メモ

未公開の自殺直後のハインリッヒ・ヒムラーの写真がオークションに


親衛隊全国指導者や全ドイツ警察長官、ヒトラー内閣内務大臣などを歴任し、強制収容所ゲシュタポを指揮し、ユダヤ人絶滅政策(ホロコースト)の「立役者」とも言えるハインリヒ・ヒムラー。大戦末期には独断でアメリカとの講和交渉を試みたものの失敗し、これをヒトラーに知られ解任されると偽名を使い逃亡したのですが、イギリス軍に拘束され捕虜となり、1945年5月に服毒自殺しています。

そのヒムラーの自殺後にイギリスの情報員により撮影された写真のうち、これまで公開されたことのなかった自殺直後のものが、撮影者の遺族によりオークションにかけられるそうです。


詳細は以下から。Picture of Heinrich Himmler moments after suicide on sale - Telegraph

1945年5月、側近とともに逃亡中にイギリス陸軍によって拘束され、捕虜収容所として使われていたリューネブルクの隠れ家に送られたヒムラーは、当初は偽名を名乗っていたのですが収容所での粗末な扱いに耐えられなくなり「わたしはハインリヒ・ヒムラーだ」と名乗り出たとされています。その後、戦争犯罪者としての尋問を翌日に控えた5月23日に、奥歯に隠していたシアン化カリウム(青酸カリ)のカプセルをかみ砕き自殺したそうです。

簡易ベッドからくずれ落ちたような姿勢の死体の写真は、ヒムラーの自殺の発表とともにプロパガンダのため何枚か公開されたのですが、今回オークションにかけられる写真は、撮影者のイギリス陸軍情報部Guy Adderley兵長が記念として保管していた未発表のもの。死後数分以内に撮影されたものと見られています。


ヒムラーの自殺後に発表された有名な写真。上の今回オークションにかけられる写真と比べると簡易ベッドの方向に対する体の方向が異なっており、発表された写真は「もがき苦しんでベッドから落ちたように演出された」と邪推する向きもあるかもしれません。


状況を知るイギリス陸軍の兵士たちは100年間有効の守秘契約を結ばされたこと、死体は4人のイギリス人兵士によってリューネブルクの森に埋められ、墓石が作られず埋められた正確な場所も記録されていないため以後発見されていないことなどから、ヒムラーの死にはいまも陰謀説がつきまとうようです。

イギリス軍により作成されたヒムラーのデスマスクはロンドンの帝国戦争博物館に展示されています。


Guy Adderley氏が保管していた写真は、ほかの遺品とともに3月29日にブリストルで開催される戦争関連のオークションに出品されるとのことで、予想落札価格は2000~3000ポンド(約27万円~40万円)となっています。出品されるコレクションの中には、ヒムラーが自殺したリューネブルクの建物の前でAdderley氏がイギリス軍やロシア軍の将校とともに写っている写真もあるそうです。

競売人で戦争関連の収集物の専門家であるMalcolm Claridge氏は「これは非常に重要で歴史的価値のあるコレクションです。ヒムラーはヒトラーのライヒスフューラー(親衛隊指導者)であり、ナチスドイツで2番目の権力を持つ男でした。彼はゲシュタポや強制収容所を監督し、ホロコーストの立案者と考えられています。Adderley氏のコレクションは、ヒムラー逮捕の現場へ、ヒムラーが奥歯に隠した青酸カリのカプセルをかみ砕いたその部屋へと、我々を連れていってくれます」と語っています。

この記事のタイトルとURLをコピーする

・関連記事
「大脱走」のモデルとなったドイツの戦争捕虜収容所でアメリカ人捕虜が描いた漫画 - GIGAZINE

アドルフ・ヒトラーを写した貴重な未公開カラー写真の数々 - GIGAZINE

演説上手で恐れ知らずの総統ヒトラーも歯医者だけは怖かった - GIGAZINE

アンサイクロペディアに嘘を言わせなかった男「ハンス・ウルリッヒ・ルーデル」とは? - GIGAZINE

総統のクリスマス、1941年のナチスのクリスマスパーティーの様子を伝える貴重なカラー写真 - GIGAZINE

第二次世界大戦中のドイツ軍兵士がビーチでリラックスする姿をとらえた貴重なカラー写真 - GIGAZINE

ダンテからヒッチコックまで、有名人のデスマスクいろいろ - GIGAZINE

in メモ, Posted by darkhorse_log

You can read the machine translated English article here.