メモ

マヤ文明のエリート外交官の栄華と没落が発掘調査により明らかに


西暦726年頃にマヤ地域で外交官として活躍した人物は、高い地位に就いていたことから一定の幸福が約束されていたと考えられていました。しかし、新たな研究によって、高い地位の外交官であっても壮絶な人生を送るケースがあったことが示唆されました。

The Life Course of a Standard-Bearer: A Nonroyal Elite Burial at the Maya Archaeological Site of El Palmar, Mexico | Latin American Antiquity | Cambridge Core
https://www.cambridge.org/core/journals/latin-american-antiquity/article/abs/life-course-of-a-standardbearer-a-nonroyal-elite-burial-at-the-maya-archaeological-site-of-el-palmar-mexico/727E3FEDE7A0FE6CD698E139FA2F54B7

A Maya ambassador’s grave reveals his surprisingly difficult life | Ars Technica
https://arstechnica.com/science/2021/03/a-maya-ambassadors-grave-reveals-his-surprisingly-difficult-life/

広場の政治性-古代マヤ都市エル・パルマールを事例として-
(PDFファイル)http://jssaa.rwx.jp/kondankai_east005_shouroku_modified.pdf

オクラホマ大学のジェシカ・セレゾ・ローマ氏とカリフォルニア大学リバーサイド校の塚本憲一郎氏らが、メキシコの都市遺跡「エル・パルマール」の寺院から30歳~50歳で死亡したとみられる男性の骨を発見しました。この男性は寺院の階段に掘られた碑文などから、ラカム(旗手)の称号を持つ役人の末裔(まつえい)である、アフパチ・ワールという人物だと判明。さらに骨学や考古学の観点から調査を進めた結果、アフパチ・ワールが苦難の人生を歩んでいたことが判明します。

アフパチ・ワールはエル・パルマール王の旗手としての父親の立場を継ぎ、外交の任務にあたっていました。アフパチ・ワールの上部の前歯はヒスイ黄鉄鉱象眼細工が施されており、これはマヤ文明における高位の人物の象徴として一般的なものでした。

そして西暦726年9月13日、アフパチ・ワールはエル・パルマールから500km以上離れた現在のホンジュラス付近に存在した都市「コパン」の王との謁見(えっけん)を果たし、両都市間に外交関係を築き上げました。外交の記念として碑文入りの階段を作り上げたことで、アフパチ・ワールの地位は確固たるものになったと考えられていました。


しかしその栄華は長くは続きませんでした。外交関係樹立から数年でライバルの王朝がエル・パルマール王とコパン王を退位させたとみられており、政治的混乱が周辺地域を襲い、政情不安によりエル・パルマールに景気後退がもたらされたとのこと。

ジェシカ氏らはアフパチ・ワールの墓を発掘した時に、本来であれば宝石やその他の副葬品とともに埋葬されてしかるべき人物の墓であるにもかかわらず、2つの装飾された土器だけが埋葬されていたことから、その墓の簡素さに驚いたとのこと。このことから、ジェシカ氏らはアフパチ・ワールの後半生が決して豊かなものではなかったと判断しています。


さらにアフパチ・ワールの骨を調査したところ、アフパチ・ワールは歯周病でいくつかの歯を失っており、下顎に腫瘍の兆候が示されていたとのこと。これはアフパチ・ワールが晩年を絶え間ない歯痛の中で過ごし、やわらかい食べ物だけしか食べられなかったであろうことを意味しています。加えてアフパチ・ワールは歯の象眼細工を1つ失い、象眼細工が取れた後の穴には歯垢がたまり、硬化していた状態でした。このことから、アフパチ・ワールは歯の治療手術すらも受けられなかったとみられています。

ではアフパチ・ワールの人生がかつては輝かしいものであったかというと、そうではなかったと考えられています。アフパチ・ワールの骨は手首や右肘、両足などに関節炎の兆候が見られ、これは起伏のある地形を何百kmも旗を掲げて歩いた場合に予測される症状と合致しています。かつての外交は明らかにフィールドワークが中心であったことが分かり、アフパチ・ワールは常に過酷な任務に就いていたとみられます。

また、アフパチ・ワールはその高い社会的地位の家系に生まれたにもかかわらず、子ども時代から栄養失調などの問題を抱えていたとのこと。アフパチ・ワールの頭蓋骨には、小児期の病気や栄養失調に対する体の反応であるポロティック過骨症の兆候が見られ、腕にはビタミンCの欠乏から発生する壊血病によって引き起こされたとみられる炎症の跡も見つかっています。このことから、この時代の生活はどんな階級の人物にとっても不安定で、困難なものだったとジェシカ氏らは考えています。

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