北上してから(図中「4」)、基地に帰還する予定でした。何事もなければ、2時間40分ほどの行程です。


実際に、フライト19は午後3時ごろに爆撃訓練を行ったことが確認されていますが、その後、自身の位置を見失って迷走したものとみられます。フライト19の指揮官であるチャールズ・キャロル・テイラー中尉は、自分たちの位置をフロリダ半島南西沖の列島・フロリダキーズ近くだと考えていたことが通信からうかがえますが、基地による電波三角測量から午後6時時点で北緯29度・西経79度から100マイル(約160km)以内のフロリダ半島中部の東方沖(図中「5」)にいたことがわかっています。

テイラー中尉からの通信により、5機は最後までひとかたまりで飛行していたことがわかっており、フライト19のパイロットの1人であるジョセフ・T・ボッシ少尉がテイラー中尉に連絡を取ろうとした19時4分の通信が最後のメッセージとなりました。このとき、テイラー中尉からの返信はありませんでした。


さらに、行方不明になったフライト19の捜索のために2機のカタリナ飛行艇を出したところ、1機が遭難しました。数時間後に、北緯28度59分・西経80度25分の海上で明らかな爆発による炎が確認されており、墜落炎上したものとみられています。なお、この二重遭難のために海軍は5日にわたり200機以上の航空機を動員しましたが、フライト19の搭乗員14人とカタリナの搭乗員13人の痕跡は見つけることができませんでした。

海軍は、テイラー中尉が見当識障害(方向感覚の喪失)によってフロリダ半島の位置を見失い、その後の決断に影響を与えたと指摘する報告書を作成しました。

しかし内容は、物的証拠もパイロットの証言もないため救助隊の証言に依存したもので、訓練飛行責任者のドナルド・J・プール少佐が「(テイラー中尉は)どうしようもないほどに混乱し、精神異常のような状態になっていた」と書くなど、テイラー中尉の母・キャサリンさんにとっては受け入れられるものではなく、キャサリンさんは自ら原因究明に取り組みました。そして、フライト19が行方不明になってから早期の段階で捜索に出られる機体がありパイロットから打診があったにもかかわらず、プール少佐が出動を却下した事実を突き止めました。

プール少佐は当時の判断について「対応策を待っていた」「新たに機体を飛ばすことで地上との通信が混乱することを避けたかった」と説明していますが、キャサリンさんも、出動を申し出たパイロットのコックス少尉も納得いかなかったとのこと。ただ、プール少佐に限らず「燃料がなくなるまでに海岸には着くだろう」と考えた人は他にもいたようで、基地の作戦責任者であるチャールズ・ケニオン中佐も「フライト19は一時的な混乱にあるだけで、時間通りに戻ってくるだろうと思っていました」と証言しています。

キャサリンさんの精力的なロビー活動が実り、1947年に海軍は調査結果を修正。テイラー中尉の誘導ミスに焦点を置かず「理由・原因は不明」を公式見解としました。

海軍が公式に「原因不明」と結論づけたことが新聞や雑誌で取り上げられるにつれ、フライト19事件は神秘的な失踪事件の代表例として語られるようになりました。その後、1964年には「The Deadly Bermuda Triangle(致命のバミューダトライアングル)」というニュース記事が話題になり、「バミューダトライアングル」という名称が広く浸透することになりました。

アメリカ海洋大気庁(NOAA)の見解では、「バミューダトライアングルでは、他の広大で往来の多い海域と比べて、謎の失踪事件が頻繁に発生しているという証拠はない」とされています。しかし、フライト19事件や同様の原因不明の失踪事件は複数確認されており、陰謀論やUFO説などさまざまな議論や、物語の題材となっています。

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in メモ, Posted by log1e_dh

You can read the machine translated English article The Bermuda Triangle became a legend lar….