どうやってマリオがデザインされたのかを任天堂の宮本茂が語る
任天堂のゲーム「スーパーマリオブラザーズ」の生みの親として知られるゲームクリエイターの宮本茂氏は、今日のゲームの礎を築いたと言えるほど、ゲームの歴史にとって重要な役割を果たした人です。その宮本氏がVoxのインタビューで、ゲーム作りで大切にしていることについて話しており、宮本氏や任天堂がゲームに対して持つ哲学がわかる内容になっています。
How the inventor of Mario designs a game - YouTube
この人が宮本茂氏。言わずと知れた、マリオの生みの親です。
この30年間のどこかでゲームを楽しんだことがある人なら、宮本氏の仕事に親しみを持つはず。
ドンキーコング
ゼルダの伝説
そして、スーパーマリオブラザーズ。すべて宮本氏が生み出したゲームです。
宮本氏のゲームの作り方は他のクリエイターとは異なっています。
1988年に早くもオンラインゲームに取り組んでいた頃のインタビューで、「僕はトレンドの方を見ないようにしようとしているのです」と答えています。
大切なのは「僕らがどうしたいのか」であり、世間のトレンドを追うことではないと宮本氏は語ります。
宮本氏は「ゲーム」をこれほどまでに偉大なものにしてきた功労者です。では、どうやってゲームを作っているのでしょうか?
宮本氏が必要だと答えた最初の要素は「達成感」。ゲームをクリアするということ以外にもいろいろな達成感があるとのこと。
宮本氏のゲームの作り方その1「ストーリー」
1981年に宮本氏は任天堂が1979年にリリースした「Radar Scope」というゲームリプレースすることに着手します。ちなみにRadar Scope自体はアメリカでは2000ユニットほどしか売れずに苦戦したアーケードゲームです。
Radar Scopeを基にして生まれたのが「ドンキーコング」
ドンキーコングのストーリーはアメリカの漫画「ポパイ」をモチーフに構成されています。
悪者はゴリラに……
ヒーローは木こりに……
そしてヒロインは木こりの彼女に置き換えられました。
ゲームの主人公の名前も変遷を経たとのこと。最初は「ミスタービデオ」
次が「ジャンプマン」
そして「マリオ」
ちなみに「マリオ」は任天堂がシアトルで賃りていた倉庫のオーナーの名前からとったそうです。
そして、宮本氏のゲーム作りでは、プログラミングの前にデザインを行うという当時ではめずらしい取り組みがなされました。
ビデオゲームはもともとはプログラマーなどの技術者が作っていましたが、マリオなどのゲームはデザイナーがリードして作ったもの。宮本氏自身も工業デザイナーであり、デザイナーやアーティストがゲームを作る時代が到来したというわけです。
当時はビデオゲームにとって冬の時代。
ドンキーコングが登場した1981年は、アメリカで大ブームを巻き起こした数々のビデオゲーム機が消えていたころ。
ゲームを楽しめる夢のような端末の登場が待たれていた頃でもありました。
そこに登場したのが宮本氏の作った「物語性」のあるゲーム。スーパーマリオや……
ゼルダの伝説など。物語性のあるゲームは、任天堂のNES(ファミリーコンピューター)でしか体験できないゲームでした。
NESはアメリカだけでなく世界中で大ヒットしました。
宮本氏は、ゲームをプレイする動機作りのために「何をしたらいいのか?」をプレイヤーが分かるようにしたとのこと。
宮本氏のゲームの作り方その2「シンプルさ」
これはスーパーマリオブラザーズのゲームシーン。
スーパーマリオのゲームの要素は右方向へ広がる世界になっています。
プレイ画面はこの右へ広がる世界の一部を切り取ったもの。
右に空いた空間を見れば、プレイヤーは右へ右へと進めばいいと分かります。
画面の外にいる敵とは……
右へ進むうちに遭遇します。敵にぶつかるとペナルティがあることをプレイヤーはすぐに理解できます。
「?」マークをつけたことで……
ユーザーはコインやキノコなどのアイテムをゲットできると分かります。
キノコを食べて体が大きくなるので、マリオが強くなったことも一目瞭然。
そして、「ゲームに入り込んでしまう」ことも大切な要素です。
宮本氏のゲームの作り方その3「没入感」
ゲームのキャラクターを思い通りに動かせることでゲームの世界にいると感じられます。そして、任天堂はゲームコントローラーのパイオニアです。
NESは、左に十字キー、右にボタンというゲームコントローラーの基礎を作りました。
SuperNES(スーパーファミコン)では人さし指で使うL/Rボタンを……
Nitendo 64では360度動かせるスティックボタンを作り……
Wiiではモーションコントローラー機能を導入しました。
そして、2016年にはタッチ操作できるスマートフォン用のゲームに任天堂が参入しました。
宮本氏は、自分たちクリエイターが面白いと思って作っているゲームがだんだんと遊ばれなくなる原因は、プレイヤーが「難しいと感じるから」だと考えています。
2012年に登場したWii UやNintendo 3DSの販売はここ数年、低下し続けています。
その原因は、2011年比で2倍になり今後も成長し続けていくと予想されているスマートフォンゲームの台頭。
スマートフォン用ゲームの「スーパーマリオ ラン」の登場は、没入感から手軽さへのシフトに見えるかもしれません。
スーパーマリオランについて宮本氏は、「初めて遊ぶ人から上級者まで広く楽しめるゲームができた」と考えています。
これは、宮本氏のゲーム作りの哲学を貫く理念でもあります。
「誰もが楽しめる」ことが、ゲーム作りに大切だということ。
それはゲーム機やコントローラーが変わっても、変わることのない理念です。
・関連記事
マリオの生みの親・宮本茂氏が「スーパーマリオ64」について語る - GIGAZINE
任天堂のゲームコントローラーが大きく進化してきた歴史がよくわかる「The Evolution of Nintendo Controllers!」 - GIGAZINE
任天堂とソニーが共同開発した幻のゲーム機「Nintendo PlayStation」 - GIGAZINE
あのファミコンが小型化した「ニンテンドークラシックミニ」レビュー、懐かしさの中で感じるゲームの進化 - GIGAZINE
任天堂の伝説的ゲーム大会「Nintendo World Championships」が復活 - GIGAZINE
・関連コンテンツ