取材

東京優駿(日本ダービー)の歴代優勝馬の写真一覧


ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になるより難しい」というイギリスの名宰相であるウィンストン・チャーチルの言葉は実は作り話だったそうですが、とにもかくにもダービー馬のオーナーになることが難しいというのは事実。日本でも、競走馬を所有するオーナーたちの一つの目標がこのレースを制することであり、あるものが馬主登録をしてわずか2年であっさりと所有馬がダービーを勝つ一方で、毎年ダービーに執念を燃やしながらも今一歩届かないオーナーもいます。

そんな輝かしいダービーの歴史が、東京競馬場に刻まれていました。これまで、どのような馬たちが日本ダービーを制してきたのか、それぞれの馬の写真付きで見られるようになっていたので紹介します。

東京競馬場の正門から入って左手側、ローズガーデンの近くにこのメモリアルプレートは存在します。


1932年、第1回の「東京優駿大競走」を制したのはワカタカでした。
父は戦前の日本競馬界を代表する名種牡馬トウルソヌル、母はサラ系の種信。現在の天皇賞の前身である帝室御賞典連合二哩など21戦12勝の成績を残しましたが、サラ系であったこともあり種牡馬としては成功を収めることはできませんでした。


第2回優勝馬:カブトヤマ
父はトウルソヌルとともに戦前~1940年代の競馬を支えたシアンモア、母は帝室御賞典や連合二哩を勝ったアストラル。引退後は種牡馬となり、ダービー馬のマツミドリなどを送り出しました。


第3回優勝馬:フレーモア(父:シアンモア、母:アストラル)
秋田県の土田農場で生まれました。秋田県産馬がダービーを制したのは今のところ本馬だけ。引退後は種牡馬となりましたが1945年に種牡馬も引退し、戦後の混乱の中で消息不明になったそうです。


第4回優勝馬:ガヴアナー(父:シアンモア、母:アストラル)。フレーモアの全弟にあたり、史上初のダービー兄弟制覇となりました。このダービーでは不良馬場としてのレコードタイムも記録したヴアナーですが、優勝13日後、調教中に骨折して安楽死の処置がとられました。


第5回優勝馬:トクマサ(父:トウルソヌル、母:種正)。
全姉に帝室御賞典優勝馬のキンチヤン。引退後は朝鮮の牧場で種牡馬として繋養されていましたが、1943年以降は資料が散逸もあって消息不明です。


第6回優勝馬:ヒサトモ(父:トウルソヌル、母:星友)
ヒサトモは牝馬として初めてダービーを制しました。このレースでは同じく牝馬であるサンダーランドが2着に入っており、今のところダービーとしては史上唯一の牝馬によるワンツーフィニッシュとなっています。26戦14勝の成績を残して繁殖入りしましたが成績はパッとせず、戦後の馬不足の中で競走馬が足りないことから地方競馬で復帰させるプランが浮上。16歳ながら現役に復帰し、5戦2勝の成績を挙げました。しかし、調教後に倒れ込むように死亡、遺体は行方不明となりました。その後、産駒で唯一の牝馬だったブリューリボンが細々と血を残すだけという状況になっていましたが、馬主の内村正則氏がこの血統のことを知って保護のために子孫を次々と購入。ヒサトモから見て5代目の孫であるトウカイローマンが1984年のオークスに勝利するなど、勢いを取り戻しています。


第7回優勝馬:スゲヌマ
父はイギリスから輸入されたロックサンド系のプライオリーパーク、母は国宝で、母の血統が不明であることからサラ系に分類されました。ダービーのほか帝室御賞典など23戦12勝の成績を残しましたが、1939年の目黒記念で興奮剤を使用したことが発覚し失格となり、これが引き金で引退することになりました。種牡馬成績は芳しくなく、戦後は消息不明となりました。


第8回優勝馬:クモハタ(父:トウルソヌル、母:星旗)
セリ市において最高価格で落札されましたが、蹄叉腐爛という病気のためデビューが遅れ、ダービー8日前にようやくデビューしたものの出遅れて2着に敗北。ダービー3日前に初勝利を挙げました。ダービーには20頭中8番人気で出走し、見事優勝を飾りました。生涯成績は21戦9勝で、種牡馬となってからは多くの活躍馬を出して1952年から57年までリーディングサイアーとなりました。しかし、1953年夏に日高地方で流行した馬伝染性貧血に罹患、殺処分を受けました。


第9回優勝馬:イエリユウ(父:トウルヌソル、母:山妙)
全兄のタエヤマはダービー2着で、その仇を討つような形でダービー制覇を成し遂げたイエリユウ。ダービー後も現役生活を続けトータルで16戦6勝という成績を挙げていましたが、急性脳膜炎のため死亡しました。死因については馬伝染性貧血と関連しているという説もあります。


第10回優勝馬:セントライト(父:ダイオライト、母:フリッパンシー)
皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞の3レースを三冠と呼びますが、日本の中央競馬で初めてこの三冠馬となったのがセントライトです。その業績を称え、菊花賞のトライアルレースは「セントライト記念」と同馬の名前がつけられています。種牡馬成績は上々でしたが、現在に父系の血を残すことはできませんでした。


第11回優勝馬:ミナミホマレ(父:プリメロ、母:フロリスト)
デビュー後、横濱農林省賞典4歳呼馬(現在の皐月賞にあたる)でアルバイトの2着になり、ダービーではアルバイトを交わしてレコードタイムで優勝しました。種牡馬としてもゴールデンウエーブ、ダイゴホマレという2頭のダービー馬を出して父子制覇を果たしたほか、オークス馬のジツホマレなど多くの活躍馬を出しました。


第12回優勝馬:クリフジ(父:トウルヌソル、母:賢藤)
ダービーの1着賞金が1万円だった当時に、セリ市で4万円という高額で落札されたクリフジ(ただし、この時のセリでは6万円の値がついた馬が2頭いた)。横濱農林省賞典4歳呼馬(現:皐月賞)にはデビューが間に合わず、5月にデビュー。ダービーでは2着に6馬身差をつける圧勝で、牝馬としてヒサトモ以来の勝利。その後、阪神優駿牝馬(現:オークス)、京都農商省賞典4歳呼馬(現:菊花賞)を制して変則三冠馬となりました。繁殖入りしてからは、母子での優駿牝馬制覇を達成となるオークス馬ヤマイチなどを出しました。現在も、クモハタ記念を勝ったイチジヨウの子孫がその血を現代に伝えています。


第13回優勝馬:カイソウ(父:月友、母:第二ベバウ)
1944年、第二次世界大戦のさなかということもあって競馬は能力検定競走として実施され、東京優駿も軍人や関係者など200人が見守るだけという寂しいレースでした。カイソウはこのレースを制し、その後長距離特殊競走(現:菊花賞)に挑みました。レースはカイソウが1着でゴールし二冠馬になったかと思われましたが、全出走馬がコースを間違えたためにレースは不成立となりました。カイソウの母系にはサラブレッドではなくスタンダードブレッドの血が入っていたため、種牡馬になることはなく乗馬となり、1945年の名古屋大空襲を最後に消息を絶ちました。


第14回優勝馬:マツミドリ(父:カブトヤマ、母:栄幟)
第2回のダービー馬であるカブトヤマの子で、初のダービー親子制覇を果たしました。引退後は種牡馬となったものの、1953年の馬伝染性貧血流行で罹患し、殺処分を受けました。


第15回優勝馬:ミハルオー(父:月友、母:第参フラッシングラス)
農林省賞典ではヒデヒカリの3着に敗れましたが、ダービーでは1番人気に応えて勝利、その後は天皇賞(春)などに勝っています。


第16回優勝馬:タチカゼ(父:プリメロ、母:第参パプース)
タチカゼは1946年生まれで、1948年にデビューしました。ダービー前のレース結果が惨憺たるものだったため、ダービーでは23頭中19番人気という低い人気になり、調教師も厩舎に帰ってしまう有様でした。レースは1番人気の皐月賞馬・トサミドリがハイペースで暴走、桜花賞馬・ヤシマドオターら3頭が落馬するなど異常な雰囲気の中でタチカゼが勝利。単勝が554.3倍、複勝も92.3倍という高配当の結果になりました。ダービー後は大きいところは勝てず、16戦7勝で引退。種牡馬としても目立った産駒を出すことなく、1965年に死亡しました。


第17回優勝馬:クモノハナ(父:プリメロ、母:第参マンナ)
初期の戦績はあまり芳しくないクモノハナ。皐月賞には10戦1勝という成績で挑み、2着に4馬身差をつけ勝利。ダービーでは1番人気に推され、見事勝利。三冠を期待され菊花賞に挑みましたが、皐月賞で2着だったハイレコードが名前の通りレコード勝ちを収めました。引退後は中山大障害(春)のクロシオを出しましたが、1959年に種牡馬も引退。


第18回優勝馬:トキノミノル(父:セフト、母:第二タイランツクヰーン)
新馬戦を圧勝し、さらにそこから8連勝で皐月賞に挑んだトキノミノル。単勝支持率73.3%という圧倒的な支持を得て、レースでは従来のレコードを6秒1も短縮する記録をたたき出しました。ダービーでは直前に脚部不安が見られたものの、またも圧倒的な1番人気に推され、それに応えて勝利しました。しかし、競走後に破傷風感染が発覚、ダービー勝利の17日後に破傷風から来る敗血症で死亡しました。作家の吉屋信子さんが「ダービーに勝つために生まれてきた幻の馬だ」と評したことから、「幻の馬」の愛称で親しまれています。


第19回優勝馬:クリノハナ(父:プリメロ、母:オホヒカリ)
皐月賞を勝利後、史上最多の31頭が出走したダービーを制して二冠馬となりました。三冠目の菊花賞を目指して調教中に故障して引退、種牡馬としては3頭の天皇賞馬を出しました。


第20回優勝馬:ボストニアン(父:セフト、母:神正)
皐月賞、この年から新設されたNHK杯を勝ってダービーへ向かったボストニアン。この年は前年にも増して頭数が増え33頭となり、レースは大混戦となりましたが、1番人気に応えて勝利。三冠は間違いないと見られていましたが、皐月賞で2着だったハクリヨウの3着と敗れました。引退後は種牡馬となり、父・セフトの後継となることを期待されましたがほとんど活躍馬は出せませんでした。


第21回優勝馬:ゴールデンウエーブ(父:ミナミホマレ、母:ユウコ)
もともとはネンタカラという名前で大井競馬で走っていましたが、中央に移籍してゴールデンウエーブと改名。ダービーでは人気薄ながら皐月賞馬でのちに菊花賞も制するダイナナホウシユウなどを差しきって勝利しました。ちなみに、父のミナミホマレもダービー馬で、親子制覇を達成しています。


第22回優勝馬:オートキツ(父:月友、母:トキツカゼ)
皐月賞と優駿牝馬を制した名牝・トキツカゼの子であるオートキツはダービー前にはそれほど注目された存在ではありませんでしたが、レースではセントライトと並ぶ日本ダービー史上最大の8馬身差をつけて圧勝。馬主の川口鷲太郎氏は悲願のダービー制覇を果たしたのちに亡くなっており、葬儀にはオートキツも参列したそうです。


第23回優勝馬:ハクチカラ(父:トビサクラ、母:昇城)
皐月賞馬ヘキラクや朝日杯3歳ステークス馬キタノオーなどの強敵がいる世代でダービーを制し、前述の2頭とともに三羽烏と呼ばれました。天皇賞や有馬記念を制して日本最強となったハクチカラは史上初の海外遠征を敢行、海外で17戦を行いワシントンバースデイハンデキャップで歴史的勝利を収めました。種牡馬としては活躍馬を出せずインドに輸出され、現地で活躍馬を出しました。


第24回優勝馬:ヒカルメイジ(父:Bois Roussel、母:イサベリーン)
4連勝で皐月賞に挑むも重馬場に泣かされてカズヨシの2着に敗れたヒカルメイジは、ダービーではカズヨシや2冠牝馬だったミスオンワードを抑えて優勝。種牡馬としては菊花賞馬グレートヨルカなどを輩出、長寿としても知られ30歳まで生きました。


第25回優勝馬:ダイゴホマレ(父:ミナミホマレ、母:トキフジ)
地方競馬から中央競馬に移籍して弥生賞、スプリングステークスを快勝。皐月賞は3着に敗れるも、ダービーは逃げ切り勝ち。その後は活躍できずに引退しました。種牡馬としても活躍はできませんでしたが、長く大事に扱われました。


第26回優勝馬:コマツヒカリ(父:トサミドリ、母:イサベリーン)
ダービー馬ヒカルメイジの半弟で、ダービーを兄弟で制覇しました。このときのダービーは雨が続いた結果不良馬場で、1番人気の皐月賞馬ウイルデイールは不良馬場を苦手としていた一方、コマツヒカリ鞍上の古山良司騎手は重馬場を得意としていたことからしめたものだと思っていたそうで、後続に2馬身半の差を付けて勝利を収めました。


第27回優勝馬:コダマ(父:ブッフラー、母:シラオキ)
特急「こだま」にちなんで名付けられたコダマは、その名に相応しく無敗で皐月賞、ダービーの二冠を制し「トキノミノルの再来」と騒がれました。調教師の武田文吾師はのちに三冠馬シンザンの管理も担当、コダマとシンザンの違いを「シンザンはナタの切れ味、コダマはカミソリの切れ味」と評しました。


第28回優勝馬:ハクシヨウ(父:ヒンドスタン、母:グレースフルアイヴィ)
朝日杯3歳ステークスを含む6連勝で最優秀3歳牡馬となったハクシヨウは、皐月賞では11着と大敗、NHK杯でも4着に敗退しました。しかし、皐月賞で勝ったシンツバメ、NHK杯で勝ったチトセミノルがいずれもダービーを回避した結果、1番人気に推されることになりました。1番人気とはいってもかなりばらけた中での人気で、2番人気にはオークスを勝利したのち、連闘で挑んできたチトセホープが入っていました。レースでは最後の直線でメジロオーが突っ込んできて長い写真判定となり、「髪の毛1本」とも言われる僅差でハクシヨウが勝利しました。メジロオーのオーナー北野豊吉氏は以後、メジロ牧場を設立してオーナーブリーダーとして活動するようになり、自分の生産した馬で3代続けて天皇賞を制覇するに至ります。


第29回優勝馬:フエアーウイン(父:ゲイタイム、母:フェアハネー)
デビューから8戦5勝2着2回の好成績で皐月賞に挑んだフエアーウインは11着に惨敗。ダービーでは6番人気になります。しかし、レースでは皐月賞馬のヤマノオー、のちの天皇賞馬コレヒサらを3/4馬身抑えて勝利。このとき、2着のヤマノオーとコレヒサはダービー初の同着となりました。馬主の溝本儀三男氏は馬主歴わずか10年弱でダービー馬のオーナーになるという名誉を手にしたことになります。その後はぱっとした成績を残せず、種牡馬としても子孫を残すことはできませんでした。


第30回優勝馬:メイズイ(父:ゲイタイム、母:チルウインド)
ダービー馬だけでもフレーモア、トクマサ、クリフジ、クリノハナ、ハクチカラ、ハクショウと6頭を送り出した名調教師尾形藤吉が仔馬の時点で素質を高く評価したメイズイ。同時代のライバルには第24回ダービー馬のヒカルメイジの子・グレートヨルカがおり「MG対決」と騒がれました。二頭の対決は、皐月賞はメイズイがレースレコードで勝利しグレートヨルカは2着、日本ダービーはメイズイが日本レコードで勝利しグレートヨルカはまたも2着、菊花賞ではグレートヨルカが勝利しメイズイは6着に沈みました。メイズイを生産した千明牧場では第7回ダービー馬のスゲヌマも生産しており、生産者の千明康氏は父の賢治氏と父子二代でダービー馬を生産したことになります。


第31回優勝馬:シンザン(父:ヒンドスタン、母:ハヤノボリ)
デビューのころは目立つ馬ではなかったものの、皐月賞に出走する頃には他の有力馬を圧倒する力をつけており、最終的にセントライト以来23年ぶりの三冠馬となりました。その後、天皇賞や有馬記念も勝利したことで五冠馬と呼ばれることもあります。引退後は種牡馬となり、二冠馬ミホシンザンや菊花賞馬ミナガワマンナを輩出しました。


第32回優勝馬:キーストン(父:ソロナウェー、母:リットルミッジ)
デビューから無傷の6連勝を飾るもスプリングステークスで初黒星、皐月賞でも大敗しました。しかしダービーを逃げ切って勝利、菊花賞も2着と実力を見せました。その後も2年にわたって活躍。しかし、引退レースとなった阪神大賞典で故障し安楽値処置が取られました。このとき、キーストンは左前足が脱臼し皮だけでつながっている状態でしたが、落馬した山本正司騎手のもとへ寄り添うという姿を見せました。


第33回優勝馬:テイトオー(父:ソロナウェー、母:マナスル)


第34回優勝馬:アサデンコウ(父:シーフユリユー、母:ニユーベツシー)


第35回優勝馬:タニノハローモア(父:ハロウェー、母:ジヨオー)


第36回優勝馬:ダイシンボルガード(父:イーグル、母:ワカザクラ)


第37回優勝馬:タニノムーティエ(父:ムーティエ、母:タニノチエリ)


第38回優勝馬:ヒカルイマイ(父:シプリアニ、母:セイシュン)
サラ系として登録されたヒカルイマイは4番人気の皐月賞を制し、ダービートライアルのNHK杯も勝利。当時のダービーは20頭~30頭という出走頭数で行われていたため馬群の前の方にいないととても勝てないと言われていましたが、ヒカルイマイは後方からレースを進め、直線だけで22頭を差しきって勝利しました。菊花賞も目指したものの、脚部不安のため引退。しかし、種牡馬としてはサラ系だったため人気が出ず、鹿児島で余生を過ごしました。


第39回優勝馬:ロングエース(父:ハードリドン、母:ウインジェスト)


第40回優勝馬:タケホープ(父:インディアナ、母:ハヤフブキ)
競馬ファンだけではなく一般人にまで人気を博したアイドルホース・ハイセイコーがクラシックに挑戦したのがこの年。地方競馬から中央競馬に移籍したハイセイコーは移籍後4連勝で皐月賞を制覇、ダービーに向かってきました。しかし、そこに立ちはだかったのがタケホープで、9番人気ながらも勝利。さらに、菊花賞でもハイセイコーを下して二冠馬となりました。引退後はハイセイコーがダービー馬カツラノハイセイコなどを出す中、タケホープはあまり活躍馬を出せませんでした。


第41回優勝馬:コーネルランサー(父:セダン、母:エオス)


第42回優勝馬:カブラヤオー(父:ファラモンド、母:カブラヤ)


第43回優勝馬:クライムカイザー(父:ヴェンチア、母:クインアズマ)


第44回優勝馬:ラッキールーラ(父:ステューペンダス、母:トースト)


第45回優勝馬:サクラショウリ(父:パーソロン、母:シリネラ)


第46回優勝馬:カツラノハイセイコ(父:ハイセイコー、母:コウイチスタア)


第47回優勝馬:オペックホース(父:リマンド、母:ホースジョー)


第48回優勝馬:カツトップエース(父:イエローゴッド、母:アコニット


第49回優勝馬:バンブーアトラス(父:ジムフレンチ、母:バンブーシザラ)


第50回優勝馬:ミスターシービー(父:トウショウボーイ、母:シービークイン)
まるで二段ロケットのように伸びてくる追い込みを武器にシンザン以来19年ぶりの三冠馬となったミスターシービー。種牡馬としても初年度・2年目にヤマニングローバル、シャコーグレイドといった活躍馬を出しましたが、種付け権利には市場で当時史上最高額の2001万円という値が付けられました。しかし、それ以降は重賞で活躍するような産駒は出ず、2000年に亡くなりました。


第51回優勝馬:シンボリルドルフ(父:パーソロン、母:スイートルナ)
”日本競馬最強馬”と称されることもあるシンボリルドルフ。皐月賞を勝利したとき、鞍上の岡部騎手は「1冠目」を示すように1本指を高々と掲げました。続くダービーでは単勝1.3倍と圧倒的な支持を受け、それに応えるように勝利。さらに菊花賞も制し、無敗の三冠馬となりました。このとき、ルドルフがあまりに強かったため、菊花賞では出走を辞退する陣営もいたほどです。最終的に15戦13勝という戦績を手にアメリカ遠征を行いますが、その初戦であるサンルイレイステークスで繋靭帯炎を発症して6着に敗れ、引退となりました。種牡馬としても活躍、二冠馬となるトウカイテイオーなどを輩出しました。


第52回優勝馬:シリウスシンボリ(父:モガミ、母:スイートエプソム)
1985年のクラシック戦線の中心はシンザン最良の産駒と呼ばれたミホシンザンでしたが、皐月賞を勝利したミホシンザンは骨折のためダービーを回避。そんなダービーを制したのがシリウスシンボリでした。蹴り癖のある馬で、1988年の毎日王冠ではゲート入り前にレジェンドテイオーとダイナアクトレスに蹴りをお見舞いし、レジェンドテイオーを発走除外に追い込んでいます。種牡馬としては成功せず、現在は功労馬として余生を過ごしています。


第53回優勝馬:ダイナガリバー(父:ノーザンテースト、母:ユアースポート)


第54回優勝馬:メリーナイス(父:コリムスキー、母:ツキメリー)


第55回優勝馬:サクラチヨノオー(父:マルゼンスキー、母:サクラセダン)


第56回優勝馬:ウィナーズサークル(父:シーホーク、母:クリノアイバー)


第57回優勝馬:アイネスフウジン(父:シーホーク、母:テスコパール)


第58回優勝馬:トウカイテイオー(父:シンボリルドルフ、母:トウカイナチュラル)


第59回優勝馬:ミホノブルボン(父:マグニテュード、母:カツミエコー)


第60回優勝馬:ウイニングチケット(父:トニービン、母:パワフルレディ)


第61回優勝馬:ナリタブライアン(父:ブライアンズタイム、母:パシフィカス)
半兄ビワハヤヒデが菊花賞に勝つなどしたため「ビワハヤヒデの弟」としてデビュー当時注目を集め、その期待に応えるように勝利を挙げていったナリタブライアン。しかし、自分の影を怖がるようなところがあったためシャドーロールをつけることになりました。のちのち、このシャドーロールはナリタブライアンを象徴するアイテムになり、「シャドーロールの怪物」と呼ばれることになります。三冠レースは危なげなく勝利し、シンボリルドルフ以来の三冠馬となりました。結局、兄弟で対戦することはなく21戦12勝で引退し種牡馬となりました。しかし、繁殖2シーズン目を終えた1998年6月に胃破裂で死亡。2世代の産駒を残しましたが、後継種牡馬は残せませんでした。


第62回優勝馬:タヤスツヨシ(父:サンデーサイレンス、母:マガロ)


第63回優勝馬:フサイチコンコルド(父:Caerleon、母:バレークイーン)


第64回優勝馬:サニーブライアン(父:ブライアンズタイム、母:サニースイフト)


第65回優勝馬:スペシャルウィーク(父:サンデーサイレンス、母:キャンペンガール)
1998年クラシック戦線中心の一頭で、皐月賞は3着に敗れるもののダービーでは武豊に初のダービー制覇をプレゼントしました。同時代にはエルコンドルパサーグラスワンダーテイエムオペラオーなどの強敵がいましたが、当時の世界最高賞金獲得額である10億9262万3000円を記録しました。


第66回優勝馬:アドマイヤベガ(父:サンデーサイレンス、母:ベガ)


第67回優勝馬:アグネスフライト(父:サンデーサイレンス、母:アグネスフローラ)


第68回優勝馬:ジャングルポケット(父:トニービン、母:ダンスチャーマー)


第69回優勝馬:タニノギムレット(父:ブライアンズタイム、母:タニノクリスタル)


第70回優勝馬:ネオユニヴァース(父:サンデーサイレンス、母:ポインテッドパス)


第71回優勝馬:キングカメハメハ(父:Kingmambo、母:マンファス)
いわゆる三冠レースとは皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞を指し、二冠とはこのうち2つのレースを制することを言います。しかし、キングカメハメハは皐月賞に出走せずNHKマイルカップを選び勝利、さらにダービーを勝って、変則二冠馬となりました。


第72回優勝馬:ディープインパクト(父:サンデーサイレンス、母:ウインドインハーヘア)
デビュー戦直後からその強さは知られており、その期待通りシンボリルドルフ以来21年ぶりの無敗の三冠馬となりました(三冠馬としてはナリタブライアン以来)。その年の有馬記念ではハーツクライに不覚を取りましたが、他のレースではほかの馬の先着を許しませんでした。2006年には凱旋門賞に遠征しますが3着に敗れ、しかも現地での禁止薬物が検出されるという騒動も。現在は種牡馬となっており、最初の子ども世代が今年デビューとなります。


第73回優勝馬:メイショウサムソン(父:オペラハウス、母:マイヴィヴィアン)


第74回優勝馬:ウオッカ(父:タニノギムレット、母:タニノシスター)
父・タニノギムレットはダービー馬であり、初の親娘制覇を達成。牝馬のダービー出走は11年ぶりで、勝利はクリフジ以来64年ぶりでした。その後、天皇賞(秋)制覇や安田記念連覇など、牡馬と互角以上の戦いを繰り広げ、2010年に引退しました。


第75回優勝馬:ディープスカイ(父:アグネスタキオン、母:アビ)


第76回優勝馬:ロジユニヴァース(父:ネオユニヴァース、母:アコースティクス)


今後、ここにどんな馬の名前が入っていくのでしょうか。

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in 取材, Posted by logc_nt

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