メモ

「大脱走」のモデルとなったドイツの戦争捕虜収容所でアメリカ人捕虜が描いた漫画


エルマー・バーンスタイン作曲の主題歌「大脱走のマーチ」も有名な、1963年の映画「大脱走」は、1944年3月にドイツ空軍のStalag Luft III(第三空軍捕虜収容所)から76名の捕虜が脱走した史実を元にした映画ですが、その第三空軍捕虜収容所に収容されたあるアメリカ人捕虜のノートが発見され、オークションにかけられるそうです。

このノートはYMCAによって捕虜たちに差し入れられたものなのですが、絵心のあったこの捕虜はスケッチや漫画などでページを埋め尽くしていて、捕虜たちの生活がうかがえる興味深いものとなっています。

詳細は以下から。Unseen Great Escape cartoons from the warcamp immortalised in film | Mail Online

このノートは、撃墜されたのちドイツ空軍の捕虜となり第三空軍捕虜収容所に収容されたアラバマ出身のJohn M Bridgesアメリカ空軍少尉のもの。スケッチや漫画のほかに、詩を書いたページもあるそうです。


第三空軍捕虜収容所はドイツ上空で撃墜または不時着して捕虜となった連合軍航空兵を収容したドイツ空軍の収容所の1つで、ベルリンの南東約160kmのジャガン(現在はポーランド領)郊外に位置します。当時連合軍では、収容所を脱走してその捜索にドイツ軍兵力を割かせ、味方前線部隊の負荷を削減することも捕虜となった軍人の務めの一つと考えられていたそうです。


監視塔のスケッチ。鉛筆とクレヨンで描かれています。


ノートはドイツ軍の許可を経てYMCAにより捕虜たちに差し入れられたもので、添えられた手紙には「文章を書くのが好きならここに小説を書いてもいいし、絵を描くのが好きならページをスケッチで埋め尽くすのもいい。出された食事の中で奇怪なメニューを記録したり、収容所の運動会の記録をつけたり、収容所で聞いたジョークを書き留めておくのもよいでしょう」とノートの使い方が提案されています。

右の絵の下には「The favourite pastime of kriegies is eating, sleeping, playing bridge, and reading.(捕虜たちの気晴らしは、食べること、寝ること、ブリッジ、読書)」と書いてあります。捕虜たちは、ドイツ語で捕虜を意味する「Kriegsgefangener」を略して、自分たちのことを「Kriegies」と呼んでいたそうです。


航空兵ばかりを収容した第三空軍捕虜収容所では、捕虜たちは空を飛ぶ話をしていたのでしょうか。


約1年間かけて「トム」「ディック」「ハリー」と名付けた脱走用のトンネルを掘った捕虜たちは、1944年3月24日の夜に、「ハリー」を通じて「大脱走」を決行しました。トンネル堀りにたずさわった約600名の捕虜のうち、脱走予定者は200名。そのうち収容所を出て森へ逃げることに成功したのは76名。3月25日午前4時55分に、77人目の脱走者がトンネルを出るところを監視兵が発見し、「大脱走」が発覚しました。

大規模な捜索により76名中73名が発見され、中立国を経由して帰国の途につくことができた「脱走成功者」はPer BergslandJens Müller(ともに英国空軍所属のノルウェー人)、Bram van der Stok(英国空軍所属のオランダ人)のたった3名です。

ヒトラーは当初、脱走して捕らえられた73名全員とともに、Von Lindeiner収容所長や収容所を設計した建築家、決行時に当直していた監視兵なども処刑する意向でしたが、脱走者の処刑はジュネーヴ条約違反にあたるとしてゲーリングヴィルヘルム・カイテルらが反対したため、最終的には脱走者の過半数を処刑するようヒムラーに命じたそうです。Von Lindeiner収容所長は更迭されたものの処刑は免れています。

ヒムラーは73名の脱走者のうち誰を処刑するかの選択をアルトゥール・ネーベに任せ、50名が処刑されました。ネーベはポーランド人や東ヨーロッパ出身者を全員処刑することに決めたあと、残りはランダムに選んだと言われています。処刑を免れた23名の中でBob NelsonとDick Churchillという名の脱走者は、それぞれネルソン提督ウィンストン・チャーチルの血縁者かもしれないとおそれられたため処刑されなかったとも言われているそうです。

ネーベはその後ヒトラー暗殺計画にかかわったとして処刑されています。

Von Lindeinerの後任の収容所長Oberst Franz Brauneは、50名もの捕虜が処刑されたことに驚き、残った捕虜たちが記念碑を建造することを許可しました。


Bridges少尉がノートに絵を描き始めたのはこの「大脱走」の数週間後で、ノートにはこの記念碑のスケッチもあるほか、ヒトラーやチャーチル、ルーズベルトなどの風刺画も描かれているそうです。このノートは終戦後の1945年にポーランド人の航空士の手に渡り、最近になってオックスフォードシャーの住宅で発見されました。7月6日にオークションにかけられる予定で、落札価格は1000ポンド~1500ポンド(約13万5000円~20万2000円)になると見られています。

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
第二次世界大戦中に兄が墜落した場所を探し続けていた男性、67年目にしてついに報われる - GIGAZINE

アドルフ・ヒトラーの描いた人物画や風景画いろいろ - GIGAZINE

演説上手で恐れ知らずの総統ヒトラーも歯医者だけは怖かった - GIGAZINE

第2次世界大戦で戦闘機に描かれたノーズアートいろいろ - GIGAZINE

アンサイクロペディアに嘘を言わせなかった男「ハンス・ウルリッヒ・ルーデル」とは? - GIGAZINE

in メモ,   マンガ, Posted by darkhorse_log

You can read the machine translated English article here.