【訃報】無敗で三冠を達成した“日本近代競馬の結晶”ディープインパクト死去
2004年12月にデビューし、2005年の皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞を無敗で制したほかGⅠレースを合計7勝、「日本近代競馬の結晶」という実況フレーズも知られるディープインパクトが、頸椎骨折のため安楽死処置となったことがわかりました。17歳でした。
ディープインパクト号 急逝のお知らせ
https://shadai-ss.com/news/info/news-1981/
社台スタリオンステーションによると、ディープインパクトはかねてから首の治療を行っていて、2019年7月28日に手術を受けたとのこと。この手術は無事に終わり、経過も安定していたとのことですが、7月29日午前中に突然立てなくなり、7月30日早朝にレントゲン検査を行ったところ頸椎骨折が発覚。回復の見込みが立たないため、安楽死の処置が執られました。
ディープインパクトの父はサンデーサイレンス。アメリカの三冠レースをライバル・イージーゴアと争い2勝1敗で勝ち越し、年度代表馬にもなったものの、父・ヘイローの種牡馬成績があまり良くなかったことや、血統に対する評価が低かったこと、当時のオーナーの経済的状況、オーナーと社台グループ総帥・吉田照哉氏の親交など様々な要素が絡み合い、1991年から日本で種牡馬生活を送りました。その種牡馬成績は、1995年から2007年まで13年連続でリーディングサイアーになるという圧倒的なものでした。
母はウインドインハーヘア。アイルランド産で、現役時代は13戦3勝。2001年にサンデーサイレンスの子としてブラックタイドを生み、2002年に同じくサンデーサイレンスの子として生まれたのがディープインパクトでした。ブラックタイドはデビュー後、5戦目のスプリングS(GⅡ)を勝利してクラシック戦線での活躍が期待されましたが、皐月賞は16着に敗れ、レース後、屈腱炎で2年休むことに。
兄の休養中にデビューしたディープインパクトは、新馬戦から無敗のまま皐月賞に挑み、単勝1.3倍の1番人気を背負って勝利。
2005 皐月賞 - YouTube
さらに、東京優駿も危なげなく勝利。
2005 日本ダービー - YouTube
そして三冠レースのラスト・菊花賞では単勝オッズ1.0倍という圧倒的人気に応えて、1984年のシンボリルドルフ以来、21年ぶり2頭目の「無敗の三冠馬」となりました。菊花賞では、FNS系列でレース実況を担当した関西テレビ・馬場鉄志アナウンサーから「世界のホースマンよ見てくれ!!これが日本近代競馬の結晶だ‼︎」というフレーズが飛び出しました。
以下の映像はJRAのものなので、馬場アナウンサーの実況は入っていませんが、最後の直線でのディープインパクトの脚がよくわかります。
2005 菊花賞 - YouTube
この年、無敗の三冠馬として有馬記念にも出走しましたが、1世代上のハーツクライに敗れて2着。
2005 有馬記念 - YouTube
2006年は阪神大賞典(GⅡ)、天皇賞(春)(GⅠ)、宝塚記念(GⅠ)と勝利して、ヨーロッパのチャンピオン決定レースといえる凱旋門賞に挑戦。レースでは3位入選で、のちに禁止薬物検出のため失格。帰国後はジャパンカップ(GⅠ)、有馬記念(GⅠ)と2勝して、引退しました。
2006 有馬記念 - YouTube
2007年からは種牡馬生活を送り、2012年から2018年まで連続でリーディングサイアーとなりました。好成績ゆえに、種付け料は最終シーズンとなった2019年で受胎確認後4000万円となっていました。
JRAではディープインパクト追悼の特設サイトを開設しています。
Deep Impact Forever -追悼 ディープインパクト- JRA JRAレーシングビュアー
https://prc.jp/deepimpact-forever/
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