アート

中世の写本に「カタツムリと騎士の戦い」が大量に描かれているのは一体なぜ?


13世紀後半から15世紀のヨーロッパの写本には、なぜかドラゴンでも悪漢でもなくカタツムリと戦う騎士の姿が数多く描かれています。本の内容や文章の趣旨とは無関係なことが多い謎の挿絵について、イギリス・ウェールズのバンガー大学で中世文学を研究しているマデリン・S・キラッキー氏が考察しました。

Why medieval manuscripts are full of doodles of snail fights
https://theconversation.com/why-medieval-manuscripts-are-full-of-doodles-of-snail-fights-206255

キラッキー氏によると、カタツムリとの戦いが最初に見られるのは、1290年ごろの北フランスで制作された彩飾写本とのこと。それから数年すると、似たような挿絵がフランドル地域やイギリスなどヨーロッパ各地の写本に現れるようになりました。

カタツムリが登場する挿絵はしばしば文章の内容と無関係で、多くは角を鋭く伸ばしたカタツムリに立ち向かう完全武装の騎士の姿を描いたものでした。騎士の武器は多種多様で、やり、こん棒、メイス、フレイル、おの、剣、さらには農具のフォークの場合もあったそうです。


カタツムリとの戦いが写本の中で人気になるにつれて、中世の生活のさまざまな場所でこのモチーフが見られるようになりました。例えば、1310年にフランスのリヨン大聖堂の正面入り口に彫られた装飾には、犬頭のカタツムリに向かっておのを振りかぶる人物が描かれています。


ヨーロッパ大陸を横断して流行したにもかかわらず、「騎士対カタツムリ」の構図が国によって変わることがほとんどなかったことから、キラッキー氏は「このモチーフには深い意味があったことが示唆されています」と指摘しました。

とはいえ、カタツムリと騎士の戦いが中世で人気を博した正確な理由は、はっきりとはわかっていません。一説によると、真面目で無味乾燥な文章にユーモアを加えるための挿絵だったとのこと。つまり、本の読者が退屈しないようにと、目を楽しませるために描かれたものだというわけです。


挿絵の中には、騎士が剣を落としたりカタツムリに敗北してひざまずいたりしているものも多く、このことからも風刺的な意味合いが強調されています。


他方で、カタツムリは自分の家を持ち運ぶことができるので、中世の時代の人々からは並外れた力持ちだと認識されていました。そのため、カタツムリとの戦いには精神的な勇気や個人の強さを示す試練という側面もあるといわれています。

さらに、カタツムリはかりそめの勇気の象徴ともみなされており、真の強さと勇気を表現するために打倒する対象に選ばれたとも考えられています。


14世紀頃に流行したカタツムリと騎士の戦いのモチーフは、15世紀末の写本で短期間だけ復活したあと、時代の流れとともに写本から消えていきました。その名残は、イギリスに伝わる童謡の「24人の仕立屋がカタツムリを退治しに行った」という一節に見ることができます。

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in 生き物,   アート, Posted by log1l_ks

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