取材

イスタンブールオリンピック開催を目指したトルコという国の景色


「イスラム圏初の五輪開催」を目指して東京、マドリードと争ったイスタンブール。ソウル(韓国)、バルセロナ(スペイン)、アテネ(ギリシア)、北京(中国)、リオデジャネイロ(ブラジル)と、経済発展の延長にオリンピック開催があるなら、トルコにも十分に可能性があります。1968年にメキシコですらオリンピックを開催していますし。ヨーロッパとして、アジアとして、イスラムとして、世界におけるトルコの存在感も忘れてはいけません。

こんにちは自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。2010年の初めに走ったトルコは、思い出深い国の一つとなっています。歴史的な観光都市イスタンブール、先進国と肩を並べる町なみ、世界三大料理とも称される豊かな食事情、そして親切にしてくれた人たち。今回は日本からは遠いトルコの景色をまとめてみました。

◆イスタンブール
中国からシルクロードを走ったアジア横断のゴールがイスタンブールでした。地中海と黒海を結ぶボスポラス海峡によって、アジア側とヨーロッパ側に分かれています。古くはビザンティウム、コンスタンティノープルとも呼ばれていた歴史のある都市で、国内最大の人口約1400万人を抱えるトルコ経済の中心。旧市街の歴史地区は、たくさんの旅行客で賑わっていました。

巨大なモスクに圧倒されるイスタンブール旧市街の歴史地区


旧市街の歴史地区とガラタ橋で結ばれるカラキョイ地区。高さ66.9mのガラタ塔が目を惹きます。


美しい姿をしたスルタンアフメト・モスク


こちらもイスタンブールを代表する建造物のアヤソフィア


東ローマ帝国時代のヴァレンス水道橋


旧市街の歴史地区にある最新型のトラム(路面電車)は、騒音もなく滑るように走っていました。


歩行者天国になるイスティクラル通りは、いつも賑わっています。


こちらは商業地区


生活感が溢れる住宅街


グランドバザールの界隈では、お店の人の「ブユルンブユルン(こっちこっち)」という声が響いてました。


宿の近くにあるローカルマーケット


ガラタ橋で釣りに勤しむトルコ人


海と魚がある場所に猫の姿あり


ボスポラス海峡、金角湾を抱えたイスタンブールでは、船も重要な交通手段となっています。


一見すると要塞のようなアヤソフィアは内部を見学しました。東ローマ帝国時代にキリスト教の大聖堂として建設されますが、オスマン帝国時代にはモスクとして使用。現在では博物館となって、多くの観光客が訪れる場所になっています。


オスマン帝国時代に建設されたミナレット(塔)


華やかな宗教施設らしくない無骨な外観


ですが、内部は眩しいほどにきらびやかでした


建物内部は開放的で巨大な空間


モスクとして使われた際に、作られた聖地メッカの方角を示すミフラーブ。


天井のドームを見上げて。


装飾も凝っています


建物を支える円柱


アラビア文字


キリストのモザイク画。モスクの間は漆喰で塗り潰されていたので、現代でもこうして残っています。


聖母子と12世紀の皇帝ヨハネス2世コムネノス夫妻


◆トルコの街なみ
メキシコの経済格差を考えたときに比較対象だったのが、一人当たりの所得が同等のトルコやバルカン半島の国々でした。2階建て、3階建てが当たり前の住宅は、日本と比べても立派な家です。黒海沿岸をずっと走っていたので、かなり田舎も通っているはずですが、全体的に安定していた印象でした。疑問に感じてトルコのスラム街をインターネットで調べてみると、ゲジェコンドウと呼ばれる違法建築もあるようですが。

黒海沿岸の街


田舎道


このような感じで、しっかりとした建物が並んでいます。


とても大きな家


貧しそうにみえても、この造り。


アップダウンが多い中、狭い平坦な場所に建物が密集するのは日本のようでした。


険しい道を進んで


やはり大きな家ばかり


大きな町では、集合住宅が目立ちます。


こうした山道を走って、イスタンブールを目指しました。


黒海に突き出した半島に見えるのはスィノプの町


イスタンブール近郊になると、これ程までに街が広がっています。


地方都市の繁華街


街の中心部にはビルが並んでいます


いろんなお店が並んで


こちらも商店街


綺麗に造られた石畳の道


イスタンブールまであと少しのゾングルダクという町にて


冬のトルコは天気が悪くて大変でした


港湾都市イズミルから更に半島を進んだ先にあるエーゲ海に面したチェシュメの町


オレンジ色の屋根に白い壁の家々


お城の形も変わっていました


◆トルコ料理
中央アジア、イラン、カフカスと変化に乏しい地域の後でしたので、トルコの豊かな食事情は嬉しいものでした。かしこまったレストランとかではなく、「ロカンタ」と呼ばれるローカルな食堂での食事がメイン。素朴だけど美味しいトルコの料理は幸せになれました。

トルコ名物はドネルサンド


こうしたペースト状の具材も……


包んでこんな感じで出来あがります。


チキンサンドイッチはボリュームもあって安いので、ドネルサンドより食べていました。


イスタンブールの名物はサバサンド


あつあつのチーズがとろけたトルコ風ピザの「ピデ」


ラフマージュンはチーズの無いピザといった感じでしょうか


見るからに食欲をそそるライスプレート


煮込みの鶏肉とご飯


ライス料理とサラダ


あっさりとした鶏肉のスープ


ご飯にスープにサラダとバランスの取れた食事


タマゴとトマトのソース料理をパンと一緒に


鶏肉セット


トルコ風ハンバーグのキョフテ


食事をしていると、チェリーの差し入れを頂きました。


こちらのキョフテは、煮込んであります。


トルコと言えばチャイ。手にフィットした窪んだグラスで頂きます。市場とかでも売り子がチャイをお盆に載せて運んでいました。


伸びるアイスで有名なドンドゥルマ


◆トルコの人々
食堂でご飯を食べた後に清算をしようとすると「さっき、まとめて払ってくれた人がいるから」と信じられないことが起きるのがトルコでした。その人とは話すらしてないというのに。知らない人についていって、食事をご馳走になったこともあります。トルコ語でよく理解はできなかったのですが、普通にいい人でした。穏やかな人たちばかりで、治安も悪くなく安心して旅ができました。ただイスタンブールは、観光客慣れをしていて、少し違いますけど。

食事をご馳走になった男性


テントを張らせてもらったレストランで、おじさんたちと仲良くなって盛り上がります。


パンを作っていた方々


呼び止められて、現地のインターネットメディアの取材を受けました。


少年たち


たくましいケバブ屋の従業員


笑顔が素敵なお魚屋さん


キャッキャッしながら、英語で話しかけてくれた女子中学生は、きっと綺麗になっているでしょうね。


◆トルコとは
イスラムの国ですが、水着美女にビールのポスター。この宗教と政治との距離感が、現代のトルコを作り出したといっても過言ではありません。


日本の坂本竜馬のように、トルコでもムスタファ・ケマルパシャという英雄が活躍しました。

現在のトルコの前身となったオスマン帝国は、最盛期にはバルカン半島、中東、北アフリカまでを支配する程の強大な国家でした。そうした栄華も18世紀末から、ロシアの南下、ギリシアの独立戦争、バルカン半島の民族問題が要因となって衰退へと向かっていきます。防戦一方で「瀕死の病人」と言われながら、近代化を進めて何とか持ちこたえたものの、同盟国側についた第一次世界大戦の敗北で崩れ去ってしまいました。それでもオスマン帝国の存続を望む勢力は、国土がアナトリアの中央部分しか残らない連合国側の占領を容認します。そうした国家分割の危機に立ち上がったのが、ムスタファ・ケマルパシャを指導者とした革命勢力でした。革命勢力は侵攻してきたギリシア軍を撃退し、民衆の支持を得ると共に、オスマン帝国政府を廃止。連合国側と交渉して、現在のトルコの領土の形で、講和条約を結んだのち、現代に繋がるトルコ共和国を建国しました。


トルコ共和国の初代大統領となったムスタファ・ケマルパシャは、西洋化による近代化を目指し、トルコ語の表記をアラビア文字からラテン文字に、暦をイスラム暦から西暦と、大胆な改革を実行に移します。そうした改革の中、イスラムは政治から切り離されていきました。現代トルコの確立に奮闘したムスタファ・ケマルパシャは、国父として今もなおトルコ国民に敬愛されています。一連の流れは日本の明治維新に共通する点も多く、かつヨーロッパに近い分だけトルコが背負った苦難は相当なものだったでしょう。アジアで欧米の植民地とならなかった数少ない国として、親近感を抱いているのは自分だけではないはずです。明治時代のエルトゥールル号遭難事件や、イラン・イラク戦争下での邦人脱出におけるトルコ航空の協力はインターネットでも話題になっています。

強い指導者を体現したかのようなムスタファ・ケマルパシャ


ムスタファ・ケマルパシャの銅像


グルジアから入国すると、まずは整備された道路に驚きました。黒海に沿った片側2車線の道路は、街に差し掛かっても中心部に突入することはありません。内側に一般道が整備されていて、スムーズな交通の流れとなっていました。物価が高くなったのに、代わってスーパーマーケットが出現。トルコを代表するスーパー「BIM」は全土で3921店舗を展開して、スペイン系の「DIA」を撤退に追い込むほどの勢いです。かつて、オリンピックを開催したスペインやギリシアと、同じくらい発展しているように見えました。

高速道路のような片側2車線の道路は、路肩も広くて自転車で走りやすかったです。


長さ3820mのトンネル


イスタンブールのサイクルショップ、バイクショップ街。シマノの最上位グレードXTRのパーツも手に入ります。


変わった方法をしていたゴミ収集車


トルコはヨーロッパとしてEUの加盟を目指しています。ワールドカップの予選もヨーロッパのグループで戦っていますし。ですが、同じテュルク系民族としてアジアのカザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンとは仲が良く、現地にはトルコ系のスーパーもあったりしました。これらの国の言葉は、トルコ語と似ています。そしてイスラムとしても、隣国のイランやイラクとの経済交流は活発です。イラクでブッシュ元大統領に投げつけられた靴もトルコ製だったですしね。イスタンブールでオリンピック開催となれば、世界に対して更なる存在感を発揮してくれるでしょう。

追記:
チャリダーンマンがこの記事を執筆した時点では、2020年夏季五輪の開催地はまだ決まっていませんでした。なお、2013年9月7日にブエノスアイレスで開かれた第125次IOC総会にて、2020年夏季五輪の開催地は「東京」に決定しました。

(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com
Twitter @shuutak)

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in 取材,   乗り物,   , Posted by logc_nt

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