取材

アニメの二次利用はどうやってライブビジネスに繋がったのか


かつて、テレビアニメは「30分のコマーシャル」だと表現されたように、番組スポンサーの商品を宣伝する場となっている側面がありました。現在もそういったアニメはありますが、アニメ自体をコンテンツとして売る作品がメインになりつつあるように、時代の移り変わりと共にアニメの二次利用の方針も変わってきています。ロンドンで行われているアニメイベント「HYPER JAPAN」の顧問・片岡義朗さんが、アニメ・ビジネス・フォーラム+2014の中で、二次利用がどう移り変わってきているのかについて語りました。

片岡さんなりにアニメ業界がどう見えているのかを語ることで、アニメ業界に携わろうと思っている人たちの参考になれば、という前置きがあって、話が行われました。


テレビアニメは1963年、フジテレビで放送された「鉄腕アトム」からその歴史が始まりました。アトムは明治製菓の1社提供で、これに続いた「エイトマン」は丸美屋食品の提供でした。この時代はスポンサーがいなければアニメが放送されなかった時代です。例えば、現代であれば「ワンピース」は放送するために月額5000万円~7000万円ほどかかっていて、そのために30秒スポンサーが月額1000万円ぐらいずつ支払ってCMを流しています。1社あたりでみると1年間で1億2000万円ぐらいかかっているということになり、そのためにもキャラクターを商品化して、その売上から宣伝費を捻出する、という形になっています。この「売れた中から宣伝費を出す」というのは長らくテレビアニメを支えた仕組みで、代表選手には「ドラえもん」「ワンピース」「ポケットモンスター」などが挙げられます。現在はこういう形態は減ってきていて、製作委員会方式が増えてきていますが、二次利用がないと放送が成り立たない形は長らく続いてきました。ただし、この形態だと、二次利用で作られたものを手に取ることで商品やキャラクターに思い入れを持つことができるという情緒的な側面もありました。

かつて代理店に勤めていた片岡さんがスポンサーの元に番組を売り込みに行くと、ほとんどのケースで追い払われてしまったそうです。クリスマスにおもちゃを買った後、番組は3月に終わってしまい子どもも商品に飽きてしまうという「キャラクター商品性悪説」も唱えられたことがありました。しかし、子どもの視点から見ると、キャラクター商品はたとえ捨てることになってもずっと覚えているし、情緒にいい影響を与えるのではないかと、片岡さんは指摘。

二次利用という中で最初に登場したのはアトムのブリキのおもちゃでした。


そして、二次利用の歴史の中で外せないのがウルトラマンのソフトビニール(ソフビ)人形。アトムは自立できませんでしたが、このウルトラマンは自立することができました。また、ソフトビニール素材が映像で見るウルトラマンの柔らかさと一致したことで、爆発的なヒットとなりました。これが1966年ごろの商品で、残念ながら作っていたブルマークというメーカーは潰れてしまいました。ここに出ている写真はブルマークとは違うメーカーのものだとのこと。


続いて、1972年にマジンガーZの超合金が登場します。ウルトラマンがソフビだったのに対して、超合金はずしりと重たいのが特徴。ポピーの村上克司さんが生み出したもので、鉄に亜鉛を混ぜた亜鉛合金のダイキャスト部品を使って腕が飛ぶギミックなどもあり大ヒットしました。今回、片岡さんはセミナーにあたって実物を持ってこようと考えて中野へ探しに行ったそうですが、38万円もしたため諦めたそうです。


1976年に出たのがガンプラ。「ガンダムのプラモデル」のことですが、ガンダムそのものはそれほど売れず、ザクなどが代表格。トリコロールカラーのいかにも正義のロボット風なガンダムよりも、大河原邦男さんデザインによる実兵器っぽい細かいディテールなどが受けたためだとみられています。


1982年に出たのは、河森正治がデザインした「超時空要塞マクロス」のバルキリーの変形オモチャ。片岡さんいわく「これを越えるオモチャはまだ出ていない」という代物。自身も早々に購入していたそうですが、セミナーに持ってこようとバトロイド形態のものをファイター形態にしたら戻せなくなってしまったので、持ってくるのを諦めたとのこと。素材はプラキャストで、作っていたのはタカトクトイスで、マクロスに続く「超時空世紀オーガス」などでも可変ロボットのオモチャを出していましたがヒットせず、倒産しました。


この次にヒットしたのが聖闘士星矢のクロス。写真は最近の品で、当時のものはそこまで細かいディテールではありませんでした。ブリキからソフビ、そして超合金、プラキャストと素材が変化するごとに大きなヒットが生まれているので、新たな大ヒットが出ていないのは次の素材が出てこないからかもしれないと片岡さん。また、オモチャがヒットする時代が終わり、水平飛行に入ったのかもしれないという見方も示しました。


ここまでが男子向け玩具(男玩)の話で、女の子向けに目をやると、最初のヒット作は1976年の「キャンディ・キャンディ」で出てきた抱き人形ということになります。作品は不幸にも原作者がお二人いてそのストーリーを書く方と絵を描く方との間の問題によって封印状態にありますが、片岡さんは、この抱き人形を越えるキャラクター玩具はないと話しました。こういった男玩・女玩をアニメ化で作る流れは、1980年代の聖闘士星矢あたりでほぼマーケットとして熟成を迎えます。

入れ替わるように新たに出てきたマーケットが、1983年の「ダロス」で始まるOVA市場です。ダロスはビデオテープで発売され、その後、これに続けといろいろなテレビアニメがレンタルビデオ・セルビデオで販売されましたが、新たなマーケットを確立するほどには至っていませんでした。そんな中で、ダロスの切り開いたマーケットが結実したのが1995年の「新世紀エヴァンゲリオン」です。エヴァは当初VHSでリリースされて記録的に売れ、続いてLDが出て、さらにDVDも記録的に売れました。この当時、片岡さんはLDのプレイヤーを販売していたパイオニアの担当者から「これでハードウェアの命が3~4年は長らえた」という話を聞いています。


エヴァが定着させたものとして「製作委員会システム」が挙げられます。これは、広告代理店がスポンサーを回って必要なお金を集めテレビ局を通してアニメ制作会社に放送権利用料を払う仕組みではなく、出資した企業のお金で制作費をまかなうというもの。キングレコードの大月俊倫プロデューサーはエヴァの前に「BLUE SEED」で製作委員会方式を取り入れてそれなりのリターンを生み出し、エヴァでは大きなリターンを出すことができました。また、海外への販売も好調で、それまでは「1話あたり2000ドルで売れれば嬉しい」というものが、エヴァの場合は1話が今までとは桁の違う額で売れ、製作委員会方式でも元が取れることが実証されました。

時系列で見たとき、ダロスとエヴァまでの間に、片岡さんが関わった「タッチ」があります。タッチの主題歌はここ10年のカラオケで最も歌われた曲なのですが、当時、主題歌といえば作曲家が作ったメロディーに作詞家が詞を乗せる「メロ先」が当然だったにも関わらず、「タッチ」は詞先だったそうです。作詞した康珍化(カン・チンファ)さんは当時、作詞家をやめて小説家になろうとしていたそうですが、詞を作ってもらえることになり、同時に、売れっ子の芹澤廣明さんにも詞先で曲を作ってもらうことを了承してもらった結果、アニソンの中でも最長クラスのヒットソングが生まれたのだそうです。ちょうど、時代は通信カラオケの普及とも重なり、アニソンはカラオケという舞台を得て、「アニソンの時代」を作っていくことに。アニメビジネスも、立体造形物からパッケージビジネスが主流になって「ソフトの時代」になっていきます。


ここから、話はライブビジネスへと繋がっていきます。1991年に「聖闘士星矢」が舞台化(ミュージカル化)されたとき、デビュー直前のSMAPを起用したところお客さんはほぼSMAPファンで埋まりましたが、一部、アニメファンが来場しました。この当時のコミックマーケットは聖闘士星矢一色でBLモノがずらっと並んでおり、いわゆる腐女子に受けていたのですが、いざミュージカル化するとチケット代を払ってでも観に来てくれた人がいたので嬉しかったそうです。

アニメや漫画作品のミュージカルというのはこれが初ではなく、宝塚歌劇団には「ベルサイユのばら」があり、名作ミュージカル「小公女セーラ」や「タッチ」も存在していました。しかし、宝塚は自分たちのファン向け、名作ミュージカルはファミリー向けのものであり、キャラクターファンに向けてアニメ業界がイニシアチブを取って作った作品は聖闘士星矢が初。この作品の成功を受けて、キャラクターファンも観に来てくれるということが分かり、「セーラームーン」「姫ちゃんのリボン」「赤ずきんチャチャ」「水色時代」などが舞台化されました。そして、姫ちゃんのリボンなどを観に来ていた広井王子さんは、自ら「サクラ大戦歌謡ショウ」を作ることになります。こういったミュージカル化の流れは、星矢をやっていなかったらできなかったかもしれないものの、「遅かれ早かれ誰かがやっていただろう」と片岡さん。


ミュージカルの流れがブレイクしたのは2003年の「テニスの王子様」(テニミュ)。正確には、2005年夏に行われた氷帝学園編でブレイクしました。テニミュはビジネスモデルとしても公演内容としても完成形を迎えていて、テニミュの登場によりミュージカルのマーケットは“フロンティア”ではなくなり、1つのマーケットとして定着することになりました。

もう1つ、この流れの指標となる出来事が2003年に行われました。それが「ガンダムコンサート」です。「アニソンの時代」でお客さんCDを聞くという形から、ライブコンサートにお客さんが出かける時代になったわけです。また、このあと出てきた「けいおん!」も、もう1つの指標となる作品だと片岡さん。「けいおん!」は部活動で音楽をやっている作品で、歌と音楽がふんだんに流れます。アニソン歌手と声優との区別がつかない作品というのは他にもありますが、ヒット作という意味では「けいおん!」が大きいだろうとのこと。

現在、世界中には日本のアニメを楽しむためのイベントがたくさんあって、それぞれにお客さんは右肩上がりの状態が続いています。これからはコンサートやライブがアニメ業界を支える二次利用の形態として続くのではないかと片岡さん。自身も、ロンドンで開催される「HYPER JAPAN」の顧問を務めており、こういったフェスティバル形式のイベントをどんどんやっていきたいと意気込みを語りました。


・質疑応答
Q:
宣伝をするときに心がけていることは?

A:
ライブイベントでは人にもキャラクターにも作品にも出会うことができます。いろんな作品のファンが来るので、それまで触れたことのない作品と出会ってファンになることもあり、プロモーションの場として有効です。昨今はたこつぼ型社会で、1つの作品の届く範囲が狭く、しかも1クールものが多くて、世代全体に伝わることが難しくなっています。マスメディアの力が弱まった分だけ、たこつぼが多くなったといえます。それを越えるためには社会の旬を捉えることが大事ですが、ただ旬を捉えるだけではなく、普遍性も備えたモノこそがヒットします。また、エヴァのように斬新なクリエイティブワークの入ったものがあったら大ヒットします。「こんな時代に大ヒットを生み出すことは無理だ」と諦めてはいけません。ネットとライブイベントをうまく使えば、“振り逃げ”とは言わないけれど、一塁に出るようなことはできると思います。

Q:
今後、映像クリエイターとアニメとのコラボも出てくると思いますが、ライブイベントならではのアニメの作り方というのはありますか?

A:
ライブイベントの最大の売りは双方向性です。中身の演出も大事ですが、映像の使われ方。どう使われたら来ている人にその場にいるという感覚を持ってもらえるか、感じてもらえるか、それを考えてプロデュースするのが大事です。かつて、テニミュでは出待ち・入り待ちを禁止していませんでした。普通のプロデューサーであれば禁止したいところですが、僕はそこもコミュニケーションの場だと考えたので、禁止しませんでした。劇場の中だけではないというのが、僕の持論だからです。ただ、今は禁止になっているようです。

Q:
イベントにはいろいろとありますが、B to BB to CC to C、いずれの方向へ向かうべきなのか。

A:
日本で最大のイベントといえばコミケです。最初はまったくのC to Cでオタクたちが集まっていて、それこそ「おたく」という言葉が生まれたのはコミケの場です。しかし、今はBも入っていますよね。僕は自然の流れとして、C to Cから始まったモノにBが入ってきて、B to Cになってみたりするのかなと思います。Japan Expoは去年、Japan Expo USAをアメリカでやりましたが大失敗でした。もともとはフランスのボランティアたちがやっていたイベントですが、今は企業もかなり出るし、イベントとしては大成功していて、C to CだけではなくB to BやB to Cの香りもしていますが、アメリカでもイベントをやることにもなったんです。そうしたところ、結果は3日間合わせてもたくさんの人が来たとはいえないレベルでした。フランスの会社がアメリカに行って「Cの人、集まれ」っていったって集まるわけがないですよ、イベントは仲間内で楽しんでいるものなんですから。イベントとしてはBの人がいなければ成り立たないところもあるので否定はしませんが、ユーザーやファンの気持ちがどうなっているのかというところに目線を置かないと失敗します。イベントはいろいろと出てきていますが、ここからクリエイターにお金を返していけるような形を作っていくのがここからの仕事だと思っています。

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in 取材,   アニメ,   ピックアップ, Posted by logc_nt

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