これがギター1本でメシを食ってきた男の生き様、プロギタリスト・村治奏一にインタビュー
プロギタリストというのは読んで字のごとく、ギターを弾いて生計を立てているというプロのギター演奏者のことですが、たまたま偶然、GIGAZINEの最古参読者(2004年からかれこれ6年ぐらい読んでいる)の一人がプロのクラシックギタリストである村治奏一さんだったことが判明したため、インタビューしてみました。
ちなみに村治奏一さんはGIGAZINE10周年記念講演のためにニューヨークから大阪まで飛んできたという強者。「GIGAZINEがきっかけでアニメも見るようになり、今のブログもGIGAZINEの影響をモロに受け、この前の講演も人生に多大なる影響を与えました」と豪語するほど。そんなある意味壮絶な人生を駆け抜けてきたプロギタリスト「村治奏一」の生き様に今回は迫ります。
GIGAZINE読者のために生演奏してくれた様子のムービー&インタビューは以下から。SOICHI MURAJI official website
http://www.jvcmusic.co.jp/murajisoichi/
これが商売道具のギターを収めるギターケース。フルカーボン製でお値段は約20万円。十数年前に数本限定で作られた希少なケースです。
隣に並ぶとこんな感じ。
パカっと開けると中にはギター。このギターは「イグナシオ・フレタ・エ・イーホス」というもの。
お値段は驚愕の約500万円。「約」というのは制作された1998年当時の値段だということです。
「バイオリンとかに比べればまだ安い方です」とのことですが、よもやここまで高価なギターがあるとは……。
百聞は一見にしかず。まずは演奏してもらうことにしました。
準備している様子からして普通とは一線を画している雰囲気。
準備完了。
今回演奏してもらった曲は村治奏一さんが作曲したもので、NHK-BSのテレビ番組「街道てくてく旅 熊野古道をゆく」のテーマソング。
YouTube - 村治奏一「コダマスケッチ」
ほかにもいろいろと目の前で演奏してくれたのですが、著作権とかJASRACとかいろいろなところのもろもろのワケがわからない権利関係のせいで掲載できませんでした、残念。
G:
それでは、さっそくいろいろと聞いていきたいと思います。まず、ギターを初めて触ったのはいつ頃のことですか?
村治奏一さん(以下、村)
たぶん2歳ごろですね。アルバムの写真を見て知りました。
僕の父親はクラシックギターの教師(=村治昇)で、姉もプロギタリスト(=村治佳織)で。だからギターを始めるきっかけというものは無かったんです。ギターについては、始めたというよりは、朝起きて歯を磨くような感覚で、生活の一部にあったという感じが近いです。生活の流れの中に、もう朝起きて学校行く前の時間に40~50分の朝練が組み込まれていましたから。朝起きると階段の下で父が待ってるんですよ。朝6時には父がもう待ってるので、行かないと怒られて……っていう、いわゆる英才教育でしたね。
G:
ギターを熱心に練習していたことで、学校の友人など周りから浮いてしまったということはありませんでしたか?
村:
そんなには無かったですね。小学校のころ、月曜日と木曜日が父親が外でレッスンする唯一の日だったんですよ。母親は小学校の教師だったので、大体夕方までいなかったので、月曜と木曜だけが僕がこっそり友だちと遊べる日だったんですよ。まあでも、たまに月曜に学校から帰ってきてテレビゲームとかやっていると、たまたまレッスンが早く終わった父が帰ってきたりすることもあって。それが見つかったらもう、一巻の終わりみたいな感じで……練習していないこと自体が許されなかったんです。
G:
小さい頃になりたかった職業はありますか?
村:
それがですね……そういうことを考える余裕が与えられなかったんですよ(笑)幼稚園のころとかは「しんかんせんのうんてんしゅになりたい」とか「かがくしゃになりたい」とか描いてある絵が残ってますけど、具体的に何かになりたいと思うスキがなかったですね。でも、もしギタリストになっていなかったら、GIGAZINEの編集部員募集に応募していたと思います(笑)IT系の企業の方に進んでみたかったかもしれません。
G:
ということは、小さいころからパソコンをよく触っていたんですか?
村:
パソコンはインターネットを始めるために、Windows95が出たころに買ったんですよ。だからわりとクラスの中でもそんなに広まっていないころから触っていました。そこから、ギターを練習する時間よりもパソコンを使う時間の方が明らかに増えて、9対1くらいになって(笑)あの時は毎日のように父親からしかられてました。中3くらいにはホームページを作ってました。
G:
出演されていたテレビ番組で「お父さんが熱心にギターを教え、お母さんが熱心に勉強を教えていたため、どちらに身を入れても怒られる状況にあった」と語っていらっしゃいましたが、この板挟みの状態をどのようにして切り抜けたのでしょうか?
村:
母が父のことを理解していたので、そこで苦労したことはなかったですね。ただ、通信簿の5段階をつける計算方法を、教師である母は知ってるんですね。一応毎回テストの答案を母に見せるじゃないですか、そうすると学期末に担任の先生から通信簿をもらう前の日くらいに、「今年のあなたの通信簿はこうよ」という風に計算されちゃって。だから隠すまでもなかったですね(笑)
G:
話は変わりますが、何か部活やクラブ活動に参加していたことはありましたか?
村:
ずっと帰宅部でした(笑)ギターを演奏するためにつめを伸ばしているので、スポーツができないんですよ。でも僕は左利きなんでバスケットボールとかでもまあ、一応大丈夫なんですけど、それでも体育の時間の後につめが欠けていたことがよくあったので。
G:
それにしても、すごいつめですね。
村:
はい、普段から削ったりして手入れしています。
こちら側(画面右側)は弦を抑えるので短いんですよね。それから、反対側(画面左側)は小指は使わないんです。人によってつめの巻き方は違うじゃないですか。自分に合わせたつめの角度というのを見つけて、削り方も考えていかないと、つめのある一点に弦の圧力がかかってそこから割れたりしてしまうんです。今のこの形は弦の圧力が分散するので全然削れないんですけど、最初のころなんかはひびが入って瞬間接着剤で直したりとか、よくしていましたね。
つめを削るための道具たち。右から爪切り、どの部分を削るかマーキングする為のペン、一番目の粗い金属製爪ヤスリ、微調整のためのガラス製爪ヤスリ、仕上げに使う紙ヤスリ(2000番)。
小指なんかも、こんなに長さが違うんですよ。指の長さと太さにも差が出るんですね。右手の小指は一切使わないんですが、左手の小指は使うんです。だからほかの指以上に差が出てくるんです。
G:
指がギター向けに進化した、という感じですね。
村:
確かにそうですね。
G:
ギタリストの人はみなさんこういう風な感じなんでしょうか?
村:
はい、みんな、大体こんな感じの手をしていますよ。弦をはじく方は繊細な筋肉がついて、逆側は弦を抑えるので筋肉質で握力がつきますから、両方の手に差が出てくるんです。
G:
小さいころからつめは伸ばしていたんですか?
村:
つめも皮膚の一部なので、幼いとどんなにちゃんと削っても曲がっちゃうんですね。だから小6ぐらいまで待ってから伸ばしていたような気がします。
だから学校に通っていたころ、水泳の時間なんかはすごい苦労したんですよ。みんな先生につめを切ってあるかどうか見せるじゃないですか。でもまあ、僕は「ギターやってるんで……」と理由を説明して。それでもギターのことを理解してくれる先生ばかりだったので、運がよかったですね。
G:
では、つめを伸ばしていない幼少期はどうやって練習していたんですか?
村:
あ、つめを使わずに弾く人もいるんですよ、指の頭を使う「指頭法」というのがあるんです。昔のギタリストたちはつめを使わず、みんな指先で演奏していたんですよ。
ナイロン弦が開発され、耐久性がとても低いそれまでのガット弦(羊の腸から作られる弦)に取って代わったことや、コンサートホールなど広い場所で演奏するようになったことが要因となって、みんなつめを伸ばすようになったんですね。
G:
なるほど、そのような歴史があるんですね。ちなみに、ギターの歴史というのは大体何年くらい続いているものでしょうか?
村:
バイオリンなんかと比べると長くないんですけど、今のこのギターになる前の、ボディ(ひょうたん型の部分)が一回り小さいのがあって、それが19世紀ギターって呼ばれているんですよ。その19世紀ギターから今の大きさに変わったのがスペインで、120年くらい前。だから、今の形になってからは120年くらいですね。
G:
留学経験がおありだということですが、これまでの学歴を簡単に教えていただけますか?
村:
高校1年までは日本の一般的な学校に通っていて、その後から留学しました。高校1年生くらいになると「自分はこのままギタリストとしてやっていくんだ」と思うようになってきていて、姉はその時すでにCDデビューもしていましたし、コンサート巡業もしていたので、こういう道を進んでいくんだなという前例がいてくれて、イメージがわきやすかったんですね。
そう考えた時に、わざわざ高校で大学受験のための勉強をするんだったら、作曲法だったり楽典、音楽の歴史みたいなものをそれぞれの先生に個別に教えてもらう方がいいんじゃないかと思えてきて。高校1年の2学期くらいには、学校をやめてそういう先生につこうかなと思ってたんですね。その後、冬休みごろに、一般教養とアート関係の勉強を両方とも総合で見てくれる学校がボストンにあるという情報が姉を通じて入ってきて。そこからはとんとん拍子でボストンの高校に入学することが決まりました。
G:
高校の段階で将来の職業を決めて、ギタリストになろうと考えていたのがすごいですよね。
村:
いや、なろうというか、そういうレールの上にあるんだなという感じですよね。決意とかではなくて。さっき言ったようにギターが生活の一部で、その延長線上に、CDのリリースやコンサートがあるという認識をしていましたね、当時は。
G:
海外の高校に進学するにあたって周囲の環境が大きく変わったと思いますが、中でも一番大きな変化だと感じたものは何ですか?
村:
留学した高校はボストンから車で40分くらいのところにあるウォールナット・ヒル・スクールというところなんですが、ギター科の生徒が現れたのが7年ぶり、僕ひとりしかいなくて。そこは音楽専攻のほかに、クラシックバレエとかモダンバレエとか、演劇、作詞など色んな科目があって。音楽専攻は一番大きかったんですが、ギターをやっているのは僕しかいなくて。ギターにどっぷり漬かっていた世界から抜け出したっていうのが一番大きな変化でしたね。全寮制で生活もぜんぶ見てもらえて、全校生徒が200人しかいなかったんですが、先生や職員は100人くらいいるような環境でした。
G:
アメリカの学校で授業を受けるとなると当然英語が使われると思うのですが、以前から英語の勉強をしていたのでしょうか?
村:
いや、実は全くやっていなかったんです。多分英語なんか一生使うことはないだろうと思っていたので。ボストンの高校に行くにあたって、高1の1月ごろから必死に英語の勉強を急に始めて。日本だったら学校は4月から始まりますけど、アメリカは9月からなので、ちょっと時間があったんです。某駅前留学に通ったりして、短期でやっていました。
ボストンの高校は、全校生徒の4割くらいが留学生だったんですよ。だから学校側も英語のできない生徒のためのプランなんかを用意してくれていたので、そんなに苦にはならなかったですね。あと、音楽なのでレッスンでは言葉よりも楽器を使ってやりとりをしていましたね。
でも、これはあの時、17歳だったからできたんだと思います。クラシックギターをやっている人は、大学を卒業してからフランスに行くというのが当時の主流で、僕もそうするんじゃないかと思っていたので。20歳くらいになってから行くのと、17歳で行くのとではやっぱり違うじゃないですか。何も知らないことで、逆に何でもできたというか。
G:
村治さんやお姉さんの村治佳織さん、ほかにも何名かプロギタリストの方の経歴を見てみたんですが、どの方も留学経験があるということに驚きました。やはりギタリストになるには留学は必須条件なんでしょうか?
村:
そうですね。クラシックギターはなぜか日本の音大に取り入れられてなかったんですよ。最近になってやっと増えてきてるんですけど、僕が学生のころはそうではなくて。だからもう、行かざるを得なかったんですよね。日本の中では勉強できなかったんです。日本の中で充実してきても、今でも海外、特にヨーロッパに行かれる方は多いですね。
G:
一番最初に人前でギターを弾いたのはいつでしたか?また、その時にどんなことを感じましたか?
村:
コンサートという意味ではたぶん10代後半なんですけど、父が自分の持っている教室の発表会を年二回やっているので、それをカウントすると4~5歳のころには演奏をしていました。
やっぱり人前で演奏するときは緊張しますね。最近やっとしなくなったかな、という位で。コンサートは大体300~400人規模のところでやることが多いですかね。
G:
緊張しないコツはありますか?
村:
やっぱり、経験を積むことなんですけど、別にそれがクラシックギターの公演回数とかではなくて。ギターと全然かけはなれたものをどれくらい見たか、というのも大きかったと思います。
実は最近、自分はクラシックギタリストではないと思っているんです。小さい頃から磨いてきた早弾きとか音量とかがあって、それらの武器を持っているからこそ、今いろんな人にお会いできています。その武器、要するにクラシックギターのある一部の技術をコアにしつつ、そこからいろいろな方面に自分の領域を広げていくような活動をしたいとずっと思っているんです。特定のジャンルなどにたどり着くとそこを極限まで深めて、それからまた別のところへ行くというタイプの人もいますね。僕はどうやらそうじゃないということに最近気がつき始めて。
GIGAZINEの記事は、ミスドの記事なんかもそうですけど、1つひとつのことは当たり前なんですけどそれを積み重ねてすごいものになっているように思えるので、僕はおそらくそっちのタイプの人間なんだと思い始めています。あるいは、GIGAZINEをずっと見ていたからそういう風に変わってきたのかもしれません(笑)そうですね、要するに僕の原点がGIGAZINEだということです。
G:
下世話な話ではありますが、音楽活動だけで生計を立てるにあたって、主にどのような形で収入を得ているのでしょうか?
村:
プロのギタリストは一般的には年間40~50回、週に1回くらいはみなさんコンサートをされていて、その中で新しいプログラムも作っていくという形なんです。でも僕は多分ここ2年くらいプログラムは変わってないんですよ。
2003年にNYの大学に進学してから、ビクターと契約して毎年CDを作るようになったんですが、最初は1枚でいいという契約だったんですけど、1回作るとやっぱり次の年も出しなさいということになっていって、5年間くらいそれが続きました。せっかく面の広がりを求めてNYに行ったのに、学校の勉強とCDのリリースで1年が埋まってしまうというような生活が続いていました。
2008年に卒業したと同時に、ギターを2ヶ月くらい弾かなかったりするくらい、とにかく色んな人と会ったんですよ。色んな人というのは音楽以外のアーティストの方や企業の方で、その中で言われたのは「直感力を鍛えた方がいい」ということだったんです。「この人とつながったら、多分こういうコンサートができるな」だとか、そういう明確な予想はできないんだけど、この人には絶対食らいついていった方がいいなって思える人が何人かいて。2008年からそういう心がけで人脈を作っていったら、ワシントンDCのある製薬会社のトップの方と知り合って、今は僕を資金面も含め、多くの面からサポートしてくれています。
だから今はコンサートは年間20回くらいで、生活の面ではその方からお給料をいただいている形ですね。
G:
同じ曲でもかなり奏者によって雰囲気が変わるように感じたのですが、村治さんが普段演奏するときに表現方法について何か心がけていることなどありますか?
村:
2つあって、1つめは「絶対に100%の力を出さない」ということです。8割くらいの力を使って演奏するという。体力的なことも精神的なことも含め、2割は余裕を持って残しておくというような。昔は100%の力を出し切って音楽をしようと思っていたんですけど、そうするとお客さんが入ってくる余地がなくて、聴き手が圧迫されてしまうんです。あともう1つは、「自分は演奏者ではあるんだけども、同時に聴衆としての自分を作る」ということです。常に自分の演奏を聴きながら、聴き手としての耳を持ち続ける。一方的に演奏者に徹していると分からないような間の取り方とか、当然ながら音のミスとかあった時に、客観的に見ているとその場で修正ができるんですよね。
ただ、「絶対に100%の力を出さない」というのと、「聴き手としての自分を作る」ということは関連しない、全く違うものだと思うんですが、どちらも気をつけています。
G:
これまで演奏してきた曲の中で、特に思い入れのある一曲はありますか?
村:
うーん……僕、実はそういうギタリスト向けの質問ってすごく弱いんですよ(笑)「ギタリストを目指すちびっこに一言」とかすごい困っちゃうんですよ。自分はギタリストじゃないという意識でいるので。
よく弾く曲には「Fuoco」という曲がありますね。この曲は父親から与えられた「武器」である技術が有効に使える曲なんです。特殊技法が結構多く使われていますし、僕が培ってきたものが効率良く出せるので、頻繁に演奏しているんです。
曲によって、自分の持ち味が出せる曲と出せない曲とがあったりするんです。
G:
ギターを弾くにあたって、各個人の持ち味というのはどの辺りに集約されるものなんでしょうか?
村:
一般的なクラシックギタリストの傾向で言えば、やはり技術力とか、音を聴いてちょっとした音程のずれを修正できる耳ですね。また、例えばバロック時代に書かれた曲だったら、その時代にどういう弾き方がされていたのかという知識も必要ですし。そういうものが消化されていって、その人の持ち味になっていくんだと思います。
僕の場合、その辺りがからっぽなんですよ(笑)でも、最近は空っぽでいいやと思えるようになってきて。ここまで自分で開拓してきた、人や物事とのつながり。それらを面として見て広げていくのは、僕にとっては当たり前なんですよ。自分がしたいこと、当たり前のことを積み重ねて、それが自分のオリジナリティになればいいかなと思っているんです。
G:
楽器の演奏なんかではその時の精神状態が反映されると聞いたことがあるのですが、逆に言うとギターを聴いているとその音で「今この人はこういう感じなのかな」とかそういうことが分かったりするのでしょうか?
村:
分かりますよ。それは別に音楽に限らず、表現するもの全てに出ているように感じます。もし意識的にそう感じていない人でも、無意識下ではちゃんと感じ取っているはずなんです。ただ、音楽をやっている人はそれを理詰めで説明できるという違いだけであって、受けている印象自体はまったく同じだと思います。
G:
ご自分のブログ「じぶログ」を始めたきっかけは何ですか?
村:
僕、ブログが結構好きで、一番最初は2000年くらいに1回初めて作って、それからは休んで、また作りの繰り返しだったんですけど。「じぶログ」はちょうど1年くらい前に作りました。
じぶログ
http://murajisoichi.blogspot.com/
G:
「じぶログ」中のイラストは何を使って描いているのでしょうか?
村:
ペンタブレットはワコムのIntuosを、ソフトは付属のPainter Essentials 2を使っています。最初ペンタブレットはもう少し安価なBambooを使っていたんですけど、やっぱり細かなところが描けなかったのでintuosに乗り換えました。
このイラストのこともそうなんですけど、自分で何かをゼロから作る方が好きなんですよね。クラシックギターはある曲を自分なりに解釈して、その解釈の中でオリジナリティを作ることもできるんですけど、完全にゼロから作るという方が好きなんですよね。なので、絵を描いているというのも結構似た感覚があるんです。
G:
ニューヨークと日本を往復して活動しているということですが、生活の拠点はどちらにあるのでしょうか?
村:
今は日本ですね。でもつい数週間前にアメリカでも音楽活動ができる「O-1ビザ(オー・ワン・ビザ)」が下りたので、これからちょっとずつ、アメリカでも活動していこうと思っています。
あれは本当に取るのが大変で、1年くらいかかったんですよ。弁護士に頼んですごい分厚い資料を提出して、それで終わりかと思ったらまた自分で大使館に行ったりして……
G:
「O-1ビザ」があると、何ができるようになるんですか?
村:
僕のような音楽をやっている人間の場合、演奏会による収入を得られるようになるんです。やはり音楽活動をする上では非常に大きいですね。全く音楽と無関係な手段での収入は得てはいけないので、うどん屋とかは開けないんですが(笑)
そうは言っても、最近日本での活動が増えているので、バランスが難しいんですけどね。
G:
「じぶログ」の中に「今日見たアニメ」としてたくさんの作品の名前が挙げられていますが、今まで見た中でイチ押しのアニメを教えてください。
村:
そうですね、たくさんありますよ(笑)テレビアニメではないんですけど、劇場版の「時をかける少女」と「サマーウォーズ」は好きです。最初にアニメにはまったきっかけは「らき☆すた」だったんですよ。あとは「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」も好きですし。それから「地獄少女」とか「のらみみ」とかも好きですね。もうきりがないですよ、こんな風に言っていったら(笑)
G:
あと、プロギタリストから見て「けいおん!!」はどうでしたか?
村:
「けいおん!!」大好きですよ。聖地は大体巡礼しました(笑)音楽のクオリティも普通に高いと思いますし。
G:
ブログの中でアニメ関連のお菓子なんかも取り上げていますよね?
村:
そうなんです。コンサートが終わったあとにサイン会をやっているんですよ。たまにプレゼントをくださる方がいらっしゃるんですけど、最初はお菓子とか普通のものだったのにだんだんエヴァのグッズになってきたりとか、それこそ「この前ローソンで買ってきました」とかいうようなものが増えてきて(笑)あと「イヴの時間」のクリアファイルだったりとか。最近そんなのばっかりになってきて(笑)ブログを通してだいぶ浸透してきちゃったみたいです。このインタビューでとどめを刺す形になるかもしれません(笑)
聞かれるだろうと思って、見てきたアニメを携帯にメモしてきたんですよ。そんなにたくさんではないと思うんですけど。
G:
いやいや、かなりのものですよ。ジャンル偏らずまんべんなく見ているんですね。
村:
はい、いろいろ見てます。実は、NYにいる方が日本のアニメを見たりするんですよね。NYにいるのに「ひぐらしのなく頃に」を全話連続で見て、そのまんま悪夢を見たりとか(笑)
G:
もしもアニメのOP曲などを依頼されたら演奏を引き受けるのでしょうか?
村:
当然です。やりますよ。
ちなみに高校の頃、ファイナルファンタジーXの「ザナルカンドにて」という曲を自分で編曲した事もありました。いつかコンサートで弾きたいと思っています(笑)
G:
「じぶログ」を読んでいると公演にロケ、NY渡航など予定が満載で驚いたのですが、これらの予定は誰がスケジューリングしているのでしょうか?
村:
基本的には全部1人でやってます。ただ、僕がNYにいる時には父が日本での窓口になったり、ほかにももう1人かかわってくれている人がいるんですけど、Googleカレンダーで情報を共有していて。それも、もちろんGIGAZINEさんから学んだことで(笑)僕のパソコンの中はほとんどGIGAZINEさんの紹介したソフトばっかりです。
G:
公演の予定というのはどのようにして決まっていくものなのでしょうか?村治さんに対してどこからかオファーが来たりして実現しているのかと思いますが。
村:
今、僕はどこかに所属しているというわけではないので、直接お話が来る時もありますし、あとはビクターを経由してきたり、何らかの形でオファーをいただいてスケジューリングしている状態ですね。
G:
さきほど演奏していただいた「街道てくてく旅」のテーマ曲はご自分で作曲されたということですが、このように番組内で曲を担当する仕事というのはどのような流れで決まっていくのでしょうか?
村:
普通のコンサートとは違い、知人のつてなどを通してのお話で、基本的にはNHKの方から依頼があって決まったことですね。ずっと作曲はしてみたかったんですが、これまでそういう機会がなかったので、じゃあ、ぜひという感じで。先ほども言ったように、ゼロからモノを作っていくのが好きなんです。
G:
話は変わりますが、GIGAZINEをおよそいつ頃から、どんなきっかけで読み始めたのでしょうか?
村:
僕も思い出そうと思って、過去の記事が見られるサイトを読み返したりしていたんですけど、たぶん2003年の終わりくらいから2004年の始めごろに見始めているんです。
今でこそ音楽プレーヤーなんかでも比較的使用ソフトは統一されていますけど、当時は特にこれ!というものは決まっていなくて、だから関連するニュースを見ているのが楽しくて見ていたんですけど、その流れの中で検索か何かでひっかかって見始めたんだと思います。その時たまたま、僕でも理解できるような記事が最新記事に多くて、一気にハマって、一番古い記事まで見返したのを覚えてるんです。でも専門的な記事は全然理解できなくて(笑)理解できないものが多いのに、その中にも理解できるものがたくさんあるのが本当に居心地がよくて、それからずっと今まで見ています。
G:
普段どんな時にGIGAZINEを見ているのでしょうか。また、1日に何度くらいGIGAZINEにアクセスしていますか?
村:
今のスタイル、ブログ形式に変わる前は最新記事に「新」という表記があって見やすかったのでそれを基準に見ていたんですけど、1日に更新される本数が増えたというのと、今はリーダーを使ってみているので、忙しくなければ1日に2回チェックするという感じですね。忙しくて2週間くらい見ていないと300件くらいたまっているので、そういう時は喫茶店に行って、3時間くらいめぼしい記事を読み込んでいます。全体の3割くらい読んでいると思います。
G:
特に興味を持って読んでいる記事のジャンルなどはありますか?
村:
GIGAZINEさんの記事にある24のカテゴリのうち、必ず読んでいるものは実は4つくらいしかなくて。それが「サイエンス」「インターネット」「ハードウェア」「コラム」なんです。それから、だんだん読まなくなったジャンルがあって、それが「ソフトウェア」。さっきもお話したんですけど、僕がGIGAZINEを読み始めた2003年ごろはソフトウェアのリリースに勢いがあったじゃないですか。でも最近は、例えばGoogleのウェブアプリケーションも大体出そろってしまったり、落ち着いてきてしまったので。オリジナルのGIGAZINEで取り上げていたものは今でも読んでいる、という感じですね。
実はまったく読まない分野というのがあって、それが「アート」なんですよ。それはなぜかというと、だいたいタイトルと写真で満足して、記事を読み進めないんです(笑)写真を掲載し始めた時は、それまでリスト化されていて分かりやすかったサイトのレイアウトが崩れちゃったなというのが正直な感想だったんです。文章だけだった時は、写真があったらおそらく最後まで読まないような記事にも興味がひかれていたんですよ。「アート」は写真をトップに載せてしまうと、「ああ、そういうものなんだ」と思って読むのをやめてしまいます。あと「アニメ」は話題のテレビアニメの告知の時に、「生き物」は癒し系の動画を見ています。「スクリプト」は分からないので一切見てないです(笑)
試食系の記事は、近所にあまりGIGAZINEさんで取り上げられるお店がないのと、NYに居ることが多いので読み込んではいないですね。ただ、コンビニで売られている商品は手に取りやすいので読んでます。FINAL FANTASY XIII ELIXIRも買ってしまいました(笑)
G:
特に印象に残っている内容の記事があれば教えてください。
村:たくさんあるんですけど……そうですね、ブタの丸焼きは感動しました。これこそGIGAZINEだ!って。とことんやり尽くす姿勢が。1個1個のできるステップをすべて踏んでいるところが、まさにGIGAZINEそのものだなと思いました。
あと、最近取り上げていた環境音楽ソフト「Aura」、あれは家中導入しました(笑)今、家の中は森の音だらけになってます。ランダムで音が鳴って、自分でそれを調整できるのがすごいですね。昔は環境音楽はCDで流していたんですけど、CDだとあるフレーズになった時に覚えてしまうんですよ。それがこれはコンピュータでランダムで組み合わせていて、たまにオンラインアップデートもしているので、その点が優秀ですね。
ほかには……そうですね、いっぱいあるんですけど、ありすぎて出てこないですね。逆に「あの記事どうですか」というものはありますか?
G:
そうですね、では「新作アニメ一覧」の記事は読みますか?
村:
あれは、量が多すぎて途中で挫折するんです(笑)3分の1くらいまでは行くんですけど、挫折しますね。
G:
アクセス解析結果記事は読んでますか?
村:
アクセス解析は……うーん(笑)あ、でも記事の月間ランキングは見ますね。「やっぱりこの記事は1位だったんだ!」とか確認できるので。
G:
あと、最近でしたら「エイプリルフールに便乗しているサイトまとめ」記事なんかはいかがですか?
村:
間に挟み込まれる更新コメントで、だんだん倒れていっている様子が面白かったです(笑)
やっぱり、身の回りのことを記事にしていた時の方が印象に残ってますね。それこそ編集部が火事になった時とか、近所に平野綾のデコチャリがあった時だとか(笑)あと、N700系でネットが使えるようになった時の記事はスタイルが好きでした。そこまでやるか、っていう(笑)
あと、ハードディスクの物理障害を復旧させる記事だとか、「大阪ガスサービスショップを家の中に入れてはいけない」という記事だとか。内容はもちろんなんですけど、そこまで徹底するのかというところがすごく好きです。
G:
今持っているパソコンがいつも使っているものですか?
村:
いえ、これは旅行用のネットブックで、工人舎の「SC3KP06A」です。画面がタッチパネルになっているので結構便利ですね。
NYと東京、それからコンサートツアー用等で最低でも3台はパソコンが必要になるので、いちいち同期とか取っていられないんですよ。今はGoogle ドキュメントが全ファイル対応したので、データはすべてオンライン上に置いてます。だから、この中は今空っぽです。いつこのマシンが壊れても全然大丈夫なんですよ。
G:GIGAZINE以外に定期的に訪れているサイトなどはありますか?
村:えーっと……ないですね。それくらいGIGAZINEがカバーしてくれてるんで助かってるんですよ。
G:
ということは、ヘッドラインニュースなんかも読んでいるのでしょうか?
村:
いや、実は時間がなくて、ヘッドラインまでは読めていないんですよ。あれは膨大じゃないですか。それだけで1日の半分くらい使いそうなボリュームだから。一回やってみたんですけどすごい量で。
G:
本当に「ギガジニスト」といった感じですね。
村:
その割には読んでいるジャンルが狭いんですけど(笑)申し訳ないです。
G:
これまでのお話と重複するところもあるかと思いますが、読み始めた当初と今とで、GIGAZINEはどのように変わったと感じていますか?
村:
最近はdarkhorseさんの出番が減ってきてますよね(笑)僕はあまりGIGAZINEが変化したとは感じていません。いろんなジャンルや更新頻度が増えてきてはいるけど、最初にGIGAZINEに感じたものは一貫して変わっていない様に思います。
僕個人としては、写真がたくさんある今のスタイルも好きなんですけど、昔のリストに「新」と書いてる形式が復活したら面白いんじゃないかなと思います。今はリーダーで読んでるので少し味気ないんです。
G:
長年GIGAZINEを見つめ続けた村治さんから見て、GIGAZINEの持ち味というのはどこにあると思いますか?
村:
やはり、当たり前のことを積み重ねているところですね。その当たり前の積み重ねが物事の個性を生んでいる。それがもうGIGAZINEの信念じゃないですか。それがずっと最初から継続して反映されていて、そのスタイルが多分、好きなんですよ。それから、GIGAZINEには例えばお菓子の記事が載っていたとしても、どこかにインターネットとの繋がりを感じる気がして、ITを軸とした面での広がりがあると思うんです。
だから、GIGAZINEは僕の生き方の教科書のような存在なんです。それと同時に、成長ぶりを一緒に見てこられたので、「ああ、こんな風にやっていけばいいんだ」という風に思わせてくれる存在でもありました。1つひとつは当たり前のことだけど、それを全部やるのはとても難しい。この間の講演でも感じたことですが、今述べた「当たり前のこと」全てを容易く実行できてしまうスキル。それがやはりGIGAZINEの持ち味だと感じます。
自分が無理してやることって、地球上の誰かが簡単にやってのけてしまうんですよね。でも、自分が簡単にできることって本当は無数にあるんだけど、それに気づくのも大変なことで。でも、「こんなこともできる」「あんなこともできる」ということを見つけて積み重ねていくと、それがほかの人には無い個性になる。そういうことをGIGAZINEには教えてもらいました。
G:
ありがとうございました。
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