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日本と海外で「スーパーマリオブラザーズ2」が違う理由とは?


1985年にファミリーコンピュータ(ファミコン)向けに発売された任天堂のアクションゲーム「スーパーマリオブラザーズ」には、続編である「スーパーマリオブラザーズ2」が存在します。実は日本と海外では「スーパーマリオブラザーズ2」というタイトルが指し示す作品は異なり、海外の「スーパーマリオブラザーズ2」は、日本では「スーパーマリオUSA」というタイトルで知られています。なぜこんなことになったのかを、ゲームの歴史について解説する「Gaming Historian」が解説しています。

The Story of Super Mario Bros. 2 | Gaming Historian - YouTube


スーパーマリオブラザーズは1985年にファミコン向けに発売された、「スーパーマリオ」シリーズの1作目。ただし、マリオというキャラクター自体は「ドンキーコング」や「マリオブラザーズ」「レッキングクルー」にも登場しています。


スーパーマリオブラザーズは、迫り来る敵を避けたり倒したりしながら、さまざまな地形を進んでいくというシンプルな横スクロール2Dアクションで、世界に任天堂の名を知らしめた作品の1つでもあります。


そんなスーパーマリオブラザーズは非常に人気が出たので、すぐに続編が作られることになりました。ただし、続編となるスーパーマリオブラザーズ2はファミコンではなく、ファミコンのディスクシステムで1986年にリリースされました。


ディスクシステムは、読み書き可能なフロッピーディスク型のROMディスクを読み込む外付けドライブをファミコンに接続して遊べるというもの。


ディスクシステムのディスクはA面とB面の表裏で書き込み可能で、店頭にあるディスクライターを使って500円でゲームを書き込めるという点が画期的でした。また、最初からデータを書き込まれたディスクも販売され、「メトロイド」「ゼルダの伝説」などのゲームもディスクシステムで発表されました。


スーパーマリオブラザーズ2のディレクターは、前作でアシスタントディレクターを務めた手塚卓志氏。


前作でディレクターを務めた宮本茂氏は、スーパーマリオブラザーズ2では「プロデューサー」という立場です。


「スーパーマリオブラザーズ2」の特徴は、2人プレイが可能だった前作と異なり、完全に1人プレイ専用になったこと。さらに前作では単に色違いだった1P用のキャラと2P用のキャラがそれぞれ「マリオ」と「ルイージ」と名付けられ、明確に区別されました。


「マリオよりもジャンプ力はあるが、慣性が強く働くのでクセが強い」というルイージの操作性は、このスーパーマリオブラザーズ2で初めて設定されました。


また、ディスクシステムのディスク容量は初期のROMカセットよりも大きかったことから、スーパーマリオブラザーズ2ではグラフィックも前作から進化。色を変えながら同じデータを使い回しまくることでデータを節約した前作と異なり、スーパーマリオブラザーズ2では地面のブロックや背景などのグラフィックが新たに追加されています。ただし、それ以外は前作のグラフィックを流用しています。


また、「前作を簡単にクリアできた人のためのゲームにしよう」というコンセプトで開発されたことから、難度は前作と比べて劇的にアップ。突風が吹くステージや……


ジャンプ台を使って長距離ジャンプしなければならないステージなど、高度なテクニックを要求される場面も多く盛り込まれています。それでもスーパーマリオブラザーズ2は250万本の売り上げを記録したとのこと。任天堂はこのヒットを受けて、アメリカでも販売したいと考え、スーパーマリオブラザーズ2のソフトを任天堂のアメリカ法人であるNintendo of America(NoA)に送ったそうです。


ちょうど日本でスーパーマリオブラザーズ2がリリースされてから数年後、アメリカではスーパーマリオブラザーズが大ヒットしたことから、NoAはスーパーマリオブラザーズに続くヒット作を模索していました。そこで、白羽の矢が立ったのが、当時NoAの倉庫従業員だったハワード・フィリップス氏です。


フィリップス氏は倉庫にあるアーケードゲームをよく遊んでおり、さまざまなゲームをプレイしていたことから、当時のNoA代表だった荒川實(みのる)氏は新しいゲームについてフィリップス氏の意見をうかがうことが多かったそうです。


日本の任天堂本社から送られてきたさまざまなゲームをプレイする中で、フィリップス氏は送られてきた箱の中にあのスーパーマリオブラザーズの続編が入っていたことに気づきます。


これはすごい!ぜひともプレイしたい!と、さっそくスーパーマリオブラザーズ2に挑戦したフィリップス氏ですが、開幕の毒キノコでやられてしまうなど、カジュアルプレイヤーではまともにクリアできないほどの難度に設定されたスーパーマリオブラザーズ2に対し「なぜ私はゲームで苦痛を味わわなければならないでしょうか」とコメントしたそうです。また、内容も前作の拡張版といった感じで、見た目にはあまり目新しさがない点も問題視されました。


しかし、当時はセガのアレックスキッドや……


コナミの悪魔城ドラキュラ


カプコンのロックマンなど、のちに人気アクションシリーズとなる第1作をサードパーティーのメーカーが次々とリリースしていました。任天堂のスーパーマリオシリーズが他社の人気アクションゲームに負けることなく世界中でヒットを続けていくためには、第2作で失敗するわけにはいきません。


そこで、アメリカでスーパーマリオシリーズの第2作として注目されたのが、日本ではディスクシステムで発売されたアクションゲーム「夢工場 ドキドキパニック」でした。


夢工場 ドキドキパニックのディレクターは田邊賢輔氏。大阪芸術大学を卒業して任天堂に入社した田邊氏は、宮本氏が主任を務める開発部第4班に所属しました。この時、「横だけではなく縦にもスクロールする2Dゲーム」「アイテムやブロックを積み上げてジャンプしながら上を目指して進んでいく」というアイデアを思いつきましたが、技術的な問題を解決できず、試作品で終わってしまったそうです。


1987年に、フジテレビが「コミュニケーションカーニバル 夢工場'87」という博覧会イベントを開催しました。


この博覧会イベントではメディアとイベントの大型タイアップがコンセプトとされ、イベントにちなんだゲームを任天堂が開発することとなりました。


そこで、田邊氏がデザインしたものの試作品止まりでお蔵入りとなったゲームが、ディスクシステム向けアクションゲーム「夢工場 ドキドキパニック」としてリリースされることとなりました。ディレクターは田邊氏、スーパーバイザーに宮本氏、そして音楽は「スーパーマリオブラザーズ」「スーパーマリオブラザーズ2」と同じく近藤浩治氏でした。


夢工場 ドキドキパニックは4人のキャラクターを使い分けてステージをクリアしていきます。ストーリーは「みんなが見る夢を作る機械が、怪物マモーにいたずらされて、モンスターを作る機械になってしまった!怪物マムーを倒して機械を元に戻そう!」というストーリー。


ザコ敵にはヘイホーやムーチョなどが登場。スーパーマリオブラザーズのように敵を踏んで倒すことはできませんが、地面に生えている草を引っこ抜いて敵に当てたり、敵の上に乗っかって持ち上げてぶん投げたりすることが可能。


4人のキャラクターによって個性が異なり、空中浮遊できたり、敵や草を抜く速度が早かったりと、選択するキャラクターによってプレイ感覚が大きく異なるのも特徴です。


そこで、この夢工場 ドキドキパニックのキャラクターをマリオやルイージなどに置き換えたものをスーパーマリオシリーズの第2作として販売することが決定されました。


「夢工場 ドキドキパニック」のストーリーは「夢宇(むう)界」と呼ばれるオリジナルの世界観で展開されていましたが、スーパーマリオシリーズに取り込むにあたって、ストーリーを大幅に変更。「マリオ・ルイージ・ピーチ姫・キノピオが見た夢の国につながる扉から冒険が始まり、夢の中で呼びかけてきた声に従って怪物マムーを倒す」という内容になりました。


ゲームのイメージも、マリオたちに置き換わりました。


タイトルはこんな感じ。


ゲーム内のグラフィックもマリオに修正され、一部アイテムはスーパーマリオシリーズに馴染みのある甲羅やキノコに変更されました。


一部の敵キャラはスーパーマリオシリーズに逆輸入されることとなりました。今では人気キャラであるヘイホーやキャサリンはもともと夢工場ドキドキパニックのキャラクター。スーパーマリオシリーズの実写映画「スーパーマリオ 魔界帝国の女神」でも重要アイテムとして登場したボム兵は、マリオシリーズでは「スーパーマリオブラザーズ3」で初登場したキャラクターですが、実は夢工場 ドキドキパニックから輸入されたキャラクターです。


ステージ中に集めたコインで挑戦できるスロットのミニコーナーは、シンプルだった見た目からかなりゴージャスなものに。


NoAが発行していた雑誌「Nintendo Power」では……


スーパーマリオブラザーズとはまったく異なる操作を解説するページや……


さまざまなアイテムを紹介するページも掲載されました。


そんなわけで、夢工場 ドキドキパニックは「Super Mario Bros. 2」として、海外版ファミコンであるNES向けに1988年10月に発売されました。ただし、「Super Mario Brothers 2」が元はマリオシリーズと全く関係のない日本のアクションゲームだったことは全く公表されず、アメリカのゲームメディア上で指摘されるようになったのはSuper Mario Brothers 2の発売からおよそ3年が経過してからでした。


1993年にスーパーファミコン向けに発売された「スーパーマリオコレクション」は、スーパマリオブラザーズ・スーパーマリオブラザーズ2・スーパーマリオブラザーズ3・スーパーマリオUSAをリメイクして収録した1本です。このスーパーマリオコレクションは、海外向けスーパーファミコンであるSNES向けに「Super Mario All Stars」という名前で発売されました。


この中で、スーパーマリオUSAは「Super Mario Bros. 2」として収録されています。


一方で、日本でのスーパーマリオブラザーズ2は「Super Mario Bros. The Lost Levels」と、スーパーマリオブラザーズの拡張版という扱いで収録されています。

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in 動画,   ゲーム, Posted by log1i_yk

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