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「0」という数字の血なまぐさい起源と「ソフト・パワー」による発展とは?


数字としての「ゼロ(0)」の概念は5世紀頃のインドが起源と言われていますが、そんなゼロという数字にまつわる血なまぐさい起源とそこからゼロの概念がどのように広まったかについて、YouTubeチャンネルのNightshiftが解説しています。

The Bloody Origins of the Number Zero - YouTube


0という数字の歴史として、Nightshiftはまず紀元前265年頃の古代インドで発生したマウリヤ朝とカリンガ国によるカリンガ戦争について説明しています。カリンガ戦争ではおよそ10万人が死亡し、さらに多くの人々が強制移住させられたと伝えられています。マウリヤ朝のアショーカ王は戦争の惨状から深い後悔に襲われたことでやがて仏教に帰依し、武力による支配ではなく寛容や社会福祉を重視する政策を推進し、道路や井戸の整備などを進めたとされています。


アショーカ王が整備を推進した道路網は交易にも利用され、インド内陸部の市場と海港を結びました。海上交易で物資がより広く行き渡るようになったほか、仏教も商人や僧侶によって広まり、交易路沿いには多くの僧院が建設されました。アショーカ王の没後1世紀ほどでマウリヤ朝が崩壊しても、商人のネットワークや僧院は存続して往来を続けました。


4世紀頃になると、インドではグプタ朝のもとで学問や科学が発展します。特に「古代世界で最も偉大な学問の中心地の1つ」と言われるナーランダー僧院には巨大な図書館もあり、多くの学者が数学や天文学の研究を行いました。この時代に、現在の十進法につながる複数の数字を並べて数を表す位取り記数法が発展しています。


位取り記数法を用いていた古代中国では「空位」として記していたゼロの位置をバビロニアでは記号で表しており、これがインドに伝わった結果、位取り記数法の発展に合わせて5世紀頃に「0」という記号が使われ始めたと考えられています。7世紀には数学者ブラフマグプタが「ゼロの概念」を定義し、その計算規則を体系化した「ブラーマ・スプタ・シッダーンタ」を執筆しました。ここには、「空位」とは「何もない」ことを示すのではなく、「意味のあるもの」であるという仏教の思想も関連しているとされています。


その後、インドではヒンドゥー教が支持されるなど仏教が下火になったこともあり、仏教僧や学者、商人のネットワークを通じて、インドの知識は中東へと伝わっていきました。8世紀にはバグダードに「知恵の館」と呼ばれる学問機関が設立され、インドの数学や天文学の書物がアラビア語に翻訳され、イスラム世界へと広がりました。


さらに、インドの知識はスペインを経由してヨーロッパにも伝わりました。13世紀にはイタリアの数学者であるレオナルド・フィボナッチが著書「算盤の書」でインド数字を紹介し、商人の計算や会計に大きな変化をもたらしました。これにより、ローマ数字に依存していたヨーロッパの計算方法は大きく変わり、後の科学や金融の発展を支える基盤となります。


一方でインド本土では、北方からの侵攻などにより学問の中心地だったナーランダー僧院が破壊され、多くの文献が失われました。その後ヨーロッパ諸国が海上交易を支配するようになり、インドは長い植民地支配の時代へと入ります。それでも、インドから広がった知識の影響は現在まで残っています。インド文明が世界に影響を与えたのは武力によるものではなく、知識や交易による「ソフト・パワー」の重要な例であるとNightshiftは指摘しています。

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in 動画, Posted by log1e_dh

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