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モデルから女優へスター街道を駆け上がったヒロインたち

by  Lee J Haywood

女優になるための道はいくつもありますが、その中の一つとして確立されているのがファッションモデルから女優になるというもの。日本でもモデル出身としてはドラマやCMで活躍している佐々木希、渡辺謙の娘で「歴女」としても知られているなどの女優がいますが、海外にも驚くようなサクセスストーリーを経て女優として活躍しているモデル出身者が数多くいます。

往年のモデル出身女優、そしてこれからも映画界で活躍していく女優たちの詳細は以下から。
Models Turned Movie Stars Gallery - The Hollywood Reporter

ミラ・ジョヴォヴィッチ(Milla Jovovich)


ミラ・ジョヴォヴィッチはウクライナ出身で、カメラマンのGene Lemuelに見いだされ、同じくカメラマンのHerb RittsによってLei magazineの表紙を飾ったのは11歳の時。化粧品メーカー・レブロンの「世界で最も忘れられない女」という広告に起用され、クリスチャン・ディオールやヴェルサーチなどのファッションモデルもこなしました。

1988年に「カトマンズの伝説(The Night Train to Kathmandu)」というテレビ映画で女優デビュー。同年、映画「トゥー・ムーン(Two Moon Junction)」で映画デビューも果たします。「フィフス・エレメント」(1997)、「ジャンヌ・ダルク」(1999)、2002年からの「バイオ・ハザード(Resident Evil)」シリーズでそれぞれヒロイン役を演じるなど、女優としても活躍しています。

キャメロン・ディアス(Cameron Diaz)

Photo by Steve Granitz

現在放送されている白戸家シリーズ以前にソフトバンクのCMキャラクターだったことがあるキャメロン・ディアス。16歳でモデルになり、17歳から仕事をスタート、カルバン・クラインやリーバイスのモデルを務めました。この年には雑誌「Seventeen」の表紙も飾っています。

1994年にオーディションを経て映画「マスク」のヒロインとして映画デビュー。1998年に主演した「メリーに首ったけ」は大ヒットとなりました。その後も「マルコヴィッチの穴」(1999)、「チャーリーズ・エンジェル」シリーズ、「シュレック」シリーズなどの人気作に出演。2008年の調査では「ハリウッドで最も稼いだ女優」の第1位にも輝いています。

ハル・ベリー(Halle Berry)

Photo by Steve Granitz

1986年のミスUSA2位、ミス・ワールド6位などミスコンテストで活躍したハル・ベリーは1989年ごろからテレビドラマで女優活動を開始。1991年には映画「ジャングル・フィーバー」でシカゴ映画批評家協会賞の助演女優賞と有望若手女優賞にノミネートされました。この作品と、1992年にエディ・マーフィーと共演した恋愛コメディ映画「ブーメラン」で一気にブレイク。1999年のテレビ映画「アカデミー 栄光と悲劇(Introducing Dorothy Dandridge)」ではエミー賞、ゴールデングローブ賞、全米映画俳優組合賞などでテレビ映画の主演女優賞を総ナメ、2001年の「チョコレート(Monster's Ball)」ではアカデミー主演女優賞に輝きました。ちなみにこれはアフリカ系アメリカ人として初の快挙でした。2002年には「007 ダイ・アナザー・デイ」でボンドガールを務めました。

その一方、2004年に主演した「キャットウーマン」は最低映画を表彰するゴールデンラズベリー賞で作品賞・監督賞・脚本賞・主演女優賞の4冠を達成するなど散々でしたが、多くの著名人が欠席するこの授賞式に出席するなど大物らしいところを見せました。最新作は、深海でホホジロザメと遭遇しかろうじて致命傷を免れたダイビングインストラクターを演じる「Dark Tide」。

モニカ・ベルッチ(Monica Bellucci)

Photo by Jeff Vespa

イタリア出身のモニカ・ベルッチは16歳からモデルとして活躍。モデルを選んだのはペルージャ大学在学中、その学費を払うためでしたが、皮肉にもモデルの仕事によって大学での勉強がおそろかになっていったそうです。1988年にミラノでの活動を開始、さらにパリ、ニューヨークでも仕事をするようになります。


そんな中、1990年からは女優としても活動するようになり、1996年の映画「アパートメント(L'Appartement)」ではセザール賞助演女優賞にノミネートされました。2002年以降、現在に至るまで年間2本以上映画に出続ける活躍を見せています。

シャーリーズ・セロン(Charlize Theron)


南アフリカ共和国出身のシャーリーズ・セロンは、16歳でモデルコンテストに優勝しミラノやパリで活動。その後、アメリカへ移って女優に転身しました。

1996年の映画「2 days トゥー・デイズ」で本格デビュー、当初はセクシー女優や美人役としての需要が大きかったようですが、2003年の「モンスター」では実在の連続殺人犯アイリーン・ウォーノスを演じるために13kg増量した上、役になりきるために眉毛をすべて抜くという女優魂を見せてアカデミー主演女優賞などを受賞。2005年にも「スタンドアップ」でアカデミー主演女優賞にノミネートされました。

レベッカ・ローミン(Rebecca Romijn)


レベッカ・ローミンはカリフォルニア州生まれ。父親がオランダ出身だったこともあり背が高く(182cm)「Jolly Blonde Giant」というあだ名をつけられたこともあるそうです。大学では音楽を勉強していましたが、やがてモデルの道に進みました。ナオミ・キャンベル、シンディ・クロフォード、ケイト・モスなどのスーパーモデルと同時期に活躍する一方、1998年から2000年にかけてはMTVの番組司会者も務めました。映画「X-MEN」シリーズでは全身真っ青なミスティーク役を演じ、また2002年のブライアン・デ・パルマ監督映画「ファム・ファタール」ではタイトル通りの“ファム・ファタール(魔性の女)”を演じました。最近はテレビドラマのほか、コメディ映画「The Con Artist」(2010)に出演しています。

ファムケ・ヤンセン(Famke Janssen)


ファムケ・ヤンセンはもともとオランダでモデルをしていましたが、1984年にアメリカに移住してから大学に通いつつ演技の勉強を開始。1992年にドラマ「新スタートレック」にゲスト出演、「スタートレック:ディープ・スペース・ナイン」ではレギュラーであるジャッジア・ダックス役の打診があったそうですが、スケジュールの都合かこの打診を受けることはありませんでした。

1995年の映画「007 ゴールデンアイ」ゼニア・オナトップ役で注目を集め、「X-MEN」シリーズではレギュラーのジーン・グレイを演じました。

レネ・ルッソ(Rene Russo)

©2002 Touchstone Pictures

レネ・ルッソはカリフォルニア州出身。自動車修理工だった父はレネが2歳の時に家を出てしまい、レネは姉妹のToniと母親とともに暮らしていました。1972年、17歳の時にローリング・ストーンズのコンサートに行ったところをスカウトされました。「ヴォーグ」の表紙を飾ったことでブレイクしたレネは「アメリカで最も成功したモデルの一人」と言われるまでになり、1980年代には複数のCMにも出演するようになりました。

しかし、30歳の誕生日を迎えるころにはモデルとしての仕事が減ってきたため、映画と演技のことを勉強し始めることに。そしてロサンゼルスの小劇場に出るようになり、1987年にドラマデビュー。1989年にトム・ベレンジャーの彼女役として「メジャーリーグ」で映画デビューを果たし、「リーサル・ウェポン3」「リーサル・ウェポン4」ではメインヒロインを射止めます。2005年以降は映画から遠ざかっていましたが、2011年公開の「マイティ・ソー(Thor)」に出演しています。

ブルックリン・デッカー(Brooklyn Decker)

Photo by Stephen Lovekin

オハイオ州出身のブルックリンはドレスメーカーMauri Simoneの看板娘としてモデルのキャリアをスタートさせ、2003年にモデル・オブ・ザ・イヤーを受賞。ファッション誌「ティーン・ヴォーグ」「コスモポリタン」などの表紙を飾り、「ヴィクトリアズ・シークレット」「Gap」などのモデルを経て、2007年にテレビのスペシャルドラマで女優デビュー。

今後の出演作品としては2011年公開予定の映画「Just Go with It」、2012年公開予定の「Battleship」があります。

ジェマ・ワード(Gemma Ward)


オーストラリア出身。15歳でモデルデビュー、16歳で「ヴォーグ」の“It Girls”となり、プラダ、グッチ、ヴェルサーチ、シャネル、ヴァレンティノなどを着てランウェイを歩いたスーパーモデルです。映画出演歴は2001年の「Pink Pyjamas」でデビューした後に空白期間があるものの、次に出演した「The Black Balloon」(2008)でオーストラリア映画評論家賞の主演女優賞にノミネートされています。2011年公開予定の映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」に、人魚役での出演が決まっています。

オルガ・キュリレンコ(Olga Kurylenko)


ウクライナ出身のオルガ・キュリレンコはあまり豊かではない家庭で育ち、幼いころはファンシーな服は一切着たことがなく、お下がりや縫い直したセーターを着ていたそうで、「私は欲しい服も、靴も、ベッドも、学校へ着ていく服も持っていなかったわ。だって、お母さんがそれらを買えなかったのだから」と自らの境遇を振り返っています。13歳の時、モスクワで休暇を過ごしているときにスカウトされ、17歳でパリを拠点としたモデル事務所に所属するようになりました。18歳のころには「ヴォーグ」や「エル(Elle)」の表紙を飾るようになりましたが、母を手伝うためパリからウクライナまで帰っていたそうです。

女優としてのキャリアは2005年にスタート。2008年の映画「007 慰めの報酬」のボンドガールとなり、2010年には「センチュリオン」にも出演しています。次はテレンス・マリック作品に出る予定。

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in メモ, Posted by logc_nt

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