人類が直面した最強最悪の敵「天然痘ウイルス」とはどのようなウイルスなのか?
2020年に世界各地で流行し深刻なパンデミックとなった新型コロナウイルス感染症は、2023年に入っても終息しないどころか再流行の兆しを見せていますが、ニュースの見出しや人々の話題に上ることは少なくなりました。1980年に根絶が宣言されるまで何世紀にもわたり何億人もの人々の命を奪い、失明や聴覚に障害を残すなど猛威を振るいながらもあまり知られていない天然痘について、科学系YouTubeチャンネルのKurzgesagtが解説しました。
The (Second) Most Deadliest Virus on Earth - YouTube
人類が天然痘に苦しめられてきた歴史は古く、その痕跡は古代エジプトのミイラや、3000年前のインドや中国の記録にも残されています。
日本も例外ではなく、1300年前には天然痘で日本の人口の3分の1が死亡したとされています。
16世紀には、天然痘は世界の主要な死因のひとつとなり、18世紀末のヨーロッパでは年間40万人が天然痘で亡くなりました。また、当時の失明の原因の3分の1は天然痘が原因とされるなど、生き残った人も後遺症に悩まされました。
20世紀に入ってから、天然痘は少なくとも3億人の命を奪ったと推定されています。
繰り返し人々の命を奪い、そのたびに社会を混乱に陥れてきた天然痘ですが、現在では万が一のためにロシアのコルツォヴォとアメリカのアトランタにウイルスのサンプルが残されているのみとなっています。
天然痘ウイルスの脅威のひとつは、その感染性の高さにあります。
ウイルスが混じった小さな飛沫(ひまつ)を吸い込むと、すぐに喉の細胞に感染します。
細胞がウイルスに感染すると、免疫細胞が集まって対応に乗り出しますが、天然痘ではそれが裏目に出ることになります。
免疫システムが感染した細胞を破壊し、ウイルスを取り込むと、天然痘ウイルスは病原体の情報を収集して免疫の中枢に持ち帰るという重要な役目を果たす細胞「樹状細胞」に感染します。
天然痘ウイルスに感染した樹状細胞は、全身に張り巡らされた免疫拠点を結ぶリンパ系に戻ります。
厳重な防御が施されたリンパ系は、多くの病原体の最後の場所となるはずですが、天然痘ウイルスはリンパ管を通じて血液中や臓器に殺到し、全身に感染してしまいます。
感染から約12日後、ウイルスが全身に広がると、免疫系は「インターフェロン」という情報伝達物質を使用してウイルスの感染を遅らせ、体内にある抗ウイルス兵器を起動させようとします。
ところが、天然痘ウイルスはこのインターフェロンを非アクティブ化し、ウイルスに対抗するための防御システムをダウンさせることができます。人体には補体系という補助的な免疫もありますが、これも天然痘ウイルスによって無効化されます。
こうして天然痘ウイルスが体の至る所で猛威を振るい、体内の毛細血管を破壊すると、さらに大きな問題が起きます。
それは、好中球という免疫細胞の登場です。
好中球は、大小さまざまな侵入者に対して有効ですが、天然痘ウイルスにはあまり効果がありません。さらに悪いことに、好中球は強力な化学物質を吐いて戦うため、これによりさらに多くの細胞が死んでしまいます。
こうして好中球が引き起こした炎症により血管から体液が組織に漏れ出すと、全身に発疹ができて症状はますます悪化します。
症状が悪化すると、患者は高熱にうなされ、血管が詰まったり、内臓が機能不全に陥ったり、肺に水がたまって呼吸ができなくなったりします。
その後の結末はふたつあります。ひとつは、免疫系が制御を取り戻して抗ウイルス兵器の起動に成功し、感染した細胞を破壊して少しずつ快方に向かうことです。感染から回復すると、記憶細胞が天然痘ウイルスを記憶し免疫ができます。
あるいは、感染とそれがもたらす免疫系の混乱に圧倒され、死に至ります。
天然痘にかかった人の3分の1は助かりません。また、生き延びたとしても体中に傷跡が残り、視力や聴力を失うこともあります。
長い間、人類はなすすべもなく天然痘で命を落としてきましたが、天然痘にかかったことがある人はもう2度と天然痘にかからないことを経験的に知っていました。
そこで、人々は「人痘法(じんとうほう)」という危険な賭けに出ることにしました。この方法ではまず、天然痘の症状が軽い人から病変部の一部を採取します。
続いて、日光で乾燥させてから細かく砕きます。
そして、その粉を患者の鼻に吹き込んだり、皮膚を軽くひっかいてそこに粉をつけたりします。
これがうまくいくと、天然痘は軽症で済み、免疫を得ることができました。
人痘法での感染が軽症で済むのは、日光でウイルスが損傷し、完全な症状を引き起こさなくなったからだと考えられます。
人痘法を受けた人の2~3%は天然痘や合併症で死亡しましたが、それでも天然痘の恐怖から自分自身や子どもを守るため、人々はリスクを承知で人痘法を受けました。
その後も人類と天然痘の苦闘は続きましたが、18世紀ごろに天然痘ではなく牛に感染する「牛痘」を使っても免疫を獲得することが可能で、しかもはるかに安全だということが判明したことで、勝機が見えてきました。
これが、人類最大の偉業ともいわれている「予防接種」の始まりです。
ワクチンが開発されてからも天然痘の脅威は続き、およそ200年にわたって無数の人々が命を落としました。前述の通り、20世紀だけで3億人以上が天然痘で亡くなっています。
そして1966年、世界保健機構(WHO)は人類が一丸となって最後の決戦に取り組まなければならないと決議しました。
世界各地に「天然痘ニュースネットワーク」が構築され、天然痘が流行した地域で患者の隔離とワクチンの投与が行われました。
天然痘は人間にしか感染しないので、人から人への感染の連鎖を止められれば、感染拡大を食い止めることができます。
こうした努力の結果、1977年にソマリアのマルカで確認されたケースを最後に、自然感染による天然痘の患者はみられなくなりました。
そして、最初のワクチン使用から200年の節目を目前に控えた1980年に、天然痘の根絶が宣言されました。
こうして、人類最悪の敵だった天然痘は、人類史上初にして唯一根絶に成功した感染症となりました。
Kurzgesagtは、「今生きている私たちは誰ひとりとして天然痘の恐怖に悩まされていません。しかし、この希望は自然に与えられたものではなく、私たちに取りついた怪物から安全でありたいという人類の強い意志によってもたらされたものなのです」と強調します。
人類は天然痘の恐怖からは解放されましたが、次の感染症がジャングルの奥深くや生鮮市場、研究所から再び現れないとも限りません。
かつて天然痘が存在したことや、新しい感染症の脅威が忘れられつつあることから、Kurzgesagtは「人々は、ワクチンがどれほど素晴らしい贈り物であるか、それを手に入れるためにどれほど苦労したかを忘れてしまいます。しかし、私たちはこの努力の成果を絶やさず、後世の人に伝えなくてはなりません。人類はすでに怪物を1匹倒したのですから、またそれを成し遂げることができるはずです」と述べました。
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