タイトーサウンドチーム「ZUNTATA」を彩った8人が語る25周年記念インタビュー
タイトーのサウンドチーム「ZUNTATA」が25周年を迎え、記念アルバムとして「COZMO ~ZUNTATA 25th Anniversary~」をリリースします。CD2枚組のアルバムには歴代ZUNTATAのコンポーザー12名が一堂に会し、1枚目は「FUTURE DISC」としてCOZMO(宇宙)をテーマに完全新規で書き下ろした曲を収録。2枚目は「LEGEND DISC」として、コンポーザーたちが自らセレクトしたタイトーゲームミュージックを集めています。また、今回はCD4枚組の「初回限定版」もあり、そちらには前述の2枚に加えて未CD化楽曲を集めたディスクと、ZUNTATAのスペシャルトークを収録したディスクの2枚が特典として付属します。
このお祭りを盛り上げるために、ZUNTATAメンバーのうち新旧8名のメンバーに集まってもらって、いろいろとお話をうかがってきました。
メンバーは
・「ZUNTATA 25th Anniversary Project "COZMO"」ディレクター 石川勝久(BABI)さん
・ZUNTATAコンポーザー 小塩広和(COSIO)さん
・ZUNTATAコンポーザー 土屋昇平さん
・フリーコンポーザー 渡部恭久(Yack.)さん
・有限会社リーブ代表取締役 山田靖子(Yasko)さん
・フリーコンポーザー 古川典裕(中山上等兵/なかやまらいでん)さん
・フリーコンポーザー 櫻井浩司さん
・フリーコンポーザー・サウンドデザイナー 瓜田幸治(URI)さん
の8名。
◆目次
・ZUNTATAメンバーと音楽との出会い
・初めての作曲
・ゲームミュージック・ゲームサウンドに興味を持ったきっかけ
・ZUNTATAで大変だったエピソード
・ZUNTATAの未来、ZUNTATAに入ってくる人に求めるもの
・OBの活動近況
・仕事を支えた食事
◆ZUNTATAメンバーと音楽との出会い
GIGAZINE(以下、G):
今回はZUNTATA25周年で新旧メンバー8名が集まるとのことで取材させていただくことになりました。以前、石川さん、小塩さん、土屋さんにお話をうかがう機会がありましたが、今回はみなさんにZUNTATAについていろいろとお伺いしていこうかと思います。よろしくお願いします。
一同:
よろしくお願いします。
ずらっと並んだZUNTATAメンバー。左から渡部さん、古川さん、櫻井さん、瓜田さん、山田さん、石川さん、小塩さん、土屋さん。
G:
まずは、みなさんがどれくらいの時期から音楽に親しまれていたかというところをお伺いしたいと思います。例えば、習い事でピアノやバイオリンをやっていたであるとか、コンピュータを使って打ち込みをしていたとか、あるいはこうやってゲームサウンドをやることになるまでまったく楽器を触ったことがなかったということもあるかと思いますが。
石川勝久(以下、石川):
僕ら3人(石川、小塩、土屋)は前回かなりお話ししましたので、ぜひOBの方々を。
山田靖子(以下、山田):
そうですね、私の小さいころはコンピュータがない時代だったので、コンピュータでぱちぱちはできませんでした。高校生くらいでテープメディアのパソコンが出てきたぐらいの世代なんですけれど、ピアノはやってましてですね。びっくりすることに高校はピアノ科に行っていたんですが、なんにも弾けません、今。
(一同笑)
山田:
マジですよ、「どこがドですか?」くらいの勢いでわからないんです。なので、ピアノをやっていたというのは、今うっかり言っちゃいましたけど、内緒にしておいてください。
瓜田:
どっちなの(笑)
石川:
という、ツッコミも意識してのお話ですね(笑)
G:
なるほど(笑) ピアノをしていたということであれば、楽譜は……
山田:
楽譜が読めない人がよく分からない状態になっています。専門学校で教えたりする時、小学校で絶対やってるはずなのにみんな楽譜を読めないから、それがなぜ読めないのか分からないんですよ。
G:
なるほど。
山田:
でもあんまり楽譜要らないですよね、打ち込みだと。
G:
確かにそうですね。ありがとうございます、では瓜田さん、お願いします。
瓜田:
僕もピアノを習っていた時期があったんですが、やったりやめたりを繰り返して「習っていた」と言うのがおこがましいくらいです。ただ、さっき話に出たコンピュータはちょっと早い時期から触っていて。小学校4年生くらいの時に、シャープのMZっていう、すごい古い機種なんですけど……
山田:
ジェネレーションギャップを感じる……
瓜田:
MZでいろいろ打ち込んでいました。それをベースに、うちのお姉ちゃんのシンセサイザーを使って。やっぱり、なんかそういうのが好きな家族だったんですね。それでカセットに、さすがにMTRまで買う家ではなかったので多重録音じゃないですけれど、「重ね録り」みたいなことをして、スター・ウォーズもどきを作ってみたりとか。「俺の考えたスター・ウォーズ」みたいな。
櫻井浩司(以下、櫻井):
その頃からすでに劇伴を……
瓜田:
そうなんです。僕ちょっと危なかったんですよね。おかしな子だったんですよ。
古川典裕(以下、古川):
いや、おかしくはないけど(笑)
瓜田:
そういう感じで、コンピュータでどんどん作り始めました。ブラスバンドをやってる子もいたけど、そういうのはちょっとヤダなぁみたいな感じがあったりして、「それだったら、俺はこのコンピュータを使ったオーケストラで『E.T.2』を作曲する!」と(笑)
石川:
「2」があったらという想定でね(笑)
瓜田:
そういうのを妄想しては作っていた子どもでした。ほぼ独学ですね。ソルフェージュとか、ちょっと人に習ったりもしたんですけど、それも行かなくなっちゃって……。ダメな子だったんです
櫻井:
僕はお二方とは対照的にピアノを習いたかったんですが、親に習わせてもらえなかったんです。で、代わりの楽器としてたまたま手元にあったのが、小学校の授業でやってた笛です。縦笛とピアニカ、それを手に持って、学校から帰ってきて演奏していました。それも、家の中で階段の部分があるんですけど、そこはちょっと響きがいいんですよ。リバーブ(残響)がかかるんです。
古川:
わかるわかる、階段のリバーブ(笑)
櫻井:
その頃から「ここは音がいい」とか(笑)
櫻井:
その場所にこもっては笛を吹いたりして。こもるというか潜むんですよ。
瓜田:
潜むんですか(笑)
櫻井:
階段に座りながら。
古川:
その感覚、すごい分かる。
櫻井:
教会みたいな感じじゃないですか、ホールじゃないけど残響音があって。そんな子でしたね。小学校は高学年になってからブラスバンドに、兄がトランペットをやっていたというのもあって楽器を使えたので、入っていましたね。ただ、ピアノがすごく習いたかった。
瓜田:
みんなの話、改めて初めて聞くね。
石川:
僕らは、何年か会っていない方もいるんですけど、なんだかんだ言って付き合いはすごく長いわけじゃないですか。でもこういう話って絶対しないですよね。なんか、したらちょっと気持ち悪いような(笑)
渡部恭久(以下、渡部):
なかなかやらんよね(笑)
石川:
そういうわけで、全員の子どものころの音楽的なルーツって知らないので、改めて聞くと面白いですね。
G:
そうですね。「階段リバーブ」はなかなか……
櫻井:
ちっちゃいうちからアンビエントですよ(笑)
古川:
この流れでここに来るんだ(笑)。僕は最初はちょっと暗い話から入っていくんですけど……自分の場合、3歳くらいまで言葉が出なかったらしいんですよ。それで親がすごく悩んで、少しでも言葉を覚えさせないといけないということで、当時うちにあった8トラのデッキを……
瓜田:
「8トラ」は多分、今の人は知らない(笑)
石川:
カラオケの、カセットがぶっといやつですね。
渡部:
ああ!ピンクレディーとかのやつだ。
古川:
そう、あれの童謡をいっぱい借りてきたか買ってきたかして、それを1日中聞かせていたらしいです。そうしたら、言葉が出るようになったころには絶対音感があったんです。習ったとかではなくて、言葉が出なかった分だけ、音楽の方にいきなりバーンと行ってしまった感じなんですよ。だから、その頃から歌うことがすごく好きな子どもだったんです。
G:
なるほど。
古川:
姉が弾くためにオルガンをもらってきたんですが、姉が全然興味を示さず(笑)、弟の自分が遊んでいたある日……たぶん小学校2年生くらいだと思うんですけど、「ウルトラセブン」の曲を弾こうと思ったんです。ところが、いざ弾こうとしたら、どうも白いところだけじゃ弾けないということが分かって「これは黒いところを3つ使わないと弾けないんだ」ということを誰にも教わってないんですが、自分で気付いたということがありました。パソコンというか打ち込みに触れたのも自分は多分かなり早い方で、1981年のPC-6001『パピコン』という……
瓜田:
同じ時代です(笑) あれ、同級生が買ったんですよ。その同級生の家に毎日お邪魔してPSGで打ち込みをしてたっていう。
櫻井:
同じ時期ですね。
古川:
それが小学校を卒業する間際でしたね。だから、相当昔だと思います。
G:
なるほど。では渡部さん、お願いします。
渡部:
えっとですね、ピアノは私3歳の頃からやってまして、コンクールでしょっちゅう1位を取っていたんです。(一同から「ウソだ」のツッコミを受けて)はい、ウソです。全く何もやっていませんでした、会社に入るまで(笑)。だから音楽とかに興味が出てきたのは会社に入ってからでした。
古川:
音楽、やりたかったといえばやりたかったんですよね。
渡部:
うん。やりたかったんだけど……会社に入るまでは絵を描いていたので。
櫻井:
それもすごい。
瓜田:
知らなかった……。
渡部:
某雑誌に、バイトがてらパソコンでCGの原稿を描いてました。
古川:
すごい、意外。
渡部:
当時流行ってたアニメのキャラクターとかをアレンジして描いたら、1枚●万円とかもらえたので。だから、音楽は全くやってなかったんですよ。
古川:
で、会社に入ってからいろいろ覚えたんですよね。
渡部:
そうそう。
古川:
職務をこなしながらなんとか覚えていったっていう。
渡部:
そうねー、自分でやるっきゃなかったからねー。あ、ただあれです。子どもの頃にアニメは観ててそれの劇伴は聴いてたんですよ。ちょうど今でいうCDレンタルにあたるレコードレンタル屋ができたてだったので、そこでサントラをやたらと借りてはいました。
石川:
渡部さんの場合は完全に独学で、会社に入ってから1人でいろいろやって作曲までできるようになったっていう、かなり特殊な例です。たぶん、会社に入ってから独学で作曲をやり出して、そのままコンポーザーになった方というのはZUNTATA25年の歴史の中でも渡部さんだけです。
瓜田:
聞いたことないですもんね、確かに。
古川:
人によって全部違うっていうのがちょっと面白い。
G:
ホントに、これほど違うんだなぁということに驚いています。
石川:
僕たちも驚いてます(笑)
櫻井:
お三方のが聞きたいくらい。
石川:
僕らのは去年やったGIGAZINEさんのインタビューを読んでください。
※去年のインタビュー記事はこちら、「ゲームの『音屋さん』になるための心得、タイトー『ZUNTATA』インタビュー」
◆初めての作曲
G:
それでは続いて、曲を最初に作った、あるいは曲を作ろうと思ったのはいつぐらいでしたかという質問です。また、その際にはどういったきっかけがありましたか?
渡部:
うちはもう答えはひとつだから(笑)
古川:
会社に入ってから。
渡部:
うん、それで終わっちゃうから。何も面白くなかろう(笑)
山田:
私はバンドをやっていた時になんとなく作ったんですけど、バンドの作曲だとコードを並べてなんとなくメロディーを作れば、あとはメンバーが勝手に曲にしてくれるので、あれを作曲って言っちゃいかんかな……(一同笑)
瓜田:
そうなんですか。
山田:
「ここをこんな感じで」って言っていたら、なんとなくいい曲が練習の間に出来上がってくるから、バンドの曲を作ったというのはちょっと乱暴だよね、と。そういう意味で、ちゃんとした曲を初めて作ったのはタイトーに出したデモサウンドですね。
一同:
へええええ。
山田:
ちゃんと作ったのは……ちゃんとも作ってないけど、当時のシーケンサーっていう、全然いろんなことができない、音符を入れて長さをまとめるぐらいが精一杯のもので、ものすごいどうでもいいようなのを作った覚えが。内緒ですけどね、これも(笑)
G:
バンドはいつ頃からやられていたんですか?
山田:
高校2年生くらいからやっていたと思います。音楽科に行ってたんだけどクラシックが大嫌いで、というかピアノが大嫌いで(一同笑)。練習をほとんどしないから、クラスでテストの順位が貼り出されると、ピアノは一番最後だったんですよ。練習しないから曲が覚えられず、テストの時に最後まで弾けないんです。
G:
なるほど……
山田:
ピアノの練習はしないで、バンドの練習をしたり部活をやっていたものだから。
古川:
それは確かに弾けなくなるわ。
山田:
部活はやっちゃダメなんですけどね、手を怪我するから。私はバンドもやってたけど。
G:
バンドでは何のパートでしたか?
山田:
キーボードですね、ピアノは嫌いなのに。クラシックのピアノに比べればバンドのキーボードは楽ですよ……すべてとは言わないけど。プロのバンドではなく素人が集まってやってるようなバンドだったら、クラシックのピアノを弾ける人にとっては鍵盤も軽いし、みんなに合わせるのが大変なだけで、テクニック的には全然そんなに難易度が高いものではないですし楽しい。でも、別にクラシックとかやらなくてもやれると思う。
古川:
クラシックの演奏、全然楽しくなさそうだもんね。
山田:
練習が楽しくないんですよ。
古川:
あれは1日5時間とか普通に弾いてるものだからね。5時間でも全然足りないくらい。
山田:
ハノン(指の練習曲)だけで1時間半くらい弾かないといけない。
石川:
ハノンはうちの姉がやってて、毎日毎日聞かせられましたね。
山田:
やめてー!(笑)
瓜田:
目が回りますよね。
山田:
大体1時間半ぐらいを目安に指を慣らしてから曲の練習だから、「私の人生を返して!」くらいの勢い。
瓜田:
そこまで?(笑) 僕もバンドで、っていうと多分格好がいいんでしょうけど、実はバンドじゃなくて、さっき言ったようにわりと小さいうちにコンピュータを手にしちゃったもので。自分が、例えば「E.T.」の続編……
渡部:
また来たか(笑)
瓜田:
始めた頃が小学校4年とかだったりするんで、当時、お兄ちゃんと「マッドマックス」をうっかり見に行っちゃって、それで「いいなあ!俺もマッドマックスに曲を書きたいなあ」みたいな。
(一同笑)
瓜田:
そういうのに感化されて自分でやり始めたっていうのがあります。公的には「高1でバンドをやったときから」って言いたいんですけど、ほんとはそのぐらいからですね。痛々しい曲の数々なんですけど。
山田:
それをアルバムにまとめて……
瓜田:
いやいやいやいや!(笑) 俺、それで、その当時のカセットを全部捨てる前に一回デジタル化しようと思って吸い出したんですよ。そうしたら出てくるんですよ、中学校の時に作った曲なんかが……。皆さんあると思うんですけど、小6ぐらいの時に作った、おそらく何かの映画の「俺が監督したらこういう曲を書く」っていう曲とか。
渡部:
やべ、かっこいい。
瓜田:
そういう痛々しいのが出てきたりとかしてて。
G:
ということは、ちゃんとデジタル化して保存してあるということですね。
瓜田:
いちおう取りはしたんですけど、すごい悩みましたね。
山田:
どっかで公開したらいいじゃん。
瓜田:
いやいや、もうほんと公開処刑ですね、それは。田舎に戻った時に「部屋を片付けてくれ」って言われたので片付けていたら、当時の楽譜が出てきちゃって。イメージスケッチですよ。
渡部:
すげえ!
瓜田:
でもめちゃめちゃですよ。なんか8分音符の旗の向きがばらばらだったりとか。
(一同笑)
古川:
ありがちありがち。
瓜田:
「4分の4」なのにあれこれ入っていて。
古川:
すごく音符がいっぱいで、拍が多すぎるとか。あるある(笑)
瓜田:
そういうのが出てきて。「ここから画面が青くなる」とか、でも誤字脱字全開で、妄想が書かれてましたね。そういうのがあるから今があるのかな、なんて。
G:
「俺E.T.2」、聞いてみたいですね。
瓜田:
MZの単音と俺の手弾きのシンセが重なってる、すごいもうスペイシーな。
渡部:
かっこいい。ある意味かっこいい。
櫻井:
自動演奏だよね。
山田:
ZUNTATA NIGHTに参加する代わりに流してもらったら?(笑)
石川:
「俺E.T.2」を(笑)
瓜田:
さいっあくですね(笑) そんな感じでした。あと、日立製作所さんのCMで有名な「この木なんの木(日立の樹)」って曲があるじゃないですか。あれに僕が勝手に歌詞を10番くらいまで考えて、それにドラムとか、なんかいろいろあわせたりして……
山田:
それはいくつくらい?
瓜田:
それも小6くらい。
山田:
他の遊びとか知らなかったの?友達とかあまりいなかったタイプ?
瓜田:
友達とかと遊ぶよりも、そっちをやってた(笑) それと釣りしかやってなかったような気がする。
櫻井:
すごすぎて俺がもう……(笑)
渡部:
だんだんなんかね、ハードルが上がっていってるっていう。
櫻井:
僕は単純に、中学校時代にコピーバンドを始めて、「a-ha」とかをやってたんですけど。
古川:
やっとまともなのが(笑)
渡部:
それっぽい、王道なのが来たぞ。
櫻井:
その時にキーボード、シンセサイザーとギターをやって音楽にのめり込んで、高校に入ってもやっぱりバンドをやろうということで続けるわけですが、やっぱりコピーだと物足りなくなってくる……じゃないですけど、下手くそでもオリジナルをやると箔がつくんで、やりたいと。
(一同笑)
櫻井:
「俺らはオリジナルをやってんだぜ」って。
瓜田:
分かる分かる(笑)
櫻井:
なんとなく「よし、曲を作ろう」ってみんなでやり始めて。とんでもなくどうしようもない、コード進行「C→G→C」みたいな簡単な曲ばっかりなんですけど、そういうのを高校2年くらいに始めたんですね。それが一番最初の作曲ですね。「とにかくオリジナルを俺はやってる、コピーじゃない」と。
G:
箔がつく、と。
瓜田:
櫻井さん、ギターもやってるんですよね。
櫻井:
そうです、ギターとキーボードですね。
古川:
両方できるのがすごい。
櫻井:
中学校の時に、親に初めてシンセサイザーっていうのを買ってもらって。当時、デジタルシンセとアナログシンセがあって、デジタルが欲しかったけど買えなかったんですね。それで、アナログシンセのJuno-106っていうのを買ってもらいました。それがやっぱりよかったんですね、こう、いじるといろいろ音が変わる。
山田:
私、大人になってからJuno買ったもん。
櫻井:
あ、そうなんですか。
山田:
今もある。当時は高くて買えなかった。
櫻井:
それを買って、あとバイトでお金を貯めて、イシバシ楽器っていうところがあったんですけど、在庫特価でTR-909っていうのを4万8千円で買いました。
石川:
うわ、安い!
櫻井:
19万円してたのが4万8千円で、後に定番のキックの音、リズムマシンになるんです。その当時は「音悪いなあ」とか言ってた(笑)
古川:
「全然リアルじゃないな」って(笑)
櫻井:
「生じゃねえなあ」とか言ってたのが、後々持ってたら希少価値がついちゃって。
瓜田:
その数年後には定価みたいな値段になって。この世代はみんな、技術推移の時代を生きている人たちですね。アナログからデジタルに徐々に移ってくる時代。
櫻井:
僕もピアノを習いたくても習えなかったから弾けないんですよ。で、やっぱり機械に行って「ああ、機械に頼れるんだ」とシンセサイザーを買って、シーケンサーを買って、更にドラム。「おお、これである程度できんじゃん」ということで、自分1人でも曲を作るようになりましたね。
G:
なるほど。
石川:
じゃあ、古川さん。
古川:
私、一番最初に作った曲を弾けるんですよ、今。
渡部・櫻井:
それはすごい。
古川:
(演奏して)こういう曲で、多分小学校3年生くらいに書いたやつです。オルガンをずっと家で弾いてたっていう話をさっきしましたが、その流れで「なんか曲とか作れないかな」ってやってみたのがこれだったんですよ。ただ、自分は曲を作るよりも演奏したり歌ったりする方が楽しかったので、小学校時代はこれを含めて3つくらいしか曲を書いてないんです。中学校でも多分1~2曲、高校でも片手で足りるくらいしか書いていなくて、本格的に書いたのはほんとに会社に入ってになるんです。バンドとかもやってなかったので、ずっと歌ってましたね、この人は。
石川:
この人はって(笑)
渡部:
入社試験のときのあの曲、オリジナルのやつ。あれ、すごい気合入ってたよ。「春夏秋冬」。
古川:
あれですよね(笑)
渡部:
がっつり覚えてます。いっぺん聞いた曲は忘れないから、基本的に。
石川:
僕の時代も「春夏秋冬」だったんですが、「春夏秋冬」のネタってもしかして、何年か同じなんですか?
渡部:
そうそう、うちの1個前の先輩から一緒なんですよ。
石川:
ちょっと解説しますと、タイトーのサウンドに入るとき、デモテープ提出とか、研修の時に曲の課題があるんですけど、「春夏秋冬」がテーマなんです。
渡部:
自分の作曲は会社に入ってから。で、きっかけは「書かなきゃいけなくなったから」。そう!作曲しなきゃいけなくなったからなのです!っていう(笑)
瓜田:
え、でもそれ以前になんか楽器やられてなかったんですか?
渡部:
ううん、全然。
山田:
ベースやってませんでしたか?
渡部:
ううん。
山田:
あれ、ベースやってたって……
渡部:
それはあのね……やってたっていうふうに言っとかないと上司が採ってくれなかったの。
(一同笑)
山田:
そうなんだ。それ初耳。
渡部:
「お前めちゃくちゃハッタリかましてくれたな」って後で怒られたっていう(笑) 本当はゲーム会社で絵描きとか企画をやりたかったんですよ。それでゲームを作りたくて入ってみたら「あれ、ちょっと音楽が面白くないか?」みたいな感じで、じゃあサウンドを受けてみますか、っていう。
瓜田:
かっこいい……
渡部:
できたからじゃないのよ。やらざるを得なくなった。ハッタリ決めて。
櫻井:
適応しちゃって、出世しちゃったわけですよね(笑)
渡部:
で、後で死ぬほど怒られた。「お前、ちょっとハッタリにも限度があるで(笑)」
(一同笑)
石川:
え、じゃあ渡部さんってデモは出してないんですか?
渡部:
そう、だから曲が書けないからどうしたものかという話になって。ほら、昔、サウンドの部屋の棚にレコードがいっぱいあったの覚えてる?
山田:
あったあった。
渡部:
あれの中から自分がチョイスして、「春夏秋冬」を表現した。
瓜田:
効果音は?
渡部:
うん。込みで作りなさいっていって、6ミリ(テープデッキ)を回して。なんだか有名なクラシックとかがあるんですけど、全然分からないんですよ。だからそれを残業時間になったらひたすら聞いて「これはこういう曲なんだ、はいはい」と。それを並べて、俺リミックスですよ。
古川:
DJだ(笑)
渡部:
そうそう、それを6ミリに録音した。
石川:
それで採用するというのはなかなか……何か感じるものがあったということですよね。
渡部:
なんかよかったらしい。多分選曲がよかったんでしょうね。当然、既存の物だけだったらアレだからということで、寮にある風呂場の板張りを「バーン」って叩く音を入れたり、「デンスケ」っていうテレコがあるんですが、あれで環境音を録ってみたりとかして。
瓜田:
フィールドワークをしてたんですね。
渡部:
そうそう。
石川:
すごいな。
古川:
結構いい話だよ。この話題は。
渡部:
あれ、知らんかったっけ?
山田:
効果音がどうのこうのっていう話は聞いたことがあるけど、デンスケを風呂場に持っていった話は知らないですね。
渡部:
その時、先輩に使い方が分からんから「これどうやって使うんですか」って聞いたら「ああ、じゃあもういいや、俺持ってるからお前やれ」「はい」って(笑) ……だったんですよ。
G:
なるほど。そういえば石川さん、小塩さん、土屋さんに前回お聞きしたのは「入社して初めての曲はどんなものでしたか」という質問だったので、ここで改めて、「初めての曲作り」に関してお伺いしたいと思います。
土屋昇平(以下、土屋):
今お話をうかがっている間にびっくりしたのが、タイトーって入社が決まってから部署を振り分けるんですね。それがすごいびっくりです。入った後、何になるか分からないってことなんですね。
山田:
営業に行かされるかもしれないし、店舗に出されるかもしれない。
渡部:
そうだ、おいら最初、工場配属予定だったんよ。
土屋:
えええ……
山田:
最初の何ヶ月かはみんな工場に行くっていう。
櫻井:
新人研修とかじゃなくて?
渡部:
新人研修の時に工場に行くはめになりそうだったのを直訴して、人事の人を捕まえて(笑)
土屋:
入る時は「ここに入りたい」とサウンドや絵で入るけれど、その後どうなるかはやっぱり分からないっていう。
渡部:
神のみぞ知るですよ(笑)
土屋:
「サウンドに行きたい」と入って、その先でまた選ばれるというのが全然想像がつかなくて、お話をうかがってびっくりしています。
小塩広和(以下、小塩):
俺も半分そうだった(笑)
土屋:
え、小塩くんなんかもそうなの?
小塩:
だって俺、最初は営業だった。
瓜田:
え、そうなんですか?
小塩:
半年くらい営業にいました。その後「やっぱり開発に行け」ということになって。当時、青山にあったサウンドの営業にいたんですが、「9月からやっぱりお前、海老名な」って、「ちょっとそれ通勤が遠くなるんですけど」みたいな(笑)
瓜田:
何言ってんだよって(笑)
G:
ZUNTATAも25年の歴史があると、途中にはいろいろありますね。
土屋:
じゃあ初めて曲を作った話に戻って……最初に曲を作ったのは多分高校くらいかなと思います。Macの、多分Visionで何か作ったとは思うんですけども、ちゃんとシーケンスも出るソフトで。
瓜田:
俺ら、ここでなんかあんまり反応しちゃうと年取ってるみたい(笑)
山田:
年取ってるから(笑)
櫻井:
時代で分かっちゃうよね。
古川:
Visionかあ、高校でVisionか。
瓜田:
やばい、Macとか言っとかないと。
土屋:
EZ Visionとか、あとフリーのPro Toolsっていうのがあって、そういうのを使っていました。
山田:
それ、だいぶ新しいイメージ……。
土屋:
多分、皆さんからするとだいぶ新しいと思います。
石川:
10年世代が違うんだから。
瓜田:
そうか……
土屋:
文字入力とかで曲を作ったことはないですもん、僕、レコンポーザはないので。全部、ノート打ち込みからの経験しかない。
渡部:
「田植え」から入ってるんだよね。
土屋:
そうですそうです。
渡部:
ぺたぺたぺたって。テキストで打つんじゃなくって。
土屋:
ええ。そうなんです。もうMIDIが規格として確立して、皆さんがMIDI総合音源とかを使ってなんか音楽をやってみようみたいなブームがあったんですよね。「HELLO!MUSIC!」とか、「ミュージ郎」とか。
渡部:
あったねえ。
土屋:
廉価版で「自宅で作曲できますよ」的な。
渡部:
レコポン(レコンポーザー)の廉価版みたいな。
瓜田:
そんな感じですね、なんかパッケージになっていて。
土屋:
その波で「自分で曲を作ってみよう」って。まあその前にもいろいろ音楽はずっとやってたんですけども、最初に曲を作ったのは、DTMブームじゃないですけど、そういった廉価版で自分でも手に入るものが出てからだと思います。
渡部:
あれやね、すくすくと育ってるって感じ。
石川:
「俺サントラ」とか作ったりしなかったの?
土屋:
いや、それは(笑)
G:
作ってましたか?
土屋:
当時は作ってなかったですね。
瓜田:
時代的にはSC-88とかすごい流行ってた時代ですよね。
土屋:
ええ、そういうタイプの。
山田:
すごい最近な気がするんだけどね……
瓜田:
2回目のDTMブームみたいな時代でしたよね、きっと。
土屋:
そうですそうです。2回目ですね。
瓜田:
ですよね。90年台の終わり頃。
石川:
1次ブームはMT-32とか。
山田:
ああ、そうだ。
瓜田:
89年ぐらいだよね。あれが1回目でしたよね。
石川:
MT-32、CM-64ときて、SC-55がきて、SC-88。
古川:
最初、「ミュージくん」っていうパッケージで。
土屋:
全部パッケージになっているので、入力用の鍵盤とか音源とかを全部ひっくるめて買えるんです。
小塩:
高いんです。ものすごい高い。
土屋:
うん、でも、廉価版がその後結構出てきたので買えたんですよ。多分、先輩方のころのブーム時は1個1個のモジュールを自分で買っていかないといけないスタイルの感じだったと思うんです。
瓜田:
そうそうそう。
土屋:
僕の時は総合音源が1個あればそれで「ドラムから何から全部入ってるよ」っていうような。
小塩:
え、鍵盤ってあった?
土屋:
鍵盤、入ってたよ。
小塩:
嘘?
土屋:
うん、確か。あれ……入ってたと思うけどな。EZ Visionと、俺はヤマハのだったからXGで、MU-50かなんかだと思うんだけど。
小塩:
うち、鍵盤はなかったんだよね。
土屋:
鍵盤も確か入ってて、なんか作ってた気がします。
瓜田:
なんか、GMフォーマット時代ですね。
土屋:
そうです、モロにその時代ですね。「GSがいい」「いや、XGがいい」みたいな議論が起こってた頃です。多分。
瓜田:
土屋さんはXGだったんですか?
土屋:
僕はたまたま買ったのがそのヤマハだったのでXGだったんですが、どうも世間を見てるとGSが……
(一同笑)
土屋:
みんなGS、GSって、ローランドの方がよかったのかなあって。楽器メーカーにそこまで詳しくなかったので、「ヤマハ……ああヤマハって確かすごいメーカーだな」とか思ってて。世の中GS、GSって言っていて。そうしたら、そんなの結果的にはどっちでもよかった。全く無意味でしたという感じでした。
G:
なるほど。じゃあ小塩さん、お願いします。
小塩:
僕は同じ世代なんですが、ちょっと先にやっていたんで、MMLでやっていたんですよ。
渡部:
へええ。
小塩:
作曲って言っていいのか分からないんですけど、当時はすごくゲーム音楽が好きだったんで、ゲーム音楽の楽譜を買って打ち込んでいたんですけど、楽譜はピアノスコアしかなかったので、明らかにゲームで鳴ってる音と違うんですよね。
古川:
ははは(笑)
小塩:
なんかこう、しょぼいんですよ(笑)。「じゃあしょうがない、俺が代わりにアレンジしてやるよ」って打ち込んだのが、初作曲というか、アレンジになるのかな?
山田:
「俺アレンジ」?
小塩:
俺アレンジ。
土屋:
来たか。
渡部:
お前もか。
(一同笑)
小塩:
はい(笑) 具体的にいうと同じグループ会社のスクウェア・エニックスさんの大作RPGの曲なんですけど。
瓜田:
マジですか。なるほどね。
小塩:
楽譜にはメロディーとベースしかなくて、それだけを忠実に打ち込んだら、「あああ……」って。「俺が求めてる曲じゃない」と。なので、それをアレンジして。その辺では瓜田さんに似ているというところがあって、もうひとつ、櫻井さんに似てるところもあって、高校時代にバンドをやってたんですけど、ちょっと箔をつけるためにオリジナルをやろうって。
櫻井:
やっぱりそうなる(笑)
小塩:
その当時、ギターの奴が曲を作ったんですけど、ちょっと俺にもやらせろと。
櫻井:
なるほどね。
小塩:
というわけで、その時に作ったのがオリジナルでは最初になる、という感じですね。だから僕は瓜田さんと櫻井さんのハイブリッドっていう感じ。
瓜田:
ハイブリッド(笑)
渡部:
話だけ聞いたらめっちゃミュージシャンっぽいよね。
古川:
意外とまともで、なんか腹立ちますね。
小塩:
なんだと思ってるんですか(笑)
渡部:
腹は立たないけど(笑) 逆に、それだけやってて、なんで今DJなん?っていう(笑) それが、意味が分からない。
小塩:
それは大学で道を間違えたんですよ。高校でバンドをやって、その後にちょっとバンドサウンドはもう自分の中で古いと思ったんでしょうね。DJが新しいと。
渡部:
なるほどね、そこで悟っちゃったのか。
小塩:
悟っちゃったんです。
渡部:
早え(笑)
小塩:
という感じです。はい、じゃあ、石川先生。
石川:
僕はこの中で唯一コンポーザーじゃないので、だから実質、まともに曲を1曲完全に作ったこともないし、作曲だなんてことはしたことがないので……。ただバンドはずっとやってましたけどね。
石川:
でもね、作曲はできないので作詞はよくやってましたね。小・中学校とかの頃……
山田:
その話も初めて聞くけどね。
古川:
初めて聞いた。
石川:
いやいや、そんないい話系ではなくて、どちらかっていうと瓜田くんが言ってたようなイタイ系の話。
瓜田:
「この木なんの木」を勝手に作詞したような。
石川:
そうそう。小学校5、6年生の頃、僕オフコースとかチューリップとか、いわゆるニューミュージック系が好きで。で、曲とかはもちろん作れないから、「詞を書いてやろう」って。
一同:
うおお(笑)
石川:
アレ系の詞をいくつか書いて、「俺のファーストアルバム誕生!」みたいな。
(一同笑)
石川:
まあ瓜田くんが曲だったんだけど、僕は詞で。
山田:
それ、ないの?
石川:
それはさすがにない(笑)
渡部:
めっちゃ鳥肌立ってる。イタすぎ!すごい気持ちが分かる分(笑)
石川:
勝手に「ついに登場!○○のファーストアルバム」「○月○日発売」みたいなことをノートの頭に書いちゃったりなんかして。
瓜田:
はいはい、分かります分かります。
石川:
詞だけなのにさ、曲ないのに……ていうようなことをやって。でも、考えたら今やってるのと一緒ね。今、ZUNTATAのウェブサイトとかは僕が更新してるんですけど、そこに「ついに登場!ZUNTATA25周年記念アルバム!」とか書いてるんで。
(一同笑)
櫻井:
その頃からね。
石川:
煽り文句とか中身のアルバムの宣伝文とか僕が書いてるんで、やってることは小学校の時と変わらないんですよ。
古川:
ルーツね。
渡部:
ルーツだな(笑)
小塩:
無理矢理まとめてませんか?
石川:
いやいや(笑) だからそこがルーツかなって。曲はそんなにないんだけど、そういう企画したりっていうのは好きですね。
G:
なるほど。
土屋:
でも石川さんがタイトーに入る時って、デモテープみたいなのっていうのは曲だったんですか、それとも効果音だったんですか?
石川:
タイトーに入る時は、僕はサウンドじゃなくて企画で入ってるんだよ。
渡部:
え!?
石川:
最初の志望の時は。
小塩:
また例の「振り分け」ですね。
石川:
僕はもともと音楽系の専門学校に行ってたんだけど、作曲とかができたわけじゃなくて、サウンドエンジニアの学校だったから。でも、ゲームが好きだったから、なんでもいいからゲームの仕事がしたくて。
渡部:
その辺は一緒なのよ。
石川:
そう。曲は作れないから、ゲームの企画書を書いていって、それで採用されてる。だから、採用された時は多分ゲームの企画で採られてる。でも、当時のタイトーって新人研修が半年あったから。
櫻井:
すごい長かったんだね。
石川:
僕、北海道に6ヶ月ボーンて行かされて。
土屋:
長い!
石川:
北海道で6ヶ月いろいろやってる間に「やっぱしサウンドやろうかな」と、ダメもとだしと思って希望変更届みたいなのを出して。そうしたら、1度ちょっと試験を受けてみろみたいなことがあって、横浜の中央研究所のサウンドの部屋へ行って、1週間研修やってましたよね、僕。
山田:
やってた。
石川:
その時に一応、「春夏秋冬」をテーマに1曲作りました。かなりどうでもいい曲っていうか……個人的にはかなりがんばったんだけど、えらい単純な曲で。
小塩:
僕の時は「春夏秋冬」じゃなかったですね。デモテープ出しましたけど、何も言われなかった。
石川:
あ、小塩のデモテープが出てきたよ。今、引っ越しの準備していて、いろいろひっくり返したら、小塩と土屋くんのデモテープが出てきた。
山田:
よっしゃあ。
小塩:
すみませんすみません!
渡部:
ああ、それ聞きたいな。
小塩:
絶対そのテープかけないでー!
土屋:
絶対無理無理!
土屋:
皆さんのデモテはちょっと聞いてみたいですね。僕は多分、中途で入ったんで、だからデモテっていうよりも……
渡部:
出来上がっちゃってるやんね。
土屋:
そうなんですよ。ある程度やった後のものなんで、多分全然面白くないと思うんですけど。
瓜田:
じゃあ土屋さんと僕が中途ですね、この中で。
土屋:
あ、瓜田さんもそうなんですか。
瓜田:
うん、中途なんです。
小塩:
他の皆さんの春夏秋冬は残ってないんですか?
渡部:
残ってるわけねえやん。6ミリやで(笑)
土屋:
そう、春夏秋冬、すごい聞きたい。
石川:
6ミリテープはこっち(新宿)に引っ越してくる時にかなり捨ててしまったので。DATはかなり残ってますけど。
古川:
6ミリテープはほとんど捨てた。もうデッキがね……。
渡部:
再生できないよね。
古川:
でも多分、自分のは作れって言われたらもう1回同じのが作れる。
渡部:
それはすごい。
古川:
だって、あの時ってオープンを回して自分で全部パートを弾いてたから、全部覚えてんのよ。ほんとは、例えばシーケンサーとかを使って打ち込めればいいんだろうけど、結局、その半日半日使って曲をその場で作るっていう研修だったから、機材のことを覚えてる暇とかなくて。
G:
えええ……
古川:
とりあえずレコーダー回しとくからお前弾け、みたいな。それでもうずーっとやってた。ドラムとかもうすごいよれまくりなんだけど。
小塩:
80何年くらいですか。
古川:
1988年。でもあれはね、ほとんどパート覚えてる。
山田:
すごいね。
瓜田:
スリリングな時代でしたよね。
石川:
古川さんと山田さんは同期なんですよね。信じられないかもしれませんが。
山田:
いろいろな意味でね(笑)
◆ゲームミュージック・ゲームサウンドに興味を持ったきっかけ
G:
面白すぎて止められないです(笑) では引き続き、ゲームの音楽とかサウンドに興味を持ったきっかけについてです。渡部さんはお話を伺っていると、作るのは会社に入ってからとのことですが、聞く方ではゲームミュージックに興味があったとか……
渡部:
あ、ないっすよ。
(一同笑)
古川:
いやいや、何を言ってるの(笑)
渡部:
いや、当時はなかったんですよ。普通にゲームが作りたかっただけなので……。研修でいろいろなところを見学したりするじゃないですか。で「あ、サウンドとかもあるんやー」って。入る前に他のメーカーの曲とかも聞いてたから「じゃあ、うちが変えてやるか」的な。また例によって。大きなことを。
古川:
でも、この時代の人間は割とそうですよね。
渡部:
タイトーに入る段階では「タイトー?なんかいまいちくね?」みたいなノリだったんですよ、当時は。でも入社してから三ヶ月ぐらいの基礎研修とかを受けたりしてたら「あれ?タイトー案外いいやん」みたいになって。やっぱ同じゲーム創る会社だからその辺りは何処も一緒で興味が出て来たのかも。その過程で、案外音関係が面白かったんですね。「じゃあ、やるか」っていうのがきっかけですよね。で、ずぶずぶ「面白いわあ」ってはまっちゃったっていう(笑)。
G:
アニメのサントラとかを結構聞いてらしたとのことですが、どういった作品のサントラですか?
古川:
サンライズ系ですよね。
渡部:
実家が大分なんで、民放が2局しかないんですよ。だから、やってるアニメが結構限られてくるっていう……。こっちみたいに全部やってるわけじゃないので。
古川:
でもこの辺(渡部さんと古川さん)は結構聞いてるものがかぶってますよね。
渡部:
そう、世代が近いから。やっぱりサンライズ系ですよね。
古川:
「ザブングル」とか。
渡部:
……って、言って分かります?
G:
はい、大丈夫です。
渡部:
ああ、じゃあ炸裂していいんだ(笑) 「銀河漂流バイファム」とかね。
古川:
「バイファム」は聞きましたねえ。
渡部:
昔になると「伝説巨神イデオン」とかあの辺を、すり切れるくらい聞いて。多分、その辺のドラマ編とかをずっと流しっぱっていうのがあったから。
古川:
昔、ドラマ編っていうのがありましたよね。今は全部DVDとか映像が出るんですけど、昔はカセットで音しかなかった。
渡部:
こっちの方じゃアニメをやってないから、そういった媒体から聞くしかないんですよ。ああいうサントラで曲を聞いて、アニメ雑誌でこういう画面が出て、自分で「合体!」みたいな。
(一同笑)
古川:
子どもはすごい想像力を発揮するんですよね。
渡部:
多分この場面のあたりでこういう音が鳴ってるんだろうなというのを想像して……というのが、多分今に役立ってるのかなと思う時がありますね。
G:
おおー、なるほど。
渡部:
かっこよく言うと「ハングリー世代」?今はGoogleとかYouTubeとかで全部見られちゃうじゃないですか。そのあたり「いいな」と思う時はやっぱりありますよ。「コミケってなんなん?コスプレってなんなん?」っていう。「ああ、DAICONか、見に行きてえ」ってめちゃくちゃ思ってて。分かんない方いると思うけど。
古川:
DAICONは多分この辺しか分からないかも……
山田:
何それ?
石川:
庵野さんがOPアニメ制作に関わっていたイベントですよね。
古川:
あ、そうそうそうそう。
渡部:
伝説でしたもん。
渡部:
今でこそ一般的になったものでも、向こうの方だと全然見られないっていうのがあって。そういう憧れもありました。
古川:
今はなんでも見られますからね、ネットで。
渡部:
実家の方でも今は民放が3局になったとか言って「おお増えてるやん、いいなあ」って(笑)。興味を持ってるって言ったら、そっちの方には確かにありましたね。一般の曲は逆にあんまり聞かなかった。
G:
なるほど。では古川さん、お願いします。
古川:
はい、これはゲームに限ってもいいんですよね。
G:
アニメに限らず、そのほかにもあれば。
古川:
サントラはすごいかぶってるんですよ。で、自分の音楽って、当時のアニメサントラがものすごいベースになってるところがあるんですけど、最初にゲームの音を聞いたのはナムコさんのやつなんですよ。最初に出た「ビデオ・ゲーム・ミュージック」っていうレコード。あれを聞いてたんですけど、そこから3~4年ぐらい、ちょっとゲームから離れた時期がありまして。高校になってから、パソコンで曲を打ち込んだりしていたわけですよ。その時に「Oh!FM」という雑誌がございまして。
山田:
うっすらぼんやり覚えてます。
古川:
その中に当時出てたセガさんの「ファンタジーゾーン」っていうゲームの曲で……ここで大体皆さん「OPA-OPA!(ラウンド1の曲)」って答えるところなんですけど、自分の場合はそうではなくて、「DREAMING TOMORROW」という7面目の曲なんです。
【AC】 ファンタジーゾーン (Fantasy Zone) - DREAMING TOMOROW (Round-7) 【SEGA】 - YouTube
古川:
プログラムが載っていて、それを打ち込んで、「これはなんていい曲なんだ」って思ったんです。それはゲームとかをやる前なんですよ。自分はどの曲を聞いてもそうなんですけど、例えば「何の曲だから好き」とかそういうのは全くなくて、完全に映像と音楽が独立している方なので、この曲のメロディーは素晴らしいなって思ったのが最初なんですよ。
G:
ほうほう……
古川:
その後に実際ゲームをやってみて「これは素晴らしいな」というのが……86~87年くらい、会社に入るちょっと前の話ですから、直接的な要因になってますね。こっちの仕事に進むきっかけというか。
G:
なるほど。
古川:
すごいマニアックな感じですみません(笑)
渡部:
割とスタンダードにゲーム……
古川:
うん、でもゲームをやったわけじゃなくて、曲だけ聞いて、そっちから入ったんです。今もそうなんですけどね、大体。ゲームと曲はリンクしない。いいものはいいし、ダメなものはダメっていう。
渡部:
まあ悪いモノも……
古川:
ええ、まあ(笑) 何とは言わないですけど。では、どうぞ。
櫻井:
はい。僕はやっぱりタイトーさんっていうのもあって「スペースインベーダー」だったんですよね。それが音楽かどうかっていうのは……
山田:
デッデッデッデッ……
ファミコン スペースインベーダー - YouTube
櫻井:
……だけだったんですけど、衝撃的な音。すっごいかっこよくて。
山田:
今すごい無理矢理考えてないですよね?大丈夫?教科書通りのコメントが……
石川:
別に気を遣わなくても。
櫻井:
いやいや、ほんとに好きで。「やや、こんな音が作れるんだ」って。それはどんな感じなんだろうって思ってただけで、別に作ろうとは思わなかったんです。その後、やっぱりナムコさんの「ゼビウス」とか、その頃のシリーズはすごいキャッチーな音楽をいっぱい作ってて、「これはいいな」なんて思って聞いてはいたんです。
ゼビウス(XEVIOUS) - YouTube
櫻井:
音楽としては、それよりも映画音楽とか、僕もアニメはちっちゃい頃にやっぱり聞いていて、羽田健太郎さんとか。
石川:
ああ、いいよねえ。
櫻井:
「ああいうのがいいよな」なんて言ってて。あと、冨田勲さんがシンセサイザーを使ってて、そういうのを聞いてたんですね。その流れで打ち込みも始めて……80年台にイギリスでDuran Duranとかがすごい活躍し出して、サウンドメイキングが日本とは全然違ってかっこいいんですよね。「これはなんだ、どういう音なんだ?音だけでかっこいいじゃん!」みたいなのに惹かれて、曲を作るようになってたんです。その共通点は、音楽も打ち込みだし「できるんじゃないかな」っていうところで、のめり込んでいったのがありますね。
古川:
結構、正統派。
櫻井:
正統派でしたね。うん。
瓜田:
私はですね……櫻井さんと少しかぶるんですが、ゲームだとどれが近いかな……ナムコさんの、先ほども話に出た「ビデオ・ゲーム・ミュージック」のシリーズですね。
櫻井:
みんな聞いてましたもんね。
瓜田:
曲で、妙に頭の中にこびりついたのは「ラリーX」の曲ですね、すごくこびりついちゃってて。あと、あの時代には次々といろんなビデオゲームが出てきて、どこも何かしら面白い音だったり音楽とかを独自のチップで流してましたよね。あの感じが僕はすごい好きだったんです。
ニューラリーX(NEW RALLY-X) - YouTube
瓜田:
だから「ラリーX」とか、あと「ボスコニアン」っていうゲームとか、あの時代。82年くらいかな。
古川:
「ボスコニアン」はしゃべったもんねえ。
ボスコニアン(BOSCONIAN) - YouTube
瓜田:
しゃべっちゃうところがグッときちゃったんですよね、クラフトワーク世代的な人たちは。「しゃべってるー!」みたいな。さっきの櫻井さんの話じゃないんですけど、僕も映画の方とかすごい好きだったんで、ヴァンゲリス、シンセとかの方に行っちゃうんです。ヴァンゲリスがすごいやっぱり大好きだったのと、同じように冨田勲が大好きだったっていうところがかぶってきちゃうんです。ヴァンゲリスは映画があるじゃないですか、「ブレードランナー」だったりとか。最近はオリンピックでもありましたけどね。
Vangelis - Chariots of Fire - YouTube
古川:
やってた、「炎のランナー」。あそこだけ見た(笑)
瓜田:
あれのサントラを、すごい何回も聞いて。
渡部:
あれは笑ったわ……
瓜田:
「あの発想はなかった」みたいな。
Chariots of Fire (Vangelis) for "London 2012 Olympic Games" - Performed by sebastien ride (srmusic) - YouTube
渡部:
ヴァンゲリスが泣くで、みたいな(笑)
瓜田:
あの辺の音の感じ。あと、1個のICチップの中だけで奏でられているあの感じがすごく好きで……私の中では、シンセや生楽器の多重録音を駆使して創られた作品と、1チップの中だけで奏でられる音楽がくれる感動そのものに何ら違いはありませんでした。両方に興味を持ちつつ、交互に交差していったという感じですね。
G:
ありがとうございます。
瓜田:
では山田さん、どうぞ。
山田:
実を言うと、未だにゲームサウンドに興味がないんですよ。
(一同笑)
渡部:
さあやってまいりました、面白くなってきたぞ~。
山田:
ゲームするじゃないですか。音を消してやりますもん。
一同:
おわー!
石川:
一番やってはいけない……
山田:
でも、そんな私が1個だけすごい好きなゲームミュージックがあって……ナムコさんの「メルヘンメイズ」。
メルヘンメイズ(MARCHEN MAZE) - YouTube
渡部:
おお?そうなんだ。それは初耳かも。
山田:
昔ゲーセンで、タイトーに入った頃か、入るちょっと前か分からないけど、あのゲームをやった時、私はそんなに上手じゃないから、ゲームが難しくて先に進めないんですけど、音を聞きたいから、50円ゲーセンに行って結構何回もやる。
渡部:
あったのか、そういうのが。それすごいね。
山田:
サントラとかも多分ないと思うんだよね、あれ。
石川:
いや、ありますよ、「メルヘンメイズ」。
山田:
聞いてみたい。
G:
ゲーム以外の音楽だとどういったものを?
山田:
ゲーム以外はクイーンとか、王道ですよ。ちょっと「ドラマチック的なロックですか?」みたいな。あとはもちろんクラッシックも好きなんですけど。
石川:
そうなんですか。
山田:
オペラとかも割と好きなんですけど、歌が入っていないクラシックは寝ちゃうから嫌いなんですね。
瓜田:
歌好き?
山田:
歌好きですね。クラシックでも長い間ずっとやってきたから、お約束通りのコード進行がすごい嫌で、自分が作る時はあえてそこをやらないようにする。作曲の先生に「これはないだろう」と怒られるようなのをあえてやろうというふうに思って作ってますね。ちょっといい事言ったよね、今。
瓜田:
そうですね(笑)
◆ZUNTATAで大変だったエピソード
G:
こうやって話して頂いて、25年の歴史があるZUNTATAというのは色々な方が集まった奇跡のようなチームだなと感じました。その歴史において、仕事をしてきて大変だったことや驚いたことなど、イチオシのエピソードがあれば教えて下さい。
石川:
多分、山田さんから渡部さんまで、みんなうなずいてくれると思うんですけど……うち、「Ensoniq(エンソニック)」の音源チップを使っていた時期があるんです。
山田:
あああー。
石川:
今からどれくらい前ですかね……?
古川:
20年くらい前になる。
石川:
もう20年くらい前ですか。15年以上前ですか。
山田:
15年どころじゃないよ、多分。
石川:
アーケードゲームの音源チップで「エンソニック」っていう楽器メーカーのサンプリングのチップを使っていた時期があったんですね。本物のシンセサイザーにも使っていて楽器と同じだからすごくいい音が鳴る、当時としては高機能なチップで、ゲーム業界を震撼させるようなものだったんですけど、そのチップをゲーム基板に搭載させるっていうのがもうとにかく大変。ゲーム業界が震撼したけど、内部の人たちも震撼した。
山田:
ほんとにそれ(笑)
瓜田:
泣きながら震えてましたよ。
石川:
ほんっとに、「エンソニック」の音源チップをゲームに搭載させるのは、ほんとに大変で、もう……。
古川:
あれ、向こうから売り込みが来たの?
石川:
いえ。当時、それまではヤマハのFM+ADPCMのYM2610っていうチップとかを中心に使ってたんですよ。いわゆるFM音源を中心にやってたんですけど、もっとリアルな音が出る音源チップを探そうっていう動きが、当時のZUNTATAにあったんです。色々探して、いろんな楽器メーカーを当たったんですが、国内の楽器メーカーはどれもチップが高かったんですよ。あと、当時はサンプリングチップをチップだけで売ってくれなかったんです。
G:
なるほど。
石川:
「チップ単体で供給してくれ」というのは、当時、国内楽器メーカーはなかなか応じてくれなかったんです。ちょうど僕が入った頃なので、1991~92年ぐらいのことです。そこに、サンプラーのメーカーとして注目を浴びていた海外のエンソニックっていう会社があったので、「エンソニックのはどうかな?」って感じで。ちょうど日本法人ができてすぐだった頃なので、連絡してみたら結構乗り気で、話が進んでいったんですけど……そこからが大変だったっていう。
G:
というと?
石川:
エンソニックのチップは性能が良くて、音もすごく良かったんですけど、ゲームのサウンドチップというのは楽器とは全然違う使われ方をするので。効果音を鳴らさないといけないし、それと同時に曲も鳴らさないといけない、しかも、音がいっぱい加わった時にどう動くか、前の音をどう消して次の音が出るか、とにかくゲームの音というのは鳴り続けていないといけないんですよ。一度切れて、そこで鳴らなくなったりすると困っちゃう。楽器だったら電源を入れ直せばいいんですけど、ゲームはゲームセンターの営業時間中は音がずっと鳴り続けないといけないんですよね。
G:
確かにそうですね。
石川:
ゲームの基板に載せるチップっていうのは割とシビアな環境でも動かないといけないんですけど、やっぱり当時の楽器のチップってそこまでシビアにできてない。当たり前なんですけどね。朝10時に電源を入れて、そのまま夜12時まで入れっぱなしなんて楽器はあんまりないので(笑)、そういう風にはできていなかった。
山田:
しかも、外国人独特のアバウトさがあるじゃない。あるとき、開発中にチップをゲーム基板に載っけて回しといたら、音が止まらなくなったんですよ。「ビー!」って言って。それで、ちょうどエンソニックの技術者が来てたから「すいません、音が止まらないんですけど」って言ったら、その技術者さんは「んー」って電源スイッチをプチンって切って入れ直して「止まったよ」って。いや、そうだろうよ、そりゃ止まるだろうよ!
(一同笑)
山田:
「そういう話をしてるんじゃなくってさ!」……って言いたかったけど英語が使えないから「あ、止まったよね」って言っとく。
(一同笑)
石川:
とにかくエンソニックチップは大変でしたね……。ただ、載せたことでタイトーの音が一気によくなったというのはあるので、そういう意味では良かったんですけど。タイトー的にというか、ファン的にはすごくよかったと思うんですけど、中の人達的は……
瓜田:
中の人(笑)
石川:
今はきっと楽器メーカーのチップも、最近の楽器って中身はほとんどPCだったりするので、そういう仕様にも耐えるんでしょうけど。当時は本当に楽器としてのチップだったんで、大変でした。
G:
なるほど……
小塩:
ちょっと1回触ってみたいっすね。
古川:
あれね、何がすごいって、ハイパスフィルタがついてるんだよ。だから、一つの波形の素材を元にして、いろんな音色(おんしょく)が作れる。
山田:
それだったら、エフェクタのいいチップを1個だけ載っけて、普通の基盤ではダメかな。
古川:
エフェクタだと同じ系統でしかできないじゃない?その一つ波形のデータだけで、いろんな音色を使って、要は容量をすごい効率良く使うことができるっていう。
山田:
そんなことをやってるからあんなややこしいOSになっちゃってるんだよー。
古川:
そういうことをやってたのは多分自分くらいなものだったんだけどね(笑)
石川:
実はそのエンソニックのチップっていうのは、当時X2000っていうタイトーの通信カラオケがあったんですけど。
G:
ありましたね、カラオケ。
石川:
あれに搭載させるために採用されたチップで、同時にゲームの方にも搭載させるということで進んでたんですよね。逆に言うと、通信カラオケのX2000があったからゲームにも載せられたっていう事情もあるんですけど。だから、こっち側ではカラオケの音源ボードを作りつつ、あっち側ではゲームの音源ボードを作ってた、というのが当時ZUNTATAの中ではあって。一方でゲームミュージックをやりつつもう一方では演歌が流れてるという、なかなか特殊な感じでした。
瓜田:
あの時代、なんかすごい思い出しちゃいましたよ、今。
山田:
なんかすごい今、夜中の疲れ感が蘇ってきた。
瓜田:
あのフロッピーディスク山積みな状態をちょっと思い出して……。
石川:
あの頃を思えばタイトー、というかゲーム業界全体が不夜城でしたね。
瓜田:
ああ、そうですね。
石川:
真夜中までどこかの電気がついていて、サウンドもずっと遅くまでいて、土日も絶対誰かがいて。……エンソニック音源については、いろいろなところで言ってるんですけどね(笑)。でも、これは多分ZUNTATAの25年の歴史の中で、わりかし大変だったランキングの上位にくる。
古川:
大きな出来事だと思うな。
瓜田:
みんな祈ってましたよね。
石川:
「音的によかった」っていうプラスの面と、「大変だった」というマイナスの面、両方で上位にくる出来事じゃないですかね。他には何かあります?
山田:
それが出ちゃったらない。
古川:
これがでちゃったら後はないよね。なんか最近では?
土屋:
そうですね。ゲーム制作においては全然ないんですけど、ただ、僕がタイトーに入ってからいろいろと調べていくと、実はえらく長い歴史がある会社だなあっていう……。なんか、ウォッカとかを輸入していたとか。
石川:
「太東貿易」。
土屋:
ミハエル・コーガンさんという方が創業者だったとか、なんかもう、どういう会社だったんだろうって。
(一同笑)
土屋:
ちょっと歴史好きな感じなので、最近「タイトー面白いな」って思ってるんです。その中で「ZUNTATA」っていうタイトーのサウンドチームもまた長いので、嫌なプレッシャーといいプレッシャーはありますよね。やっぱり。
瓜田:
なるほどね。
古川:
土屋くんの世代はそうだよね。
土屋:
名前の重みが。先輩方がたくさんいる中に僕が入ったんであればこのプレッシャーはないと思うんです。先輩方に「新しく入りましたよ」っていうだけの話なんで。
古川:
ちょっと世代的にね……。
土屋:
僕が入った時にはどなたもいらっしゃらなかったので、「俺はよく分かんないんだけども、みんなはすごくZUNTATAに詳しい。これは何だろう?」みたいなところはあります。プレッシャーというか……言ってしまえば、ファンの方々のほうが全然詳しいですし。
小塩:
うん、それはある。
土屋:
「すげえ、みんな詳しい」って。だからそういう部分のギャップとかがいいプレッシャーになる時もあるし、ちょっときついなあっていう時もやっぱりあります。一度先輩方と一緒にお仕事したかったなって、ほんと今になって思いますね。とにかくすごい歴史があるので、いろいろお話をうかがってみたいというというのが個人的にあって、すごく今回の25周年が楽しみなんですよね。先ほども名刺交換をしたくらい先輩方にお会いする機会はあんまりないので、楽しみです。
石川:
今までにうちでは総括してどうこうという、例えば「何周年記念」も実は1回もやったことがないんですよ。意外と。昔のゲームの曲とかをアルバムにしたり、配信したりっていうことはよくやっているんですけど、ただ何周年記念のお祭りみたいな、そういうのって実は1回もやったことがない。
小塩:
20周年にロゴを変えたくらいじゃないですか。
石川:
なので「25周年」という形で、お祭り的、オールスター的にやるのは、実はZUNTATAが始まって以来っていう。そもそも、話を今まで聞いていただいて分かる通り、皆さんばらばらで「ZUNTATAってこうですよ、こういう人達ですよ」とは一言で言えないので、今まで何周年記念というのをやっていないんです。ただ、25周年というのは四半世紀ということもあるので、「過去から現代まで、バラバラな人がいるのがZUNTATAですよ」って言うのは今かなって思って。
G:
ふむふむ。
石川:
「ZUNTATAはこうですよ」じゃなくて、「ZUNTATAはバラバラですよ、でも25年もずっとやってますよ」って言えるのは今かなっていう気持ちもあって、今回、25周年をちょっと盛り上げてみようというのはありますね。
土屋:
この名簿がとにかく作りたくてしょうがないっていう感じですかね、「先輩方名簿」。
山田:
ぜひぜひ。
土屋:
お会いしていない方がホントにたくさんいるので、色々とうかがってみたいですよね。先輩方の話を聞くとほとんど楽しそうなんで。
石川:
そもそも、ZUNTATAは今25周年って言ってますけど、タイトーのサウンド開発部門自体はもっと前からあって、1983年からと僕は聞いてるので、実質は29周年なんですかね。
山田:
おしい、中途半端。
石川:
だから、ZUNTATAっていうブランド名がついて25周年っていうだけの話なので、実際はもっとあるという。僕も全然知らないもっと前の世代には音楽系じゃない、サウンドのハード技術者の人達とかもいるんですよ。
土屋:
ZUNTATAというか、タイトーサウンドを立ち上げようと思った今村善雄さんとかには、ぜひお話をうかがってみたいですね。殺伐とした「エレベーターアクション」になんであんなに明るい曲をつけたのかとか、いろいろ聞いてみたいことがあって。
0050 エレベーターアクション (ファミコンソフト).avi - YouTube
小塩:
確かにそれは聞いてみたい。
土屋:
スパイが銃で敵をバンバン撃つようなゲームなのに、曲がえらい明るんですよ、コミカルで。「どうしたんだろう?」と思って。あとは君島正さんに、「アルカノイド」になんであんな音程をつけた効果音をつけたんだろうとか、伺ってみたい人がたくさんいるんですよね。
Arkanoid (Arcade) Gameplay - YouTube
土屋:
先輩方のお話を聞いてると、いろんなお名前が出てくるんで、すごいお会いしてみたいなっていう気持ちがふつふつと湧いてくるんですよね。
山田:
どうぞそういう会も企画してください。帝国ホテルあたりでとか。
石川:
すごい、いきなりハードルが上がりましたね。
土屋:
僕の中でのZUNTATAっていうのはウータン・クランみたいな感じですね、みんなが「俺はウータン・クランだ!」って言うから「ウータン・クランって何人いるんだろう」みたいな。
小塩:
何それ?
土屋:
ヒップホップでウータン・クランっていうグループがいるんですが、すごく格好いいのでDJたちがみんな「俺はウータン・クランの一味だ」って言っちゃって、何人いるのかがわからないんですよ。ホントは5、6人しかいないんですけれど、あまりにもみんなが名乗るので、「本当は100人くらいいるんじゃないの?」と思ってしまう。それに近いですよね、名前がどんどん出てくる。
G:
「ZUNTATAの主な所属者」というのを見たとき、いったい過去にはどれぐらいの人がいたのかというぐらいにばばばっと出てきたり。
石川:
どのくらいですか?全部で30人くらい?もっといましたかね。
山田:
なんかすっかり忘れてる人とかいそうじゃない?
石川:
音楽がらみではない、ソフト担当の方とか、広報や営業担当の方とか、あとカラオケがらみの方とかもいるので、そういう人も入れると50人くらいになるのかな。それが、いろんな部署に分かれたり、あとは辞められたり、別のところに行ったりと……。
土屋:
すごい……。
石川:
ZUNTATAはゲームの音をやっていて、カラオケ事業を立ち上げたのもサウンドがからんでたっていうのもありますし、着メロ事業をタイトーで立ち上げたのもサウンドが関係してるところもあるので、そうするとどんどん広がっていって、どこからどこまでがZUNTATAなの?みたいなことに。
古川:
分かんないよね、確かに。
石川:
コンポーザーだけで言えば、多分25とか。……あ、20人くらいか?
古川:
曲以外の仕事がすごく多かったじゃない。だから、やっぱりそれ以外のスタッフがすごい欲しかったんだよね。
石川:
そうですねえ。そんな感じですかね。ああ!あと、もう1個ありましたよ、大変な話。これはさほど大変なお話ではないんですが、北海道でZUNTATAのミニライブをやったことがあったじゃないですか。
山田:
ああー、あったね。
古川:
札幌!
渡部:
その話題か(笑)
石川:
これは一部の人しか大変じゃなかった話ですが(笑)
古川:
その話を今しちゃうの?
石川:
1993年に札幌の「サッポロファクトリー」という施設にタイトーのちょっと大きなゲームセンターができるという話があって、営業の方から「ちょっとミニライブをやってくれ」と依頼を受けて、札幌まで行ってライブをやったことがあるんですよ。その時、機材は全部自分らの手持ちで行ったんですね。普通のバンドであればツアー車みたいなのを仕立てて行くんでしょうけど、僕らはただのサラリーマンなので、普通にキーボードとかを手で持って。
山田:
しかも電車で。
G:
電車で!?
石川:
電車で羽田まで行って、キーボードを空港の飛行機で預けて、向こうの受取所でコンベアをぐるっと回ってくるのを受け取って、電車に乗って札幌に行って。
古川:
で、町中もキーボードを抱えて。
小塩:
車とかなかったんですか?
山田:
なかった。全部電車。
古川:
普通にキーボード4台くらい持って。
石川:
一応全部ハードケースがあったんですけど、ハードケースがまたでかくて重くてね。
櫻井:
え、ドラムはどうしたんですか?
渡部:
ドラムだけレンタル。
石川:
そうでしたっけ。でもシンバルかなんか持ってった。
(一同笑)
櫻井:
持っていけるやつは持っていくと。
石川:
そういうのが大変でしたね。東京、大阪以外でZUNTATAがライブをやったのはそれだけだったと思います。僕らは何年かに1度とかのペースでライブをやるんですけど、結局はサラリーマンなので、準備は全部自分たちでやらないといけないんですよね。僕らにとっては当たり前なんですけど。普通のアーティストだとローディーがいて、スタッフがいて、もぎりもいて、物販の人もいて、みたいなノリなんですけど、僕らは全部自分らだからモギリもやる、機材も運ぶし、セッティングもするし、後片付けもするし、というのがあるので……もう、文化祭ですよね、ライブの時って。普通のアーティストみたいに、セッティングできたころに行って、バラさずに帰るなんていうのを、1度やってみたい。
山田:
やってみたいですね、それ。
石川:
演奏者であっても普通にトラックから機材を出して、セッティングして、ライブが終わったら自分でケースに入れて、トラックにこう積んで。
山田:
忘れ物がないかみたいなのをやって。
石川:
そうそう(笑)
渡部:
憧れるわあ。
石川:
そういう傾向はうちだけなのかな、分からないですけど。イベントは全部自分らでやんなきゃいけないというか、誰もやってくれないので。今もそうですね。こないだもちょっとしたイベントに出たんですけど、普通に自分らでセッティングして。ちょっとした会議室でトークショーもやったりしたんですけど、その会議室の机を片付けたり。
(一同笑)
石川:
椅子を出すのも全部自分らでやって、終わった後も自分らで畳んで、テーブル拭いて。
G:
そこまでやってたんですね。
石川:
僕らにはそういう歴史があるので、ほっておけない。普通は依頼を受けて出るのであればライブに出て、その場は「じゃあ、ありがとうございました」って帰ってもいいんでしょうけど、「これ、後は誰が片付けるんだろう」と思うとドキドキしちゃってダメ。
瓜田:
ZUNTATAのライブって確かに自分らがやってるから、なんかプロレスみたいな感じだったんですよね。
石川:
プロレス(笑)
渡部:
例えがすごいね。
古川:
面白い例え。
瓜田:
選手がリングを片付けるような感じで、自分らでも「プロレスっぽいなあ」って。90年台の終わり頃もすごい大きなライブをやった時に、大阪とかでもやったんですけど、「なんか僕らプロレスみたいだなあ」って。なんかこの感じ、覚えがあるなと。当時の「みちのくプロレス」みたいな。
(一同笑)
石川:
97年でしたっけ、大阪でもやったの。
古川:
97。
石川:
1997年にZUNTATAのライブを初めて大阪でもやったんですよ。ただそれもどうやって行ったかっていうと、バスを貸し切って。メンバーがバスに乗って、機材車が後ろからついてくる。機材車ももちろん僕らが運転するやつで、ほんとにプロレスですよね。
古川:
とても新幹線なんか、そんなお金なかったもんね。
小塩:
バスで行ったのは、ほんとにお金がなかったんですか?
石川:
そう。バスで行って、機材車から機材を出してみんなでセッティングしてライブをやって。その日は泊まって、次の日にぶーんってバスで帰ってくる。
小塩:
強行遠足ですね。すごい。
石川:
だから、あんまり他のメーカーのライブの事情はよく知らないんですけど、他がどうなのか僕は聞きたい。
山田:
「おたくはどうですか」って聞きたいね。
石川:
チケット販売も自分たちで管理してた時があったので、壁に「チケットぴあ 販売 ○枚いきました」みたいなのが貼ってあったりして。
(一同笑)
石川:
「おお、今日は○枚いった」みたいな。
瓜田:
あったかもしれない。
石川:
それは今も残ってて、CDはタイトーの自社レーベルでやってるんですけど、売上計算から原価の計算、売れた枚数とかの計算とか全部ZUNTATAで行う。
小塩:
僕が企画書を書きましたもん。
石川:
企画書を書いて、売上計算して、何枚売れたっていうのもチェックして、どれだけ原価がかかったっていうのも全部僕らがやってたりします。
山田:
イベント屋さんみたいだ。
小塩:
予算を立てて「このZUNTATAの『COZMO(コズモ)』のCDを出したら、たぶんこれぐらい売れるんで、どうですかね?」って社内の承認とって(笑)
石川:
やったよね。
古川:
全体的に予算意識がすごく高いというのはあるよね。音屋さんなんだけど、ものすごくそういう予算的なところを気にする。
土屋:
それはもう、ほんとに。僕も入ってびっくりしましたね。
渡部:
他所は、うん。ザル。めっちゃザルやった。
土屋:
そう、ほんとにないですよ全然。タイトーみたいに予算に頭の行く方々が多いところは。
渡部:
思い出したら、「なんで真剣にやってたんやろう?」って思うくらい。
石川:
まぁ、そういう風に、中で全部やっちゃうっていうのはありますね。
土屋:
うん、中で全部やるのはほんとにびっくりしました。
石川:
誰もやってくれないからね。
土屋:
誰もやってくれないのは分かるんだけど、それにしてもやりすぎだろうってくらい中でやってるから、僕はここに入った時、「うわあ、こんなのもやるんだ、こんなのもやるんだ!?」ってびっくりし通しで。音を作るということで中途で入ってきて、前までやってたゲーム制作の知識とかもいろいろ活かせるかななんて思ってたら全然違った。
(一同笑)
渡部:
別のベクトルでね。
土屋:
「これはまずい!」って。ほぼ0スタート、やってることが全然違う。
小塩:
「CD出したいんですけど」って言ったら「じゃあまずこれ書いて」って空の採算表みたいな紙を渡されて。「どう書いたらいいんすかね?」って。
土屋:
CDはゲームのプロデュサーの興が乗ったら出るもんだと思ってたよ、俺は。
古川:
昔はそういう傾向があったかもしれないね。
土屋:
自分たちで企画して出すっていうイメージがなかったんでびっくりしました。
石川:
うちの場合は1996年に自社レーベル「ZUNTATAレコード」を立ち上げてるので、CDに関する意識の高さはそれ以来あるかもしれないですね。
古川:
印刷とかデザイン関係の知識がすごい上がったよね、各メンバー。これはやっちゃいけないとかさ。
石川:
そうですね。
土屋:
そのあたりで言うと、「もしかしたらサントラを出したりや配信したりするかもしれない」ということを見越して、曲名をある程度考えておく癖がつき始めてきました。
一同:
ああー。
土屋:
これまではゲームの曲を作る時も、一切考えてなかったんですけど。
古川:
曲名、一番めんどくさいよね。
土屋:
最近は「もしかしたら」っていうところもあって、先にある程度考えておこうかなという癖が。
瓜田:
素晴らしい。
小塩:
僕はあまり考えてないんですけどね。
土屋:
ある程度、頭の中でちょっと考えておいた方が後々困らなくていいかなって。
古川:
でも曲を作るよりめんどくさくない?曲名って。
土屋:
いやもう、一番めんどくさいっすね。
渡部:
曲作るより時間かかるもん。数多いと途中から訳分かんなくなってくるし(笑)
瓜田:
そう、もうなんかホントに適当ですよね。僕も適当です。「洞窟1」「洞窟2」でいいじゃん、みたいな。
土屋:
多分みんながそのままのファイル名で出してきたら「BGM01」とかが並ぶ羽目になるんですよ。
古川:
昔はそれでよかったんだよね。
小塩:
1曲目がBGM01、2曲目もBGM02、みたいな。
瓜田:
「1面」「2面」みたいな……1面っていう響きが懐かしいですね。「1面の曲」。
古川:
最近言わないよね、1面2面は。
石川:
でも瓜田くんの曲名って変なのあるよ。
瓜田:
ほんとですか?
石川:
あるじゃん。
古川:
パズボブ(パズルボブル)3とかすごいよね。
石川:
なんだっけ、「放熱ダンス - ママといっしょに -」とかね。
(一同笑)
土屋:
なんすか、それは(笑)
石川:
わけ分かんない。何、「放熱ダンス」って。
瓜田:
そんなのつけましたっけ。
山田:
つけた。
瓜田:
確かに曲名は大変ですよ。ほんとに。全部「洞窟1」でいいのになあと思いますね。
土屋:
ZUNTATAの先輩方の曲名を見てると変なのが多いですよね。変なのって言ったらアレですけど。
小塩:
変わってる。
土屋:
ひとつひねってる。「普通につけよう」とかは思わなかったですか?
古川:
ものすごく考えるんだよね。
山田:
「放熱ダンス」を普通につけたって言われてますよ。
瓜田:
いやいや、なんかそんなのあったっけ、って、今言われても全然まだ思い出せないんだけど。
石川:
曲は全然変じゃなかったけど、変な曲タイトルばっかりだよ。
瓜田:
ありがとうございます。それはいいんだか悪いんだか分からないですけど(笑) 私が在籍していた頃はアーティストが多かったですね。
櫻井:
そうですね。やっぱり、それぞれみんな個性が強いんですよ。
古川:
他人と似たようなものにはしたくないっていうのがある。メンバーとかぶるのは嫌、とか。曲名とか特にそうだよね。あのゲームっぽい曲名にしたくない、みたいな。
瓜田:
曲名からもすごく広がるような単語をみんな選ばれるなと思って関心したのはあります。CDの中のライナーノーツとか、デザインとかも、曲からさらに向こう側のことも考えてつけられてるなって思いましたね。みんなアーティスティックでした。その曲名の並びだけでもまるで小説家のような感じがあって。
山田:
ちょっとごめん……今、何言っても説得力ないわー(笑)
(一同笑)
G:
曲を作られた時は、曲名はあまり考えずに?
瓜田:
私は考えません。
古川:
考える人の方がたぶん少数派なんじゃないですかね。やっぱり、仕事でみんな作りますから、とりあえずは「何のラウンドの曲」というように書いていくので、曲名をつけるタイミングはそのゲームのアルバム化が決まった時に「じゃあ考えましょうか」というのがほとんどじゃないかな。
渡部:
あとは煮詰まった時とかね。
瓜田:
俺、渡部さんと古川さんはかなり考えてから作ってるのかなと思ってた。曲名が先にあるのかなあと思って。
古川:
それは自分はない。
渡部:
ものによりけり。
瓜田:
ほんとですか。
渡部:
だから煮詰まった時はそれなのよ。
瓜田:
渡部さんは結構、俺のさっき言ったイメージスケッチじゃないですけど、文章でまずいろいろ、ね?
渡部:
あれはその、ああいうことをやってたら盾になるやん。何か言われた時に(笑)
石川:
何ですか、その免罪符は(笑)
渡部:
そう、免罪符的な。「俺こんだけがんばってるから許してゴメン」みたいな。
瓜田:
昔ちらっと見た時にいろんな単語がきれいに書かれてて、そこからイメージをふくらましてるんだなあって。
渡部:
いや、実際やってないわ。書いてるだけ。
(一同笑)
瓜田:
嘘でもいいからやってるって言ってくださいよ(笑)
石川:
出た、出た出た。
瓜田:
でも多分、こうやっておっしゃってますけど、何かしらそこからイメージをふくらましてやられてたんじゃないですか。
山田:
そんな無理くりまとめようとしなくても。
(一同笑)
古川:
でも渡部さん、相当考えてましたよね。ビジュアルからすごい考えてた。
渡部:
っていうのもあるんやけど、案外考えてないよ。やっぱり。
古川:
今日は私、ずっと見てましたからね。
渡部:
見やんでくれ(笑)
古川:
結構考えてます。
渡部:
めっちゃ汗かくからやめてくれ、そういうのは(笑)
古川:
むしろ自分の方が考えてなかった。
瓜田:
ほんとですか?
渡部:
考える前に上げちゃうよね、お前さん(笑9
古川:
うん、とりあえず上げちゃってから考える。上げちゃってから、この曲はこういう風にしたんですという理由を後から考えてる。
渡部:
彼が一番早いんですよ、仕事が。
古川:
いや、そんなことないですけど。
渡部:
多分、この中のメンバーの中では一番早いと思う。間違いない。
小塩:
「COZMO」も一番完成が早かったですよね。
古川:
でもめちゃめちゃ悩んだ。依頼があって、この曲を作ろうって考えた時に、1日くらい部屋の中でのたうち回って、「これは無理だ、断ろう」とか思ったんですよ。
山田:
ええー?
古川:
それくらい悩んで。一時期は「これはできない」って思ったんですよ。でも結局、自分なりの形になんとかしたんですけどね。「あ、これをやればいいんだ」って。ただ、そこにたどり着くまでがすごい大変だった。「これ、ほんとにダメなんじゃないか……」って思いました。宇宙っていうテーマを聞かされた時に、「宇宙って何?」って。
「宇宙、なんか広くて星があって」……って。
櫻井:
意外ですね
古川:
「で、それでどうするの?」と。そこからつなげるのがすごく大変でした。あくまでも自分の場合ですけどね。
石川:
渡部さんはどうでした?今回の25周年。
古川:
そう、渡部さんは意外なタッチで来ましたね、今回。
渡部:
あ、聞いた?
古川:
聞きました聞きました。
渡部:
聞いちゃったのか。
古川:
そうそうそう。「え、こう来たか」と思いました。
櫻井:
うん、意外でしたね。
石川:
僕もちょっと意外でした。
渡部:
あの、TAKE7なんですよ。
G:
7!
渡部:
これを書くのに実は6曲ボツにしたっていう。全部作風と内容が違うバージョンがある。
古川:
もっといつもの路線で来るのかなと思ったら全然違うのだったから。
渡部:
いつもの路線っちゅうのはどんな感じのね。おいら引き出し結構あるぞ(笑)
古川:
なんか、ふわふわふわふわっていうか。
渡部:
ああ、おっしゃれーな、アンビエントみたいな系統かな?さっきの瓜やんの話で「この木なんの木」が出てきたけど、あれの後の時間帯なのよ、うちが好きだったのは。ドキュメンタリー系の。
瓜田:
はいはいはい、「すばらしい世界旅行」とか。
すばらしい世界旅行OP subarashii sekai ryokou - YouTube
渡部:
そうそうそう!あの辺の。
瓜田:
(鼻歌でメロディー)
渡部:
そうそうそうそう。ああいうのがやりたくて。
瓜田:
あの時間帯ね。
古川:
若者置いてけぼりだ(笑)
土屋:
全然大丈夫です。
渡部:
自分にとっての今回の『宇宙』っていうのはそっちだったんですよ。
石川:
どっち?(笑)
渡部:
えっと厳密には『宇宙』そのものではなくて……これはアルバムのブックレットにも書いたんやけど、昔は世界旅行はみんなが行けたわけではないやん。だから、離れた国々に行くだけで「そこはどこの惑星ですか(笑)」的な仰々しい曲が流れてたのね。
古川:
それぐらい、なんかものすごい想像力が。
渡部:
今は世界旅行って結構気軽に行けるじゃないですか。例えば韓国に行くのなんか2万円かからないみたいな、そういう世界になってきてるから、多分この先、月日が経ったら「じゃあちょっと火星行ってくる」みたいなのが普通にあるんだろうなっていう。
古川:
なるほど。
渡部:
で、今は多分こういう曲やろうっていう、そういう解釈なんですよ。
古川:
今回のみんなの曲はよかったー。
石川:
確かに今回は面白い感じですね。バッラバラで。
山田:
バラバラで(笑)
古川:
あんなにバラバラになるとは思わなかった。
山田:
私も思わなかった。「こういう系統だろうな」っていうのは思ってたんだけども。
石川:
まとめた僕としては、思ったよりはバラバラだけど、アルバムとしてはまとまったなっていうところです。
古川:
うん、それは思う。すごく思う。
石川:
実は、バラバラな上にまとまらないと思ってたんですよ。でも、12人の曲が集まったら、ちゃんと1枚のアルバムとして聞けたので、ちょっとほっとしてます。今回、「宇宙」っていう漠然としたタイトルだけを設けて、曲の制約をつけなかったじゃないですか。だから、もしかするとみんな、宇宙の彼方まで行ってしまうかもって思ったんです。
(一同笑)
瓜田:
行きがちな人ばっかりでしたからね。
石川:
行きがちな人が多かったですね。そういう意味で、逸脱していない。いわゆる、前衛的なものばかりになったらどうしようかと思ったんですけど。現代音楽みたいな。
渡部:
「ドーン、ガラガラーン!」
石川:
「ドロンドロン、キャー!」みたいな。そうはならなかったので、よかったかなと。
山田:
1曲くらいあってもよかったね。
石川:
そうですね。
山田:
しまった。そこだったか……
石川:
1個もなかったのは意外だったかもしれない。曲にさえなってないみたいなのがあるかなとすら思っていましたけど。
(一同笑)
石川:
意外とそれはなかった。
櫻井:
それがZUNTATAなんですよね。そういうことですよね、キャラクターの違い。
石川:
バラバラだけど、でもバラバラであることは狙っていたので。逆にみんなノリノリの格好いいのばっかりだったらそれはそれでつまんないと思うけど、そうも全然ならなかったのでよかったかな。
瓜田:
不思議なアルバムですよね、いい意味での不思議。通して全部聞いたんですが、なんか不思議な感じですね。
渡部:
えー、疲れんかった?
瓜田:
結構疲れますね。
石川:
そりゃあ疲れますよ。だって1曲1曲がみんな気合入り過ぎてるんで、疲れるに決まってる。
渡部:
おいらも通しでは聞けんわ。濃すぎるの目に見えてるし(笑)
古川:
確かに体力を使う。
瓜田:
汗かくんですよ、ヘッドホンしてたら(笑)
小塩:
作業用BGMには向かない。
瓜田:
そうそうそう。
古川:
なんか話がずれませんでした?
石川:
いやいや、いいんですよ、これは25周年アルバムのプロモーションっていうのもあるので、ちょうどいいんです。
G:
アルバムの話からなので、じゃあここでZUNTATAの未来の方へ話を進めていきたいと思います。
◆ZUNTATAの未来、次なるZUNTATAメンバー像
古川:
現役のメンバーの皆さんから。
小塩:
どうですか。まずは石川さんからじゃないですか。
石川:
でも未来っていっても……
小塩:
次はだから、例えば50周年って感じだったら。
G:
これまで25年間も実は総括したことがなかったというということだと、次は50周年なのかな?という感じがするのですが。
石川:
順当に考えれば次は30周年で何かというところなんでしょうけど、ただ、25周年をこれだけ大きなお祭りに仕立てあげてしまったので、30周年はひっそりでいいかな。
(一同笑)
石川:
それくらい25周年は手間暇かけて気合を入れてやってるプロジェクトなんで、30周年にこれ以上の何かというのは絶対無理なような気がするので……。まあ何かひっそりやろっかな。
小塩:
ひっそりやろっかなって(笑)
石川:
ひっそり。あとはまあ……50周年なんてねえ、行ければいいけど、そこまでZUNTATAがあったらそれはそれですごい。
櫻井:
すごいよね。
石川:
多分その時はもうみんないない、っていうかこの世にいない。
山田:
でも25年後でしょう。いるよ(笑)
石川:
ああそうか、25年後か……25年後はいるかもしれないな。
小塩:
ちょうど石川さんが定年のころか。
石川:
そのころにはその世代のZUNTATAが、僕の想像を超える何かをやってくれるでしょう、きっと。僕が今後の未来をどうこう決めるんじゃなくて、その時その時のZUNTATAのメンバーが考えていけばいいと思いますよ。「ZUNTATA」っていってもタイトーのサウンドチームなんで、ゲームの音楽を作っていくだけですよね、今も、これからも。それに尽きますね。
小塩:
僕が言うことはないような気がするんだけど……まあ、気になるのは、そろそろ新しいメンバーが欲しい、それぐらいですね。
土屋:
後輩ができたことがないですね。
小塩:
そう、未だに僕が一番下っ端。
土屋:
下っ端ではないけど、後輩がいない(笑)
小塩:
いつまでも一番若いメンバーっていう。
土屋:
このメンバー的にはね……みんな同じように年取るから、当然だよね。
G:
新しいメンバーへ期待するものとか、新しい人はこういう人が来ればいいなとか、ありますか。
小塩:
そうですね、求めるものはひとつで、「今を表現して欲しい」とは思いますね。僕もそういう風に思ってたし、そうしてきたつもりなので、今の感性でタイトーのゲームを作ってほしい。こういうことを先輩方の前で言うのもなんですけど、あまりゲームミュージックの歴史に縛られないで、新たなゲームミュージックを聞かせてほしい……なんて言うとまとまりがないんで、それでいきましょうか。
土屋:
ZUNTATAのすごくいいところは、先輩方がいろいろな無茶をされてきたと思うんですよ。いろんな自由なことをされてきたので、ありがたいことに「ゲームミュージックだからこうだ」という縛りがほとんどないんですよ。だから、僕もZUNTATAでゲームの音を作らせていただいて、すごくたくさんいろんな表現を込めることが許されて、稀有なところだなあと思っています。
小塩:
確かに強いサウンドであってほしいなとは思いますよね。
土屋:
んんー?
小塩:
そこは同意してくれるもんだと思ったんですけど(笑)。割と僕らは「これ、どうなの?」って言う方じゃないですか、ゲームの中に踏み込んでいったり。まあ、ボーカル曲を勝手に書いちゃったりもするんですけど、そういうことをしてきたので、アクティブなサウンドであって欲しいと思います。
土屋:
なんか「いなくなる感」が出てる。
(一同笑)
小塩:
いやいやいや。
土屋:
なんか、ZUNTATAはずっとフリーダムな気がするんですよね。すごく自由な気がする。
石川:
今後もZUNTATAっていうブランドは残っていくんでしょうけど。
小塩:
「でしょうけど」(笑)
石川:
でしょうっていうか、まあずーっと未来まで残る。
石川:
未来のZUNTATAの人には「ZUNTATAである」ということは、そんなに重く思って欲しくもなければ、別にどうとでも思わなくてもいい。ZUNTATAだからどうこうしようとか、ZUNTATAっていうものを大切にしなきゃいけないとか、それはどうでもいいかなって。ただ「音をきっちり作ろう」と。ゲームの音を、ゲームのことを考えて。それさえあれば、きっとそれはZUNTATAになってるんじゃないのっていう感じじゃないですかね。名前に引っ張られることはない、ちょっと被らせてもらっている帽子、くらいの気持ちで思ってくれればいいかなと思ってますけどね。
G:
では、皆さんが今どういったことをなさっているか、PR的なお話へ行きます。
◆OBの活動近況
古川:
こちらの2枚は、今SweepRecordさんというところから通信販売で扱ってます。SweepRecordさんで多分ググれば出てくるかと。そちらで扱ってますので。
山田:
どんな内容のCDなの?
古川:
片方は「なかやまのばけつ」っていう、元々は仕事で作ったりとか、同人で作ったりしたような曲で、今までアルバムになってなかったものをちょっと寄せ集めたミニアルバムなんです。もうひとつは「i怪談」という、iPhoneアプリの怪談モノがあるんですが、そのサントラになります。全部怖い曲が入ってます。
「なかやまのばけつ」試聴ムービー - YouTube
【M3-2011春】 「i怪談 オリジナルサウンドトラック その一」 【宣伝】 - YouTube
瓜田:
楽しみ楽しみ。聞いてみます。
古川:
非常にこのジャケットがお気に入りなんですけど。「喪え」系のジャケットですよ、美少女がはだけてるという。これは新時代の「喪え」ですからね。
「なかやまのばけつ」ジャケット
こちらが古川さんお気に入りの「i怪談 オリジナルサウンドトラック その1」のジャケット
櫻井:
そうなんですか。
古川:
新時代の「喪え」。うん、誰も納得してくれない。
(一同笑)
G:
他の方は、何かありますか?
山田:
じゃあ、私は今ご当地アイドルユニットの曲を作ってるのがありまして、期間限定ユニットなんですよ、それ。1年間だけやるっていうやつで、それがもう今年の12月までなんです。「水都おおがき芭蕉隊」っていう女子5人のユニットで、もうそろそろ解散しちゃうので、よろしければ見に行ってあげてください。今年岐阜県で国体があるそうで、国体関連のイベントにちょいちょい出るみたいです。
古川:
山田さんがアイドルなんじゃないんですよね?
山田:
私がアイドル……んなわけないよね。
古川:
瓜田君は?
瓜田:
じゃあ僕いいですか。僕は2つほどありまして。今回のこのアルバムでボーカリストとして歌っていただいた、引田香織さんっていう人に歌っていただいているんですけど、アニメの「マリア様がみてる」っていう……
古川:
ああ、マリみて?
瓜田:
知ってますか?それとか、あと「少年陰陽師」など、アニメの主題歌も歌われているアーティストさんで、ライブとか結構やられてますので、もしよろしければ足を運んでみてください。あと、僕自身が去年くらいまで関わってたやつとしては「チェブラーシカ」っていう。
G:
ああ、チェブラーシカ。
瓜田:
ご存知でしたか、それを担当してまして。アニメの「チェブラーシカあれれ?」は僕が劇伴だったり、映画の方は季節限定公開のオリジナル短編数本も担当しています。
渡部:
まじで?
瓜田:
DVDとかも出てますので、いろいろ見てください。オリジナルのやつからの付き合いで、結構「チェブラーシカ」はすごいご縁があっていろいろやらせていただいてますね。
山田:
クマみたいなやつ?チェブラーシカって。
瓜田:
そうそう、耳の大きいやつ。ロシアの「チェブラーシカ」シリーズ、よろしくお願いします。
渡部:
そうなのかー。いいなあ、アニメ。
(一同笑)
渡部:
うちは、何を言えばいいんですかねえ。いろいろやってます。よろしくお願いします、みたいな。
(一同笑)
瓜田:
あとは……ここにいる外の人たちは皆さんお仕事募集中です。
山田:
確かに。
ということで、上述の通り、山田さんは12月末までの期間限定アイドルユニット、水都おおがき芭蕉隊「Sweeeeet!」の楽曲制作とアレンジを担当中。
瓜田さんはアニメ「チェブラーシカあれれ?」などの音楽を担当しており、他にもチェブラーシカ関連でいろいろ。最近の楽曲では、ボーカルを引田香織さんに担当してもらったとのこと。
渡部さんが担当したアルバム「旋光の輪舞DUO -fullflat- sound tracks vol.2」はSweepRecordShopにて発売中。また、ノベル&アルバム「旋光の輪舞 DESIRES ROULETTE SOUNDTRACK × NOVEL」はエンターブレインのショッピングサイトebten(エビテン)の専売商品となっています。
古川さんは話の中でも出たアルバム「なかやまのばけつ」「i怪談 サウンドトラックその一」がSweepRecordShopにて好評発売中となっているほか、オリジナルアルバム「玉座の記憶」をAmazon(MP3ミュージック)、iTune Store他で配信中。また、企業・個人を問わず音楽や効果音の仕事も幅広く募集中とのことで、連絡は古川さんのオフィシャルサイトからどうぞ。
◆仕事を支えた食事
G:
最後に、仕事の中で皆さんが「これを食べると乗ってくる」とか、「これを飲まないとやってられない!」とか、そういう仕事を支えている食べ物、飲み物などありましたら教えて下さい。
古川:
それは小塩のコーンポタージュでしょ。とりあえずコーンポタージュ。「ガリガリ君コーンポタージュ」は食べた?
小塩:
あれね、手に入れてないんですよ。
石川:
もうなんか売れすぎちゃって販売停止になってるとか。
小塩:
そう、売れすぎちゃって。
山田:
まじで?食べたかったのに。おいしいっていう噂だよね。ちょっと高級感があふれるガリガリ君になるっていう。
石川:
食べ物の話といえば、中研(前、横浜にあったタイトーの中央研究所)時代の話になりますが不二家レストランとか……?
山田:
不二家レストランで辱めを受ける誕生日会?
石川:
そうそう。
小塩:
辱め……?不二家で誕生日会をするんですか?
石川:
そう。基本的には子ども向けのサービスなんだと思うけど、不二家レストランでは誕生日に行くとお店が祝ってくれる。
山田:
誕生日ってうっかり言っちゃいけないんですよ、当時の中研は。「お前、今日誕生日だよな。不二家行くぞ」って連れていかれて、「今日は○○ちゃんの誕生日です!みんなでおめでとうって言いましょう!」と店内放送される。
瓜田:
流れがもう。
古川:
すばらしい。
山田:
なんかポラロイドで写真も撮られて、すっごい花火ののったケーキみたいなのが出てきて。
櫻井:
ありますね。
山田:
っていう恥ずかしい目に無理矢理遭わされる。絶対言っちゃいけない。
小塩:
誕生日を言っちゃいけない会社っていうのがあるんですね。
土屋:
音屋さんって忙しくなってくると、ストレスで食べて太るタイプの方と、ストレスでどんどん痩せていくタイプの方がいらっしゃる。僕らは食べて太っていくタイプで……。
小塩:
ちょっとコーンスープを飲み過ぎちゃう。
石川:
それはあなただけです。
(一同笑)
土屋:
ピークの時とかどうでした?どんどん太っていくタイプでした?痩せていくタイプでした?
山田:
太っていくタイプですね。夜中にステーキとか食いに行ったり。
(一同笑)
土屋:
すごい。
石川:
その食べ物は重い。
古川:
当時、中研の周りにはわりと重い食い物があったんですよね。
渡部:
だから実際行ってた。「フォルクス行こうぜ」とか言って(笑)
山田:
大体忙しい時は夜中にフォルクスで、ハンバーグとかね。
古川:
重い。重いな。
石川:
こんな感じで、大丈夫ですか?(笑)
G:
はい、大丈夫です。本日は長い時間、面白い話をありがとうございました。
最後に集合写真。
そんなメンバーが集まって作った25周年記念アルバム「COZMO」の試聴PVはこちら。発売は10月31日で、特典ディスク2枚を追加した初回限定版は税込5040円、通常版は税込3990円となっています。
ZUNTATA 25周年記念アルバム「COZMO」試聴PV - YouTube
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