航空機や低温保存技術がなかった19世紀の人々はどうやってワクチンを世界の隅々まで運んだのか?
ワクチンは感染症予防のため弱毒化・無毒化された抗原を投与して免疫を獲得する仕組みであり、その歴史は18世紀末に発見された種痘(天然痘ワクチン)にさかのぼります。「交通網や輸送設備が整っていなかった19世紀の人々はどうやってワクチンを世界の隅々まで運んだのか?」という疑問について、ジョージ・メイソン大学のアレックス・タバロック教授が解説しています。
The Distribution of Vaccines in the 19th Century - Marginal REVOLUTION
https://marginalrevolution.com/marginalrevolution/2020/09/the-distribution-of-vaccines-in-the-19th-century.html
2020年にファイザーやModernaが開発した新型コロナウイルスのワクチンは、当局の承認を得た国々へとすぐに輸送されました。いずれのワクチンも-20度(モデルナ)~-70度(ファイザー)という極低温での輸送・保管が必要となるため、航空各社は大型の電気冷蔵設備や液体窒素を使った多層構造の冷蔵容器など、新たな輸送設備を導入しています。
アングル:新型コロナワクチン、極低温輸送の準備急ぐ航空各社 | Reuters
https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-airlines-freight-idJPKBN28007O
現代では航空機などを利用した高速の輸送網や低温保存技術の発達により、不活性化しやすいワクチンを世界各地まで輸送することも容易になっています。しかし、初めて種痘が開発された18世紀末~19世紀にはこうした輸送網や技術が存在しなかったため、ワクチンの輸送が大きな課題でした。
◆種痘の開発
イギリスの医師であるエドワード・ジェンナーが天然痘の感染を防ぐ種痘法を開発した18世紀末、ワクチンの輸送はさらに困難でした。天然痘は致死率が20%~50%と非常に高い上に後遺症も重く、日本を含む世界中でたびたび流行して多くの死者を出した深刻な感染症です。
ジェンナーが目を付けたのは、「乳搾りなどで牛と接触して牛痘にかかった人は天然痘にならない」という農村の言い伝えだったとのこと。ジェンナーは牛痘と天然痘の研究を続け、牛痘患者の膿(うみ)を健康な人に接種して天然痘の感染を防ぐ種痘法を確立。1796年に使用人の子どもに種痘法を試して有効性を確認し、1798年に一連の成果を発表しました。なお、後の研究では牛痘ウイルスが天然痘ウイルスの感染を防ぐのではなく、牛痘の膿に混じっていたワクシニアウイルスという別のウイルスが、天然痘のワクチンとして機能していたことが判明しています。
天然痘の感染を防ぐ上で種痘は非常に有効でしたが、種痘は熱や日光で不活性化されやすかったため、当時の技術で種痘を保存する最良の容器は「人間の体」でした。そこで、種痘を接種した人の体内で免疫系がウイルスを打ち負かすまでの間、その人の体に現れた膿疱から膿を取り出して別の人に接種する「人体を使った種痘のリレー」で種痘が広められていったとのこと。
種痘を保存するには絶えず誰かの体に種痘を接種し、別の人に種痘を移植可能な状態にしておく必要があったため、「種痘の接種を受けた人は別の誰かに種痘を提供すること」を義務づける動きもありました。たとえばイギリスのグラスゴーでは、種痘を接種した子どもを再び診療所に連れてきた両親に対し、接種時に徴収した代金を返金することで、子どもたちから種痘を抽出できるシステムが作られたそうです。
その後、種痘を世界中に世界中に広める過程で、さまざまな応用法や新たな保存技術が開発されました。
◆アメリカ大陸へのスペインによる輸送
スペイン王のカルロス4世は1803年、医師のフランシスコ・ハビエル・デ・バルミスに「南北アメリカ大陸にあるスペインの植民地へ種痘を送り届けること」を命じました。不活性化しやすい種痘を無事に送り届けるため、バルミスは人体を使った種痘の保存を応用しました。
まずバルミスは、「これまで天然痘や牛痘になったことがない22人の孤児」を集め、出航直前にこのうちの2人へ種痘を接種しました。その後、大西洋を横断する船に乗り込んだバルミスは、牛痘を発症した孤児から別の孤児へと種痘を移す作業を繰り返し、生きたまま種痘を送り届けることに成功したとのこと。
◆トーマス・ジェファーソンが発明した輸送容器
アメリカ合衆国に種痘が伝えられたのは1800年のことであり、ハーバード医学校の教授であったベンジャミン・ウォーターハウスが、当時副大統領だったトーマス・ジェファーソンの援助を受けて輸入に成功しました。
ジェファーソンも種痘の接種を望んだものの、ハーバード医学校から種痘を生きたまま届けることに何度か失敗したとのこと。そこでジェファーソンは、「内側の容器に種痘のリンパ液を保存し、この容器を囲む外側の容器に冷たい水を満たす」という容器を考案し、ハーバード医学校から種痘を取り寄せたそうです。
◆ヨーロッパからインドへの輸送と広まり
ジーン・デ・キャロはヨーロッパにおける熱心な種痘支持者であり、オーストリア・ポーランド・ギリシャ・ヴェネツィア・コンスタンティノープルといったヨーロッパ東部へ種痘を導入する上で重要な役割を果たした人物です。キャロはジェンナーに送った手紙の中で、「牛痘のリンパ液をしみこませた綿くずを2枚のガラス板で封じ込め、日光を防ぐために黒い紙で包み、さらに蝋で厳重に封印する」という手法でバグダッドに種痘を届けたと説明しています。
バグダッドに届いた種痘はアルメニア人の子どもに接種され、人体を使ったリレーでインドに到達しました。インドで最初に種痘の接種を受けたのはアンナ・ダストホールという使用人の娘だそうで、翌週にはダストホールから5人の子どもへ種痘が接種されました。
インドで種痘を広める際に問題となったのが、種痘が外国から来たなじみのないものであり、従来の「天然痘患者のうみを弱毒化し、健康な人に移植させて軽度の天然痘を発症させる」という人痘法を用いた宗教医療者の反発を招いたという点でした。加えて、種痘はさまざまなカーストの人を経由して広められたため、厳格なカースト制度を持つヒンドゥー教の人々にとって受け入れがたいものでした。そこでイギリス人は、種痘を接種したオデヤ朝の王族などを起用した宣伝を行い、種痘をインド人の間にも広めたとのことです。
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