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「真珠ボタン」がアメリカ中西部のボタン産業を築いた一方で地元の二枚貝を絶滅寸前まで追い込んだ歴史


1880年代後半にドイツからアメリカに移住したボタン職人のジョン・ベップルは、貝殻の真珠層から作られる「真珠ボタン」で一大産業の礎を築きました。しかし同時に地元の淡水二枚貝の個体数は壊滅的な打撃を受け、産業は半世紀ほどで衰退しました。この「真珠ボタン」の歴史について、スミソニアン協会が研究、調査、展示するテーマや題材を取り上げるメディアのSmithsonian magazineが解説しています。

How One German Button Maker Searched the Rivers of the American Midwest for the Shells That Could Make Him a Fortune
https://www.smithsonianmag.com/smithsonian-institution/how-one-german-button-maker-searched-the-rivers-of-the-american-midwest-for-the-shells-that-could-make-him-a-fortune-180989012/

現代のボタンは主にプラスチック製ですが、かつては貝殻から作られるものが主流でした。19世紀半ばのアメリカでは、ボタン工場が輸入した海産貝を使うのが一般的で、現地の淡水二枚貝はほとんど利用されていませんでした。ドイツでボタン職人として働いていたベップルは、アメリカ中西部の川で採取された淡水二枚貝の貝殻が届けられたことで、その貝殻が真珠のような光沢と十分な厚みを備えており、高品質なボタンの材料になることを見抜きます。そこで1880年代後半にベップルはアメリカへ移住し、中西部の河川でボタン作りに適した二枚貝を探し始めました。

ベップルは豊富な貝類が生息するアイオワ州マスカティンへ拠点を構え、1891年に最初の真珠ボタン工場を設立します。この成功をきっかけに同業者が次々と参入し、1905年にはマスカティンだけで数十の工場が設立され、年間約15億個ものボタンが生産されるまでに真珠ボタン産業が成長しました。1880年から1910年の間にマスカティンの人口は8000人から1万6000人に倍増し、「世界の真珠ボタンの都」と呼ばれるほど栄えました。以下は、ワシントンD.C.の国立自然史博物館に展示されている、真珠ボタンに使われたムール貝と実際に当時作られたボタン。


真珠ボタンに使われる貝殻は、十分な厚みがあり多くのボタンを作ることができる大型の個体が求められました。川底から採取した二枚貝の殻から「ブランク」と呼ばれる円盤状の素材を円形にくりぬいた後、研磨してから機械で穴を開けます。主に若い女性が担当する別の作業員がボタンを色別に選別し、1着の服に使われるボタンのセットを確保します。

真珠ボタンを作った後の二枚貝は、ボタンの形にくりぬかれた状態で川に捨てられることが多くありました。マスカティンにある国立真珠ボタン博物館の館長であるダスティン・ジョイ氏は、祖父母が住んでいたイリノイ州キースバーグのミシシッピ川沿いを歩いていた時のことを回想し、「川の底で穴だらけの貝殻を見つけた」と語りました。


産業が拡大するにつれて、工場周辺の二枚貝は急速に減少し、採集業者はより遠くの河川に漁場を移していきます。その結果、淡水二枚貝の個体数は急激に減少しました。二枚貝は成長が遅く、真珠ボタン製造に求められるほど大きな殻に成長するには何年もかかります。ジョイ氏は「需要と供給のバランスからして、真珠ボタン産業はいずれ立ち行かなくなる運命でした。天然資源を無分別に使いすぎました。この国では、こうした教訓を何度も繰り返さなければならないようです」と述べています。

貝の乱獲で個体数が減少しすぎたことを受け、真珠ボタン産業は淡水二枚貝の保護活動を開始しました。1908年に議会はアイオワ州に「フェアポート生物学研究所」を設立し、専門家が淡水二枚貝を研究し、ミシシッピ川への再導入を試みる場としました。その2年後、真珠ボタン産業の立役者であるベップルが研究所の一員に加わり、新たな採取技術を開発するとともに、二枚貝の生息地の規模や特性を記録しています。しかし、ベップルの活動はうまくいかず、「アイオワ州人名辞典」には「彼は将来の競合相手を混乱させるために、不必要な設備や薬品を発注した」と記述が残されています。


1920年代以降、安価で大量生産しやすいプラスチック製ボタンが普及しました。プラスチックボタンは真珠ボタンほど高品質ではありませんでしたが、製造がはるかに容易で、もちろん河川生物の繁殖に影響されることもありません。この時期にプラスチックへの切り替えを始めなかったボタン工場は次々と閉鎖され、1960年代を最後にマスカティンで真珠ボタンが製造されることはなくなりました。

現代でも淡水二枚貝は絶滅の危機にあり、生物多様性保護を中心とした活動を行う非営利団体の生物多様性センターでは「淡水二枚貝は米国で最も絶滅の危機に瀕している生物群です。水質汚染は、これらの清浄な水を好む生物に甚大な被害を与え、ダム建設は水質を悪化させ、二枚貝の生存に不可欠な宿主魚との生息環境を奪っています。すでに35種が絶滅したと宣言されており、さらに多くの種が絶滅した可能性が高いです」と記録されています。一方で、州規制および連邦規制によって多くの種が保護されており、ミシシッピ川に戻ってきた種もあります。ジョイ氏は「歴史はすべて価値があると思います。過去の人々が何をしたのか、それが正しかったのか間違っていたのかを学ぶことで、私たちは将来より良い決断を下せるようになるのです」と語っています。


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in メモ, Posted by log1e_dh

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