かわいいクマの形をしたカラフルなグミでおなじみな世界的お菓子メーカー「ハリボー」の歴史とは?


かわいくてカラフルなクマの形をしたグミ「ゴールドベア」などで人気を誇るお菓子メーカー「ハリボー」は、1920年代のドイツで創業され、第二次世界大戦などを乗り越えて世界的メーカーに成長してきました。そんなハリボーの歴史について、アメリカのスミソニアン協会が運営する「スミソニアン・マガジン」が解説しています。

The Colorful History of Haribo Goldbears, the World's First Gummy Bears | History | Smithsonian Magazine
https://www.smithsonianmag.com/history/the-colorful-history-of-haribo-goldbears-the-worlds-first-gummy-bears-180980094/

ドイツの菓子職人だったハンス・リーゲルは1920年に、自身の名前「ハンス・リーゲル(Hans Riegel)」と地名の「ボン(Bonn)に由来する「Haribo(ハリボー)」という名前のキャンディー会社を設立しました。創業当初のリーゲルは銅の鍋・麺棒・コンロしかない台所で働いており、翌年に雇った最初の従業員は妻のゲルトルートだったそうで、ゲルトルートは自転車で顧客に商品を届けるなどしていたとのこと。ハリボーの企業コミュニケーション担当上級ヴァイス・プレジデントを務めるクリスチャン・バールマン氏は、「私たちはAppleがガレージで創業したという話を知っていますが、当時のハリボーもそのようなものでした。リーゲルには何か違うものを、自分自身で、少しのチャンスとお金で始めたいという意思がありました」と述べています。

リーゲルは1922年に、クマの形をしたグミのプロトタイプである「Tanzbären(『Dancing Bear/踊るクマ』という意味)」を開発しました。バールマン氏は、「クマのキャラクターはかわいらしくて子どもに愛されています」「リーゲルのアイデアは特定の形を持つお菓子を作ろうというものでした」とコメント。リーゲルは自分のキャンディーに顔と個性を与えるため、かわいらしいクマを採用したとのこと。

以下の画像の左側にいるのが、「Tanzbären」です。

by Like_the_Grand_Canyon

「クマのような形をしたグミ」を最初に作ったのはリーゲルですが、グミの前身ともいえるゼラチンベースのお菓子はそれ以前から存在していました。19世紀から食べられていたガムドロップやトルコの伝統的お菓子であるロクム、禁酒主義者が考案したワインガムなどがあるほか、日本でもハリボー創業とほぼ同時期の1924年に独自のグミに似たお菓子・ボンタンアメが誕生しています。

お菓子専門家で「Candy: The Sweet History」の著者でもあるベス・キンメル氏は、グミそのものの前身は果物をペクチンなどで保存したゼリーやジャムであると指摘。キャンディーの歴史家であるスーザン・ベンジャミン氏も、リーゲルが作ったグミは初期のキャンディーを微調整したものであり、革新的な部分は「クマの形と優しい甘さ」だったとしています。キンメル氏によると、リーゲルは優れたビジネス感覚によって「キャンディーは見た目と質感が大事」ということを理解していたため、香味付けと着色に先進的な技術を採用してクマの形をしたグミを作り出したとのこと。ハリボーは1925年になると本格的に「Schwarzbär(『Black Bear/クロクマ』という意味)」というリコリス味のグミを生産し始め、1930年代には400人もの従業員を抱えるほどに成長しました。

ところが、1940年代前半になると第二次世界大戦でドイツも戦場となり、ハリボーはほとんど操業停止状態となってしまいました。また、リーゲルの息子であるポール・ジュニアとハンス・ジュニアはドイツ兵として戦い、アメリカの捕虜収容所に収容されてしまったほか、リーゲルは1945年に52歳で死去しました。


終戦後は妻のゲルトルートが会社を指揮し、1946年に2人の息子が戻ってくると、ポール・ジュニアがお菓子生産を、ハンス・ジュニアがマーケティングとセールスを担当して会社を復興。ほぼゼロからのスタートでしたが、終戦直後は30人だった従業員が1950年になると約1000人になり、1960年代にはテレビCMも流すなど積極的に宣伝を行いました。バールマン氏は、「ハリボーブランドはドイツで初めてテレビで広告を出したブランドの1つでした。これにより、ハリボーと製品が本当に人気になりました」と述べています。

1960年には現代でもおなじみの「ゴールドベア」ブランドを始めるなど、ハリボーは第二次世界大戦後の数十年間でヨーロッパ中に広がり、東ドイツの政府所有小売店チェーン・インターショップでも取り扱われるほどでした。なお、インターショップは外貨しか受け付けなかったため、東ドイツ市民はハリボーグミを購入することができませんでしたが、一部の西ドイツ市民は東ドイツに住む友人や家族に送るギフトボックスにハリボーグミを入れていたとのこと。

1982年にアメリカ進出を果たしたハリボーは、さまざまなキャンディー会社との競争で勝つためにパッケージとフレーバーをアメリカ人好みのものに刷新。結果としてクマの形をしたグミは大きな人気を博し、ディズニーが1985年~1991年にかけて「ガミー・ベアの冒険」を放映しました。


ハリボーは第二次世界大戦中に「強制収容所の人々や戦争捕虜に強制労働をさせていたのではないか」とも批判されていますが、バールマン氏はハリボーの調査では強制労働の証拠は見つからず、当時のドイツ政府が重視していなかったお菓子メーカーで強制労働が行われるとは考えにくいと主張しています。また、2017年にはグミがくっつくのを防ぐために使われるカルナウバロウのサプライヤーがブラジルの農園で奴隷労働を行っているとするドキュメンタリーが放映され、ハリボーも告発に応じて公式調査を開始。結果的に奴隷労働の証拠は見つからなかったとしていますが、ハリボーはカルナウバワックスの使用を中止して蜜蝋に切り替えました。

記事作成時点ではハリボーグミは世界100カ国以上で食べることができ、1日あたり1億6000万個以上のグミが出荷されているとのこと。いくつかのグミはそれぞれの国に固有のものであり、トルコでは入れ歯の形をしたグミを販売しているほか、イギリスではミルクセーキのグミが、フランスやドイツではフィクションに登場する架空の種族・スマーフ模したグミも販売されています。

バールマン氏はハリボーが創業1世紀を迎えても成功し続けている理由について、ハリボーを食べることで「子ども時代の郷愁」をかき立てられるからではないかと推測。「私たちの製品は国によってまったく違いますが、この感覚は世界中の人々を結びつけているのです」と述べました。

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in , Posted by log1h_ik

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