映画「スター・ウォーズ」シリーズで腕の切断シーンが象徴するものとは?
全世界で絶大な人気を誇る映画「スター・ウォーズ」シリーズでは、エピソード5のルークvsダース・ベイダーを筆頭として「腕が切断されるシーン」が何度か登場します。そこにはどういった意味が込められているのか、映画やドラマの中身を考察するYouTubeチャンネル「ScreenPrism」が明らかにしています。
Star Wars Symbolism: Hands Off!
「スター・ウォーズ」シリーズには、「腕が切断されるシーン」が何度も登場します。
この何度も登場する「腕の切断」が何を象徴するものなのか解き明かすのが、このムービーです。
スター・ウォーズは黒澤明監督の映画に大きく影響を受けているとのこと。
初の切断シーンは、シリーズ1作目として公開された「スター・ウォーズ/エピソード4 新たなる希望」で、惑星タトゥイーンの酒場「カンティーナ」で登場。
このシーンは黒澤明監督の映画「用心棒」に影響を受けています。
また、スター・ウォーズはジョーゼフ・キャンベル氏の「千の顔をもつ英雄(上)」「千の顔をもつ英雄(下)」が論じる神話構造からも大きなヒントを得ています。
神話構造で大事なのは、主人公が受ける「苦難」です。
キャラクターは苦難に直面することにより、大きく変化していきます。
体の一部を切断されることは大きな苦難であり……
観客に対して容易にキャラクターの苦しみを想像させることが可能。
また、腕の切断はキャラクターの意思や力の喪失を象徴しています。人間にとって、「腕」はアイデンティティーそのものと重なり合う部分が多く……
武器を手に取って戦う戦士にとっては、腕の喪失こそが力の喪失にもつながります。
戦士にとって武器を手にして戦うことこそが生活の手段であり、自分自身を守るための方法でもあります。
腕を失うことは、実存の危機を連想させるものでもあるとのこと。
反対に、腕の切断によって新たなアイデンティティーを獲得する、という現象もみられます。
それは、切断された腕の代わりに新たな義肢や代替品を得ることにより、人体が部分的に改造されることで起こります。
ピーター・パンの敵として登場するキャプテン・フックなどはその最たる例です。
キャプテン・フックはその名前の通り、失った腕の代わりに装着したカギ爪(フック)がアイデンティティーとなっています。
ルーク・スカイウォーカーはダース・ベイダーに腕を切り落とされたことにより……
純真なだけの人間ではなくなります。
なぜなら、腕の喪失と同時に、敵であるダース・ベイダーの本当の正体を知ることになるからです。
ルークが手に入れた新しい機械の腕は、ルークが根本的に別の人間になったことを表しており……
ルークが自分で選んだ道を歩み始めていることを観客に示します。
一方、アナキン・スカイウォーカーは四肢を失いました。
そこでアナキンは新たな機械の体を手にしますが……
それだけでなく、新しいイデオロギーとアイデンティティーをも手にします。
アナキンは四肢の喪失により、アナキン・スカイウォーカーという人間からダース・ベイダーという新たな存在に生まれ変わるのです。
一方、腕を切り落とすという手段は戦闘における有効な防御としても使用されます。
手を切り落とすことは、相手を死に至らしめることなく、素早く戦いを終わらせる手段なのです。
ライトセーバーで腕を切り落とした場合、切断面はすぐにやけどで止血されるために出血が少ない点も、非致死性の防衛手段として有効になります。
そして、腕を切断されたところでスター・ウォーズ内では簡単に機械の腕を入手可能なため……
腕を切り落とすという方法は、「相手を殺したくはないが無力化したい場合」にとても有効かつ比較的人道的な戦い方です。
スター・ウォーズにおいて手の切断とは「象徴的な去勢」を意味しています。
腕の切断は相手の力を奪うことを表し……
ダース・ベイダーがルークの手を切り落としたことは、父親であるダース・ベイダーが息子のルークを辱め、子ども扱いしたことを示しています。
ジークムント・フロイトが提唱した「エディプスコンプレックス」によれば、母親を求める息子は父親により去勢される不安を味わうとのこと。
スター・ウォーズにおいてルークの母親役となるのは妹のレイア・オーガナですが……
ダース・ベイダーとルークはレイアについても対立し、戦いへ向かうことになります。
ルークはレイアを守るため、ダース・ベイダーの手を切り落として「象徴的な去勢」を行います。
お互いの手が切り落とされることによって、父と息子は和解します。
また、「手を切り落とす」というシーンは、キャラクターがどれほど悪に染まっているのかを示すバロメーター的な役割もあるとのこと。
誰かの手を切り落とすことは相手を武装解除したのと同義。それ以上の攻撃を加えることは「やり過ぎ」と判断されるもので、キャラクターがダークサイドへ落ちたことを意味します。
具体的な比較事例として示されるのが、アナキンとドゥークー伯爵の戦いと……
ルークとダース・ベイダーの戦いです。
アナキン、ルーク、いずれも相手を切断しますが……
アナキンは丸腰になったドゥークー伯爵を殺してしまいます。
これはアナキンがダークサイドに落ちたことを示しています。
一方、ルークは腕を切り落とした時点で思いとどまりました。
つまり、ダークサイドには落ちなかったというわけです。
この意味をふまえて見直すと、腕の切断が単なる「致命傷未満の深手」ではなく、シーンごとに意味を与えられていることがはっきりとわかるはずです。
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